ジモにとってそれは一世一代の出来事であった、あの日以降ホランギのアドバイスも素直に受け止めて出来うる限り会話を広げようと彼にしてはとても珍しく文字を打っては彼女に連絡していた。
互いに話せる範囲で任務地の話やその国での事情に仕事の話、堅苦しくなりがちだが比較的話をしっかりと聞いてくれる彼女はさらに話を広げて暇さえあれば二人はずっと連絡を取るティーンの恋人や友人のようだった。
無駄な連絡を取り合うことを苦手だと自身では認識していたジモではあるが彼女の連絡はそれ程苦手だと思わなかった。

ジモは久方振りに帰宅した家で筋トレも終えて夕飯の支度をしていた頃、スマホが電話の着信音を鳴らした。
着信相手をみてはすぐに応答ボタンを押してジモは「母さん、こんな時間にどうしたんだ」と告げた、彼の実家である中国天津とロサンゼルスでは十数時間の時差があり、今頃昼頃かと考えつつ在り来りな会話をしていた頃、電話越しにいわれた言葉にジモは驚く。

『姉さんが結婚するの、来月の予定だけど式は出られる?』
「結婚するのか⋯来月は難しいかもしれないな、もう仕事が決まってて、何日?」

姉の結婚は妥当な年齢であり驚くことは何も無く結婚式の日を聞かされたジモはスケジュールを確認するが丁度アル・カターラ付近二週間の任務がある事を確認し、難しい旨を伝えたものの式当日は欠席でもその前には挨拶に行きお祝いを渡す旨を伝え話を納得させた。

『それでズーチャン、そろそろ恋人くらいはいるの?』
「⋯」
『姉さんは結婚したのに貴方もう28でしょう、仕事は誇らしいことだけど家庭を持たなきゃ』

始まったかとジモは呆れつつ長話になるとカウンター椅子に腰掛けては出来上がった夕飯に箸を付けつつ母の話を聞き流した。
親の心配は分かるもののジモにとっては耳にタコでもできそうな程で聞いてていい気分には当然なれずにいた、姉の結婚も母からして遅いとは言うものの現代では普通のものであり、ようやく結婚する姉に安堵した様子で、その結婚相手も詳細に聞かされれば深いため息をついてしまう。

『今どきマッチングアプリとかもあるじゃない、難しいならお見合い相手探してあげましょうか』
「母さん本当に大丈夫だから、俺は自分の人生を謳歌してるんだ」
『でも結婚した方が守るものも増えるし、仕事だって安定して安全なものに⋯』
「俺はこの仕事に誇りを持ってるよ、おばあちゃんだってそう思ってる、それじゃあもう切るよ、来月には一旦式当日は無理でも帰るから」

それじゃあ⋯と相手の話もそこそこに通話を終えたジモは疲労感が襲い来るようだった、母は普通の女でありジモを心配する気持ちはごく普通の母親であり作文にもできるくらいには良い母親である。
しかしながら彼はこの世界で尊敬する人物はかつて軍人であった祖母であるのだ、幼い頃から祖母に戦争の話を聞かされる度に自分も人々の為になりたいと願ってきたからこそ今であるが、母の心配が耐えることは無い。

しかしながらジモは冠婚葬祭にはそれほど出席したことがなく、それが姉であるのなら何を送るのが正解なのかと考えた、御祝儀を包むことは理解していても花や食器か、はたまた姉が喜ぶものを⋯と考えてはジモは別の悩みに頭が痛くなる。
こうした日常の普通の事というのは日頃考えることが少ない為余計に分からなくなるのだ、誰か仲間に休みに付き合ってもらうか?と考える頃スマホが震えた。

◇◆◇

「それでお姉さんが結婚するんだ、お姉さんはいくつだっけ」
「俺より3つ上だから、31かな」
「じゃあ丁度結婚にはいい時期だ」

翌週ジモはチャイと二人ロサンゼルスにいた。
それは姉の結婚祝いの品を選ぶためのパートナーに彼女を選んだからであり、姉の結婚祝いに悩む彼は同じ出身国であり女性であるチャイが最適であると考えたからで、あの日連絡をくれた彼女に頼んだところ二つ返事の了承をしてくれたのだ。

ロサンゼルスは今のジモの拠点の一つでもあり、広く人口もアメリカではナンバー2を誇るこの街のチャイナタウンは生活がしやすいものだった。
とはいえジモはスペックグルーに所属していることもあり、家に帰って来られるのは多くても月の半分ほどである故にたいして街に詳しいという訳でもなかったものの、せっかくならば住んでいる街で探そうとチャイにいわれジモはその通りにすることにしたのであった。

