何故彼女と付き合っていないのかと周りに問われる度に反対に聞き返したいのはジモであった。

12月31日、ジモは久方振りに実家に帰省して幼い頃から慣れ親しんでいる食事を共にしてはえらくこの家も騒がしくなったものだと思うのは彼の帰省に合わせて姉も夫と子供を連れて戻ってきており、家の中は大して広くもないというのに八人もいればそれは当然狭く感じるほどだろう。

姉は母となり随分とまた変わったように感じるのは柔らかさや、子への愛情を向ける母の顔をしているからで、姉の夫であり義理の兄となる男は優しそうな男でありそれなりに会話のしやすい男だった。
祖父母も両親も相変わらず元気にしているのはいいことだったが、母の口煩さは変わらず度々チャイのことを聞かれジモはウンザリしていた、今回帰ってきたのは年の瀬であり、たまたま任務がなかったからで、彼が正月に実家にいるなど実に数年ぶりの事だった。

家族を大切にしている彼のことを家族は誇らしく思うものの、その仕事の危険性には心配は止まなかった、特に定型的な主婦の母親からしてみれば安全かつ安定した仕事を強く求めており軍人を辞めた時はそれはもう嘆いたほどであるが今はもう落ち着いたものだ。

「今からでも遅くないからチャイちゃん呼びなさいよ、近くで花火も上がるらしいわよ、全く最近は春節の前祭りみたいになってきてるのよ」
「何処にいるかわからないし、仮に休みだとしても家族と過ごしてるさ」
「そうやって遠慮するから進まないのよ、あの子じゃやっぱり物足りないの?」

まぁ確かにあの感じは教養や学歴はあまりなさそうだけど女は愛嬌だから平気だと、平然と告げる母親にウンザリしていれば姉と視線が混じり苦笑いを互いに浮かべた。
きっと彼女がこの場にいて同じことを言われても笑って返しつつも内心は暗い顔をしているのだろうとジモは感じる、そういうタイプだと理解したのは彼女と時間をしっかり重ねたからだろう。

三十路が過ぎた息子を心配する母の気持ちを理解しつつもうんざりする彼は小さな姪子を抱いては自分に子供がいたらどうなるのだろうかと考える、自分に似て不器用で無愛想な人間ではなく彼女のように晴れやかで人に愛される人間に育ってくれたらと思ってはそんな関係でもないのに考えてしまう自分にウンザリしてしまう。

「チャイちゃんと上手くいってないの?」
「上手くいくもいかないも友達だって」
「聞いてる感じ、そう聞こえない」

夫が父と話している間に洗い物を手伝う姉に姪子を抱かされたジモは不慣れながらもミルクを飲ませてやっていた、小さな腕の中の命はコクコクとその口で必死に生きようと哺乳瓶に吸い付いて中身を減らしていく姿に命の強さを感じる。
姉に関してジモはあまり深い関係でもないため出産の際にも立ち会うことはなく、姪子にも初めて会うものだが姉は高齢出産手前であったことや、元の体質から出産の際には様々な事が重なり随分と苦労したのだという。

「じゃあどう思うんだ?」
「ん〜素直になれない高校生の変愛って感じ」
「そんなにガキじゃない」
「ガキみたいな顔して膨れてるくせに」

そういった姉にジモは何を知っているんだかと思いつつ命じられるがまま片腕で簡単に抱ける姪子をタオルを敷いた左肩に置いて、背中を優しく叩いてゲップをさせようとする頃、ちょうど彼のスマホが震え相手を見ては彼の表情はずっと柔らかくなり応答するのを彼の姉は呆れたように微笑ましく笑った。

相手の名前を見て直ぐに応答のボタンを押した彼はポケットの中に入れていたイヤホンを取りだして接続すると何度か彼の名を呼ぶ聞きなれた彼女の声が聞こえた。

『ジモくん聞こえる?』
「あぁ聞こえてる、ちょっとイヤホンに切り替えてた、どうしたんだ」
『どうしたって何も無いけど、年末だからって休み貰ったから久し振りに実家に帰ってきてたの、この感じだと春節には帰って来れなさそうだけど』

その言葉にジモは自分もちょうど帰ってきていることをいえば互いに年の瀬に休みがあるだなんて一体何年ぶりだったかと笑う、先日のクリスマスは当然仕事で誰かと酒を飲み交わすこともなく彼女が唯一クリスマスだと感じられたのはコルタックにいるクラウスが全員にクリスマスプレゼントと称してスニッキーズをくれたからだということでジモは笑った。

会話をしていれば姉の声が聞こえて慌てて姪子の背中を摩れば小さな命は小さなゲップをようやくした為、彼は下ろしてやり片手で抱っこしてやりつつ会話を続けた。

なんてことの無い話だがあと数時間で新しい年がまた来るのだと感じると、彼は来年もまたチャイの共に居たいと思った、友人という今の関係はもちろんだが、許されるなら進みたいと思う彼はふと会話の中で来年も共に過ごせたらいいと互いに笑いあっていった。
ふと静まり返ったチャイは深呼吸をして呟いた。

