「ごめんなさい...ごめ、んなさい」

子供のように泣きじゃくる彼女をポセイドンは抱きしめた、その言葉を聞きたくはないと思いながら自分と彼女の呪いを思い出し。そしていっそ二人で泡になれたのなら、それならきっと幸せであれたと思いながら、その記憶を取り戻す彼女を押さえつけるようにただひたすらに彼女を抱きしめた。

「お前は何も悪くないんだマリス」

誰にも聞かせることなどない、悲痛の声は彼女の声に飲み込まれた。

その人魚はとても美しく無垢な魂を持つ者だった。
まだ神と人が近い頃、人魚達は人々とは離れて海で生きており、人魚たちはいつも海の王ポセイドンが支配する海の中で歌を唄い、時に海の中でかけっこをして、楽しく仲睦まじく過ごしていた。
ポセイドンが彼女を知ったのは自身の海に近頃人魚たちがよく遊びに来ているという話をイルカたちから聞かされたからだった。彼は群れず頼らず憚る者であり、神として誰もが彼を恐れるが海の者は彼がその実、民を思う強き王であると知り信頼していた。人魚の種族は数こそ多くも少なくもないが時折イタズラに働き困らせる者がいることも知っていた、そのためポセイドンはただ静かに人魚の様子を見に行った際、彼はその娘に心を奪われた。

誰よりもキラキラと太陽のごとく笑う人魚の娘、それがマリスだった。
歌を唄えば誰よりも美しく、泳げば誰よりも優雅で、その尾びれは誰もに愛された証拠のように可憐で、ポセイドンはただ静かに彼女を眺めた。それはポセイドンという神では考えられないようなことだっただろう。
静かに凪のように海辺に佇んでいた時、何かが彼に飛び込んできてしまい、それまで遊んでいた人魚たちは自分たちが飛ばしたものがぶつかった相手をみてはその顔色を蒼白にさせてるやいなや「やばい」「逃げろ!」と叫んで逃げ出してしまい、ポセイドンは流石は人魚だと苛立ちを僅かに感じて手の中をみれば、それはすっかり目をぐるぐると回転させたフグであった。

「あのぉ、すみません、その子返してくださいませんか」
「...雑魚め、弱いものいじめか、余の海でくだらないことをしているな」
「ちっちがいますよぉ!その子さっきまで意地悪なイルカの子たちがつつきまわしてたから私達が助けてあげたんですよ、投げ飛ばしたのだってあっちのイルカのみん...いない!!」
「塵が、余に嘘をつくのか、そもそもここは余の領地だ」
「ごめんなさい、でもその前にその子返してください」
「余に意見するのか」
「いやだって...」

瀕死です...。と申し訳なさそうにいうことにポセイドンは手の中をフグをみれば水揚げされたような状態であり、ポセイドンはそれはそうかとフグを海に投げると彼女は「おぉー綺麗」と間抜けな声を出すため、彼はもう一度目の前の人魚をみると彼女はニコニコと微笑んでおり、自分を誰かわかっていないのかと思い呆れてしまう、海の連中とはいつも自由であり、彼は他の神々には決してみせないものの民に手を焼くのは何処の王も同じではあるのだ。
ましてや目の前の人魚は幼くなにもわかっていなさそうであり、ポセイドンはこれに言っても時間の無駄だと思いつつも、それに見惚れていた自分にも内心馬鹿らしいと一蹴して背を向けた時「ポセイドン様!」と呼ばれてしまうと、何故か足を止めてしまい、振り向くと彼女は海のなによりも眩い笑顔をみせた。