隣を並ぶチャイは以前見かけたピックアップトラックで現れては今日はどこまでも付き合うと心強く告げてくれた為、彼はそれに甘えることにした。
助手席に腰掛けたジモは慣れたように運転する彼女と適当な雑談をしつつと普段とはまた違う私服姿をじっと眺めてしまう。

「今日の私、変だったりする?」
「いや全然、新鮮だしよく似合ってる」

珍しいと感じるのは彼女は普段腕時計をつけている部分にシルバーのブレスレットがついていたり、普段の支給品らしい黒いTシャツとは違い白黒の襟付きのボーダーの半袖シャツを着ていることやタイトなジーンズを履いていることからだった。
シンプルな格好であり、特段オシャレというわけではもちろん無いかもしれないが女性のファッションに疎いジモはよく似合っていると感じられた。

「カリスト達がジモくんに会うって言ったら一式渡してくれたの」
「観察眼が優れてるな、チャイのことをよく知ってるみたいだ」
「カリストはオシャレだから私のタンス見られた時は怒られちゃったよ」

なんせシャツ五枚とパンツ三着だからと笑う彼女が倹約家であることを知っているジモはそのタンスの中身もほとんどが会社からの支給品なのであると察したものの、対して自分も変わらないものだと思うが彼女の視線がジモに向けられており互いに目が合えば彼女は運転しつつも照れくさそうに笑った。

「ジモくんは今日も素敵だね」

その言葉に彼は消え入りそうな声で謝謝といった、車の中のラジオのMCは騒がしいほどに声を上げてリスナーからの音楽を流し始めるのをただ静かに聞いたのだった。

平日や週末にクリスマスに新年など彼らにとって関係がない為、比較的人の少ない平日にしようと決めたものの車を走らせてようやく辿り着いた屋外ショッピングモールは人で溢れており、辿り着いた二人は思わず顔を見合せては意外な人の数に驚きつつも足を進めた。

「そもそも結婚祝いって何を渡すのがいいのか知らないけどチャイは知ってるのか」
「私もあんまりなんだよね、時計とか緑色のものは避けるべきだよね⋯無難に夫婦で使えるものとかがいいかな、ジモくんだったら何が欲しい?」

その問いかけに自分が姉の立場であればと考えてすぐに自分の隣に彼女を想像してしまい、その浅はかさに慌てて違うと頭を振って考えると無難にも食器や家具などがいいのではないのかと考えてしまう。

「調べてきたけどここいらは有名なお店も多いしいいと思うんだよね、お姉さんの好きな物とかはわかる?」
「どうだろうな、虫は苦手なのは知ってるけど」
「そんなの大抵の人でしょ」

クスクスと笑う彼女はきっと兄弟の趣味趣向をしっているのだろうとおもうとジモは自分は姉と特段仲がいいわけでもなかった為何も知らないのだと感じた。
しかしながら彼女はそれを気にした様子はなく先を進むためジモはその背中について歩くのだった。

チャイという女は非常に倹約家なことでも有名である、しかしながらその倹約度は自分にのみ発揮されるため、付き合いが悪いタイプではなかった。
昔彼女はスーパーのバイトをしていたことがあるが、その理由も廃棄食品を隠れてもらえていたからだそうで、兎に角金を稼ぐことと節約することをモットーにしていた、そんな彼女が良さそうだと手に取っては背面の値札を見ては慌ててなかったように元に戻す姿をみるのは何度目なのかとジモは苦笑いをした。
彼からしてみれば唯一の姉弟であり、身内であるのだから気に入ったものであれば値が張ったとしても買う気ではいたものの他人の彼女からすれば難しいのだろう、実際ジモが気に入ったものは昼を回っても見つからず、二人は泣く泣くランチタイムにしようとバーガーショップのテラスで食事をしていた、この国の食事にも随分と慣れたものでジモは初めの頃口に合わなかったがそれも一年が経てば少しマシに、二年になれば特に何も思わないようになったのだ。

「チャイは弟たちが結婚したら何を送るんだ」
「そうだなぁ、茶器のセットとか?」
「意外だな、そんな落ち着いたものなのか」
「だって奥さんにお茶しようっていう口実が出来るでしょ」

それでも茶器のセットはいらないかな?と悩ましくする彼女にジモはふと自分の祖父母が大切にしていた高い朱色に金の茶器を思い出した、結婚祝いで祖母が自分の母から個人的に貰ったが心から大切にしており、時折お茶をする時その朱色の茶器にお茶を入れてくれることを彼は子供ながら喜ばしく感じられた。
祖母が両親から残されたものは多くはなかったがそのどれもを大切にしており、毎度その少し古臭いが飽きのこないデザインに魅了されたものだった。

「俺の祖母も茶器を選ぶかもな」
「じゃあ茶器を探しに行こうか、ものが決まったら探すのは楽かもしれないし」

出来るだけ中国で使われるような一般的だが特別なものがいいとジモがいえば彼女はスマホを取りだして近場でそうした中華食器を取り扱う店や茶器のありそうな店について調べては大体の目処がついたのか口元を拭っては立ち上がりプレゼント選びを再開しようと告げた。

