第七話
いったいどれほどこれを繰り返したのだろうかと仁は思っていた。
度重なる役員会議に聴取、犯人や被告人のようにただ判決を受けるのを待っているだけの時間は早く終わってほしいという気持ちになってしまう。自分でもわかるほど疲れているのだ。
責任を負うといったものの、それでわかりましたで済むわけがないこともわかっている、連日派手に会議をしているが本件に関わりを持たないという志村が裏でどうにか止めているのは薄々わかっている。仁はあれから直接志村と顔を合わせてはいない。互いに合わせるとなにかしらを思ってしまうことはわかっている。それは恵に対してもだ。風の噂で彼女が忙しそうにしているのを聞いた。自分のためだというが仁はすぐにやめるようにいいたかった、それで彼女の人生が無駄になる方が嫌だったからだ。だが自分が今、彼女に言えることは何もない。彼女にフラれたことももちろんだが、そのあとすぐにこの件、恵の元恋人だとバレるのさえ恐れている。彼女の顔に泥を塗る羽目になるからだ。
会議室はカーテンが重たく締め切られており、昼なのか夜なのかも曖昧になる。仁がうんざりするように役員たちもうんざりしている。昔から知っているメンバーであり、志村とも長いメンバーは仁が幼い頃から知っているほど。
それがこんな形で対峙するだなんてと苦い薬を飲まされている気分だった。
「このメールの送信者は境井さんですね」
「はい」
「この承認印も」
「私のものです」
どれも間違いではない。それを裏付けるものもない。
何度この質問をされて何度同じ言葉を答えているのだろうかと思う。
メールも、承認印も、外注費の増額書類も、下請けとのやり取りも、すべて仁の責任で、すべて彼が主体だということを伝える。確認事項をチェックしているだけのようなやり取りに意味はないのだが、そろそろ時間も限界だと理解している。
だがしかし、長引いている理由は調べれば調べるだけ、仁が認識していなかった件も彼名義にされていたということだ。小規模な改修案件、地方自治体との協働案件、さらに既に完了済みのプロジェクト。そこにも仁の名前や判が押されている。
どれも名前などは聞き覚えがあるが、主任権限でないものがすべて主任権限に書き換わっている。本来それがみつかれば止まるはずだがそうでないということであれば、一度部長などが判を押した後、その後の処理を仁に書き換えたのだろう。まったくどこまでもやってくれると思わず口の中を噛んだ。
全てが仁に仕向くようにされて、中心に立ったころにはもう遅かったのだ。なかなかに狡猾だと感心さえする。
そして今更その件を掘り下げて何かを言ったとしても意味がないこともわかっている仁は無言を貫き、それでいいと請け負った。ここで違うといい始めれば過去案件も今一度見直しとなり、全員が面倒を被る。
部長は自分をよくみているなと思った。自分の性格があるからこそ、ここまでしてやられたのも事実であり、仁は自分がもう少し反論をして騒ぐ人間であれば違ったと理解している。自分一人で抱え込み、周りを手助けするために手を伸ばすタイプだからこそ狙いやすかっただろう。
命を奪い合う戦と、社会という名の戦はあまりにも違う。と彼は感じつつ真っすぐみていると、総務部長が書類を丁寧にまとめて仁に最後の判決を告げる。
・調査終了まで出社禁止と自宅謹慎
・社内システムへのアクセス停止
・許可のない外部連絡禁止
「そして...最終判断によっては懲戒解雇となるだろう」
正式な書面は後程送るので確認するようにといわれた途端に仁はすんなりと受け入れたうえで、自宅謹慎について一点頼んだ。
「それで俺に頼みに来たのかよ」
「すまんな」
「いいけど、俺も夜は予定できたからとっとと乗れよ」
それは最終判断が来るまで実家にいさせてくれという内容だった。
仁の実家は対馬の青海であり、船はいるが会社としても実家は知っているうえに、彼が一人でずっといるよりも些かいいだろうという慈悲による判断で、社長に一応の許可を得たうえで許可した。
そして仁は船を持っている丶蔵に船を出してもらうように頼むと、彼は仕方ないといって、軽い荷物だけを持った仁を乗せてやった。もう四月になるためか海風も少しは暖かく、仁は船の甲板に乗りながら海を眺めた。何度見てもこの光景が好きだと思った。本土からみえる壱岐、そして壱岐を過ぎてみえる対馬。自然豊かなあの島の美しさが心を洗うようだった。
