第五話


仁は恵が好きだ。好きという言葉では表せないほどに彼女を想っている。
だからこそ、彼女と思いが実った後も年甲斐もなく浮かれていたし、彼なりに恵を強く愛した。初めの頃に起きたトラブルについても数か月すればなにもなかったようになり。答えられない申し訳なさはありつつも、大切にしたいという心の表れだった。例え周りに何を言われても。

「仁、あんた最悪だね」
「そりゃあねぇだろ」

そういわれたのは一か月を過ぎてからだった。
どこでその話を聞いたのかは知らない、いや、およそゆなが恵に無理やり自白させたのだろう。一度自分がいないときに飲みに来た恵が珍しく酔いつぶれたと教えられたのは、酔いつぶれた次の日だった。顔色の悪い彼女にどうしたと聞くと、居酒屋小茂田で飲みすぎたと言ったのだ。
子供ではないし、なにかしら仕事での疲れもある。仁もそういうことは理解できたが女性一人は危険だから自分を呼ぶようにちゃんというと恵は素直に返事をする。酒につぶれる恵は初めて見ると過去現在をみて考えてしまう。知らない彼女と知っている彼女がいるのは新鮮で楽しいと素直におもった。
美術館に行った際も、こんな風に出かけられるのは現代だからだと痛感した。
死の恐怖も、何かに怯えることも、悲しむこともない。恵は隣で笑ってくれている。それだけが仁の人生のすべての幸せだと胸を張って言えるのだが、仁は居酒屋小茂田に一人で飲みに行った際に、ゆなと偶然居合わせた竜三に酷いと口々に言われた。
何かと思ったが恵が泊った日に仁が彼女を拒絶したという話で、仁はそのことについてなにも言い返せなかった。据え膳食わぬは男の恥。とはいうものだが、仁はあの日目の前にあった据え膳を明確に拒絶した。

「大切にしたいんだ、仕方ないだろう」

目の前の餌に飛びついて万が一にも恵にやっぱり境井さんも...と思われでもしれみろ。その方がずっと最悪だ、と仁は自分なりに言葉にした。それは本心で、男と女が一緒にいて求めあうのは自然なことだし、早いも遅いもないとは思うが、仁は恵に対して恋人ではなく妻のような気持ちで見ている。そんな相手に婚前に手を出せば欲に溺れるのは目に見えている。そこで過ちが起きて相手の人生を苦しめたらどうなる。仁も現代社会の女性の地位を理解している。昔とは違い女性は一人で生きていける力を持っているし、恵に対しても結婚後、彼女が望むなら仕事を続けてほしいと願っている。妻としての姿も素敵だが、現代社会で働いている恵も魅力的で、あの横顔を思い出しては思わず仁が酒を飲んでしまう。
女がツマミになるとはと自分でも思うほどだが、残念ながら恵以外はツマミにはならないのだと思うが、ゆなは重たい声で言った。

「あんたが大切にする気持ちはわかるけど、女はよく見てるからね、下手なこと思わせるんじゃないよ」
「下手なこととはなんだ、俺はそんなことはないぞ」

誓っていえるという仁に、その場にいる者は仁が清廉潔白でそこいらの坊主よりも真面目なことは理解しているが、ゆなは恵が酔っていた時のことをよく覚えていたし。前世の記憶を持つゆなだからこそ、そうなるかもしれないと思う要素でもあったが、小さくその問題が垣間見えたのだ。

『私以外に好きな人がいたのかも』
「恵はそういってたよ」
「馬鹿な、俺がそんなわけ」
「わかってる、わかってるけどさ仁、あんたが好きなのは今の恵なんだよね?」

当たり前だろ、と仁は返事をした。
どんな姿かたちになろうと、その魂が変わらないのはよくわかった。だから今の恵を愛しているのは間違いがないと胸を張れる。
隣に座っていた竜三はよくわからないが、彼女を泣かすなよと笑ってトイレに行ってしまい、ゆなは真剣な顔をして隣に座って仁に話をする。

