呪い(のろい)とは呪い(まじない)であり祈りである。
マリスが完全に自我を取り戻しその魂が完全に定着したと確認するために冥界まで連れていったポセイドンは兄ハデスの言葉にどういうことかと見つめた。彼女はベルゼブブに丁寧に大切に検査されては「うん、完璧にこの肉体は彼女のものだ」と告げられ、頑張った褒美にと子供のように小さなキャンディを貰っては口の中で転がしてはポセイドンに片手で抱き上げられたまま話に耳を傾けた。

「今回行った魂の定着、そもそもこれは奇跡に等しいことだったんだ」

人魚という特殊なコア──心臓という名の魂の塊を残す存在、そして残った人魚たちの願いから生まれた彼女の器となる肉体、そして冥府の王ハデスや神界一の科学者ベルゼブブ、そしてなによりも彼女を深く愛したポセイドンという完璧を纏った神。
確かに彼女は悲劇を向けられたがその救いは確かにあったのだといって抱き上げられた彼女の頬を撫でようと手を伸ばすがポセイドンは納得がいかないといいたげに眉間に僅かな皺を寄せて、軽く腕を捩り彼女に触れることを拒絶するとハデスは子犬に威嚇されたような気持ちで微笑んで手を戻した。

「兄上は壊れるかもしれないと言っていただろう」
「ああ上手くいかなければな、しかしここまで完璧に解呪されるとは思わなかったのだ」
「さっぱり分からん、要点だけを説明しろ」
「ポセイドン様、ハデス様に怒らないで」

兄弟なのに険悪なのは良くないと声をかける彼女に冷たいポセイドンの言い方は決してそういう訳では無いのだと理解ある兄として伝えつつも、彼は弟である彼が少々ロマンスに欠けた現実主義者(リアリスト)であると思い返しては腕を組んでは二人に人差し指を立てては自信満々に笑みを浮かべて告げた。

「古典的な呪いに聞くもの──つまりは"真実の愛"だ」
「……」
「まぁ」

ぽっと頬を染めて照れる彼女と乱れることない眼差しをした絶対零度の瞳のポセイドンの正反対な反応に呆れてしまう、しかし事実そうなのだ、古来より愛以上に勝るものは無い、それはポセイドンも嘘では無いことは理解しているが今どきそんなものをと呆れてしまいつつも彼女が照れくさそうに笑っているのを見てはなにも言わずに背中を向けた。

「それなら簡単に解けて当然だな」

そう言い残したポセイドンは彼女を抱き上げたまま言ってしまうが彼女はもう行くのかと驚きつつもハデスとベルゼブブに慌てて感謝の言葉を告げつつ「それではまた式で、お待ちしております」と微笑んだことを見送った。残されたハデスはベルゼブブがまた自分の研究にすぐに戻ってしまった背中を見つめては、そのデスクの上に上質なロイヤルブルーとホワイトの招待状があるのをみつめた。

「お前も行くのだろう?」
「……当然ですよ」

その言葉に彼は満足そうに笑いながら愛すべき弟と義妹の控えた結婚式について思いを馳せた。
彼女が完全に今の姿に定着し、ポセイドンの妻として再度結婚式をあげるという話はギリシャ神界ではすぐに大きな話題となり、人魚達も揃って参加するという話であるため、ポセイドンの城の海で行うこととなり、連日ポセイドンの居城は慌ただしい日々であった。

薄い水色と白のリボンとフリルがふんだんにあしらわれた甘いロリータのワンピースに胡粉色のタイツに編み上げのトゥシューズを履いて、縦巻きの細いツインテールにされた彼女が今朝もテラス席で幸せそうにアイスの乗ったシュガートーストを頬張っており、目を細めては幸せそうに微笑むがその隣に座るポセイドンは静かに葡萄の皮を剥いてやり彼女の口に押し込んだ。