『あのねジモくん、実は⋯「うわぁぁぁ!」どうしたの!?大丈夫??』

そういった彼女の言葉を上手く聞き取れなかったのはジモの膝の上がミルクに塗れていたからだった、あまりの勢いの良さに驚いたジモは声を上げて驚きその声に驚いた家族たちも慌てて駆け寄り、姪子の赤子特有の嘔吐に慌てて対応し、衣類の汚れたジモは汚さぬようにとバスルームに向かった。

慌てふためく彼が衣類を脱いでシャワーを足元に掛けながらようやく落ち着く頃、通話をしていたチャイに謝罪をして、何か言いたいことがあったのではないかと問いかけたが彼女は平気だと告げる為、引き下がる彼は今年も共に過ごせてよかったと改めて言葉にすれば通話越しの彼女も嬉しそうに返事をしたが通話を切る直前彼女は告げた。

『来年こそ好きな人を見つけて、幸せになってね』

その言葉に彼がどういう意味なのかと問いかけようとする間に通話は切られてしまい、彼はバスルームの中で熱いシャワーのお湯が足に流れるのを眺めては深い溜息をついてしまう、順調な関係だと思っていてもやはりそれはいつもジモだけが思うことなのだと思えたからで、彼はシャワーのお湯を止めてバスルームを後にした。

どういう意味か、何故今それを伝えられたのか疑問を抱いたがそれが解決することはなかった、チクタクと針は進み刻一刻と新しい一年に向かおうとする中彼は対してそれを特別はしゃいで祝うようなものでもなかった、家族と過ごす喜びの中で何処か穴が空いているのは彼女の言葉のせいだった。
ふと自室に向かう途中、祖母の部屋を通りかかると祖母は静かにテレビを眺めていた、昔から口数少ないが手先が器用で博識でジモが疑問に思うことを彼女は何だって教えてくれた、この国がどのように道を歩んできたのか、何故彼女があの時代に従軍したかなど、全て知っており真っ直ぐとしたその志がいつだってジモの行きたい道だった。

「我宝宝」

その愛称にジモは足を止めて「どうしたのばあちゃん」と声をかけて部屋に入った、祖父が亡くなったあと同居を始めた祖母は物静かに部屋にいることが多いようだと感じた。
懐かしい祖母の自宅の香りを部屋に感じて何処か心地よく夢へ誘うような心地に彼は祖母の隣に腰をかければシワの寄った手がジモの頭を撫でた、いつも不思議なことに祖母に触れられると胸の内が自然とさらけ出された。

好きな人がいる、けれど彼女はいい関係だと思うと突然壁を作って逃げ出す、彼女には守らなければならないものもコトもあることを理解していても、それでもそれを分かちあった今ほんの少しでもその重荷を持たせてほしいと願えば彼女は追い出してくるのだ。

「俺はどうしたらいいのか分からないから出来るだけ支えたいと思ってるのに、それさえ許してくれない」

恋人になりたくてもダメだと言われるのならせめて友人で、それさえ許して貰えなければどうしたらいいのかとジモが悩めば祖母は彼の手をとって両手で優しく握った、暖かく昔よりもずっとシワの寄った手に人の老いを感じる頃、祖母は女は強いフリをする生き物だと告げた。
弱いから強いフリをして、惚れた男に平気なフリをしようとする、けれどれさえ難しくなれば背中を見せる弱い生き物だと。

「お祖父さんはそれでも追いかけてきたよ」

あれじゃあ地球の裏側まで来そうなくらい。と笑った祖母が時計を見ればもうあと一時間ほどで新しい年がやって来ようとしていた、ジモは祖母の目を見ては返事をした。

「そりゃあ惚れてるから」

諦めが悪い男だと笑われてもいいかと彼は立ち上がって慌ててジャケットを羽織って父にバイクを借りると告げると何かを言われるが彼の耳にはもう何も入っては来ず、家の車の傍に停めてある父の趣味のバイクに跨りエンジンを掛ける頃、足音が聞こえ目を向ければ何かが投げ込まれ受け取ればそれはノヴァチェックのマフラーであり、投げ込んだ犯人である母親は楽しそうに微笑んだ。

「お父さんに貰ったバーバリーのマフラー譲ってあげる、風邪ひかない様に行きなさいよ」

誰のところにと聞かずとも察していた母にジモは頷いて走り出した、祖母は祖父を、母は父を、姉は夫を、それぞれの愛をみたジモはバイクを走らせては雪の降り始めた道の中で彼女の事を思った、会いたい以上に伝えたい思いを抱いて。


◇◆◇


人を好きになることがこんなにも苦しく心地よく悲しいものだと知らなかったとチャイはいつもジモを想う度に考えてはベッドの上で考えていた。
ジモを好きになったのはもう何年前だろうか、彼が自分をあの日普通の人間として叱りつけてくれた時の顔はよく覚えていた、きっと彼は誰にでも同じような態度なのだろうとも感じながらも、とても素直な彼の態度は気付いていても知らないふりをして友人という関係で壁を作っていた。

