第五話


鑓川技建との話し合いも終えて話をまとめていきたいと思う恵だが、仕事の修正依頼を至急頼まれてしまい時間を取られていた。恵も自身がなにを一番にしなければならないかはわかっていた。仁を想う気持ちとは別に社会人としての仕事をこなさなければならないのは必須で、以前のような下心からくる残業ではなく、正当な理由で残業をしていた恵は二十時前に会社を出て、その足で疲れたと感じつつ電車に乗って海側へと来た。寒い三月の日は海も人はいない。
寂れたような夜の海に懐かしさを感じつつ、静かに営業していた海鮮鉄板料理“壱岐”に辿り着いた恵を迎えたのは彼女の知り合いである丶蔵だった。
店内は客が数組いるが、冬や平日であることも相まって普段よりも静かに感じられたが、寒いからと店内の隅の席に案内してやり、早速注文を聞く彼にウーロン茶としっかり目に食べられそうなものがほしいというと丶蔵は二つ返事でキッチンに入っていく。
十分後に出されたのは鯛の釜焼きに小鉢や熱い湯気を立てた青さの味噌汁やご飯であり、ランチメニューとして出しているものだった。

「ランチですよね?いいんですか?」
「あぁ余りものじゃないぞ、ちゃんと明日用に仕込んでたやつだからな」

二十一時を回ると客はゆっくりと帰っていき、入り口も閉める丶蔵に早くないかと聞くと、冬場は海際なことも相まって客足が遠のくため早めに閉めて、昼の営業がメインだと話した。昼間は奥さんと他のバイトに任せて丶蔵自身は漁師の仕事に精を出しており、経営が厳しくなるというのは滅多になく、恵は丶蔵の忙しさに流石だと感心しつつ食事を食べていると、店を片した丶蔵が向かいに腰かけた。

「仁のやつとどうなんだ」

恵と仁は交際を始めてからも二人で度々この店にはやってきた。いい酒といい料理があるため仁は好んでくれたので、恵も家から離れているため頻度は高くないが連れてきていたが嬉しくて来ていたが、珍しく一人、その上どこか何かを悩んだような疲れたような恵をすぐ見抜くのは丶蔵が人をよく見ることに長けている人間だからだろう。

「実は少し距離を開けています」
「それで悩んでるのか」
「それもありましたが、それ以上の問題が起きていまして」
「なんだ?俺でいいなら話を聞くぞ」

恵は相談がしたくて来たわけではないが関係のない人間に話を聞いてほしいと思いこの店に来ていた。丶蔵は二人のことについて多少驚くが男女仲は二人の問題で彼が介入するところではないと押しとどめて彼女が思い悩む話を聞いた。

「つまり仁のやつは部長に騙される...というよりもハメられる形で解雇間近の案件になってるってことか」
「そうです、でも証拠は揃ってるので、あとはまとめるだけってところなんですけど」
「なんだ?別問題か?」
「普通に仕事が忙しくって...それに未だに境井さんとも話せていないのに、本当に私がこんな事していいのかなって」

恵は仁の意思に反していることを理解していた。
仁の心配は鑓川や自分の部下や周りに迷惑をかけずに物事を解決しようとしているだけだ。恵は彼と過ごしたからこそ理解できる。彼は自分一人で済むならどんなことになってもいいということを。
仁が解雇されたとしても志村はきっと力を貸すだろうが仁は拒む、そして新しい場所を自分で見つけて生きようとするだろう。彼は強い人で本来恵が動かなくてもいいことだった。それでも彼女はかつての自分と仁を重ねていた。