「過去があるからって、今の恵は、過去のあの子と違うんだよ」

ゆながそう言えるのは、たかがそうだからだ。もちろん、仁と恵の関係とは違うことはわかっているが、かつて姉弟だった二人の前世も悲惨だった。たかは仁の目の前で殺されたし、ゆなも生まれた時からたかの死までずっと苦しんで生きた。だからこそ今世の彼をより一層大切にしたいと思って生きているのだ。
ゆなは昔のたかと今のたかを比べると、違うことがたくさんあったという。

「小さい頃、たかにいわれたんだ『ねえさんって僕以外にも弟がいるみたいだね』って」

いるわけないのに、幼いたかに、前世のたかを比べて扱うことも多かった。それゆえに言われた言葉だと彼女も理解して。知っているからこそ知らないふりができない自分がいることを悩んだという。
仁はその言葉を聞いて、何も言えなくなった。
恵に過去の彼女を重ねており、それを切り離すことはできない。じゃあもし、本当は彼女じゃなかった場合はどうなる?相手を愛さないのか。当然だ、仁が惚れたのは恵であり、そうじゃない人間を愛せない。じゃあそれはどこで見る?魂の形?相手は何も知らないのに仁だけしか知らないものでみたとして、本当にその目に映っているのは過去の幻覚でしかない。

「血の繋がりはない、あんたも恵も他人だ。だからほかの人間と恋人になった過去がある。それも踏まえて今の恵を受け入れなきゃ、うまくいかないよ」
「...じゃあ、どうすればいいんだ」

恵を恵として扱わない。
過去は切り離して相手を見る。
女は鋭い生き物だから、目を見たらわかるとゆなは言った。
決して仁が悪いわけではない、ただ過去の記憶というものは呪いに等しいとゆなは思った。テレビや占いなどで前世の話などはよく出てくるが、本当に自分たちの前世を知っている二人はその違いはなにかと思った。丶蔵も同じだ。何がそんなにというとき、ゆなのいう呪いという言葉があまりにもしっくりきた。
ゆなはたかを、丶蔵は妻と子を、みんな誰かを失い強く思ってきた、仁も同じだった。
それが残った結果が今なのだとしたら間違いはないだろうと仁は感じて天井をみつめた。恵を愛している。それは間違いではないのにと考えても言葉が出ずに瞼を閉じた。

「疲れてますか?」
「いや、そんなことはない、ただみてただけだ」

恵との交際は順調だった。お盆を終えた後。週末に出かけるか夕飯を共にするようになった。生活圏が数駅の距離だが微妙に違い、自転車があればいい距離でもあるが、互いに持っていなかったし、プライベートは大切にする方がいいとも思った。
毎週末でもよかったが、仕事で難しい場合もあったが、予定が合えばどこかに出かけた。目的地がある場合もあれば、そうじゃないときもあった。水族館や動物園に気になるものがあれば美術館など。

十一月頃、秋というよりも冬に近い気もすると思いつつ、仁は恵と紅葉を見に出かけた。年々紅葉は短く時期はわからなかったが態々調べて見に行こうといって、仁が車を出して三十分ほどのところにある紅葉が有名な寺にきていた、都市部から離れた山沿いの神社は申し訳ないがアクセスはあまり良くなかった。電車でもこれずバスのみだが、時期もあり混雑しているため、酒は飲めないが車で行こうといった。
その日の恵は秋らしいコーデで、重ためのダークブラウンのロングコートに、深く落ち着いた赤色のタートルネックに黒色のシンプルなパンツに合わせた黒いレザーのパンプス。トップスと同じ系色で、おとなしい大人びた細めのワイヤーリボンのヘアアクセでまとめた黒髪に、小さな耳元の装飾と控えめなゴールドのネックレスは同じく暗めのトーンに合わせた仁によく合っていた。毎度デートをするたびに恵のコーデを見るのが好きだった。昔からそうだ、彼女は色味や着物だとその刺繍の意味をしっかりと考えて選ぶ。白や薄い紫が似合っていたなと思い出しつつも、落ち着いた色味もよく似合っている。

