第六話
仁は対馬の五代武家の一家である境井の息子だった。
母を幼くして病気で失い、父親を少年期に目の前で守れずに失った。
幼いながらも彼は弱い自分が許せずに厳しく鍛錬を行ってきた。
恵との出会いは蒙古襲来から三年ほど前のこと。
仁はその頃にはもう三十を過ぎており独身で、元寇であれば十五ほどで婚約の話も出る中では完全に彼は遅く、独身を貫くつもりであった。それは自分の伯父――志村がそうだったから。
女を求めることはあっても、それは一時の欲求のみであり、結婚を求めることはないというあの時代には珍しい男だった。
しかしある日、志村から見合いの話が出た。見合いという名の結婚だった。断ることもできるが相手の顔も志村の顔もつぶすことになるため、それをすることは出来ない。相手は上県の小さな武家――狭間家の一人娘の恵だった。
彼女もまた仁と同じ年頃の女であり、随分と遅かったのには理由がある。彼女は唯一の父を失い、婚約関係の相手も事故で亡くしたからだ。狭間家はこのまま存続が難しいとされていたものの、彼女の母親は蝦夷地の武家の娘であり、どうにでもできるというが娘が一人でいることを心配した。
「お初お目にかかります、恵でございます」
両手を添えて深々と頭を下げて挨拶をする恵は一目見て器量のいい娘だろうと感じた。重く暗い雰囲気があるがその瞳は意志の強さを感じられ。仁はあまり彼女を知らなかったが悪くないと判断した。
そうして流れる様に夫婦となったが仁はあの頃を思い出して苦笑いをした。
「俺たちははじめは全くうまくいかなかった」
「私たちが...ですか?」
「あぁ会話も少なかった。お前は一つも笑わないし、何をしていたといっても毎日同じことだけだった、俺も口下手だったからな、困ったものだ」
現代でそれを聞く恵は驚いてしまう。
まるで今の自分たちは初めの頃からずっと呼吸があっていたのに、昔はそうじゃなかったのかと思う。その反面暗い自分についてはよく理解できると思い、昔からネガティブなところがある人間だったのだと感じる頃、仁が話を続ける。
恵が笑えない理由は無理もなかった。
婚約相手を失って以後、島では恵が不幸を呼ぶ娘扱いをされていたのだ。上県であるためそこまで名は通っていないにしても、その地区でも恵はのけ者扱いで、一人でずっといた。ひとり親の母にとってはそれが心配でたまらなかった故に縁のある志村に相談したのだろう。そして仁の心配をしていた志村も恵を知っているため、あの二人ならそれなりには上手くいくだろうと話をしてめぐり合わせた。
半年かそれ以上か、うまくいかない夫婦生活に困っていた仁だったが気付いたことがあった。それは朝早くに朝餉の支度をする下女と共に用意をしているはずの恵がいないことだった。理由を聞けば恵は毎日朝に狩りにいくのだといっていた。
恵も武家の娘であるため、身を守る術を知っていることは理解していたが、そこまでだとは知らず、仁は彼女がいった場所へ行くと恵は綺麗に弓で鳥を射落としていた、二羽ほど捕まえた彼女は馬にくくりつけると仁に気付いて目を丸くした後、まるで悪さをした童のような表情をした。
「何故隠すのだ、言えばよかっただろう」
「女が、妻が、狩りをするのはよくないことだと存じておりますので」
「構わん、それよりも狩りは長いのか?」
「はい、母と二人でございましたし、周囲から肉をもらうことがございませんでしたので」
「魚は?」
「罠を...あと釣りを少々」
好きか?と仁が笑って聞くと恵は恥ずかしそうに頷いた。
そんな顔もするのかと仁はすっかりと恵に惚れた。
女がどんなものではあるかわかっていたが、恵は案外やんちゃな娘だったのだ。それからは毎朝狩りに仁も同伴するようになった。武士としての務めはもちろんあるが、妻との時間は心地よく、恵はまるで男のように狩りも釣りも山を登ることも好きだった。
子宝には生憎そのときには恵まれなかったがもともと晩婚の二人には多くを求めることはなかった。恵もそれを悩むことはなく、二人は対等な夫婦として世間の夫婦同様に幸せに暮らした...蒙古が襲来するその時まで。