車を走らせ辿り着いた店内は程よい広さの中国雑貨の店のような陶器屋であり、何処か懐かしさを感じる店内に二人は思わず微笑ましく見覚えのあるものを手に取り家にあった、幼少期に使ったことがあるなどと会話をしていると奥から初老の女性が現れては二人に何を探しているのかと問いかけた。

結婚祝いの茶器を探している、そういったジモに女性はおめでたいと嬉しそうに告げては隣に立つチャイにもおめでとうというものだから、二人は間をあけたあとジモの姉が結婚するため探しているのだと告げた。

「まぁそう、でも貴方達も素敵な恋人じゃない、さぁ奥にいらっしゃって、ピッタリの茶器があるわ」

二人が動揺のあまり騒がしく同僚なだけだと告げるもののその相手は聞く耳も持たないように話を流しては進んでいくが、二人は違うと否定するのもそこそこに店内の奥に導かれた。
そこは入口とは異なり様々な食器な家具が並べられており、そのどれもが目を引くものであった、店主の女は特に目立つ店でもないが何処で知ったのかと問いかけた。

「チャイナタウンのイェン・タオレンさんから」
「イェンの紹介なのね、結婚祝いとなれば朱色がいいわ」

慣れたように話をするチャイにジモは分からぬまま案内をされて出された茶器を数点見比べた、そのどれもがジモを悩ませるものであり、深く美しい朱色に金を入れた花の絵が描かれた茶器であった。
悩ましい表情をするジモの横顔を見てチャイは彼の姉が羨ましいと感じた、それだけ想われるのは家族以外にはあり得ず、彼はよくチャイのことを兄弟想いの優しい姉だというが兄弟とは親子とはまた違う不思議な縁で繋げられているのだと感じており、そこには誰かが入る隙間など一寸もないのである。

「チャイはどれがいいとおもう」
「お姉さんに贈るものなんだからジモくんが考えなきゃ」
「そ、それはそうだけど、アドバイスくらい」
「その方がお姉さんもきっと喜ぶと思うし」

頑張ってと告げて彼女はその場を離れて店内をゆっくり見て回る中、ふと目に止まったのは小さな棚であった、深翠の棚の正面には花や鳥が描かれており、金具は金色に統一されており四つの猫足がまた特徴的で彼女は視線を奪われていれば店主がプーアール茶を持ち現れた。
じっくりと眺める彼女に店主は結婚する娘に母親が嫁入り道具として箪笥や棚を買い与えることがよくあるのだと告げた、しかしながらこの小さな棚は翠色ということも相まって長年この店の中にいると告げられ、だから店の隅にいるのかと彼女は感じた。

「気に入ったものでも?」
「え?ううん、大丈夫、それより決めた?」
「あぁ決めたよ、バッチリだと思う」

それならよかったと返事をした彼女はジモが選んだものを見たがることはなかった、それは彼女が知らなくても良い事だったからで彼女は他にも見てくると告げて入口の店内の方へと向かっていく背中を見つめてジモは目の前の棚を見つめては店主をみつめて小さく微笑んだのだった。

「チャイも何か買うのか」
「うん、せっかくだからね、待ってて」

ジモが会計を終える頃、彼女の手の中には数点の食器がありまた実家に送るのかと思いつつ静かに待機しつつその背中を見つめた。
華奢だが確かに鍛えられているその背中をいつも見ており、ジモはあの日あの身体を抱きしめて抱きしめられたのだと感じては気恥しさを覚え、あの日のことを忘れられずに日々を過ごしていた。

「お待たせ、はいこれジモくんに」

ようやく戻ってきた彼女に紙袋を差し出され思わず目を丸くして条件反射のようにその紙袋を受け取れば中には割れないようにと梱包材で包まれているものの食器が入っていた。

「お茶碗とお箸に箸置きも、ジモくん自炊が多いでしょ?」
「いや多いけど、いいのか?俺のために⋯」

自分の娯楽品のひとつでさえ買うのを相当躊躇う彼女にそう問うが大丈夫だと二つ返事をした為ジモは彼女には敵わないと思いつつ隠すつもりではあったが隠し通せない上に今伝えなければならないかと思いジモは彼女に渋々と隠し事を伝えた。

「さっきみてた棚、実はチャイへのプレゼントに買ったんだ、送り先が分からなくてコルタックにしておいたんだけど」

沈黙が流れたことにジモはやはり安すぎる訳でもない上に家具を贈るのは相当迷惑だったと終えたいま猛省した、彼女は振り返り店の中に戻ろうとする為ジモは何事かと思うものの、彼女は当然今すぐキャンセルしてその代金をジモに返す旨を伝えたが、彼はそれを許さんといわんばかりに彼女の手首を掴んで行かせぬようにした。