「どうしたんですか、そんなにみて」
「服装と場所がいつもよくあってるなと思って」
「遊び心があっていいでしょう?」

そういって足元を見せた彼女の靴下はそこだけ銀杏のような黄色だった。紅葉も有名なスポットではあるが神社は銀杏も有名で、ところどころに赤と黄色がまじりあっており、仁は自分は何も考えずに選んだ服装だということに苦笑いをしたが、恵は服も趣味のようなものだからと返す。
山の中だからか、空気はひんやりとしている。広い境内でもあり、人はまばらで動きやすかった。周囲のカップルは思いで作りのために一緒に写真を撮ったり、女性を単体で撮ったりとしているのが見えて、仁は恵に写真を撮らせてほしいといった。

「構いませんけど、私あまりいいポーズとかできませんよ」
「俺もいいカメラマンじゃない」

紅葉をバックに静かにたたずむ姿に仁はカメラの距離や角度を考えて何枚か撮ってみる。スマホはいつも特に考えずに長年愛用している同じメーカーのシリーズを購入しているが、カメラ性能は年々よくなっており。普段は仕事でしか使用しないが、今回は買っていてよかったと思う出来だ。

「写真お上手ですね、されていたんですか?」
「いや、営業だからたまに写真を撮るから、それで教えてもらってな」

不動産系から転職した部下は風景写真や全体写真を撮るのはうまいし、他の若い子たちも写真がうまいので、仁は一度教えてもらったことがある。それこそ飲み会などでは自ら集合写真を撮ってやることもあるからだろう。服装と雰囲気がよく似合っていると紅葉に囲まれる彼女の写真を見るだけで仁はかつての故郷にいた彼女を思い出す。よく二人で馬に乗ってみていたと思い、懐かしい気がした。

「また送ってくださいね」

その言葉にハッと意識を戻して短い返事をする。
仕方ないとも思った。誰しも前世でなくても過去を考えてしまうし、そこに思いを馳せてしまうのは。それでもゆなの言葉を思い出した仁はよくないと思いスマホをポケットに直して、いつの間にか当たり前になったように恵と手を取り歩く。
人通りの少ない奥に行けば行くほど、紅葉はまだ実っておらず、赤一面だった景色が変わって、黄色や緑、もしくは葉がすでに落ちた状態となっており、隙間から太陽の光が地面を照らし。二人は十一月の寒さに互いに身を寄せて歩いた。

「ここに誰かと来たことってありますか?」
「いいや、初めてだ。だから恵と来たかった」

日本の四季が好きだ、景色も食べ物も人の顔も変わる。昔と違い自然に触れることは減ったかもしれないが、それでも垣間見えるものが好きで、二人でずっと年老いるまでみていたいと思っていたのに、恵がそっと手を放して前を歩いていく。
彼女の足が進むと地面に落ちた紅葉が揺れていく。

「私だけじゃなくていいんです、何を考えていても、あなたが私を好きだという気持ちに嘘はないと思ってますから」

仁はそれが暗になにをいっているのかわかった。
恵は昔から聡い人で、仁が口にせずとも悩みを理解してくれるような人だったからだ。責めるわけでもなく、なにかを聞きたがるわけでもない恵は振り返らない。いま彼女はどんな顔をしているのか仁にはわからない。
それでもいえることは一つだけ、変わらないものが一つだ。

「恵、愛してる」

それだけで、彼女がその言葉に何を思ったとしても構わないと仁は思っていると恵は振り向いて嬉しそうに頬を薄い紅葉のように染めて微笑んだ。

「私も」
『お慕い申しております』

紅葉の中でそういった彼女が二人見えた。
一人は目の前の恵、もう一人はかつて妻だった着物姿の彼女だった。