※この話には暴力・食人要素があります
「い...だい、あつい、いたいよぉ...いや、たすけて、たすけてポセイドンさま」
腕の中で苦しむ彼女が泣き叫ぶのをポセイドンはただ抱きしめた、わかっていたことだ、その器も魂も、あの苦しみに耐えきれないことを、否、その苦しみを耐えられる生物などはいなかった。もし耐えられるとすれば感情を無くした”人形”しかなかったのだ。
彼女はうなされる中で自分の腕を掻きむしり、その肌に赤い傷をつけるのをポセイドンは押さえつけた、泣きたい気持ちを抑えて、これは全て自分の過ちであると理解していたから。天の定める罰とは抗えぬ痛みと苦しみであると、彼自身が知っていたから。
足を得たマリスはポセイドンと幸せな時間を過ごした。
彼女は陸地を歩きたいと願い、ポセイドンもそれを許した、自分の隣で笑う彼女は初めての世界を知ってはそれを報告することを彼は毎日ベッドで聞いては微かに微笑んだ。それは紛れもない幸せであり、二人で数百年の時間を過ごした中でポセイドンは彼女に跪いた。
「我が伴侶となってくれマリス、海の王妃に」
「...はい!!」
二人の海でプロポーズをした日、ポセイドンの城は宴になった、それまで彼女はポセイドンの城ではとっくに彼の妻のように扱われていたがそれが公式になり、ポセイドンの従者であるプロテウスはそれを見守っては激しく涙を流し、二人をみていた侍従達も涙ぐんでは声を震わせ「おめでとうございます」といった。
しかしそれが起きたのは結婚式の当日のことだった。
ギリシャ神界のポセイドンの身内となるオリュンポス十二神達はすでにポセイドンの城に集まっており、全員が二人が結ばれたことを心から祝っていた。なにせあのポセイドンを射止めたマリスという人魚はあまりにも愛おしい娘だったからだ、誰にでも光を与える存在であり、ポセイドンが彼女に一目惚れをしたという理由もよく分かった。
「それにしてもマリスちゃんのドレスはどんなのかのぉ、日頃からお姫様のようなかわいいワンピースを着ておったからあんなのかのぉ」
「あのガキくせぇぶりぶりな、まぁこういう式には甘ったりぃけど合うかもな」
「ポセイドン、どうなんだ?妻のドレス姿はみたのだろう?」
「...くだらん」
新郎の控室には既にタキシードに身を包んだポセイドンと珍しく全員しっかりとした礼服に身を包んでおり、ゼウスもアダマスもハデスもからかうように、けれども微笑ましそうにしており、ポセイドンの反応をみるなり彼らは知らないのかと察するや否や面倒な絡み方をすることに普段であれば静かに睨みつけるが、彼はフンといつものように鼻を鳴らして顔を背けた。
「あやつが『式にお披露目するから絶対みたら嫌ですよ』といったせいでみていない、おまけに昨晩も明日を特別な日にしたいから寝る場所も別だと抜かされた」
「ほぉ〜?つまり今晩はハッスルというわけじゃな」
「死ね」
口だけは冷たいポセイドンではあるが、誰よりもこの日を待ち遠しくしていたのを知っていた。彼の愛は強く真っ直ぐであり、その完璧なる神として威厳を崩すことなく、けれども男としての全ても彼女を捧げたのだ。
そして人魚の娘である彼女は人魚族の誰よりも美しい声と心を持つ娘であり、誰よりも彼を受け止め支え隣を歩み続けた、海でも陸でも、
そんな新郎の控室にノックもなしに一人の兵士が飛び込み、突然の無礼な行為に何事彼らは視線を向けた、今回ばかりはギリシャ神界は休みで天界が揺れるようなことがない限り彼ら十二神は対応しないとしていたが、兵士の言葉に彼らは時を止めた。
「奥様が...マリス様が居られません」
「...どういうことだ」
「わかりかねます、昨晩出ていったきり戻ってきて居られないと」
それはあまりの悲劇でもあった。
そして絶望とは、地獄とは、これほどのことなのだと神々は知った。
ポセイドンが、彼ら兄弟が次に彼女をみたとき、それは彼女といっていいのかわからなかった。
結婚式の前夜、マリスはポセイドンと別室で眠ろうといいながら結婚式に対して異様に緊張してしまい寝られず、誰もついてこなくていいと告げて海へと出た。慣れ親しんだ潮の香りに大きな満月と何度もポセイドンと見てきた星々にうっとりとした。
世界で一番、いや、宇宙で一番好きな人の奥さんになれるのだと彼女は両頬に手を添えて引かぬ熱をどうにか冷まそうと水に足をつけると足先は静かに彼が大切にしてくれた尾びれに変わる、ポセイドンはいつも彼女の乙女チックで少女趣味な服装を受け入れてくれた。彼女はフリルもレースも人間の服という芸術を愛して魅了されて、常に人形のような格好をしていた。それでも夜になれば彼が与えてくれたシルクの心地よいネグリジェに身を包んでおり、彼女は長いロングタイプのネグリジェ姿のままではしたなくも海に入った。
