第八話
それから数日後、無論仁とて個人の都合で志村を呼び出すわけにはいかないと思い声を掛けなかった。社長と社員、伯父と甥であるからこそ、彼は志村には甘えない。もちろん志村から声を掛けられれば応じるが志村も仁を普通の社員として扱っていたため、会社では意味のない接触はしない。周りの評価以上に彼らは自分たちに厳しいのだ。それがまた二人の評価につながることも二人はよく理解していた。
しかし、決して会わないということはなく、偶然会うことももちろんある。
仁がクライアント先に出向いて会社に戻ってきたとき、地下駐車場でちょうど出ていこうとした志村を見かけて仁は当然挨拶した。そうすると志村も当然返すのだが、志村から今晩予定がなければ食事に行こうと誘った。
仁は問題ないことをいうと、店などは後で連絡するといわれ、二人は分かれた。
そこには下心やなにか黒いものが含まれているようには一切感じないものであり、実際二人は予定が合えば、月に一度は親子のように食事をするようにしていた。志村は社長であり、六十代だが未婚で、恋人や浮ついた女性関係は一切なかった。生粋の仕事人間であり、若い頃に結婚まで進もうとしたことはあるが、相手の女性に離れられ、それまでの経験から自分は女性よりも仕事なのだと理解して、それ以後は見向きもせずに歩いてきた。
子供や結婚といったものに憧れがないわけではなかったが、甥として生まれた仁で十分であり、彼を養子ではないが、親代わりに育てた彼は仁のためにも恋愛といったものを遠ざけた。
幼い頃の仁が志村が結婚することを薦めてきたときには、真剣に子供に心配させてしまったと悩んでいたのだと安達に言われた際には、前世でも独身であった志村を思ってのことだったが、余計な事であったと申し訳なさを感じたのも懐かしい思い出だろう。
そうして、志村と仁はよい義理親子の関係を結んできて早十数年。
仁はメールに来ていた寿司屋の前にたどり着いては暖簾をくぐる。この店に来ることは何度もある。大衆向けではなく比較的落ち着いた寿司屋だった。カウンターはL字タイプで十六席で、テーブル席が二十席。さらに二階もあり、そちらは宴会もできるほどで、ちょっとした祝い事で来る人たちもいる。
社長だというがあからさまな高級店でないのは、志村が味がわかる人間かつ、元よりこうした静かだが落ち着く店構えが好きであり、この店の店主とも長い付き合いであるからだ。高級店ではないとはいうが決して安くはないため、仁も志村とでなければあまり来ないが、あからさまな店構えでないだけで、魚のこだわりなどはとても強く仁も好きな店であった。
仁が行くとすでに志村はカウンターの横側に座っている、職人はカウンター内に三名おり、客は正面カウンターの半分を埋めるくらいの人数で、それぞれ注文をしたり話したりとしている。志村の前には誰もいないのはあえてだ。
入ってきた仁をみた職人は何も言わず、仁も慣れた足取りで志村のそばに行く。
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
「ワシもいまきたばかりだ、気にしなくていい、何か飲むか?」
「伯父上と同じもので」
ちょうど女将がやってきては仁の荷物を預かり、カウンターの椅子に座った仁に熱いおしぼりを手渡すと、ドリンクの注文を承知して下がる。志村も仁同様に日本酒が好きであり、すぐにお猪口を持ってきてもらうと、受け取ると志村が注いでくれることに頭を下げてお酌を受けた。
大将が二人の前に現れると何も言わずに握り始める、寿司から刺身に天ぷらなどの一品料理はどれも今日仕入れた中で、一番のものを用意してくれるため彼らは何も言わずにだされたものを食べつつ食事をする。
「先日の件聞いたぞ、恵と上手くやったようだな」
「いえ、彼女の実力です、私はなにもしていません」
「恵も同じことを言っておったな。やはり見込んだ通りで安心したぞ」
満足げにそういった志村は最初のころから、仁と恵の相性をみていたようだったが、仁はなぜそれを気にするのかわからなかった。
二か月間で恵とは確かに仕事上の相性はいいと思ったが、それだけの理由で彼女を宛がうのはなにか違うような気もして、仁はそのことを問いかけた。
「伯父上は私と彼女のことを気にされていますが、なにか懸念でもあるのでしょうか」
伯父上と呼ぶのは現代ではあまりにも堅苦しいが、仁にはどうしても“伯父さん”と呼ぶことへの違和感を抱いてしまった。もちろん人前では彼を叔父や伯父さん、とは呼ぶのだが二人になるとこれが一番呼びやすく、志村もそれを嫌がることはもちろんなかったため、大人になった今もその呼び方であった。
もっぱら志村は昔みた時代劇の影響からくる幼少期の癖が残ったと思っているが、仁はあの頃をしっかりと覚えているがゆえに抜けないものである。もちろん仁も生まれた時からすぐに記憶があったわけではなかったが、はっきりと記憶を取り戻したのは小学六年生の頃、両親を失ったときの交通事故の衝撃を受けた際だった。
