目覚める時、彼女は足を見つめた、そこには二本の人間の足があり、彼女はベッドから出してはパタパタと動かした、朝目覚めると彼は今日も当然のごとくおらず、彼女は特に気にせずに普段通りに侍女たちに身支度を整えてもらい、朝食にたっぷりハチミツの掛かったハニートーストを食べた。天界というものは何を食べても美味しいのだと彼女は思いながら心地よい海風を感じながら優雅な朝食を頬張った。
近頃は調子が悪かったが随分とスッキリした気分であり、よく寝たからかも知れないと考えた。寝る子は育つというものだが自分は育っているのだろうかと少しだけ思いつつ彼女は朝食を終えたあと、その日は珍しくアクアリウムの部屋へいかずに書斎で人間でも読めるような本を取っては読んでいた。
ポセイドンの書斎にはいくつかの本棚があり、その中の一角は少しだけ彼には似合わない装丁の小説やコミックが並んであり、それはどれも人間のものであり、彼女はポセイドンらしくはないが寝室などと同様に自分のために用意したのだろうかと少し読みくたびれた本を手にとってはそれを片手にテラスで過ごした。

普段とは違い優雅に紅茶を淹れてもらい彼女はテラスで心地よい日差しの中で借りてきた小説を読み耽ったものの、目が疲れて少しだけ本から目を離してふぅと小さなため息を零す。アクアリウムの部屋は薄暗いが城全体はホワイトとロイヤルブルーが主なカラーとなっている故に昼間は太陽の日差しが眩しいほどで正反対のテラスは普段と違い光合成出来てしまうのではないかと自分の中で思う頃、彼女はテラスから中庭をみると一人の男が見えた。
それはこの城では見かけることのない相手で、彼女はそれを”人間”だと認識した。自分と同じ人間がこの城に来るなど天変地異でも起きたのかと思うほど珍しいが神職の関係か、はたまた中庭にいることから腕のいい庭師なのかとも感じると彼女はそれはもう珍しく感情を表した。
何も受け入れないような瞳に光が強く宿り、椅子から立ち上がりテラスの縁に駆け寄るのを背後に控えていた侍女が驚いてしまうが彼女は無邪気な少女のように相手に声を掛けるが彼は気付かなかった。

「ちょっと、あっ、行っちゃう!」

まるでうさぎを追いかける少女のように彼女は駆け出すことに侍女は追いかけた、広い城であるため中庭のその場所までいくのもそれなりの距離であった。それでも同じ人間がいる、男性ではあるがそれでも人間だと彼女は浮かれていた、神々も人も対して見た目は変わらないのに何故か同胞をみつけたというよりも珍しいものをみつけたような好奇心が胸に宿り、彼女はとにかく声を掛けたいと思ったものの、駆けつけた頃には相手はどこにもいなかった。
それは夢なのかと思うものの、彼女は誰にも聞くことが出来ず、夢だったのかも知れない相手に胸が高鳴った。丁度彼女が読んでいた小説は天の運命により切り裂かれた二人の人間の男女のラブストーリーであり、彼女は彼に恋したわけではないのにまるでそれのようだと子供のようにはしゃいだ。それは彼女も思うことのない感情だった。

それは無邪気な少女が本を読んだゆえの感情であるということを彼女は知らずとも楽しいと胸の内で思ったが、それはやはり時間とともに落ち着いて、アクアリウムの部屋で気付けば横になって魚たちをみつめていた、海の中を自由に泳ぐ存在をみながら彼女は心地よさそうだと感じた、自分も同じように泳げたらいいのに、泳いでいたのに。と思う頃、小さな疑問な浮かんだものの、それは疲れ切った頭では深く考えきれずに彼女はビーズクッションに埋もれた時、小さな痛みが足を蝕んだ、それは針で小さく突かれたような微かな痛みであるが気の所為だと感じては静かに寝そべった、アクアリウムの部屋はまるで自分の家のように心地よかった。

