夢をみるのは何故なのか彼女はいつもわからなかった。
この城にいるのは気付いたときからで、目覚めた時のことは微睡みの夢のように感じた、悲しそうに慈しむようにいつも誰かに撫でられていた、目覚めた時は今と同じ広いベッドの上で長い眠りから目覚めたようであり。ポセイドンがそばに佇んでおり、彼は彼女を一目見るとすぐに立ち去り、その夜彼女の身体を暴いた時、彼女はその華奢な肉体が蹂躙されるような行為でありながらも彼を不思議と強く拒絶しなかった、まるでそれが自然であるかのようでもあり、苦しみはあれどそれ以上に包みこまれるような心地は懐かしささえ覚えたのだ。

そして夢はいつも様々な形のものを見せる。
しかしそれはいつも波の音が聞こえており、それはその時の誰かの感情を表すようだった。時に優しく愛するように、時に悲しく泣くように、時に怒りを抑えきれぬように、様々な波の音が聞こえる中でその日の夢は静かだった。
海から森へと向かおうとする彼女は静かに音を立てる海に振り向いた、そこには小さな輝きがあり、それはとても暖かく心地よいものだと知っていながら、それでも背中を向けた、何かをしなきゃならないと思ったからだ、足が進んでいく時、海が大きな音を立てた。

「...あ」

夢だと思いながら彼女が起きると侍女がカーテンを開けていた、彼女たちはいつもと変わらぬ主人同様の無表情であり、彼女が薄く目を開けると優しく手を差し出して彼女をベッドから下ろしてやり、その乱れたネグリジェを脱がせて、昨晩の痕跡が残る身体に恥じらうわけでもなく、淡々と着替えてをさせて、一級品のドールを愛でるように髪を整えた。無駄な装飾品や化粧などは施さずに自然体を愛でるような仕上げ方はどこか主人であるポセイドンに似ていると思うのは彼女たちが彼に仕えるからだろう。

今日のカラーコーデは翡翠色なのだと鏡の前で感じられた。
いつもお上品な人形のようだと彼女は翡翠色に金の刺繍がされたフリルたっぷりのワンピースを着て、白い肌を隠すような真っ白のタイツを履いて、低い三センチのブラウンカラーの革のパンプスを履いた。
服のサイズも靴のサイズも全てが完璧であるが彼女はそれを不思議には思わない、この城にいるときから全てが彼女のためであるように存在するからだ。
ボリュームのある髪を下側で二つくくりにされてリボンで結ばれると良い家柄の令嬢だといってもいいだろう、彼女はそれを嬉しいや、ましては窮屈だとも感じない、ただそうされているのだなと感じるだけだった。それはずっと変わらない。

朝食は普段と変わらない好物ばかりが並んでいた、焼き立てのふわふわのベーグルに天界で一番瑞々しい果物たちに野菜や乳製品、昼食はたっぷりの卵のサンドイッチを食べてアクアリウムの部屋で過ごしていたものの、今日はなんとなくと部屋に戻りベッドで心地よく横になって黄昏れていた。
外は今日も眩いほどの太陽が照っており、長時間外に入れば肌の色を焼いてしまいそうだと思えてしまうほど強い日差しで、彼女は静かに眺めている時、開いたままの部屋から海の香りが彼女の鼻腔をくすぐった。

夜にしか現れることはあまりない彼が静かに現れた。珍しい純白の軍服のような正装を着ている彼は珍しいと思いながら何事かと思えば、彼はベッドに寝そべる彼女をみつめた、夜のように彼女の上に覆いかぶさることはなく、その大きな手の中には一つの大きな貝殻のようなものがあった。

「塵だ、しかし貴様の暇つぶし程度にはなるだろう」

そういって差し出したその貝殻は砂汚れ一つもないもので、彼女は何事かと思った、彼が自分に施していることはその服や部屋で理解しているものの、直接何かを渡してくることなどはなかったはずだ、珍しいと思いながら受け取ると彼の手にあったものは彼女の手に渡ると更に大きく感じられた。
振っても逆さにしても何かが出てくるわけではなく、彼女はベッドに腰掛けたまま不思議そうにしていれば静かに見守っていた彼は「耳に当てろ」と命じるため、彼女はその指示通りに小さな耳を貝殻の穴に添えた。