「離して!」
「だめだ!」

押し問答を数度繰り返した後にジモは「迷惑だったか?」と小さな声で呟く、チャイはそんなことは無いと思うものの値段を見た上で恋人や家族ではない者に贈るには不相応過ぎると告げた。
もちろん彼女もジモに手渡した品々は決して安物ではないが高すぎることもなく気さくに使いやすい値段とデザインのものを熟視して選んだが、やはりそれらとあの家具はとても肩を並べられる製品でないことを理解していた為に二つ返事では受け取れなかった。
だが彼の言葉に対して迷惑だと思うはずはないだろう、多少の申し訳なさと喜びしか現れず彼女は抵抗をやめて、力を抜き手首を掴んだジモをみつめる。

「迷惑なわけが無いよ、だけど私何も返せないから」
「俺がしたくてしただけだ」
「⋯どうして、そんな事するの」

チャイの問いかけにジモは僅かに悩んだが答えは決まっていた。

「きっと似合うと思ったからだ」

その言葉に納得した彼女は照れくさそうに笑って、それならいいと納得して二人は車に乗りこみチャイナタウンに向けて走り出した。
ジモは膝の上に置いた食器を大切に抱いて、やはり彼女と共に出かけられて良かったと思いながら、彼女の横顔を見つめた、少しだけ染まったその頬はまるで紅葉が染るようだろう。

◇◆◇

「⋯ということで、たんと食べてください!」

ドンッ!と自信満々にテーブルの上の食事を見せつけてくるチャイにジモは思わず苦笑いをした。
予定を終えて当初のチャイナタウンに戻ってきたのは凡そ夕方頃であり、ジモはまだ彼女と離れたくないと思った、限られた時間でしか過ごせない関係であるならばもう少しだけお茶の一杯でもと思いつつ彼は夕食を誘えば彼女はジモの誘いに目を輝かせて二つ返事の了承を即座にした。

どの店に行くか、何がいいかと考える彼よりも先に彼女が中華料理はどうかと聞くため故郷の料理はいつでも歓迎だというジモに彼女は適当な駐車場に車を停めては慣れた足取りでチャイナタウンを進んでいき、到着したのは黄色い屋根のある上海料理店に到着した。
彼女は着くなり店主の顔を見て適当な椅子に腰かけて今日は本当に良かったと話をしている間に注文をしていない料理が次々とテーブルに運び込まれた。

「お酒は飲む?」
「そうだな、折角だし」

ジモの返事に彼女はグラスを二つと老酒を頼んではこの店の老酒は自家製のものであり、輸入品とは違う本場の味であり懐かしさを感じると嬉しそうに語る彼女は食事の話になるといつもとても楽しそうに嬉しそうに会話をするため、ジモはその話がどんなものであろうと自然と耳を傾けてしまう。

「結婚式には出ないの?」
「あぁあと数ヶ月は多忙だしな」
「まぁ確かに今はウルジクスタンやアル・カターラの辺りの動き激しいし、どこも人手がそっちに回ってるんだっけ」

流石に情報を知っているのかと感心して返答しようとするが彼女は大きく手を叩いて仕事の話は暗くなるから食事中はダメだった。と互いに言い聞かせるようにいうものだからジモは驚きつつも納得しね彼女にこの近辺に詳しいのかと話をした。

チャイという女は愛嬌があり度量もいい人物だった、飲食店が栄える時間帯となれば店内にはこの近辺に住まう人々が店に来るが彼女を見ては話しかけてくるほどでジモは自身がこの地域に住み始めて早数年のはずだが人と話すことは滅多にないことで、彼の顔見知りはアパートの大家や自宅付近でよく買い物をする店の店主である。
テーブルには二人では食べきれないほどの料理がまだ並べられて苦笑いをするが、目の前の彼女はジモの皿に次々と盛っていく、その姿はまるで祖母や母に似ており、彼女は家族にしてきているのが安易に想像がついた。

幼少期、祖母の自宅に行くと夕飯前から菓子類を大量に出され夕食の際にも食べ切れぬほどの手料理を味わった、幼い彼は食べ切れないと伝えた時激戦の戦地を生き抜いてきた祖母は彼に食べられる内に食べること、食べられることは幸せであるのだと何度も伝えた。
祖母のことを尊敬していたジモだがその言葉を理解するのは大人になるまで出来なかった、時折長期任務で野外生活を送っていれば食に困ることも何度か味わった。

では彼女はどうなのか、幼い頃からそうした苦しみを知るからこそ自分の愛する者たちにはその想いを抱いて欲しくない。
いわば彼女の愛情なのだろうと彼女が器用に剥いた上海カニを食らいつけば嬉しそうに彼女は頬を緩めて目の前のジモを見つめるのだ。