家族というものはその人の人生全てであるとチャイは考えていた、生き甲斐であり生涯であり支えであり切れぬであるからこそ弟達に無償の愛を与え続けていた。

「ジモさんと過ごさないの?」
「別に私たち友達だし」

夕飯の支度をしていればセイファイに問い掛けられるもチャイは苦笑いをした、あの一件から彼はずっとジモとチャイのことについて世話を焼いていた、そのことに対して彼女は笑って流すものの互いに言いたいことを胸の内に置いていた。
幸せになるべきだと思うセイファイと、家族を守るためなら自己犠牲を厭わないチャイの考えはいつもすれ違っていた、それでもセイファイが彼女に強く意見できないのは彼女のお陰で大学院まで卒業出来たからで、下の弟達も好きな道を歩むことが出来ているからだ。
彼らは残酷なほど、この世は金で動いていることを知っていた、読み書きもできなかった姉が学校にも行かず暗黒街に足を運んでいたことも、チャイに下手に近付く人間はみんなクズだということも。

『ジモさんは姉さんが好きですか?』

セイファイがジモを好むのはそれを聞く度に彼はいつも深く彼女を愛した表情を見せるからだった、嬉しそうに切なそうに愛おしそうに返事をする彼を見る度にこの人ならば彼女を幸せにしてくれると思った。

「きっと今頃友達とか家族とか、あぁもしかしたら恋人と過したりしてるかも」
「それ本気で言ってるの?」
「本気って⋯だって私は友達だから、ジモくんのことなんて分からないよ」

友達だと言い聞かせなければならない、あの日確かに愛し合っていたが一線を引いたのは関係が崩れるのが怖かったからだ、失うことも壊れることも簡単でそれまでの全てが水の泡となる。
ジモには自分ではない相手がお似合いだとチャイが自傷気味に笑えば、セイファイは点心を包む手を止めて、彼女に向けていつまで臆病に逃げ惑うのだと非難した、目を丸くするもののチャイの言葉はジモに対しても失礼であり、自分にその気持ちがないのならば彼を突き放せと残酷に告げた。

「束縛してるのは姉さんだ、好きなくせに臆病者」

目の前に餌を吊るして走らせてるようなものだという彼の言葉にチャイは何も言い返せぬまま二人はただ新年に向けての食事の用意をした、笑い合う彼らの声を聞くチャイは胸の内で自分の天秤が上手く稼働していないことを悩み続け夕食を終えてはひとり家の外に出ていた。

ジモの愛はこそばゆくて心地よくて堪らなかった。
束縛していると言われた時否定ができなかった、確かに彼からの真っ直ぐな愛情を独占していた時の心地良さは何者にも言い難い、愛されることがこんなにもいい事だと思ったことなどなかったほどだが、それと同時に誰にも渡したくない独占欲も現れた。

寒空の下歩き続けるチャイは自分の身勝手さも、信念の無さも、何もかもが嫌だといつも思っていた、セイファイの言葉は正しくて笑えてしまうほどであり、気付けばコンビニに入って酒とタバコを買った彼女は手に持った小さな白酒を一気に飲み込んだ。
喉が焼けそうなほど熱いと感じつつも丁度外は冷たいため良かった、普段吸わないため適当に頼んだ銘柄のタバコに火をつけては苦いと笑う彼女はジモに連絡をした。

『来年こそ好きな人を見つけて、幸せになってね』

今年はもう終わってしまうから、素敵な人を見つけてほしいと心から願い通話を切ってはその連絡先を削除する、好きだった。
けれど彼は普通の女と恋をして幸せになるべきなのだとチャイは地面に座って短くなったタバコを吸えばフィルターに熱が伝播し思わず床に落としてしまう、短く煙を吐くタバコを見つめては虚しさだけが目に張り付いて涙が零れた。

ジモが好きだと思いながら、人混みの中に彼女は足を進めた、いっその事全てを投げ出して消えてしまいたいと思いながら。

◇◆◇

高速道路はみちが空いており、上海に帰る人間というのが少ないからかもしれない、しかしながら街中は若者で溢れており、ここ近年は春節同様にこの年の瀬を祝うようになったからなのだと思いつつジモは来たことのあるアパートの前にバイクを止めてチャイムを鳴らせば出てきた青年は少し焦った表情をしていた。

『出ていったまま帰ってこないんです、僕が余計なことを言ったから』
『余計って?』

本当に誰も彼もが好き勝手に言うもんだとジモは街中を歩いた、人に溢れた街中に苛立ちを感じつつ何処にでもいるような女の面影を探した、遠くには行っていないだろうが何処にいるのかとこの辺りの地理に詳しくもないジモはひたすら探していた。

周りの気持ちは痛いほどにわかる、ジモが彼女を思う気持ちを汲み取っているからこそ背中を押してくれていることや、彼女の弟が彼女に幸せになって欲しいこと。
けれど人には人の歩みがある、それを何故理解して貰えないのか、哀れまれているとしたらとんだ迷惑で、ジモは自分の気持ちではなく彼女の気持ちも蔑ろにされているようでいつも嫌だった。

それでも彼女が助け舟を求めれば彼はどんな時でも駆け付けてしてやれた、その関係でいいのだと言い聞かせるのはいかに大変なことか、きっと誰も理解されない。
追えば逃げられ、追わねば止まって、まるで人を弄ぶことに長けた女であるとジモは少しだけ意地悪に彼女のことを評価した。