「ん、美味しいです」
「当然だ、ポモナの果樹園から取り寄せているからな」
「ポモナ……さま、なるほどぉ」
「知らぬだろう、稚魚め、すぐ知った振りをするなローマ神界の女神だ」

葡萄を頬張っては幸せそうにする彼女に果物の女神とされるローマ神界の女神だと知らせると、ギリシャ神界(ウチ)以外は神様じゃないから分かりません!と子供の駄々のような講義を受けるポセイドンは構わないと告げるが彼女はシュガートーストの上の溶けたアイスクリームをつつきながら「でも王妃様になるならお勉強しなきゃですね」と唇を尖らせて呟いた。
以前から彼女は勉強は好きではなかったことは彼もよく知っており、ポセイドンの難しそうな本を読んではものの数分で寝てしまい、彼の書斎の一角には彼女の本が置いてあるがどれも恋愛ものの単調な小説や漫画ばかりであり、それを他者にみられると意外な趣味だと勘違いされるほどである。

「別に構わん、貴様を表舞台に出すほど愚かではない、間抜け面を晒せば余の恥となる」
「じゃあ私ずっとポセイドン様のお城にいるんですか?ほかの王妃様たちと会議とかせずに?」
「そうだ、そもそも何を話す必要がある、くだらぬ時間だ」

冷たく言い放つポセイドンの言葉に彼女は傷つくことはない。反対に彼の言葉は棘がありながらも優しく自分を愛しているのだということは理解していた。
彼女は他の王妃にポセイドンの話をしたり、ほかの王と王妃はどんなふうに過ごしているのか、いい王妃になるにはどうしたらいいのか、美味しい料理やスイーツの作り方とか……と指折り数えてもキリがないほどの話をするが、それは全てポセイドンに関連したものであるため、彼は葡萄の皮を剥いてやり彼女の口に押し込んだ。

「そんなことは余にいえ、難しければ貴様を慕う侍女の方がずっと余を知っているだろう」
「そういってもみんな『ポセイドン様は王妃様が好きですから大丈夫です』しかいわないんですよ」

今日のお洋服もそうですよ?と食事中に立ち上がってはその場でくるんと回ってみるとパニエで膨らんだワンピースの裾がふわりと大きく広がり、彼女の髪がリボンのように揺れるのをみつめては静かに腕をのばして捕らえるなり自分の膝に座らせる。

「王妃が行儀が悪い」
「確かに」
「貴様は黙って余の膝の上でその職務を全うしていればいいのだ」

今もこれからもずっとと自分の膝の上に腰掛けた彼女の背中に顔を埋めると彼女はオレンジを手に取ってはポセイドンに差し出すと、その細い彼女の指から口に含む彼の姿を他の者がみれば驚くことも無理はないだろう。
しかし傍に控える侍従達は二人を微笑ましそうに眺めており、彼女の指先まで口に含む王の姿はまさに愛する相手に甘える姿であり、その姿はそれまでの孤高の王であった彼とはまた違うものだった、

まるで二人は互いを半身のように思い物理的にもつかず離れずであり、ポセイドンは常に彼女を膝や隣に置いては何事もをした、彼女が少し一人で過ごしたいといえば信頼できる侍従を五名ほど連れさせ、困るといわれても彼の安心のためだと言われてしまえば彼女も自分の身に起きたことを思い受け止めざるを得なかった。

そして夜になれば同じベッドであの頃同様に隣で寝そべる。
ポセイドンは彼女の上に覆いかぶさり互いに衣類を脱ぎあって生まれたままの姿になることは彼女が彼を受け止めることになってからだった。恥じらいを持つ彼女の身体を慈しむように一つずつ唇を落として、首筋に顔を埋めると軽く胸を押されてしまい、ポセイドンは不服そうに彼女をみつめるが真っ赤な彼女はダメだという。

「ドレスが綺麗に着れなくなりますからね、結婚式が終わるまではダメ」
「…フン、瞬く間のことだな」
「はい、その時は一番綺麗な姿で貴方の隣に並びたいですからね」
「いい加減、何を着るかいう気になったか」
「それは当日まで内緒っ…ぁ、もうポセイドン様ったら」

