エピローグ


数か月後――志村建設にて、都市開発営業部は忙しそうにしていた。
新人たちもようやく慣れてくる頃、月曜日の朝礼に集まり一番前には境井仁がいた。今週の目標や課それぞれにしてもらいたいことを共有し、短い時間を終えてすぐに業務に入る。
一課の主任だった仁は既に以前からの話で出ていた都市開発営業部の部長へと昇進した。最年少部長となるが、営業部の面々は全員が投票の上の納得で仁が部長なのだと他の部署などにしっかりと伝えており、社内には嫌な声は上がっていなかった。
前回の件について、前営業部長は懲戒解雇...さらには別から訴訟をいくつも起こされているらしく、都市開発営業部の元課長たちは残っている者もいれば左遷を受ける者もいれば自主退職をする者もいる。無理もないだろうが仁の上司の元係長は別部署に異動をさせられたとのことで人事部の安達は人員補充ができてよかったと喜んでいた。

仁は部長となりすっかりと周囲に頼られてしまい、主任の頃以上の忙しさに苦笑いをしつつも優しい部下たちに囲まれて以前よりも部の雰囲気はよくなり、営業成績も高水準となっているようで志村社長も喜んでいた。
十二時頃、忙しさにデスクから離れられないが仁はお弁当を取り出すと部下の安達繁成が覗き込んではにやりと笑い、他の部下たちも覗き込む。

「今日も彼女からのお弁当ですか」
「うお〜すごいですね」
「デパートのお弁当レベルじゃないですか」

以前から自分で作っていたが近頃は婚約者に作ってもらっていた仁は広げたお弁当の中身に照れくさくも自慢げだった。しみ込んだ煮物も綺麗な焼き色の焼き魚も昨晩の残りの炊き込みご飯もちょっとした香の物も良い色合いであり、仁の一日のひそかな喜びである。
部下たちにくださいといわれるのを力強く制すとからかわれ、逃げて行かれるのを見送って仁は幸せそうにお弁当を食べては仕事をする。十一階で食事が出来るのは月に数度レベルになっており、以前の部長はどうしてこんなに業務があるのに上でゆっくり食事をできていたのかと不思議に思った。

「お昼ですね、お疲れ様です境井部長」
「狭間さん、お疲れ様です、どうしましたか?」
「先日の案件で頼まれていた資料をお持ちしました、それと...よければお隣でお昼ご飯でもと思いまして」

騒がしいフロア内で仁のデスクにやってきたのは意匠デザイン室のデザイナーの狭間恵だった。彼女は仕事の資料を手渡した後、適当な椅子を引っ張ってくるなり仁の隣の席につくため、ちょうど部下もお昼にでているから問題ないといって確認をすると彼女もお弁当箱を開ける。中身は仁と同じだが少しだけ小さい。
恵は仁に手渡した資料の説明を軽くしつつもお弁当を食べては今日の味付けの話をした、毎朝五時にお弁当作りをしている恵のものは逸品で仁はすっかりと胃袋を掴まれてしまった所存であり、仕事の話をしつつも恵とのひそかな時間を楽しみにしていた。
もちろん毎度こうではなく、以前同様に仕事だけの関係だと二人はしっかりと線引きしているのだが、如何せん周りは二人を甘やかすのだった。

「今晩は和洋中なにがいいですか」
「洋食がいい、ハンバーグとか」
「ふふっかわいい、わかりました」

それじゃあとお弁当を食べ終えて三十分ほどで帰る恵は周囲に挨拶をしていってしまい、見えなくなる直前に彼女は小さく手を振ると指輪が小さく光っており、仁の頬が緩むと部下たちがすぐさまからかいに走った。
すっかり二人の関係は社内周知の仲である。

それから春が過ぎて夏が来て秋になった。
仁と恵は有休消化を会社を求められ数日の休暇で対馬へと帰ってきた。
一日は恵の実家の母親への挨拶だが、如何せん恵の母親はアクティブな人のようで、女手一つで育てるとなって以降は実業家となり、対馬の自然保護活動などもしつつ、近年の対馬を大切に、そして外へとアプローチしていた。
元々は北海道出身であり、そちらでは農業をしていたようであり、その知識なども対馬で使っており、仁のことを話せば青海の畑の話で大いに盛り上がり、すっかりと恵の母親に気に入られたものの、次の日には仁の実家へと挨拶があるからと名残惜しいが去った。