酒に飲まれた若者たちが次第に乱れていくのを見て人混みも騒がしい場所も嫌いだと思うものの彼女の自宅から繁華街が近い事もあり、辺りは浮かれた連中ばかりだった、ふと聞こえたのは店と店の間の狭い路地に女を連れていこうとする男でジモは相手の男の首根っこを掴んでは見知らぬ女性に手助けをした時、彼女も同じ状況ではないのかと焦りを感じ、その足をさらに早めた。

◇◆◇

人混みの中、声をかけてくる男たちは全員同じようにギラギラとした獣の瞳でどんな見た目でも女とくれば酒も入っている相手は気にした様子もないようだった。

ふと視界に入った二人の男女、一人は黒い野球帽を被ってシンプルな服装をした男性にその隣の女性もまた何処にでもいる普通の女性だった、それを見た時ジモはきっとあんな女性が似合うと思ってしまう。
勝手な決めつけだとわかっていても彼は普通の女性と普通の恋愛をして結婚や子供といったことを重ねるのがお似合いで、だからこそ何故自分に⋯と思わなくはないのだ。

真っ直ぐに行為を伝えてくれるあの瞳が好きだと思う頃、チャイは男達に囲まれていた、下卑た眼差しに話し方、酒に酔っているからか気が大きくなった男たちの態度にチャイは慣れると同時に安心感さえ抱いた、こうした下世話な態度の方がずっとマシだった、そうじゃない人間の方が珍しかったからこそジモという男にここまで胸を引かれてしまうのだ。

ふと時計を見てはいい加減に家に帰らねば不安がられるかと彼女は腰を上げては人混みを抜けて戻ろうとする際、ふと手首を捕まれ何事かと顔を上げたそこには⋯

◇◆◇

「はぁ⋯クソっ」

人が多すぎるとジモは思わず悪態をついてしまうのは仕方がないほど人が多かった、春節かと聴きたくなるほどの人の群れに何が楽しくてこんなにも人の多い場所に次々集まるのかと思いつつも道を歩くだけで見知らぬ酒を勧められたり、知らない女に腕を取られたり、知らない男に尻を撫でられた時は思わず怒鳴り声を上げるほどジモはストレスが重なっていた。

万が一にチャイに会えたら少しだけ説教してやると思うほどであるか、それ以上に心配もあった、自由奔放であると周りには称される彼女だがジモからしてみればいつか煙のように消えてしまうのではないのかと感じるような相手であり、彼は出会った頃と今と彼女の印象は全く違った。

家族思いで自分の芯がある女性、けれどそれに重きを置きすぎる彼女は潰れてしまうのではないのかと感じるほどで、だからこそジモはお節介にもそれを支えたいと思うようになった。

好きになれば相手の弱い部分が見える、しかしそれが良いようにも悪いようにもなり、けれども支えたいと受け止めるのは彼なりに愛だと感じており、万が一にも彼女のことを愛しているのかと問われればジモは真っ直ぐに言えた、腕時計はあと数分で日付を跨ごうとしておりジモはもう一度足を進めた。

大きな広告看板が秒数を刻んでいた。
あと一分で変わる日付に彼はいっそ彼女は見つけられたくさえないのだろうかと思う内に花火が上がり、人々の歓声が響きジモは近くにいた女性からおめでとうと声を掛けられたがめでたさなど感じなかったのは今日が春節でもないたただの一月一日だからだった。
人も時代も時間も過ぎていく、昔は春節だけだった祝い事をいつの間にか盛大に祝うほどになっていて、ジモはあまりまだ理解ができておらず増える人混みにもう彼女も見つからないかと諦めて来た道を戻る道中手渡された小さなプラスチックコップの中に注がれた白酒を飲めば今の空気感にも少しは悪くないと思った頃、視線の先に見覚えのある女性がいた。

「チャイ⋯っあの男!」

彼が止めていた足を早足に進めたのは店と店の間の狭い路地にいた彼女が知らない男に手首を捕まれ言い寄られていたからで、遠目に見えた彼女の表情は明らかに嫌がったものであるからでジモは慌てて走っては相手の男を止めようとする前に彼女が相手の男の鳩尾に容赦なく拳を入れた。

「あっ」
「あっ」

ジモが踏み込んですぐ男はズルズルと床に落ちていき、チャイはふと現れた第二の男に顔を上げればそれが見覚えのある男であった為、しまったと言いたげな顔をした。
二人は地面で伸びた男を見下ろしては取り敢えずここから離れようといって人混みに向かえばジモは彼女の手を取って足を進めた、何故なら彼女が消えてしまうかもしれなかったから。

花火にクラッカーに爆竹にありとあらゆる場所で聴こえる新年を祝う歓声が遠くなっていけば、いつの間にか人は減っていき、二人は何も無い道を歩んでいた、繋がれた手だけは暖かく気まずそうに過ごす中でチャイは普段通りに口を開いた。