志村は仁の疑問に対して、少しばかり悩んだ顔をした末に一口勢いよく日本酒を飲んで、恵がな...とつぶやいた。
「彼女のことは簡単な経歴しか知りませんが、例の“噂”とやらのせいなのでしょうか」
「お前が他人を気にするとは珍しいな、彼女が気になるか?」
「そういうわけじゃ...あぁいえ、そうかもしれませんね」
仁はさっそく言い当てられたことにごまかそうとするがすぐにやめた、隠したところで仕方がないし、反対に外堀を埋めるほうがいいとも知っている。彼も戦を経験してきた武士で、相手の城を落とすにはどうすればいいのかを知っている。
決して恵を無理強いする気はないが、今の状況を考えて隠す必要性がないからという考えなだけでもある。
しかし志村は意外な答えがでたことに思わず声に出して笑った。
珍しい彼の姿だが無理もない、女に一切興味を抱かずに自分のようになりそうな仁が初めて正面から女性が気になるといったのだから。
過去に女性がいたことは知っているうえに、一人は仁を思ったことと相手からの希望で紹介をしたが、結局うまくいかずに気付けば終わっていたのを知っている。もとより遊ぶようなタイプでもないことは知っていたが、ここまで興味もないとくればいっそ女ではないのか?と安達に愚痴を吐いた時もあるが、素直に興味がないんでしょうといわれてしまい、自分のせいなのかと考えるほどだった。
そんな仁が三十二歳にして、そう思う相手、しかも相手が狭間恵だと知れば悪くはないと思うが、それならなおのことだなと難しい表情をした。
「冗談ではなさそうだな」
「そうですね、本気のつもりです」
「何がお前をそうさせる?」
仁が本気だというなら、それはつまり恵を嫁に欲しいという意味だと理解した。
遊びの恋をしてもいいのだが、仁はハナからその気がないというのだから、志村はその思いの強さは自分に本当によく似ていると内心苦笑いをした。
そして志村の問いに仁はしっかりと志村をみる、それは恵を本気で愛し、今世でも夫婦になりたいと強く願っていたからだ。だからこそ、しっかりとした声で返事をする。
「私の魂です、生まれてこの方、変わらぬ魂が彼女を求めて鳴りやまないのです」
何度も夢に見た。
白無垢を着た彼女を、あの時、彼女は満開の桜の下で角隠しを被った彼女はあの時すでに未来を見ていたのではないかと思った。
仁が冥人になるという未来を。
その言葉を聞いた志村はすべて納得したような表情をして、恵のことをすべて知っているわけではないこと、そしてこのこと自体彼女から聞いたのではなく、彼女の前職の人間から聞いた話だと前置きをして、再度自分と彼女の縁の話をした。
元々志村も仁も対馬出身であった、志村の祖父の代から島を中心にした建設業をしていたが、志村が社長になったあと、市や県などからの依頼も増え、会社は大きくなり本土へと移り変わった。そして現在であるが、恵の両親とは学生時代からの知り合いであり、恵を知ったのだという。
仁のように幼くして彼女は父を失い、女手一つで育てられたという、兄はいたが兄も事故でなくなってしまい、現在は二人きりだったが立派な母娘である、と話す状況を聞いた仁は、その運命は生まれ変わっても変わらぬものなのだと感じた。
自分が両親を失ったように、ゆなとたかが両親に捨てられたように、そこは決して変えられぬ運命なのだと改めて感じたが、志村はそれは過去の話で彼女も理解はしていると告げた。
「大学卒業後、そこで目をつけてくれていた東都建設に就職した」
東都建設というのは東京でも有名な大手建設会社であり、主に高層オフィスやマンションに商業施設などを取り扱っており、志村建設とは変わらないが些か金にがめついイメージもある場所だった。
社員数も変わらないが、地方を本部にしている志村建設と比べると東京に本部を置いている分、有名でもあった。東都建設と合わないと思うと志村建設に依頼されるパターンも多く、そうした顧客にはより一層親身にしており、そうしたことから志村建設が比べられやすい部分でもあった。
「東都建設はデザイン系は主にチームでしているが、高級住宅やオフィスなどは個人がする場合も多い、ウチが新設したチームのようにデザイナーを売りにしているのもあるな」
「そうですね、というよりもそれが大きい部分もあるでしょう」
「まぁな、しょせん建造物は見た目だ」
そこについては仁もおおむね理解しているため頷いた。そこのデザインチームにいるとなれば将来は安泰だ、恵は知る限り物静かで引っ込み思案、だが実力は確かであるので問題はないだろうと仁は思っていたが、志村もそう思っていたが事件があったのだ。
「まず東都建設に恵が入社したのはスカウトだ、その時のデザインチームの部長自らな、相当恵の腕に奴は惚れ込んでいてな」
「お知り合いですか?」