「お盆ぶりですね、お坊ちゃまと恵さま」
「こんにちは百合さん」
「腰の方は平気か?」
「なんの太一もおりますし、若い者に負けませんよ」

すっかりと来慣れた恵に仁は微笑ましくしつつ、二人して家でゆっくりとはせず周囲に挨拶をして、若者の少ない小さな村で自分たちにできることを声かけて、仁は周囲の家の修繕やちょっとした頼まれごとをする間、他の村人の畑仕事の手伝いをする恵を眺めた。いい奥さんだと言われるたびに仁は恥ずかしいものの「えぇ自慢の妻になる人です」といった。
すっかりと汗を流した二人に百合は午後はゆっくりするように告げて昼食をつくってやり、二人はゆっくりしていたが、恵は呼ばれて境井家の奥へといき、仁も追いかけた。

「仁様のお母さまが着ておりました白無垢が出てきましてね」
「すごく綺麗ですね、ねぇ境井さん」
「そうだな、よく似合いそうだ」
「ご結婚式はいつ頃ですか」
「四月は忙しいから三月頃だな、桜もその時期になるだろう、向こうで大きく祝って、こっちでは身内だけで和装の式をと思ってな」
「それはよぉございます、きっとお母さまもお父さまも喜ばれます」

軽く着付けましょうという言葉に仁は今はまだ見ないと告げて部屋を後にする。居間でお茶をしている間にも楽しそうに聞こえてくる声に仁も思わず頬が緩んでしまう。百合も仁を筆頭に村で男児ばかり世話をしたので恵のような娘はかわいくてたまらないだろうと思った。そうして夕方ごろに仁と恵は墓へと挨拶を軽くして海を眺めている頃、狐が現れて二人を導いた、山道で随分と険しい道のりを二人で進んでいくとそこには自然の温泉があった。

「恥ずかしいですね」
「あぁ...そうだな」

狐は夫婦だったのかもう一匹がくるとすぐにどこかにいき、二人は顔を見合わせてまるで懐かしむように風呂に入った。いまだに肉体関係はないものの、風呂に入るようになった二人は家を買えば足の伸ばせるヒノキ風呂にしようと話をして、近頃は未来の自宅建設の話をしてしまっていた。
隣り合わせで座る二人は燃えるような紅葉の中で湯舟に浸かることの心地よさにうっとりして、恵は思わず仁の肩に頭を乗せて、彼の手を取り軽く重なると仁は眉間に皺を寄せた。

「恵」

低い声を出す仁に恵は短い返事をする。それはまるっきりわかり切ったような反応であり、仁はこのいたずら好きの婚約者はと下唇を嚙み締めた。

「あまり俺の理性を試す行動はやめてくれ」
「武士でしょう?」
「今はサラリーマンだ」
「サラリーマンは現代の侍、武士だとか」

こら、と揚げ足ばかり取ろうとする彼女に注意すると笑われてしまうが男である以上求めるのは自然の形で死活問題なのだと言いたくなるが抑えるが、離れようとする彼女を抱き寄せた。

「離れてほしいわけじゃない」
「難儀な方ですね」

また笑われたと思う仁は自分の足の間に彼女をいれて、腹に手をまわして抱きしめる。甘い香りがすると思い愛おしくなり、子が甘えるような態度となるが恵はそれがより一層愛らしく感じた。
あと半年ほどで夫婦になる二人は仕事とは別で結婚式の準備などで忙しかった、周囲に話をすればすぐに納得され、仁の伯父であり会社の社長の志村には会社全体で祝うことにすると言われ、支援をするからとより一層派手で大きくなったが、恵の母親も一人娘の晴れ舞台だからと力を入れておりどうなるかと思った。その分、対馬での式は和装でほとんど二人きりで行おうと約束をした。
結婚式に新しい家に新生活、来年は忙しいが待ち遠しいものばかりだという仁に恵も頷いた。

「子供を作りましょう、可能な限りたくさん」
「大家族がいいな。だがお前の身体が心配だ」
「そこはちゃんと考えて。六人...ううん、八人くらいほしいですね」
「それなら九人にしよう、野球ができるぞ」

あぁいいですねと笑う恵に仁は愛おしさを強く感じて抱きしめると彼女が振り向いて仁に微笑んだ。赤い紅葉の下の湯舟で微笑む彼女の頬は美しく火照り色づいていた。子供ができなくてもいい、二人だけでもいい、あの頃出来なかったことをもう一度と互いに感じると自然と唇を重ねた。
対馬の風が吹いた、海が波打った、自然が揺れた、動物が耳を澄ませた、それを感じながら仁は恵をみつめて告げる。

「幸せにしてみせる」

あの頃にはできなかったことだから。
そういった仁に恵は微笑んだ。

「あなたといることが私の幸せでございます」

そこがどんな場所でも、夫婦であるだけでいいのだといって、二人は対馬の中で抱きしめた、まるで一つの自然のように。