「こんな時なのに上海にいるなんて珍しいね、誰かに会いに来たの?」
「チャイに会いに来た」
「そうなんだ」
「どうしてあんなこと言ったんだ」

あんなこと。という言葉にチャイは少し前に自分が酔った勢いと弟からの煽りから彼に電話したことを思い出して顔を伏せた、酔っていたのだといえばよかったのかもしれないが本心でもあったのは事実で彼女は口を閉ざすがジモは納得するまで帰れないといって足を止めれば彼女はその手から抜けて一人進もうとするため彼は手首を強く握った。

「どうしていつも俺を突き放す」

ジモの切実な言葉にチャイは何も言えなかった、突き放してなどいないと言いたかったがそれは言い訳でしかない、突き放したいと願っても彼が追いかけてくれることは知っていた。

「俺が嫌ならハッキリと振ってくれ、俺はチャイが好きなんだよ」

昔人魚姫という絵本をチャイは読んだことがあった、愛する人を殺して人間になるか、泡となって消えてしまうかという二択を見た時、チャイは自分が同じ立場なら泡となって消えて相手の幸せを願うと思っていた、しかしその判断はとても難しいのだと大人になった今気付いた。
相手にも愛されたい、けれども欲するものが一つしか許されないのならばどうするのかと考えた結果彼女は返事をした。

「好きじゃ、無い」
「⋯⋯」
「もう好きじゃないよ、だから実らない恋をするのはやめたら?って思ったの」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃない」
「じゃあ泣くな」

泣くなよと言ったジモがチャイの目元を拭えば、彼の右手の人差し指の背は濡れた、彼女が時折不安定になることをジモは理解していた、きっと彼女のことをこの世界で一番理解しているのは彼だとチャイは理解していた、だからこそ離れたいと願った、甘え続けて自分の足場が分からなくなるから。

「好きな人も、幸せも俺が決める、その相手はチャイなんだ」
「普通の人がいいよ、その方がお母さんも、ううん家族みんなが安心する、家族は大切でしょう?」
「大切だよ、でも家族になりたいと思う人も大切だ」

何度言ったらわかってくれるんだとジモが急かすように彼女の頬に手を添えた、あの日の傷跡は未だに残っておりチャイは彼がそれを撫でる度にあの日愛し合った時を思い出して胸が痛くなってしまう。
真っ直ぐとどうしてそんなにも気持ちを伝えられるのか分からず逃げ出したいと顔を背けようとするも彼は許さなかった。

「俺たち話し合えてないだろ、話そう、満足するまでちゃんと理解して、それでダメなら考えよう」

これが最後だというジモにチャイは何も言えずにいえば彼の手に引かれて歩き出した、外は騒がしいほど新年を祝い会う中で二人だけはまだ時間に取り残されていた、静まり返ったカフェの中でジモはコーヒーとホットココアを頼み彼女には何か食べるのかと問いかけたがチャイは断ると彼は珍しくケーキをひとつ頼んだ。

朝まで営業しているそのカフェの中は静まり返っており、外の空気とはまた違っていた、疎らな客はほとんどが男女で凡そ恋人同士なのだと察することが出来る表情や距離感であった。
薄暗い店内の一番奥の二人掛けの椅子に腰かけてジモは静かに彼女を見つめたがチャイは何を言えばいいのか分からずに顔を俯かせた。

「俺の想いは面倒臭いだろ、しつこくてうざったるいと自分でも思う、けどそれくらい本気なんだ、嫌なら諦めるから本当の気持ちを教えて欲しい」

ジモは時折仲間たちにも一途過ぎると飽きられる上に、チャイのことを知られれば別の女にいい加減切り替えてはどうだと提案された、プレイボーイではないことは理解されているがあまりにも進まない関係に対して彼らは時間を無駄にするなと言う。
愛も恋も女も男も辺り一面にいくらでも落ちており、ジモ自身に素直に好意を告げてくれる相手はきっといるだろう、その恋だけが全てでは無いことくらい彼も理解している。
だがしかし、それでも一人しか見られないからこそどうしようもないのでは無いのかと彼はいつも自分に思っていた。

返事もないまま時間が過ぎれば二人のテーブルの上には注文した物が置かれる、小さく湯気を立てるコーヒーとホットココアが冷めたとしてもジモは終わらせる気などない。
彼女の本音を聞くまでは返さないと強く見つめれば、僅かにあがった彼女の瞳と絡み合い身構えれば細い手がカップを手にしてココアを飲んだ。

「私がジモくんを好きになってから、もう四年が経つの、初めて出会った時から私のことを叱ってくれた時、あぁ優しい人だと思った、だからダメだって思った」
「優しすぎるからか」
「うん、優しすぎると怖くなるでしょ、いつかその優しさがなくなるかもしれないって」

劣等感しかない、書類のサインのひとつでさえ汚くて隠したくなる。
生きていく上で必要なものを何一つ手にしてこなかったというのに人間社会で生きて、相手の命を奪うことだけが得意だった。
仕事の度に自分は機械であると思っていた、言われるがまま任務をこなして人の社会に馴染むために笑顔を貼り付けて、けれどジモは自然とその仮面を剥がす様に誘導するのだ、決して無理強いはしないが本性を見てほしいと言う願いを聞き取るように彼は触れてくれる。
それが心地よいからこそチャイは逃げ出したくなり、彼を突き放そうとしていたがジモはそれを聞いてもやはり受け入れられなかった。