「そんなに見られたら食べ辛いし俺一人じゃ食える量じゃないからチャイも食え」
「食べるけど、ジモくんの食べ方みてるの好きで」
「別に普通だろ、ほら剥いてやるから」

ジモの箸使いも食器の扱い方も丁寧であり、その大きな口で心地良いほど美しく食する姿はきっと彼の育ちなのだと彼女は感じられた。
美味しいと大きく口にする訳では無いが、それでも僅かに上がった口角や眉間に寄せがちな眉が緩む姿など、彼は口にはせずとも確かに食事を楽しんでおり、チャイは安心感を覚える。
一人で食事をすることはあまり得意ではなく、だからこそ簡素になる、人と食事を摂る中で交わすコミュニケーションの一つは愛情であり、目の前で甲羅を開いて彼女の為にと皿の上に出してやるジモをみるだけでチャイは胸の内が暖かく、そして心地よくなるのだ、この時間がもっと続けばいいと願ってしまう程。

◇◆◇

外がすっかり暗くなる頃、ジモは店の外で生ぬるい空気を感じていた、狭い建物が密集する中で観光客やこの近辺の住民など人々が皆流れていく。
店内で会計をしている彼女はレジの青年と奥からやってきた店主らしき男と楽しそうに会話をすると弾んでいるのかその小さな顔に大きな向日葵のような笑顔を見せる。
彼女の笑う表情が好きだ、スコープを覗いてる時のあの凛とした冷たく冷静な瞳よりも、人と話し浮かぶその笑顔に魅了された、彼女からしてみればそれが生きるために自然と身についたものであるとしても、ジモの目に浮かぶ花や宝石よりも眩く表情に全てを奪われてしまうのだ。

ようやく一通り話と会計を終えた彼女はふとレジの青年に抱擁してその背中を優しく撫でてやった姿にジモは視線を奪われた、瞳を閉じて優しく微笑むその笑みは初めて見た表情であり、慈愛に満ちた眼であり青年は彼女の細い背中に腕を強く回して抱き締め返しており、その二人の関係性が何事なのかとジモの頭の中を支配した。

「お待たせ、ちゃんと食べれた?」
「ご馳走様でした、腹がはちきれんばかりには食べたよ、それにしても本当に奢ってもらっていいのか」
「そう?じゃあよかった、店主の人がすごくサービスしてくれたし、今日のお礼もかねてだから気にしないで」

気にした様子もなく出てきた彼女がジモに微笑む姿はとても柔らかく、けれど先程の青年に向けての笑顔とは全く異なるものであり、ジモは自分が求めてば彼女はあの表情を向けてくれるのかと考えてしまった。
それは酷く強欲であると分かっていながらもジモは彼女を欲していた、それはきっとアルコールに僅かながらにも浮かされていたからかもしれない。

「それじゃあそろそろ帰ろうかな、ジモくんはこの辺りなんだよね」
「人も多いし駐車場までは送っていく」
「え?あっ、うん」

そういってジモは彼女の手を取って車を停めている方向に向けて歩いた、本来であれば先程の料理の話やまた任務で忙しくなるかもしれないといった何気ない会話をするべきなのだろう。
しかしジモの頭の中はチャイと別の男の姿しか浮かぶことはなく、頭の中を支配されては尚のこと言葉が出てこずに足速に人混みを抜けていこうとする。

人混みの中、彼女はジモの広い背中を見た、性格の現れなのか彼は普段から身体によくフィットしたタイプのシャツを着ていた、それは仕事でも着る服とよく似ているからなのかと考えつつ自分とは違う鍛え抜かれた軟らかい筋肉質の背中を見つめては自身の家に招いた時、抱きしめた時を思い浮かべた。

「(ジモくんの背中広かったな)」

自分一人が飛び込んでも余ってしまいそうなその背中は普段であれば彼の背負う荷物で見ることは出来ないがあの日は違った、何も無いその無防備な背中はとても安心感を感じてしまい無意識のうちに飛び付いたのだ。
あの日の温もりも香りも全てが忘れられなかった、もう一度彼の背中に抱き着けば今度は拒絶されるか、それとも受け入れてくれるのか、きっと今は蒸し暑さで少しだけ汗ばんでいて彼はそれを気にするかもしれない、少し赤らんだ表情で慌てた様子できっというのだ。