「今回の件で彼のために私は彼にきっと幻滅されることを沢山しています、その罪を自分でも理解しているつもりです」

相手がしたからといえど恵も相手のパソコンの情報を抜き取った行為などについては犯罪行為だと自分で理解している。他人のプライバシーに踏み込み相手の人生を壊そうとまでしている。それは仁を陥れた部長とどう違うのだろうかと悩んでいた。いくら仁のため、鑓川のため、周りのため、と言い訳をしてもそれは彼女の中で既に意味を成しているのかもわからない。
思わず箸を止めて俯いた恵をみる丶蔵は彼女はずっとこれだと思った。他人のために生きる中で悩み苦しんでいる、その癖自分のことは後回しにする。話を聞く限りでも恵が仁のために動く必要はない。それでも動く理由は彼を大切に思うからで、手段を選ばないのは自分たちの昔――数百年前の前世と同じだった。
境井恵という女を初めて見たのは仁と共に壱岐に辿り着いた頃だった。冥人と呼ばれる存在の噂を聞いていたがそのそばにいた彼女は仁が苦悩する全てを受け入れ、そして時にその罪を受け、仁も知ることのないことを裏でしてきた。丶蔵はそれを知り彼女にそこまで知る理由を問うた。

女であり、武士の家の娘であり、志村に縁があるのならば彼女だけでもきっと許されたはずだ。箱入り娘が自分たち海賊よりも下劣な真似を平気で行うのを見た時、丶蔵はぞっとした。仁のいぬ間に女としての能力をも使って情報を得ることもあれば、相手を男が思うよりも恐ろしい形で殺す姿、それは妻だからの一言では済まされない修羅の道を歩む者だった。

『あんたはそれでいいのか、あんたがしてることは俺たちでさえも恐ろしいもんだぞ』

仮にも武士の家の者。それは誉というくだらない信条を持ち、自尊心や誇りを持つ存在で、男も女も関係なくそれを大切にするはずだ。仁とて志村に縁切りされたといえどそれを忘れてはいない。恵を鬼畜生とはいわないが、冥人よりも冷酷に手を血で染めていたのだ。

『旦那様をお守り出来るのでしたら、私はどこまでも落ちましょう。私にできぬことをあの方がするように、あの人にできぬことをする、それが夫婦というものなのです』

トリカブトを摘む彼女は微笑んだ。
薬学を多少学んだ上に彼の乳母に仁には教えていないものを沢山学んだというとき、丶蔵はその強さに恐れと尊敬の念を抱いた。女はいつだって強かった。

「それならやめるのか」

今目の前にいる彼女に丶蔵はそう問いかけた。
今ならまだ引けるはずだという彼に恵も理解しているが首を振った、どれだけ弱音を吐こうとも彼女は自分の進む道を止める気はない、走ることをやめても歩くことはやめない、戻ることは自分が許さない。
自分を抱きしめてくれる彼の温もりが好きだから。彼の未来に自分がいなくとも、恵は仁の幸せを願っている。

「やめません、あの人のためなら、死ぬことだってきっとできる気がするので」
「それなら俺が止める理由もないな」

恵は大げさかもしれないけど本心だといって笑うと丶蔵は人とは変わらないのだと感じて笑った。会計は今日もいらないから気を付けて帰れといって、海風が冷える夜に帰ろうとする恵に丶蔵は問いかけた。

「そういえば、今回の件で手を出すのはいいが自分も巻き込まれたときクビになるかもしれないんじゃないか?」

給料もいいしもったいないだろと丶蔵は当たり前のことをいうと店先に出た恵はスマホでタクシーを呼びつつ自分の中の悩みを話し切ったことに満足した様子で、少しだけすっきりとしていた。そして問いかけられた恵は昔と変わらない表情で微笑んで答える。

「最近はフリーランスでも食べていくのは困らないので」

そういった彼女がすぐにやってきたタクシーに乗り込んでしまうのを見届けた丶蔵は一人残された店前で大きく笑った。
彼女は変わった、けれどあの頃と変わらない強さを持っている。
丶蔵は二人の今の関係の正式なものはわからずとも仁に向けて内心安心した。お前の女は昔と変わらずに強いというように。
春風の混じった海風は冷たいはずだが、少しだけ暖かく感じた、もうすぐ春が来るのかもしれないと感じつつ、丶蔵は店の中に帰っていくのだった。