「普通の人を好きになって欲しい」
「普通の人ってどんな人だ、俺が知らないだけでチャイは王族の出だったか?」
「本気で言ってるの、わかるでしょ」
「分からない、分かるわけない、お前は普通の女性だ」

俺も普通の男だ。
そんなわけが無いとチャイは帰りたくなるもジモは彼女の手を取り帰らせはしなかった、ジモは納得がいくように言ってみろという為チャイは必死に考えた、両親が居ないことや娼婦であったことに弟達には言えない仕事をいくつもしていることに。

「⋯それに、傷のない女がいいよ」

綺麗な服の似合う女がいいという彼女にジモは呆れてしまう、まだそんなくだらないことを言うのかと思わずため息を吐けば小さく揺れた彼女の肩にジモはテーブルの上のオレンジのケーキにフォークを刺して彼女に差し向けた。
目を丸くして何かと思うものの食べろという彼に恐る恐る口を開けば甘いクリームとスポンジにオレンジの程よい酸味が口の中に広がり、自然と「美味しい」と呟いてしまう。

「俺はケーキを食べて美味しいっていう人が好きだ、普通ってことに悩んでるのもいいし、家族想いで四年間もずっと好きでいてくれる一途な人なら尚のこと」
「⋯そんなことない」
「普通なんてのは他人が決めることだ、その他人なんて好き勝手にいう奴らで誰も自分のためになんてしてくれない」

それに家族なんてものは血の繋がりだけじゃないからこそチャイの家庭があり、そして人は新しい"家族"を作るんだろうとジモがいうと彼女は反論ができなかったが互いにそれなりにいい年齢であることを理解する彼女はやはり彼の意見を受け止められなかった。
結婚や子供を考えた時、自分にはその資格がないという彼女にジモは苛立ちさえ感じられた、どれだけ自分の意見を告げても彼女は逃げ惑うからでジモは思わずその静かな店内で声を上げた。

「フォン・フーファイ!」
「はい!」

まるで軍隊の時のような呼ばれ方に思わず背筋を伸ばした彼女は目の前の背筋をシャンと伸ばした彼にキツく睨みつけられ緊張感が走る。

「お前は俺のことが好きなのか!」
「大好きです!!」
「良し!」

突然の問いかけに素直に言葉を発してしまったチャイはしまった!と思うもののジモは気恥しさに慌ててコーヒーを飲んで誤魔化すものの店内の人々の視線に二人は気まずくなり慌ててテーブルの上を空にして出ていくも会計時に店員から「おめでたい日ですからね」と微笑ましく言われた二人は今日が何の日かなどもうどうでも良い程で消えてしまいと感じつつ店を飛び出せば、それまで静かだった店内とは裏腹に夜だと言うのに未だに騒がしい街に二人は静かに手を繋いで歩き出した。

冷たい風が二人を刺激した、元旦の暗い道は誰も何も走っておらず二人はただ静かにバイクに乗ってどこに向かうのかも分からずに風を感じた。
チャイはジモの腰に腕を回して背中に顔を寄せると彼の香りを強く感じた、心臓の音が小さく聞こえた時あの日の夜を思い出しては愛おしいと感じる頃、いつの間にか海沿いの道へとやってきておりジモは静かに道を走らせてバイクを停めては彼女の手を引いた。

「俺の母さんはよく学歴とか仕事とか言うことがある人なんだ」

二人のスニーカーが砂浜を歩く度に海の音に混じって砂を踏む音が小さく聞こえた、チャイはジモの会話に静かに耳を傾けてそれは親として当然のことであると思った。
チャイは弟達に対して勉強やいい学校に行くことを望むのは自分が得られなかったものだからであり、そうした物を手にすれば自分の進みたい道に進めることを幼くして知っていたからこそ苦労を買ってでも彼らに与えてやりたいと思った為、ジモの母親の気持ちは理解できており尚のこと自分は彼の隣に立つべき存在ではないと思い口の中を噛んだが彼は繋いだ手を握り直して歩き続ける。

「でも本当はどうでもいいんだ、世間がそういうから合わせてるけどあの人自体自分より学歴の無い父さんと結婚したし」
「どうして?」
「好きだったからさ、まぁ俺たちの時ほど学歴を求められなかった時代かもしれないけど、そんなもんだよ」

人の感情の前には結局世間体や他人の意見なんてものは意味を成さないとジモが話すのをチャイは納得できない顔をした、散々愛しても結局その身の汚い女達はみんな尽く捨てられた、そしてその苦しさから今世と別れを告げる女も多く見た彼女にとって普通に生きられる人間が羨ましくてたまらなかったのだ。
普通の親の元に生まれて、普通に生きられたならばと何度も願ってきたことを彼は否定することを認められずに足を止めてジモに「現実を知らないからだよ」といった、現実はいつも辛くて苦しくて堪らなかった、この人なら幸せにしてくれると思っても所詮価値のない女は玩具でしかないと教え込まれてきた。