『人前だし、それに今は臭いから離れた方がいい』

真面目な彼だからと夢想してはクスクスと笑う頃、気付けばジモが足を止めたことでチャイの足も止まってしまう。
目の前には見慣れた黒いピックアップトラックがあり、もう別れの時間かと物足りなさや寂しさが僅かに胸の内に溜まるのはここで離れれば数ヶ月会えなくなるからで、繋がれた少しだけ汗ばんだ手も離さなければならないことに恋しさが募る。
チャイは別れの挨拶をしようかとジモをみつめては、彼の難しそうなその表情に視線を奪われる、彼はとても不器用で真面目で素直な人間だと彼女はいつも感じていた、言いたいことがあっても言いきれず、そしていつか爆発するタイプであり、それもまた彼の魅力であると思う彼女にとっては彼に繋がれた手の中で自分の手を揺らした。

「悪い⋯帰るんだよな」

呟いた彼の言葉にチャイは少しだけ顔が熱くなった、どうして彼はこうも素直に想いを告げられるのだろうかと感じたからだ。
きっと彼からしたら言いたい言葉のほんの少ししか伝えきれていないのかもしれない、それでもチャイからして十分な破壊力を持ついじらしさで擽ったくなった。
沈黙が二人の間に流れジモが彼女の手を離せば、彼女は繋いでいたジモの手のひらを指で撫でてゆっくりと指を絡めると彼の肩が揺れる、彼が彼女のつむじを見つめる頃、彼女はジモの愛用された綺麗だが使い込まれたスニーカーの先を見つめて告げる。

「帰らなくていいよ」

◇◆◇

1DKのジモの家の中は広すぎることはないが物が少ない彼には十分であった、任務から戻ってきて数日ということもありホコリ被った部屋でもなくジモは部屋の中に彼女がいることを落ち着きなく何故こうなったのかと必死に考えた。
初めは寂しさと多少の嫉妬だった、けれどあの時の彼女の指先と帰らなくてもいいと告げた瞳はまるで⋯

「やめろ!ウォン・ズーチャンッッ!」

思わずジモは壁に頭をぶつければドアが開き中から出てきた彼女は驚いた表情で彼の様子を伺ったがジモは大丈夫だと苦笑いをする。
あの後もう一件行くという考えも無く、とはいえ近くのモーテルはどこも埋まりきっていること、そしてジモの家が近くであったということも相まって悩ましく考えた結果彼は自分の家に彼女を招いたのだ。

「片付けるから5分待ってくれ」
「え、あぁうん」

家に入る直前そういった彼に薄く見えた彼の部屋に片付ける要素は皆無のように感じた彼女だったが仕方なく5分きっかり待てばジモはドアを開けて彼女を招き入れたのである。
御手洗を借りた彼女に対してジモは何故自分の部屋に招いたのかと下心丸出しのその行動に酷い後悔を抱いたものの彼女には苦い表情を向けられてしまい一度冷静にならざるを得なかった。
しかしながら時刻は普段の生活を行う彼の就寝時間であり、互いに暑さや一日歩き回った汗に外の香りに満ちておりシャワーを浴びようかと提案したものの、彼女は下着や歯ブラシはあるもののシャツなどの着替えを忘れたので車に取りに行くというがジモは自身のシャツを貸すと告げれば彼女は快くシャワールームに向かうものの彼はまたその場に蹲った。

「なんで自分の服を貸すなんていったんだ⋯!これじゃあ変態だぞっ!」

頭を抱えた彼は流れとはいえ家に招いてしまったことを後悔しつつもテーブルの上に置いていた先程買った酒を見て少しだけ今日はアルコールの力を借りようと缶ビールを取り出してはプルタブを開けて口に含んだ。
店の冷蔵庫は弱冷房だったせいかほんの少し生ぬるく、店で飲んだ老酒とは違う苦味とアルコールの強いそのチープな味にアルコールが強いだけの旨味のないビールだったかと失敗気味に感じつつパッケージを眺めていれば細い手が伸びて缶ビールを奪った。

細く白い首が動き心地良いほどの飲み干す音が聞こえた、伏せられた睫毛や濡れた髪に少し大きかったシャツから見える鎖骨に肩に視線を奪われて見つめていれば、薄く開いた瞳が彼を捕らえた。

「あんまり美味しくなかったや」
「あっ、あぁそうだよな、普段ビールなんて買わないから」
「冷やしてから飲めばよかったのに」

待てなかった?と笑うシャワー終わりの彼女からはメントールのシャンプーの香りがツンと香った、それはジモが普段から使用しているものであり彼の家のものを借りたのならば当然であるが意識をせざるを得なかった。
ビールを差し出した彼女にシャワーを浴びるからそのまま飲んで欲しいと伝えて残ったものを冷蔵庫にしまい込みつつその隙間から外を眺める彼女を見つめた。

「何も面白いものなんてないだろ」
「こういう景色の家に住んでるんだと思ってね」
「チャイはコルタック以外に家は借りてないのか」
「一応セーフハウス代わりにカルフォニアに、ここにも知り合いがいるからたまに来るの」

