第二話


そうして二人の交際が始まるとすぐに八月となった。
職務上二人は特別な距離感を出すことはなかったが、以前よりも恵の表情は明るくなり、仕事もこなしていたことなどから周りの評価も前職のくだらない噂も少しずつ消えていった。
社内では恋人としてふるまうことはなく、金曜日の夜に食事にいったり、土日のどちらかで都合が合えば、少し買い物にいってみたりなど、その程度のことで、仁は恵の家に行きたいといわなかったし、反対に恵は仁の家に安心してあがっていたし、二人で過ごしていても特別べたべたすることはなく、本を読んだりテレビをみたりといった普通の時間として過ごしていたが、お盆が近付いていた。

「盆休みは実家に帰るのか?」
「顔出し出来そうならって感じですが、お盆明けにいくつか仕事が立て込んでいまして」
「そうか、帰るなら俺も対馬だから船くらいは一緒にと思ったんだが」
「あぁそうですね、境井さんは青海のあたりでしたっけ」
「そうだ、恵は」
「私は上県の方ですね」

そういわれて対馬の上の方だったと思い出す。残念ではあるが互いに仕事に関しては決して文句を言うことはないため、黙っていいお盆にしようと言おうとしていたが、恵はカレンダーを眺めた。今年のお盆の時期は長く、祝日の山の日が被っているのはもちろんだが、間に一日だけ平日があるがほかの会社も休むこともあり、志村建設も休みとなり最大九連休となっていた。もちろん平日の一日は出てもいいが、誰もいないのでは意味がないとされており。デザイナー関係などは休みも出勤も関係ないが仁もさすがに九連休を一人過ごすのも...と考えた頃、恵も少し考えた後、仁にデートにいこうと誘った。

「...主任、最近いいことありましたか」

そう聞いてきたのは人事部長の安達の息子であった。
年は二十八であり、若いがしっかりした相手で、仁もよく知っている存在で、安達は是非仁が鍛えてやってくれといって、都市開発営業部の一課に来ていた。彼もまた親のコネと言われがちだったが、そもそも志村建設は対馬から出てきた会社なこともあり、根本は家族経営に近い部分もあった。会社が大きくなった現在は。仁や安達の息子のような陰口は生まれるが、実力があれば欲するのが会社であるため、決して間違いはないのである。

「いいこと、まぁ多少な」
「なんですか、恋人ですか、狭間さんですか」
「ブッッ!!」

営業部のフロアの休憩所にて、そういわれた仁は思わず口に含んだコーヒーを噴出した。そんなあからさまにしてないだろと仁は思ったものの、安達の息子である繁成は父親に最近仁の機嫌がいいことを告げると「いよいよ狭間さんと付き合ったのか?」といったせいだといった。
仁は念のため、わかりやすいだろうかと聞くと、まぁ少し機嫌はいいがあからさまではないし、それが女がらみだとは思ってはなかったといわれ安心する。社内恋愛は禁じられていないが、そうしたところから人というのは下手な噂や評価をしてくる。特に入社数か月の恵とベテランで社長の甥の仁となれば、嫌な噂を流す輩は出てくる。そうなったときに恵が傷つくことになれば仁は決して許せないだろうと思った。
これ以上、彼女を苦しめるようなことは境井仁は黙っていられないのだ。
しかし、繁成は仁が恋愛かと思いつつも、恵であることには少しだけ納得した。何度か同席したことがあるが、彼女と仁は呼吸がよく合っており、その雰囲気は長年のパートナーで雰囲気や、その真面目なところがあうのだろうと営業部でも納得していた。

「でも残念ですね、狭間さん狙ってた連中多かったんで」
「は?」
「いや本当ですよ、狭間さんって美人じゃありませんか、この短期間で仕事は的確だし、クライアントからも評価がいいし、物腰も柔らかいし、営業の女性は気が強いし、デザインの人はちょっと癖があるし」