ザザーッ——聞こえてきたのは海の音だった。まるで包みこまれるようであり、心地よい音色、時折それは音を変えて魚が跳ねる音だって聞こえて来るような気がした。それはまるで魔法のようにも感じられ、彼女は目を細めてうっとりと両手でそれを聞き続ける、溶けてしまいそうになると感じていれば、その手から取り上げられてしまい、取り上げた本人は変わらぬその金色の瞳で彼女を見つめた。

「溺れるな、お前の海は余だ」

海とは何かと彼女は思った。
青く深く広い終わりなどみえないもの、それは彼が自分に向ける眼差しにも似ているようにも思えて、彼女は取られてしまったことを名残惜しそうにしていれば返されてしまうが耳にはつけなかった。
その時、入口に控えていたポセイドンの従者プロテウスが静かに現れ、彼は何も言わずにその場を去ってしまい、残された彼女は思わず力が抜けたようにベッドに横たわり、手の中の貝殻をみつめたあともう一度耳に押し付けた。それは確かに海の音であり心地よいと感じる彼女の頬は小さく緩んだ。

ポセイドンは深い闇のような廊下を歩いた。
外は薄暗く彼がいた場所とは違う不気味な景色が広がるのみであり、その場所は彼がいた天界や海とは程遠い冥界と呼ばれる世界であった。その場所はポセイドンの兄ハデスが支配する界層であった。
最もこの場所に来るような者は数少なく、特にポセイドンがこの場所に足を踏み入れることは珍しいことでもあるが、彼は慣れた足取りでハデスの居城を静かに歩めば広間には彼を待つように白銀の冥王が一人鎮座していた。
ポセイドンとはまた違う静けさと恐ろしさを纏うその王は片目にヴェネチアンマスクをつけた姿で佇んでおり、彼をみるなり小さく口角を上げ弟を迎える兄の顔をした。

「久しいな我が弟よ」
「兄上、無駄な会話は不要だ、奴はいるか」
「あぁもう時期来るだろう、その間少しばかり余に付き合ってくれ」

王座の隣の小さなテーブルにはチェスの台座が置かれてあり、彼は今日も一人つまらなさそうに嗜んでいた様子で、ポセイドンは途中からの参加は断ると拒絶しつつもハデスの側に近付いた。
広間には王が二人、侍従や兵はただ壁沿いに静かに佇むのみであり、それはまるで彫刻のように一ミリ足りとも動く気配はなく、二人の間に沈黙が流れる頃、ハデスは弟をどこか悲しそうな眼差しでみつめた。

「彼女の様子はどうだ」
「無事だ、先日の傷も治り今朝もいつも通りに過ごしている」

彼女——ポセイドンに対して女のことを聞くとなればそこにいるのは一人だけ、ポセイドンの人形少女マリスである。ただ静かに彼の城に佇む静謐の少女は彼が来る前に手渡した貝殻を懐かしむように心地よさそうに手にしていたことを思い浮かべていれば、ハデスは短く「そうか」と返事をした頃、広間の扉が開き、現れたのは一人の科学者であり、彼は黒いカソックに暗い表情でいつものように洗われては二人の王をみつめては怯えも受けずに足を進めて二人の側に佇み、そして手の中の電子パッドを確認の上のポセイドンに手渡した。

「”魂の定着”は上手くいっている、順調だった、だけど急かしたのか?明らかに戻ろうとしている」
「急かしてはない、還ろうとしただけだ、目を離した隙に、余の不手際だ」
「仕方ない、彼女の本能なのだろう...」
「傷の方は無事に治ったようだけど、彼女の数値が乱れてる。ポセイドン以前伝えているが彼女が戻ればどうなるかわかっているだろう、そうなったとき”リセット”するしかなくなる」

ポセイドンは手の中の電子パッドの数値やグラフなどを眺めては表情を変えはしないが、その代わりに握る手を強めてしまう。それは静かな拒絶であり、ベルゼブブもハデスも物言いたげにみつめるものの彼はしばらく無言を貫いた後に苦しそうに呟いた。