「商品価値のないものを誰が買うの?誰が欲しがるの?ゴミは所詮ゴミでしかないんだよ」

どれだけ彼が綺麗事をいってくれてもチャイは自分が"商品'として意味を成してないことを知っていた、きっと今男に買われてた時の金額は?誰が嘘でも娶りたいと?愛しているというのだと目の前のジモを否定した。
彼の愛は情けだろうと告げるが彼は顔色を変えることはなく彼女が振り払おうとする手を力強く握った、男と女の憎らしさを感じて一層泣き喚いてしまいたくなる頃、ジモは真っ直ぐとした目で彼女にいう。

「それを決めるのはそいつ自身だ、ゴミだと周りも自分でさえ思ってたとしても、俺にとっては宝石だ」

ジモは彼女の言葉に幼い頃海に来た時拾った小さな美しい石を拾いそれを大切にしていた、けれど姉は彼に対してそれはガラスだと言って彼を小馬鹿にして笑った、数歳上の姉の方が当然物事を知っているため幼いジモはそれが恥ずかしくて一日大切に握っていたガラスを捨ててしまおうとした、けれど海に連れてきてくれた父親はそれを捨ててはならないと言った。

『自分にしか分からない輝きだから大切にしなさい、きっとそれはどんな宝石よりも美しいものだから』

拾った時に直ぐに報告したジモの手の中のガラスを父親は見た途端に正体を知っていたが黙っていた、けれど彼が手放そうとすればそれを否定した、どんなものでも自分にしか分からぬ美しさで、それはどんなものよりも自分にとって特別なものに変わるのだと言われた時、幼いジモはその通りだと感じており、大人になった彼は今もその言葉は間違いではないと知っていた。

「他の誰にも分からなくていい、俺だけがチャイの良さを知ってたらいい、俺だけが君を好きでいたい」

彼女に向かい合ってジモは彼女の左側の頬を撫でた、赤い火傷の痕は彼女の身体を彩る画のようで、それでも信じきれずに視線を外して逃げようとする彼女にジモは唇を重ねた、空はゆっくりと朝へと変わろうと朝日が昇り始めており、彼は深く長くキスをする姿は優しく心地よく、あの日の時のようだった。
ベッドの中で何度も想いあって愛し合って大切にされたことが心地よかった、もっと触れられたいもっと重ねたいとチャイは静かに頬に添えられた彼の手に自分の手を重ねて少しだけ背伸びをすればジモは彼女の腰に腕を回して抱き締めて唇を重ね合った。

「愛してる、心から君が好きだチャイ」

何度目の言葉か分からなかった、けれどもう一度唇を重ねればふと流れた彼女の涙が互いの唇に触れた、潮の香りに混じった涙の味は何処までも優しいものだった。


◇◆◇

「ゲッ」
「どうしたの?」
「セイファイから鬼電が来てた」

指を絡めて歩く二人はいつの間にか朝になっていたことに驚きつつもバイクに向かって歩いていた、それなりの距離を歩いたものだと笑っていればジモは自身のスマホに来ていた数十件の着信に苦笑いをして、そろそろ帰ろうと話をした。

二人のスニーカーが浜辺の砂を踏む音を奏でた、細かい砂は心地よい音で海のシーズンでもないため人もおらず彼らはふと寄せる波を見つめた、ジモは帰ろうというがチャイはいつの間にか片手で靴下とスニーカーを投げ捨てて海に向かって彼の手を解いて走っていくためジモは慌てて彼女を追いかけた。

「めちゃくちゃ冷たいぞ!」
「ははっ、そりゃあ一月だもん」
「なんでそんなに元気なんだっっ、濡れる!やめろ!」

まるで子供のようにはしゃぐ彼女に水を掛けられるジモは文句を吐きつつもその姿に楽しそうに頬を緩ませてやり返しをしては互いに服を濡らした、負けん気の強い二人はやり返しあってジモの掛けた水が彼女の頭から勢いよくかかってしまえば黙り込む彼女に彼はしまったと思うのも束の間に姿勢を低くした彼女は勢いよく彼に飛びかかり、二人は地面に倒れ込んだ。

「これじゃあ二人とも風邪ひくな」
「ほんとに、帰ったら怒られちゃうよ」
「『二人ともなにしてたんだよ』っていわれるだろうな」

セイファイのモノマネをしてみれば彼女はそんな低い声じゃないと笑うが声が似ないのは仕方ないだろうにといえば彼女は楽しそうに声をあげて笑う時、二人は寄せる波に打たれていた。
冷たい海水と互いの体温が混じり合い笑うとき、自分を見下ろす彼女をみつめてジモは静かに想いを伝えた。

「付き合って欲しい、どんなことを思おうと俺はフーファイが好きなんだ、この想いは変えられない」

真っ直ぐとした眼差しで、そう伝えた彼にチャイはジモのことを信じられた気がした、彼の言葉に彼女が返事をすれば二人は冷たい水の中で抱き締めあい互いを感じる時、外の音は全て消え去っていた。

◇◆◇

「「くしゅん」」

大きなくしゃみの音に振り向いた二つの眼差しにジモとチャイは思わず背筋を伸ばして身を固めた。

「こんな日に風邪を引いて帰ってくるなんてどういうことかしら」
「海で遊んでたって子供じゃないだろ」

ジモの実家の中はとても騒がしくなっていた、何故ならチャイが弟達を連れて彼の家にあの後来ていたからであった、あの後二人は帰ると同時にジモに連絡がかかってきたのを取ったのはセイファイであり、誘われるがまま車に乗ってジモの実家へと足を運んでいた。