そう思うと恵はいい意味で地味で平凡だった、いや、正確にいえばギリギリ手の届きそうで届かない相手といえるだろうか。儚い雰囲気と影のある表情を持ち、下手な噂を持った美人、そりゃあ営業の狼のような男たちが彼女を見て思わないことはないだろうと繁成は素直にそういったが、仁の形相をみては彼は慌てて「俺は彼女いますから!」と声を上げた。

しかし、そうか、恵が...と仁は考える。
昔もそうだった、恵は美人だと評判だったが、父と兄を亡くし、許婚となった相手も亡くなった。そのおかげで彼女は呪われていると言われ、随分と婚期を逃してしまう形となっていた。昔はそうした言い回しや風習や噂が今以上に強かったのだから仕方ない。仁も志村に紹介されなければ彼女と結婚することも、ましてや知り合うこともなかっただろう。
その頃、ちょうど騒がしいように感じて、視線をやると珍しく五階のフロアに恵がいた、噂をすればなんとやら、と安達の息子がいったが仁はしばらく見るつもりでいたが、書類を片手に誰かを探す彼女にすぐに営業の男たちが声をかけると、彼女は少し驚いたような怯えたようにもみえるのは、仁がそう思うからだろうか。
狼に囲まれた兎のようだった、もちろん、彼女はそこまで弱くないとしても、惚れた女を守りたいという男の欲求とはそういうものなのだ。
仁はコーヒーを飲み干して―というか三分の一は噴き出したのもある―すぐに一課のデスクで困ったように囲まれる彼女に、狭間さん?と声をかけると、境井主任と声を出して笑顔を向けた。
そうだ、恵はよく笑うようになった、美人が笑えば当然人は心惹かれる。
そんな事も知らずに仕事の話で相談が...という真面目な彼女にそれなら奥の会議室で話しましょうといって、連れていき、資料をもらって話をした。ガラスとなっているため、外からでも見れなくはないが、奥まった部屋はあまり表からは見えない。仁は少しだけいつもより距離を近づけて彼女の話を聞いていると、資料をみていた恵に「近いですよ」と注意されてしまう「だめか?」と問うと、だめではないが会社なのでという彼女に、仕方なく離れたつもりで仁は革靴のつま先だけ彼女のパンプスの先に触れさせると、恵は「境井さん」というが、その声は少しだけあきれているようにも感じて、仁は遊びすぎたと適切な距離を取った。

そしてお盆前に飲み会だといって、営業部の懇親会が開かれた。
突発的だが、営業部長はこうした場が好きであり、駅前のホテルのビアガーデンには営業部とデザイナーフロアの各部署のメンバーや他の部署からも幾人か参加していた。会社全体ではないが、こうした場は自由に作ってよいとされており、経費がでるため、志村建設はそうした会もそれなりにある。
今年度の上半期は既に前年比より上回っているが、それはデザインチームに力が入ったことが明らかに数字で出ていた、以前に比べてもデザイン目的で建設を求められることも増えており、会社全体が潤っており、営業部も多大な恩健を受けているとして感謝した。
長い営業部長の話も流して、今年入社の数名の紹介をしようと言われて、新人たちが次々と挨拶していく中、意匠デザイナー室の、といわれて恵が立たされる。知らない人はもうほとんどいないはずだが、立たされた彼女は気恥ずかしそうにしていた。

「意匠デザイナー室の狭間恵です。意匠デザイナーとして皆様にお世話になっております。特に都市開発部第一営業一課の方々には助けられてばかりです、これからもよろしくお願いします」