だからか。と呟いては片付け終えてしゃがんでいたジモが顔を上げれば冷たい雫が彼の頬に振り落ちた、その視線の先には彼女が微笑んでおりビールを飲み終えたと告げるため彼は空の缶を受け取り髪を乾かすようにとドライヤーを渡してやり自身もシャワーを浴びるためにシャワールームに足を運んだ。

人を呼ぶことは殆ど初めてであり、ジモは中国から飛び出し世界各国を飛び回るようになってからも特段プライベートの友人も恋人もあまり作らずに過ごしてきた、寂しさというものは任務での人間たちで事足りており、元より愛想がよく自分から人間関係を増やすような男でもないジモにとってチャイは正反対の人物だった。

「(シャツもう少し小さいのにしてやればよかったな)」

ふと先程の彼女が頭の中に浮かべばジモの寝巻き用のラフな白いシャツだけであり、その下はほとんど素肌だったように感じた、細いがアジア人特有の筋肉の付きづらさなだけでたしかに彼女は健康的な筋肉が付いている、最低限の荷物しか持たずに戦地を駆け巡る彼女はまるで狩人のようでありジモは時折その姿を見ては視線を僅かに奪われてしまったのだ。

けれどはぎ取れば彼女は女でしかない。
ジモが押し倒せば彼女は適うことは無い。

自身のベッドの上で寝そべる彼女の両手首を左手だけで押えつけ、あの大きなシャツの裾からゆっくりと捲し上げれば見える彼女の下着、薄い筋肉のついた腹部、指先で正中線を撫でれば彼女の身体がビクリと大きく震えた。
何処に向けていいか分からない濡れた視線はさ迷った末に少しだけ伏せてジモをみつめる、シャツをまくし上げれば下着をつけていない形のいい乳房が現れ思わずその谷間に顔を埋めると柔らかく心地よい温もりに包まれつつも早まる鼓動の音を聞いた。
ジモが掴んでいた彼女の手首を解放して恐る恐ると乳房を撫でて舌先で転がせば彼女の身が僅かに揺れ、彼はゆっくりとまた正中線を撫でるように彼女の胸から下へと降りていく、下着の中に中指が侵入しようとした時、ジモは目を覚ました。

「本当に最低だな」

あぁクソっと彼はシャワーに打たれつつ違和感を感じて視線を下に向ければそこには最低な自分がいた。
若干のぼせそうになりつつもタオルで適当に拭きつつ下着とズボンを身にまとった彼は出てきて早々に冷蔵庫の中のミネラルウォーターを一気に喉に通した。

「大丈夫?真っ赤だし長かったから逆上せたんじゃない?」
「少しだけ、悪い」
「ええっと、ほらベッド横になって⋯って髪の毛濡れてるし」

あの後、シャワーの温度を更にあげて打たれていたジモは長考してしまったことも相まって自身でも逆上せているのが分かっていた、手招きされてベッドに案内されるもののジモは自身が横になったあと少ししてからその状況に驚いていた。

「チャイ?これは」
「逆上せたけど髪の毛濡れてるから乾かしてあげる」
「別にこれじゃなくていいだろ」

そういってしまうのもジモは彼女の膝の上に頭を置いていたからだった、サイズが合わなかったが故にズボンを履いていない彼女の生脚に彼は頭を置く形となってしまい動揺して逃げようとするものの肩を押されて簡単に仰向けに寝かされてしまうと彼女は笑った..

「暑くない?」
「大丈夫」

生ぬるい心地よい風がジモにあたっていた、ドライヤーをつけた彼女は手馴れたように彼の短い髪を撫でては風を当てて乾かしてやる、その姿からして弟達にも普段からしてやっているのだろうと感じるジモは羨ましさを感じた。

「俺も君の弟ならよかった」

それなら無償の愛が得られるのかもと胸の内で思っていた想いが彼の口から溢れる、しかしながらジモの言葉はドライヤーの音にかき消されたようであり、生ぬるい風と彼女の柔らかな手が彼の頭を優しく撫でる、それが無性に辛く感じてしまう頃、彼女はジモをみつめて微笑んだ。
髪を乾かし終えた彼女をみつめては彼はこの優しさと思い遣りから彼女は人を惹きつけるのだと思った、同じPMCの仲間も、他の戦地で出会う人間も、この街の住民も、誰もが彼女の人柄に好かれる、それが自分だけでないことが悔しいと思うのは小さく醜い独占欲でしかない。

「はい終わったよ⋯ジモくん?」

彼女の腰に腕を回してその腹部に顔を埋めたのは自然なことであった、自分のシャツやシャンプーの香りだが確かに彼女の香りと混ざっており、少しだけ自分よりも高い体温に今目の前に彼女が居るのだと強く実感する。