「はしたないって怒られちゃうけど、王妃になったらしないからいいよね」
少しイタズラ気分で彼女はそのまま夜の海で遊んでいた頃、ふと城のそばの森に一人の人間が彼女をみつめていた。それはまだ人間も神も近い時代であるゆえに普通のことではあるが、それでもポセイドンの領地にまで来る人間も珍しいと思いつつも目がアウト相手の男は「おぉ人魚様」と笑いかけてくれたことに彼女は疑いもなく近付いた。
「どうしたんですかこんな時間に迷子ですか?」
「いいえいいえ、実は人魚様に見せたい花があるんですよ、百年に一度だけ咲く花でございます」
「まぁ...でもダメです、明日結婚式を控えているので遅くなるのは...ポセイドン様が心配されます」
「でもその花を持ち帰ればきっと海王様はお喜びなさいますよ、なんてったってかわいい奥様が自分のために百年に一度の花を摘んでくれたんだ、きっとそりゃあもう喜ぶでしょうね」
マリスはその言葉を聞いては近いの?と聞くと男は、えぇもちろん近いですよと笑って返事をするため、彼女はそれならと笑って陸に上がり男の後をついていった、彼女は無垢だった。そしてそれはポセイドンが守ってきた証でもあるが、あまりにも無垢過ぎたのだ。
その人魚の噂は以前からあった。
”人魚の肉を喰らえば不老不死になれる”
人魚は古来より観賞用として捕獲されては買い殺される事が多かった、高値の取引をされ、無理矢理に歌わされ、狭い水槽の中で飼われる。貴族や王族のオモチャの一種であるが人魚たちは賢くそして素早かった。海の中にしか生息しない人魚を捕らえることは難しかったが、その中でも人間たちはみつけたのだ、人魚でありながら陸に上がれる上に騙せそうなまぬけな人魚を。
おまけにその人魚はあの海の王ポセイドンの寵愛を受ける特別な人魚、美しい見た目と幼い無垢なる姿はすぐに噂となり何十枚、何百枚の金貨が飛び交い、そして彼女は落札された。
結婚という一番幸せで浮かれた時期に彼女に近付いた男はまんまとやってきた人魚を数人がかりで袋に入れて、折の中に閉じ込めて運び出した。
「いや!!やめてっ!!」
買い手にいくまでに美しい少女の姿をした彼女は男たちに蹂躙され、その身を穢された、愛する神しか知らず、心に深い傷を負い苦しめられた彼女は重たい首輪と手足枷をつけられ、案内された先は人間の城の地下であり、彼女は目を見開いた。
石畳の地下には長テーブルと幾人の貴族か王族のような人間が並び、そのテーブルの向かいには人一人が寝れる台座が存在し、そしてその近くには大きな肉切り包丁や板のこぎりにアイスピックのようなもの、そして更に奥にはコンロや鍋にシェフが笑顔で立っていた。彼女はわからなかった。人間が何故こんなことをするのか、恐怖に失禁して泣いても彼らは彼女を取り囲んではまず一人ずつ彼女を女として犯した、代わる代わる人魚を楽しみ、そして彼女は力なく崩れ立てなくなれば彼はメインディッシュだといわんばかりに席についた。
「え」
彼女はこれだけで終わると信じていた、信じていたかった、まるでそれは彼らのためと言わんばかりにタイミングよくポセイドンが与えてくれた祝福が解けたのだ、それは距離や時間も関係があったのだろうが、最高のタイミングであり、彼らは手を叩いて喜んだ。
彼女は「やめてください」と必死に頼んでも数名の屈強な男たちに台座に寝かしつけられ、そして鱗を一枚ずつ剥がされた。それは人間でいえば肌を生きたまま剥がすような痛みだった。彼らは人魚と人間は何処まで違うのかと爪を剥がして、指を切り、髪を切り、そして彼女を解体した、何十人もの狂気に満ちた人間に彼女は身体のあらゆる場所を切られえぐられ、喉を切り裂かれ、目をくり抜かれ、舌を引っ張られ。
そしてポセイドンたちは彼女の残骸をみてしまったのだ。
彼女を拉致した男を突き止め、彼女を買った王族を突き止め、そしてその地下で彼女を食らう獣を。
「これは...」
「なんと酷い...」
「人間じゃ...もうねぇか」
ハデス、ゼウス、アダマスはその残状に声を失った。人間は醜く愚かだ、しかしそれに留められなかった。あれほど美しく愛おしかった人魚は食い荒らされるだけではなく、拷問され、凌辱され、そしてその瞳には絶望を宿していた。
彼女を食らった人間たちは既に人ではなかった、彼らはしなかったのだ、人魚の肉は不老不死を与えるのではなく、食ったものを狂わせて獣にしてしまうのだということを、人間たちは彼女へしたことを自分にしては絶命したり、壁をひっかき続けたり、正気ではなく、ポセイドンは静かに台座の上で拘束され、逃げることも出来ず怯え苦しんだ妻を見下ろした。