そういって一課に向けて微笑んでビールグラスを控えめに掲げた恵は十分にかわいいと感じた、ミステリアスな影のある人間だと思った彼女の茶目っ気と恥じらいを混ぜた表情と姿に目を奪われる男たちに仁は、あれは俺に向けていってるのだといいたかった、時代が時代なら切り伏せていた。なんなら毒を盛ってやろうかと思うほどだったが、すぐにまた部長の長話に変わろうとするが、仲のいいデザイン側の部長がもういいでしょうといって食事に切り替えた。
ビアガーデンはドリンクは注文制だが、フードはビュッフェ形式だった。仁も恵も互いに誰かと話をしており、二人で話すことはなかった。それどころか仁は彼女の担当になって羨ましいといわれる始末である。正直なところデザイナーと相性がいいと思われれば、それはコンビになり、基本的に仕事が一緒になりやすい。特に主任クラスの仁であれば大型案件も多く、恵に頼むことも増えるため、公私混同するつもりはないが、それでも別の形であれ、同じ苦労を味わうことは喜ばしいことだった。夫婦やパートナーとはいつだって、そうした苦労という名の山も二人で乗り越えるものだと彼は思っていた。

「ビールばかりで飽きましたか?」
「狭間さん、まぁ正直ビールは腹が膨れますしね」
「エビチリおいしかったですよ、流石はホテルの味って感じ」
「わかるんですか、流石ですね」
「再現はできませんけどね」

気付けば人の少なくなったビュッフェでなにを食べようかと思っていると、横に現れた恵に声をかけられる。恵から声をかけること自体仁以外にあまりない。社内の顔見知りはいても、実際に話をする相手がいないからだ。その分仁とは仕事柄話すことも多く、周りから見ても彼女が話しかけやすいと思うのは自然だと思え、酒も飲んでいるみんなは二人のことも気にしない。
角枠のプレートの上には彩を気にしたように綺麗に飾られており、仁は流石だといいつつ、自分の皿の上をみると茶色ばかりだった。

「せっかくなので、デザイナーとして彩ってくれませんか」
「そういうのってうざ絡みになりますよ」
「...すみません」

冗談です、と笑われるが仁も恵相手には調子に乗ってしまう。
確かにデザイナーだといってしまうが、彼女の専門は建築関係であり、そうした軽率な言葉は相手に失礼だと思い仁は反省した面持ちをするが、彼女は仁の思いを理解したように、色彩についてはデザイナーの基本であり、自分も勉強をし続けているから平気だといった。けれどしっかりと自分以外にはしないようにと注意をするため仁もそれはもうその通りですと頭を小さく下げるため、遠巻きにみていた人たちは仁が恵を怒らせたと思ったようで席に戻るなりその話になってしまう。
時刻は二十一時でラストオーダーも締め切り帰る時間となった。二次会にカラオケに行くという話になったが、恵も仁も当然その手のものには参加するタイプではないので帰宅組になった。

電車の中は人が少なかった。
仁は程よく酒が入った状態で、二人とも人が少ないのに静かに立ったまま外をみている、恵はスマホを触っており、仕事関係をしているのか真剣な表情で、明日から仁は休みでも恵は違うのだと感じる、同じ会社にいるのに不思議だと思い、外を眺めていると声をかけられ、恵が仁を呼んでいたようだった。

「十日か十一日の月曜日ってご予定ありますか?」
「両方特に予定はないな」
「それじゃあ明日は休みで、十日の日曜日に出かけましょうか」
「わかった、待ち合わせ場所と時間はどうする」

出かける話をしていたが、正確に何日とはいっていなかったと思い出して仁は返事をして、二人で待ち合わせ場所と時間を決めると気付けば仁の最寄り駅に先についてしまう。会社から近い距離であるのが少しだけもったいなかった。
ハグやキスは人目もあるためできない、仁は仕方なく名残惜しいが降りてホームで立ち止まり見届けると彼女が微笑んで「おやすみなさい」と告げた。
電車は去っていく、仁は一人静かなホームに残されて、電車が見えなくなるまで見送って自宅へと足を進めた。帰宅して湯舟に浸かりあがるころ、スマホに一件の通知があった。無事に帰宅しましたと一時間前に連絡が来ていたことに長風呂をしてしまったと思いつつ、アイスが食べたくなり冷凍庫を開くと高いアイスが二つ並んでいた。これは恵と食べる用だなと思う仁は冷凍庫を閉めて、麦茶を飲んだ、日曜日が楽しみだと思いながら夜のニュースを見た後、彼は今日も規則正しく眠るのだった。