「ありがとうございます、またここで遊んでもいいですか?」
「...稚魚が、好きにしろ」

そういってしまったポセイドンにとってマリスは全てに変わった。彼女は適度にポセイドンの城の海に現れては彼のイルカたちと無邪気に遊び、ポセイドンはそれを城の中から眺めるようになった。人魚の声は何様にも代えがたい美しい声をして、彼女が歌えば城まで届き侍従や兵も喜んだ。それはまるで冷酷な海の王の城に色がつくようなものであり。
ポセイドンは自分が彼女を愛していると案外素直に受けいれるとイルカたちに渡せと告げて、天界や海でも一番の真珠やティアラなどを授けるようになり、そしてポセイドンは彼女と時間を過ごすようになり、彼は誰よりも彼女を素直に愛したのは彼女が素直に愛を伝えてくれるからだった。

「とっても綺麗なネックレスですね」
「適当にあしらったくだらん真珠の残骸だ」
「うん、でもお姫様みたいです、とっても嬉しいです大好きですポセイドン様」
「...ふん」

どれだけ冷たくしようとあしらおうとも彼女は全てを純粋な愛へと変えて、ポセイドンも彼女にだけは「悪くない」「好きにすればいい」というようになり、そして二人はいつからか共にいることが当たり前となり、ポセイドンの兄弟であるハデスやアダマスにゼウスも彼の変わりようには驚いた。
決して神としての完璧は崩さない、反対に彼女へ向ける愛は完璧以上のものであり、二人を兄弟として心から祝福してやるほどであり、それはマリスが彼ら兄弟にも「ハデス様」「アダマス様」「ゼウス様」と子供のように無邪気に純白の愛を向けるからであった。

それは愛おしい人の小さな夢だった。
彼は彼女に全てを与えたいと思い溺愛したが彼女は強くは求めなかった、ただ一緒にいたい愛したい好きといって、というまるで子供のような無垢な願いだけであった。
けれども彼女はある日、とても照れくさそうに自分の夢を話した。

「もうすぐお小遣いが溜まるんです、そしたら私念願だった陸に上がれる足を貰おうと思うんです」
「どういうことだ」
「変なものじゃないんですよ、ただ薬みたいなもので、陸に上がったらポセイドン様みたいに二つの足になって砂の上を歩けるんです」
「不要だ、貴様の美しさを損なうだけだ」

ポセイドンは人魚である彼女を愛し、彼女をいつだって抱き上げて移動しており、彼女を抱いていないときはないのではないのかと兄弟にからかわれたほどだった。彼女の美しいピンクから白になる尾びれの先にはウェディンベールのようにひらひらとしており、繊細なその場所を彼は常に守るために陸地にいる時はその美しさが損なわれないように保護してやっていた。
繊細な尾びれはまるで彼女の純粋な心のようであり、それを失うなど言語道断だとポセイドンは思ってしまうが、自分の胸の上に寝そべる彼女は唸りを上げるため、またいつものように拗ねるのかと内心笑って見守れば、真っ赤になった彼女が彼をみつめた。

「だって...そうしたらポセイドン様と一緒に歩けるもの、そしたら人間たちがしてるみたいに、腕を組んで肩に頭をこうしておいて、一緒に過ごせるでしょ?」

それに自分で陸地を歩いてみたいし...と呟く彼女にポセイドンは呆気を取られてしまう。それまでの二人はポセイドンが抱き上げての移動や海の中などであった。彼女は以前から人間のやることなすことを好ましくしていることを知ってはいたが、愛する相手にそういわれてポセイドンはダメだと言えなかった。

「それで小遣いとやらはいつ溜まるんだ」
「ええと、毎月三千円もらってて、お薬代は...二ッ二百年くらいです!」
「大愚かだな、貴様の調子では千年はかかりそうだ」

ガーンとあからさまにショックを受ける彼女にポセイドンはそれなら来月の誕生日に自らが授けてやるといった、それはポセイドンが海の神であるからこそ与えられるものであり、下手な薬を買うよりもずっとマシだといった。すぐにしてやると言わなかったのは彼女が理由なく授けられることを拒絶するからだと理解していたからだ。

そして彼は彼女に与えてしまった。
自由という名の足を、それが二人を永遠に苦しめる呪いになるとも知らず。
ただ二人並んで歩けることを幸せそうにして。
 

top index