「あぁそうだ、東都建設とはワシも個人的に知り合いがいるが、そこのデザイン部長とも昔から仕事柄一緒になるが、馬が合ってな」
大学の展示会に偶然いった際にみつけた恵のデザインセンスに惚れ込んだ彼が恵を自分のところに迎え入れることが決定した時には、それはもう嬉しそうだった。態々東京に行っていた志村を呼び立てて飲みにいくなり、これはもう素晴らしいと自慢する彼に、恵のことは知っていたが今の彼女のことを知らなかった志村は悔しい思いをしたものだが、仕方がないと納得した。
それを聞く仁はどこか誇らしかった。まるで自分の妻が褒められたようであるからだ。昔から恵は文武両道でよく二人で和歌を詠みにいった際も彼女の言葉の美しさにうっとりとしてしまうほどだが、その才能を自覚していない恵は謙遜するだけだった。
だから恵がデザイナーとして活動していると知ったときに驚きはなかった、音楽家や物書きも似合いそうだと思っていたが、同じ業種で活動していることに運命を感じたほど。
しかし志村は一口酒を飲むと重たそうに言葉を漏らす。
「どんな噂が流れているかは知らんが、事実に近いものもある」
その言葉に仁はどういうことだと思わず僅かに前のめりになり、志村に問いかけると、事件が発生したのは少し前で、彼女は昨年東都建設を退職したが問題があったのはその前で、実際の事件は恵のせいではなかった。
「一つは真偽不明だが浮気」
「恵がですか⁉」
それはあり得ないだろうと仁は思わず声を上げて立ち上がるが、志村も鎮めて座りなおさせる。ちょうど鱧の湯引きが届き二人の前に置かれる。今日は話し合いが主だからか、大将はあまり聞かないようにしているところもあった。
志村は真偽は不明だが、恵に限ってないだろうといっており、実際向こうから聞かされた話では恵側が騙されていた側の可能性が非常に高いとされていた。なんせ相手に結婚の話までだされていたというのだから当然だろう。結婚を前にした女がくだらないことをするかと言われたら違う。特に恵のような女は一人の男だけに寄り添う女なのだ。
動揺しつつも冷静さを取り戻した仁は、一つと言われたことにまだあるのかと思いつつ志村をみると彼はもう一つが社内では大ごとだったといわれている案件だった。
「デザインの盗作だ、もちろん他社からではなく、社内でのな...」
「それは...」
「だが、それについても恵のせいではないとあちらの部長は知っていた」
「どういうことですか」
いわゆる恵の作品を別の者が奪って自分のものだとして客に提供していたのだという。
それなら相手が裁かれるべきだと仁はいうが、それができなかったことには理由がある。恵は会社の末端のデザイナー扱いで、相手は会社でも重要視された個人デザイナーでそれなりに名前を売っている存在だった。名を売れるほどの実力者だが、恵の作品を奪いそれを自分名義にしていた。実際は恵が訴えてもいいはずのことだった。
「ちょうどその頃、恵の才能を買ってたデザイン部長は人事異動で恵から離れてしまってな、その上、末端の無名の女性デザイナーよりも、名のある会社の顔デザイナーを取ったのだろう。彼女を味方するデザイナーももちろんいたが、上からの圧力なのか恵自身が『私が彼の作品を参考にしました』と口にしてしまったんだ」
一度口にすればそれは覆らない。
その上、彼女は入社時からデザイン部長や他の地位がついてしまったデザイナーから高い評価を受けていたことなども、気に入らない連中が噂を流し、その噂が大きくなり恵は心を痛めてやめてしまったのだという。
「デザイン部長に頭を下げられた。彼女を守り切れず、こんな形でつぶす形にしてしまったと酷く後悔していた。ワシはどうしてやればいいのかわからなくてな」
「...それで彼女に会いに?」
「あぁ、最初は断られたがスケッチブックを見たときにそんなものは嘘だとわかってな」
「それでウチのデザインチームを更に強化したんですか」
「元々その気だったがな、ちょうど気になっていたデザイナーも落とせたのもある。ワシも相当商売人間で嫌な男だろう?」
ある意味女のためにこんなことをしたと思われても仕方ない、という志村だが偶然重なっただけのことであるのは理解していた。それにまっすぐ正面をみる志村がそう思うのも無理はなかった。
恵の作品を知るからこそ、東都建設に招いた部長も強い後悔をしたのだろう。悲しそうにする仁の背中を志村は叩いた。
「恵の男女の詳しい部分はわからん。特に噂は尾びれがつくものだからな、だがそれを理解したうえで接するならば、恵もお前を受け入れるだろう」
「伯父上は私と恵を結ばせたいのですか?」
「そうはあまり思わんが、何故だろうな、お前たちはよく合う気がするからな」
それにお前が求めるなど滅多にないという言葉に否定はできない。
大将が今日の一番だといって、対馬から仕入れたノドグロの握りを置くなり二人は目の色を変えて食いついた。いつだってあの島が彼らの魂に根付いているのだ。
それはきっと恵にも。