「君が人に好かれるのをみていると、俺は凄くモヤモヤする」

これはアルコールのせいだとジモは言い訳を自分にした、恋人でもない女に対して甘えて告げるにしては酷く面倒くさいものだと自覚していた。
彼も恋愛の経験はあった、従軍後に出会った一般人の女性だった、軍人であるジモを誇りに持ってくれた人であり、今でもいい女性であるとは思った、けれどもチャイほどの魅力を得なかったのは所詮人伝の紹介から出会いその席での仲間に言われるがまま流されてしまったところもあったからだろう。
結果的には上手く身を結ばず二年ほどで振られてしまったが、彼はあの時恋人を面倒だと思った時期が僅かにあったが、今その立場にただの友人でありながら成り下がっていると感じた。

「だから機嫌悪かったの?」
「機嫌って、そんなに出てたか?」
「なんとなく物言いたげな感じだったから、私がなにかしたのかと思った」

それは有り得ないと言いつつも尚のこと自分勝手に怒って拗ねてとする自分の幼稚さに彼は顔に熱が篭もり初め彼女の膝から逃れるように起き上がりその場を後にしようとするも許されなかったのは彼女がジモを正面から抱き締めたからだ。

「親しい人を相手に想うその気持ちは多分きっと普通だよ」
「⋯そんなことないだろ」
「ううん、親しいからこそ誰にでも独占欲は現れると思う」

例えば幼少期に姉弟のどちらかだけ贔屓されていると思う気持ちや、友人同士で出掛けていても孤独を感じる時、そんなことは無いと理解していても嫉妬や独占欲は人の心に必ず宿るもので健全だと彼女が伝えたことにジモはまるで彼女は本当に母のようであり、自分を恥じてしまう。

「会計の時にハグしてたり、他の人と話をしてただろ、本当は凄く俺は嫉妬していたんだ、知らない君を見る度に⋯羨ましいって」

まるで涙のようだった、ひとつが溢れたらそれ以降は簡単に胸の内がさらけ出される、絡まった糸が解かれたようなその感覚にジモは恥よりも彼女への愛おしさだけが溢れてしまう、小さく聞こえる鼓動と心地よい体温と香り、自分よりも華奢な体を抱きしめて顔を上げれば彼女はジモの前髪を撫でてはゆっくりと転がってその胸に彼を抱いてやった。

「嬉しい」

返された言葉はたった一言だった。
それはまるで幸せを噛み締めるような声で彼女の声は暖かいものだった、ジモはとっくにアルコールが抜けていることを気付いても、それでも恋人になれない彼女に自分の想いを伝えるしか方法はなかった。

「ジモくんのそういう所が私本当に好きなの」

素直で少し不器用で真面目で隠し事が少し下手でかわいげがあって⋯という彼女の雰囲気はまるで弟に向けて言うように聞こえてしまいジモは異性として見られていないように感じては彼女の背中をイタズラに指先でなぞれば笑い声が聞こえる。
次第に気分が良くなり彼女の背中や脇腹を撫でて擽ると身を捩って子供のように無邪気な声が部屋に響く、シングルベッドの中は狭いものの二人にはちょうどよく、ギブアップだという呼吸の荒い彼女の声に手を止めて見下ろせばジモは自身のベッドの上で髪を乱し暴れた熱で紅潮した顔の彼女を見下ろした。

「チャイ「おいで、ズーチャン」

彼が名を呼ぶと同時にジモの名を読んで腕を広げた彼女は穏やかな表情であり吸い込まれるように彼はまた顔を埋めた、包み込むように抱き締められては子供を寝かしつけるように背を優しくリズム良く叩かれる。
彼女は私も今日はお酒を飲みすぎたと呟いた、そして手を伸ばした彼女はベッドサイドに置いていた部屋のリモコンを操作して電気を消せば外の明かりだけが部屋を照らす。

「好き、大好き、もし私が普通の女の子なら、きっともっと貴方に素直にいえた」

好き。
大好き。
愛してる。

そういった彼女の唇がジモの額に押し付けられた、泣いてしまいたかった、いっその事全てを捨てて逃げ出してしまおうかと言いたかったが互いにそれを言えなかった、それに同意してしまう自分達は違うと理解していたから。
抱き締められたジモは手を伸ばして彼女の手に自分の指を絡めた。

「普通じゃなくても俺はフォン・フーファイって人間を愛してるんだ」

ちんけで安い言葉でしかないと理解していてもそれ以外に伝えられる言葉はなく、暗闇の中二人は静かに見つめあった、そして抱きしめ合い目を瞑ったのだった。
「寝てる間にキスしてもいいよ」という彼女の言葉には聞こえないフリをして抱き締める力を強めれば彼女の腕も強くなり、互いの鼓動はひとつになりそうで、外の明かりは眩いほど部屋の中に差し込んで二人を照らした。


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