「不要だ、”あれ”はまだ眠っている、これからもな」

ポセイドンの脳裏にはアクアリウムの薄暗い部屋の中心で溶けるように眠る彼女の姿だった。笑うことも歌うことも踊ることもないただ静かにそこに佇むだけであり、彼もそれを望んだ。そうする以外に道がないと知っていたから。
電子パッドを返したポセイドンはベルゼブブがポケットに入れていた小さな瓶をもらい、背中を向けては用事を終えたと言わんばかりにその場所を去ろうとするとき、兄の声が彼の背中に触れる。

「無理をするな、壊れたものを戻すのには時間がかかる」
「...あぁ」

壊れたもの——その言葉にポセイドンの肩が小さく震えたが彼は気にせずに冥界を後にしていき、残されたハデスは電子パッドのデータをみつめても何もわからなかった、わかりたくなどなかった、彼らは皆同じ罪を犯した罪人であるから。それでもただ幸せでいて欲しいと願うのは罪なのかと彼らは自分に問いかけては答えのない問題に目を伏せた。それは冥界の闇よりも深いものだから。

夢を見た、誰かに愛おしそうに触れられる夢であった、何かを言われるわけでもなく温かな手に触れられるだけの夢であり、もっと触れてほしいと願ったがそれは夢なのだと気付くと目を覚ました。
目の前には彼がいて、日付が変わってしばらくが経過しているのだと外の様子で理解して、満月が明るい夜の中で彼は結婚式のような純白と金の礼服を着て頬を撫でていた。

それはまるで合図のようで彼はベッドに上がり込むといつのものようにネグリジェの裾を捲って、首に胸に腕に腹を撫で、そして一通り確認するように触れ終えると自分の指を唾液で濡らして彼女の足の間に指を潜ませた。何度も経験したそれに対して恥じらいも嫌悪もない、まるでそれは当然の行為であると感じてしまうのだ。
そして数分の後に彼は指を抜いて、ベルトを外すと熱を取り出して狭いその場所に押し付けた。何度も揺さぶられて苦しい声が漏れ出てしまう時、慰めるように後頭部に頭を回されて抱きしめられ、彼の上下する胸をみつめた。

「マリス...」

低い声で呼ばれて朽ち果てる彼の熱を受け止める時にはすっかりと夢を見ている気分になった。身体は重たくて熱に浮かされている、触れる唇も指先もどこまでも優しい、そういう行為について彼女はあまり理解がないものだが、彼の触れ方はまるで愛する人に触れるようであり、名残惜しそうにその身が離れると丁寧に近くのタオルなどで足の間や体を清められる。
そこまで丁寧にされるのも不思議なもので、欲望を処理するだけなら優しく、愛する相手を抱いているにしては彼の行為は何処か悲しみを帯びているのだ。

「どうして私なのですか」

彼女はベッドで横たわりながら足の間を拭われる時にそう問いかけた。
そうすると満月の光が差し込む部屋の中で海のようなその瞳が彼女を一度だけ捕らえた、案外目が合うのだと思う時があるがすぐにそれは逸らされる。

「理由はない、ただ居たからだ、それ以上は無用だ」

質問をするなという意味なのだろうと思いながら彼女は一通り終えられると彼は自分の服を整え直して、珍しく急ぐように部屋を後にしようとするため彼女は「もういくんですか」と思わず聞いてしまうのは純粋な疑問だったからだ。
しかし彼はベッドから出ていこうとする身を一度止めて、そしてベッドの縁に腰掛けて横になる彼女の頭を撫でた。

「寝ろ、余計なことなど考えず、ただ眠れ」

頬や髪を撫でられると心地よく思えて意識が遠くへ行ってしまう。話したいことがある、別になにもないはずなのにどうしてかそう思った、彼の手に思わず自分の手を重ねて指を絡めれば拒絶はされなかった、ただ下がる瞼の奥で小さな声が聞こえた。

「おやすみマリス」

それはとても優しくてきっと別の誰かの声だと彼女は思った、何故なら優しいのにその声は今にも泣いてしまいそうなほどに震えていたから。彼の声はもっと冷たい海のようだったはずだから、深い深い夢の世界に落ちていく時、その夢には彼がいた。優しく微笑むその姿。

「...?」

目を覚ます時、そこには誰も居なかった。
ただ眩い陽射しが差し込んでおり、思わず窓辺に寄ってみると外は今日も心地よいほどの晴れであるが、彼女の心の奥にはなにか小さな霧のようなものがかかっている気がしたが、それは部屋にやってきた侍女達によってかき消されるのだった。
 

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