怒りでも悲しみでもない、ただ彼には”無”だけが宿った。兄弟たちが部屋の処理をしていたとき、ポセイドンは肉片に近い彼女かもわからない彼女に触れて、そして一片の肉をその手に取ると口元に運んだ。純白のタキシードは血で汚れていたが、地面には彼女が着ていたはずのシルクのネグリジェが赤黒い色に変色していた。
「マリスよ、余はお前を守れなかった、それならいっそ呪われた獣になる方がマシだ、お前と一つになれるのなら」
そういってポセイドンは一人になった地下室で彼女を口にした。
しかし口の中に広がる味は腐敗した肉の味でも、ましてや毒でもなく、優しく包み込むような彼女の甘い香りだった。そしてポセイドンの彼女が抱きしめるように感じられた。一つ、もう一つと彼は食い尽くしていくが、どれだけ食べても彼女はポセイドンの正気を失わせてはくれなかった、
どこまでもあの時の温もりと甘さをと愛おしさを教えるようであり、ポセイドンは膝を崩した、初めて完璧であるはずの神が完璧でなくていいと乞うことを拒絶するようであるが、彼女のえぐれた心臓部に彼女の小さな手のひらサイズの真珠のようなものがあるのをみては思わずそれに触れた。
その真珠は暖かく優しくそして「ごめんね」と謝っているようだった。
それは人魚の魂(コア)であるとポセイドンは感じると台の上の彼女をみつめては服が赤く染まることも気にせずに抱きしめた、何処が唇なのかもわからない彼女を抱きしめて唇を重ねた。
「愛しているマリス、余はお前だけを愛すると誓う、お前だけがいれば全てを投げ捨ててやる!!」
愛していると泣き叫ぶポセイドンに兄弟は何も言えなかった。
そしてポセイドンは彼女の魂の一部と彼女の朽ちた身体に自分の上着を掛けて戻ってきては誰も知らぬ場所に彼女を埋葬し、何千年も孤独を歩んだ、まるで海が凍っているかのように彼女と出会う前、それ以上の冷たさと恐怖を人間は海に抱くようになった。
そして数千年後、ある時ポセイドンはハデスの前に一人の少女の肉体を抱えてやってきた。ハデスの傍には冥界、否、神界一の死を望む科学者ベルゼブブもいた。
人形のように眠る少女はあの人魚と同じ姿であり、泥のように眠る少女の腕の中には例の真珠が存在した。
「冥府の王ハデスよ、そして蠅の王ベルゼブブよ、余はそなたらに頼みに来た、この娘に我が妻の魂を埋めてくれ、そして蘇らせてくれ」
「大海の王ポセイドンよ、それはどういう意味か分かっているのか」
「無論だ、余の世界は我が妻のみ、この娘は器として人魚たちから捧げられたものだ、お前たちなら知っているだろう」
魂と合致する器がある場合、それは禁忌の方法となる古来の冥府の呪いにより生き返らせることができると。
マリスの死を悲しんだのは神々だけではない、人魚たちもだった、彼女を失った人魚たちは後を追うように自死を選ぶもの、人間を憎しみ襲うもの、そして彼女の帰還を祈り続け喉が焼けてその魂が消えようとも歌い続けたものたちがいた。
そして人魚の願いは届いたように、ある日マリスに瓜二つの無の器が現れ、人魚たちはポセイドンにその人間を捧げた、それが神の論理やルールに反することだとしても、人魚たちもそれでもと望んだ。
「科学者の観点から言うが、魂と肉体の定着が本当に出来るのかはわからない、何千年何万年もかかる場合もある。それに魂と肉体が定着したとしても記憶は保持されないはずだ」
「...そうだ、ベルゼブブの言う通り、彼女は苦しみの末に亡くなった。万が一器が一致して目覚めたとして、その記憶が戻れば正気ではいられないはずだ、そしてその時、苦しむのはまたお前だぞ」
ベルゼブブは愛を知っていた、ハデスも弟の愛を知っている。彼がどれほど苦しみ悲しみ人間を憎しみながらも復讐に身を任せないことはマリスの優しさが彼を包んでいたからだ。
ポセイドンは彼女がいたときのような表情はみせない、ただ無を宿した深海よりも深い瞳で少女と真珠を抱いた。
「それでも構わん、余を思い出さなくても、憎まれても、それでもあの娘が余という鎖に繋がれるのならば」
そうして神々は互いに罪を分かち合った。
人魚を殺した罪と、人形を作り上げた罪を。
ポセイドンはただアクアリウムの部屋で起きない彼女をみつめた、あの日着るはずだったウエディングドレスを着たまま眠る人形がいつか目覚めてくれることを夢見て、何百年何千年もただ一人、静かに目覚めるその日を待ち続けたのだった。
例え目覚めた時に彼女が何も知らない空の器であったとしても。
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