「往かれるのですね」
「あぁ伯父上もいる、安心しろ、必ずや帰ってくる」
「はい、お待ちしております」
仁に甲冑を着せる恵も覚悟を決めていた。
多勢が対馬に押し寄せてくる。全ての対馬の武士たちが民の為に戦わねばならない。そうして小茂田に飛び出した仁はあの惨劇に巻き込まれた。自分以外の全てが死に絶え、地頭である伯父志村が目の前で捕まり、仁は意識を失い野党のゆなに助けられた。
「志村さんですけど、ゆなさん...って、あの?」
「そうだ、縁とは不思議なものでは、恵もだが、あの時の時代の人間がみな、この世で新たな生を受けているんだ」
「...ゆなさんって境井さんと同じで記憶があるんですか?」
「そう...だな」
だからあの人...とつぶやく恵に仁は以前からアドバイスをしていたゆなにそういうことだと苦そうな返事をした。輪廻転生というのだろうか、人は幾度も何かに生まれ変わる、そしてその中で今があるのだと感じた。
そうして唯一救われた仁はゆなに志村の奪還の協力、そしてそれと共にゆなの弟を助けるという条件で協力関係となり、現代にはもう無くなった金田城に奪還にいったものの仁は勝てなかった。
蒙古が強いことはもちろんだ、数百数千といる相手に一人で真っ向から向かうのだから勝てるわけがない。武士としての誉を忘れたくないと思っていても民を守るためには仕方ないと言い聞かせた。
志村を救うまでに仁は恵を忘れたことはなかった。
しかし物事には順序がある、志村を救えば本土に便りを出し、手を貸してもらえる、きっと志村を...と願い続ける中、恵の名前を聞いたのはとある場所でだった。下女が拉致されるのを救った仁はそのうちの一人が自分たちを救うために恵が犠牲になったといった。
女であるということは労働力以外のものになる、それは兵の糧になるということ、人の欲望は無限であり、特に男の欲望は抑えられない。仁が孤独な旅を続ける中で幾度か蒙古が女子で外道な真似をしているのを見かけ、その都度切り伏せた。
その周辺を支配していた蒙古の隊長は境井仁の妻を差し出せば女を無事に解放し村人たちは労働として扱ってやるといった。
全員が恵を差し出す前に、恵は仁の妻として、武士の妻として現れた。彼女が名指しされたのは仁が唯一残った武士であると噂されているのも当然だが、恵はその周囲の野営を襲い、人々を守っていたのだ。蒙古軍は噂の武士ももちろんだが、その反旗を翻す女を許さなかった。
それを知った仁はすぐさま駆け付けた。
どんなことを思われても良いと後先も考えずに夜闇に紛れて拠点を抑えに行った。
そして再会した恵は暗い牢の中で死ぬことを許さないというように猿轡と目隠しをされ、手足を縛られ乱されていた。全身の痣や足元の名残がなにをされたのか仁にはすぐに理解できた。見てきた光景が自分の最愛の人に起きたのだ。
「俺はあの時、何も考えずにその蒙古軍の部隊を切り殺した。派手な戦になったが他の女たちを傷つけられた村に男たちも加わり、そして村は蒙古の手から救われたのだ」
恵は声が出なかった。
そんな状態の自分を知る仁に恵はかつての恋人からの暴力や営業部長から触れられたことを思い出す。自分はずっと男にそうされる存在なのかとも思った。だがその気持ちとは反対に決して屈しない心も持っており、膝の上で拳を握り続きを強請った。
「お前はずっと気丈な女だった。終えた後すぐに伯父上を救おうといって、俺の手を引いてくれた」
ずっとそうしてお前は俺を救ってくれたのだと仁は泣きそうな声でいった。
武士ではなく、冥府の復讐者である冥人という渾名をつけられ、仁は自分が何者かもわからないときでも恵は手を取り、仁は仁であり、彼の一番の誉を何度も確認してくれた。
――自分を守れぬ弱き者を守る。
それが仁の誉で信条だ、変わらぬことだというが闇討ちも背後から狙うこともすべてが彼にとっての武士道から反することとなり、彼を苦しめた。そして志村を奪還したあとも相違するその考えを受け入れるのも恵だった。