自分の証だと残してしまいたい欲望を抑える代わりに唇で優しく甘噛みしてみると笑われてしまい、ポセイドンは目前に控えた結婚式で彼女が着るウェディングドレスのことを考えた、あの時彼女が着れなかったドレスを今度こそ着てもらうがどうなるのだろうかと楽しみにしていた。
彼女は改めて考えたいといって職人に新しく手直ししてもらっていることは知っているが楽しみでならなかった、それはあの日の時と同じままでポセイドンは胸の高鳴りを隠せずに彼女の身体を深く愛しては彼女もそれに答えては肉体を重ねあの頃の魂の定着という儀式ではない、本物の愛を感じ合いながら互いに唇を重ねて笑った。

行為を終えてゆっくりと横たわる彼女に腕枕をして髪を撫でながらポセイドンはもうすぐで完璧に夫婦になれるのだと思うと一つだけの罪をまだそこに残しており、外の月明かりを眺めては思いを馳せていた頃、彼女の手がポセイドンの頬を撫でて「どうしたんですか」と問いかけた、彼はそれを聞くべきかどうか考え、しかしそれを胸に宿したまま進んでも胸の内に残り続けるのはわかっていたため、彼女の手を取り優しく指を絡めながら呟いた。

「余は罪を重ねてきた、あの時連れ去られたことも助けられなかったことも、そして人形のように閉じ込めたことも、だがそれ以上に今思うことは、お前の魂をその肉体に宿すような真似をしたことだ」

彼女の魂は人間の体に定着した。
その肉体は完璧に彼女のものとして生まれたと人魚たちはいうが、それは酷い呪いのようで、彼女を苦しめた種族の肉体の身体に彼女の魂を閉じ込めたのだ、脆く海も知らずその上最悪の形で彼女を苦しめた存在、生きるためには仕方ないとしてもそれはあまりにも辛いことであり、ポセイドンは常に彼女に対して僅かな罪悪感を感じていた。
揺れ動かぬ完璧な神であるはずの彼の弱々しい言葉を唯一受けられる彼女はそれを嬉しいと思ってしまった、そして身を起こして広いベッドの上で慰めるように額を重ねて彼と無理やりに目を合わせた。

「貴方が私の魂を愛してくれるんですから、それ以上の幸福はありません、泳げずエラ呼吸もできないこんな私を愛してるなら、それで私は幸せです」

ずっと隣で歩きたいと思っていたからとつぶやく彼女にポセイドンは勝てないと感じた、自分の愛がドロドロとした執着であれば、彼女の愛は真水のように清いものだ。だからこそ二人は悩んでいられる。
強くその小さな身を抱きしめてキスをしてみると彼女の腕が背中に回されて、ひとつの傷を撫でた。

「これ、消さないんですか」

それはあの日、記憶を取り戻した夜に彼女が半狂乱でつけてしまった爪痕だがポセイドンは背中に残った爪痕を一線だけ残していた。それは消えかりそうでありながらもしっかりと残っており、指でなぞってわかるほどで彼の完璧な身体には不似合いである。
しかし彼女の問いかけにポセイドンは小さく鼻で笑うと消さないといって彼女の腕を脇下から回して背中に抱きつかせるように招くと、彼女はその手に傷が触れるのを気付く。

「余の背に縋り着いた妻のかわいい痕だからな」
「〜〜ッ消してください、もうっ!」

クスクスと二人で笑い合うなどこの世界でもう二度とないと思っていたのに二人は顔を見て笑った、結婚式の前夜の夜は互いに一人きりだった、けれど今は決して離れることは無い。そんなことを二人は望まない、どこまでも共にいようと決めたからこそ彼女はその傷跡に触れるように抱きしめて彼の腕の中で目を閉じた、心地よい海の香りと熱に包まれながら。
 

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