「仕事クビになるのか?」
「恵から聞いたのか」
「あぁすごく心配してたし、お前のために動いてる」
「そうか...」
やはりかと思う仁は嬉しそうだが寂しそうに笑った。
そんな無意味なことをしないでくれと伝えてほしいと思うが、丶蔵は断るだろうと思って言葉を止めた。一連のことを聞いていたらしい丶蔵は仁のせいでないのだから、自己犠牲をやめろというが仁は無理だという。
鑓川技建の人間だけの問題でもない。ほかにも部長は中小の経営が難しい下請け会社などを利用していたのが見えたのだ。あの男が自分を嫌っているのはわかっている。今後もそれをするだろうがすぐにボロが出て制裁を受けるはずだが、今はその被害を大きくかぶる人たちを守らねばならなかった。
「相変わらずだな、お前も恵も」
「恵も...か、そうだな、彼女も変わらん」
「お前のためなら何でもする女だ」
その言葉に仁は瞼を閉じる。
船のエンジン音と海の音に交じって浮かぶのは数百年前のこと、恵は強い女だった。戦地に出た仁と離れた後、唯一残った武士の妻としての彼女は他の村の女に変わり囚われていた。再会した時の彼女の気丈さと、その身に起きた凌辱の限りを女であり、民を守る者として受け入れたことをみて、仁はより一層蒙古への憎しみを募らせた。
島のために、民のために、恵のためにとどんな手段でもと手を伸ばす中で、彼女はトリカブトを拾いそれをすりつぶした。仁が躊躇しそうであれば恵が静かに裏で事を進めたことも、彼は知っている。守られていたのだとわかっているのに何も返せなかった。
『あなた様が私を隣に置いてくれる以上の幸福は私にはないのです』
本来敵の手に落ちたのならば素直に腹を切るべきだという彼女に仁は恵さえ、この世からされば生きていく道を完全に見失うからやめてくれと口にせずとも思った。そして彼女もそれを受け入れた。
仁の腕の中で海を眺める彼女がいった「北へ往きましょう」と、母親の故郷でもあり、本土とはまた違うあの場所ならきっと自分たちに合うといって、船を乗り継いで、時に追われて、時に命を脅かされて、腹を大きくした彼女と共に北へ向かった。寒さの厳しい大地でも気付けば再会したゆなも連れて四人で生きた。
いつ誰に襲われてもおかしくないとわかっていたから警戒し続けて。
「俺も恵のためならなんだってできる、だが今の恵は望まないだろう」
「何故そう言える」
「今の彼女を見ていないと言われた」
「フラれたのはそれが原因か」
俺も同じことがあったという丶蔵に、ゆなもそうだったと思い出し、記憶を持った人間のあるあるなのだと感じた。無理もない。過去を知るがゆえに重ねてしまう。愛したのはその人だからなのか、過去の記憶のせいなのか、それを問われるとわからない。ニワトリの卵が先かニワトリが先か。という問題に似ているようなものだろう。
海風が心地よいと感じる頃、対馬の船着き場へとたどり着いて、仁は夕暮れの美しい対馬に帰ってきた。都会とは違う自然の空気が心地よく、すべてが洗い流されそうで、丶蔵に感謝を告げるころ、彼はトンボ帰りしようとしていたが、仁に告げた。
「恵にここまでしなくていいって言っておいた」
お前の人生を無駄にするなという丶蔵の思いは親心に似たもので本物だ。
仁がきっと言いたかった言葉を彼は告げておいたことに仁は感謝をしたが、丶蔵は呆れたように笑った。
「本当に大した女だよ『フリーランスでも食べていくのは困らないので』っていわれた」
「...ふふっ、本当大した女だな」
仁は思わず耐え切れずに笑ってしまうと、丶蔵はあきらめるなといって船を出していってしまう。あきらめてはいないが必要なことをするだけなのだと仁は言い聞かせて歩き出す。数百年が経過して変わってもここは彼にとって今なお変わらぬ故郷であり。懐かしくも寂しかった、それはきっと隣に恵がいないから。
どんな格好でどんな姿で彼女は...と思う間に仁の視界の先には着物姿の恵が見えた気がした、それは過去の彼女で、今の彼女でないことが、やはり彼をひそかに苦しませた。