仁の全てを肯定するわけではなく、恵は違えばしっかりと違うという、仁にとって恵は暗い闇の中で手を取り足元を照らしてくれる相手だった。決して孤独ではないという彼女が仁の後ろでいえぬことをしていることは知っていた。仁が休んでいる間も彼女は寝る間も惜しんで毒草を集め、民にどう生きればいいのかを問うた。仁が教えられることを教え、蒙古にどう打ち勝てばいいのか。二人では守れないからこその術を教えた。
夫婦だからこそ、仁の苦しみを彼女は理解していた、仁も恵の思いやりを理解していた、二人だからやっていけると、日差しの下で愛し合った。志村と絶縁するとなった際も恵は止められた。仁はそれを黙ってみつめたが恵は紅葉の下で志村に微笑んだ。
「夫婦です、最後までこの人と往きます」
そうして二人は対馬を去り、壱岐へ行き、そして全てを終えて本土で過ごした。
決して幸福な時間などはなかった。それまで身ごもらなかった恵に奇跡が訪れたがお尋ね者になった仁と恵は必死に逃げ続けた。
「では私たちは家族三人で?」
「...いや、一人は流れた」
恵の言葉に仁は顔を伏せた。無理もないだろう、寝る場所さえいつも困り果てて、食べるものさえない。恵のために仁は頭を下げて、できることをなんだってしてやったが彼女の身体は決して健康にはみえなかった。あの時代は今のような医療もないため子供が安全に産めることも少なかった。
それでも悲しみを抱えて、苦しみを抱えて、一度対馬で別れたゆなとも再会し、そして恵の母親がいた地、蝦夷地へといった。寒さの厳しい土地であるが、そこは本土からも離れて比較的穏やかだった。対馬でよく見たススキが一面に生えた土地をみつけてひっそりと家を建てた。誰にも襲われぬようにと武具もいくつも用意して、まるで戦を始めるかのようだったが安全などないことを知った。
そして穏やかな日々の中でようやく二人は男児を設けた。愛らしい幸せの宝を得て、ゆなは失った弟たかの時のように一層かわいがった。
「幸せだった。周囲には村も人もいないから大きな畑を作った。海も見えて魚も取れるし鹿や鳥もいた。食うものも困らず、俺たちはここで年老いていくのだと思った」
幸せそうに話をする仁に恵は思わず腹を小さく撫でた。自分の身にこの人との子を考えるとどこまでも嬉しいと思ったのだ。
けれども運命はいつも残酷に引き裂いてしまう。
冬が厳しい時期で、外のススキも雪に覆われる時期で獣もいない。そんな厳しい季節の中で子が熱を出したのだ。人が出すような熱ではないような高熱に仁が外にいくといったが恵は場所を知っているからと告げた。それについては仁も理解した、恵は薬草に詳しかったからだ。それが間違いだと気付いていても送り出した。
夜になろうとしても帰ってこぬ彼女を仁はゆなに子を託して探しにいった。
吹雪が止むころ、恵はいた。
白い雪の中で血を流して倒れていた、盗賊か、仁を追ってきた者に襲われたのだろう。背中を切りつけられていたが、その手には薬草がしっかりと握られていた。息も耐え耐えの彼女は最後にいった。
「『あなた様にお仕え出来てお幸せでした』」
仁は目を見開いて恵をみた。
恵は自然と溢れた言葉に驚いた、無意識に出た言葉はあの日、最後に仁に告げた言葉で彼女は何もわからず思わず口元を押さえたが、仁はこらえきれずに顔を伏せた。
「すまない...お前を苦しめたんだ...過去のお前と、今のお前を重ねた...」
違うとわかっていたのに笑ってくれるたびに幸せだったと顔を伏せる仁の瞳から涙がこぼれるのを見た恵は理解した。自分がこの人を求めてやまぬのは理屈ではない繋がりなのだと。
ちょうどその頃、マスターがテーブルにやってきた、もう閉店だという言葉に時計を見れば十八時半を過ぎて、空は暗くなっており、恵は会計をすると仁の手を取って外に連れ出した。まるであの日のように、決して離さないというように強く手を握って、八百年後の今を歩いた。