湯汲みを終えてその日も丁寧に彼に捧げられるためというように彼女はその身を清められるのを静かに受け止めた、何を思うわけでもないが侍女達は本来神に仕えるはずの身分で人間の娘の世話をするのだなと感じてシルクのネグリジェを着てドライヤーをされる彼女は不思議に感じた。

日付が変わる頃、現れる彼はいつもと変わらぬ何も宿さない瞳で彼女を組み敷いた、唇を重ねられる時、何故彼がそれをするのかわからなかった。足を広げられ指を挿入されるのはまるで不思議な感覚で、彼の重たい熱量が押し込められると苦しくて思わず低いうめき声に似たものが出てしまう、天蓋の星空の絵と黄金色の髪が揺れるのを静かに眺める彼女はそれが一つの作品のようであると感じた。

「マリス...」

静かに名前を呼んで欲望なのか愛なのかわからないものを吐き捨てる彼をいつからか淋しくてどこか放っておけないと感じていた彼女は肩で息を整える彼を静かに見つめると彼はとても珍しく小さな寝息を立てて彼女の上で眠りについた。
彼女は驚いてしまうものの、王も疲れるのだろうと理解を示して静かに彼女も眠りにつくと、彼女は夢をみた、それは海に一つの輝きを残してもなお自分が海から遠ざかっていくこと、誰かに手を引かれていくとき、海は静かに波の音を立てる。

「ハッ...!」

寝苦しさに目覚めた彼女は隣に感じた温もりに違和感を覚えたものの、そこには決していることのないはずの男がいたが、彼女は彼の寝顔をみつめては神とはまさに完成された美しさなのだと感じられた、伏せられた長い睫毛に通った鼻筋、ミルクのように白く美しい肌に黄金のように輝く髪、閉じられた唇の血色、全てが創られた造形であると感じる時、彼女は思い立ったように、惹かれるように静かにベッドを抜けて打も居ない静かな廊下を歩き、そして深夜のアクアリウムをみにきた。

何故ここにきたのだろうか、どうして頭の中にポセイドンという神がいるのだろうか、なぜどうしてという感情が強く湧いた時、そこに答えがあるのだと彼女は理解した、魚たちは静かに彼女に近づくようにその部屋の小さな本棚に近づく彼女に寄り添った。

手に取った本はあの時、一度だけ手に取った絵本だった。
人魚姫はある日、一人の人間の王子に恋をした、どうにか彼と結ばれたいと思う姫はある日魔女に頼んでその美しい声と引き換えに人間の足を手に入れることとなり、激痛が伴う中でもあの日出会った王子に想いをと願うが彼には相手がおり、そして実らぬ恋は泡となり消えるか、相手を殺し呪いを解除するかの二択の中、人魚姫は泡になる選択肢を得た。

「これ...わたし...」

二本の足で立ち尽くす姿も、泡となって消えてしまいそうなことも、中庭の人間の男に惹かれたことも全て彼女はそうなのだろうと理解し納得しようとする時、その部屋のドアが開き、ポセイドンが彼女を探しに来た時、彼女は全ての謎が溶けたと思い彼を見た時、それは全て間違いだと理解した。

「あ...違う、うそ、ポセイドン様...あ...あぁぁぁぁぁ!!」

そうだ人魚姫は王子様を捨てた、そして人間と共に逃げ出し、そして消えたのだと彼女は気付き泣き叫ぶ時、ポセイドンはすぐにその手の中のものと彼女の魂が揺らぐことを感じ、慌てて駆け寄って彼女を抱きしめるが彼女はポセイドンの腕の中で暴れ、そして涙を流して彼をみつめて呟いた。

「ポセイドン様...わたしは、あなたを...裏切ったのですね」

だからここにいるんだと彼女が理解すると同時に意識を失うとポセイドンは何も言わずに彼女を静かに抱きしめた、それは二度と手放さないというような愛であり祈りであり呪いのような抱擁にも見て取れた。
夜はまだ続く、海のように深いものだから。
 

top index