まるで途端に弟や従兄弟に孫が増えた気分になるジモの家族達はチャイも弟たちも受け入れてもらったものの、海での一件から完全に風邪を引いたらしい二人は年が変わって早々に二人で分厚い布団に包まれてソファの上で温められ他のみんなが美味しい餃子や点心を食べている姿を横目に中華粥を食べさせられていたのである。

「ちょっとくしゃみしただけなのにね」
「ダメだチャイ、母さんに意見したら怖いぞ」

騒がしい人の声に紛れて聞こえないと思ったジモの声を聞いた母は彼の耳を引っ張っては聞こえているぞと言う為思わず苦笑いをするも、彼の母親はチャイをみるなりまるで我が子のように可愛がってくれるためくすぐったく感じる程であるがジモは風邪が移るから自分たちは部屋に戻ると告げてその場を後にした。

「御手洗行ってから部屋行くね」
「そこの廊下の突き当たりにある」

短い返事をして先に行ったジモを見届けたチャイは手洗いを済ませて居心地のいい彼の家の中に胸を暖めて部屋へ向かおうとする頃、ふと薄く開いたドアの隙間から見えた老人に視線を奪われるとジモの祖母は気付いたようでチャイを手招いた。

「こ、こんにちは」

挨拶をするチャイが傍によればジモの祖母は頷いてチャイを見たあと彼女の手を取りじっくりと撫でた、火傷の痕に銃を握り続けたことにより硬い指先などは少しだけ気恥しく思わず手を下げてしまいたくなったが彼女はチャイの手を見つめて言った。

「優しい手をしてる、あの子が好きになる子の手だ」
「彼の好きになった人を知ってるんですか」
「知ってるよ、家族想いの心の優しなお嬢さん」

ずっとあの子は貴方の話をしていた。という祖母の声はとても優しくチャイは気恥しく感じつつも「私も彼の手が好きです」と告げれば優しく微笑まれる、手は触れるために存在しそして支えるためのものであるから、想う気持ちがある限りは彼を頼むと言われてはチャイは頷いてその場を後にした。

小さく咳き込むジモの声を聞いたチャイはドアを開けてベッドと床に敷かれた布団を見て、ジモが潜む床に敷かれた布団の中に入り彼の腕の中に潜り込めばジモはどうやら本当に風邪を引いたようで普段よりも暑く少しだけ顔が赤く染っていた。

「咳き込んでるから離れた方がいい」
「いいよ、私も風邪ひいてると思うし」
「ならいいか⋯」
「うん⋯ジモくんの家、凄く居心地がいいね」
「ずっとチャイに会うのをみんな楽しみにしてたからな、きっと可愛くてたまらないんだよ」

そう伝えられたチャイはジモが自分のことを家族に伝えていてくれたことに喜びを感じつつも照れくさくなり身を捩ると彼はそんな照れ隠しをする彼女の脇腹をくすぐって笑わせた、照れくさくなるとついじゃれついてしまうことは初めてのことであり、ジモは彼女と過ごしていると新しい自分を感じた。
自分の家族と彼女の家族が楽しそうに過ごしている声を聞いては二人は互いに喜びを感じつつ互いに目を見つめあっては、いつか自分達も"家族"になれたらいいと思いつつ唇を重ねようとした途端ドアが開き、そこには丁度両手にデザートの杏仁豆腐を持っていたジモの姉がいた。

「⋯風邪ひいてるからやめときなよ」
「違う違う違う!」
「お母さ〜ん、ズーチャンがね!」

階段を駆け下りていく足の早い姉にジモは全くと呆れつつ置いていかれた杏仁豆腐の入った器を彼女に差し出して二人は静かに食べた、チャイは面白いお姉さんだと言うが彼はいつもからかわれて損な役ばかりだったといいつつもその表情は柔らかいものだった。

「素敵な家族だね」
「お互いにな」

親がいなくてもチャイの家庭は愛に満ち溢れていて素敵だとジモは告げた、その愛に溢れているのも彼女が彼らに与えてきたからであり、その彼女の努力を彼らは汲み取り今努力をし続けているのだという旨を伝えれば気恥しくも嬉しい気持ちとなり、チャイは器を床に置いてジモの膝に手を置いた。
彼もまたその反応に手を止めて見つめ合えば二人は触れるだけのキスをした。

「家族になろう」

そういったのはどちらからなのか分からなかった、それでもいいのだ、家族や夫婦というものが何を定義としていうものかは分からずとも二人の心は深く繋がりあっていた、きっとそれは家族や夫婦と呼べるものであるに違いないもので、それを感じた二人は顔を寄せあって残った杏仁豆腐を食べた、程よい甘さが二人の喉を通り過ぎ二人はそれ以上なにも言わずにただ無心に食べた、少しだけ触れた互いの肩の温もりも僅かに聞こえる心臓の音も全てが心地よいものだと感じながら、ただ胸の内で相手への愛を募らせるのだった。

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