緑の目2


十三時六分──ニコラ・テスラは時計の針を確認しては珍しく聞こえてこない足音に何事かと考えていた。必ずしもその時間にとは固い約束をしている訳では無いが、それでも区切りがいいと思いながら作業を止めたテスラはもう一度思考を戻そうとすれば彼女が来た時に注意されるかもしれないと思い控えていた。

喧騒の中で聞こえて来る足音にテスラは視線をやると、見えた足元は残念ながら目当ての相手では無かったようで、早いことはあれど遅いことは珍しいと思う時、共同研究室に昼食を片手に帰ってきたエジソンがテスラを見て声をかけた。

「レディならさっき公園で声掛けられてたから、もう少しかかりそうだぞ」

若い男でありゃあレディをデートに誘おうと必死な様子だった。
という、エジソンの声は少しだけからかいが混じっていたが、テスラはあぁそうかと流そうと思いつつ、思わず自分が持っている携帯型の電子端末を取り出して確認すると、直ぐにポケットに直して出ていってしまう。

テスラの様子は特に誰も気にしない。
あれはいつもの事であり、それはつまり自分の最愛の助手が心配になって迎えに行ったということなのだ。
しかし、それを告げたとしてもあの天才は言い訳を並べることは明白であるため、みんな知らぬふりをするのだった。

「レディ、ここにいたのかい」
「あらテスラ様、あらすみません、ランチのお時間が遅れてしまっておりましたわ」
「そちらの方は?」
「お声掛けいただき少しお話を。とても素敵な方ですのよ」

テスラが小走りするようにやってきた研究所から少し歩いたところにある鳩の多い公園にて。いつものようにバスケットを手にしたレディは見知らぬ若い男と話をしていた。
彼は天文学者であり、以前から見かけていたレディに話しかけていたようだったが、テスラは思わず相手の足の先から頭の先まで見たが、その目に温度はなく。相手の姿勢がグッと伸ばされテスラに好意的に挨拶をしようとするが、彼は先にレディの肩を優しく抱いた。

「天文学であればガリレオに聞くといい、彼以上に詳しい男はいないはずだからね」
「君も私のレディに素晴らしい知識を披露してくれてありがとう。しかし彼女には私という天才がいるから問題ない。それに君以上の専門家ならこのヴァルハラには幾人もいるのでね」

ランチの時間だから失礼する。と普段と変わらぬ声色で告げたテスラに若い天文学者はその瞳の奥の緑をみつけては少しだけ顔を青ざめさせては歩いていってしまい。
レディは「まぁ……あの方のお話も面白かったですわよ?」ということにテスラは「じゃあその話を私に聞かせてくれるかな」と笑顔を浮かべて座り慣れた公園のベンチでランチとして用意してもらったサンドイッチを片手に過ごしたのだった。

「それではテスラ様、今日はこの後、刺繍教室がございますので夕方に」
「あぁティータイムを楽しみつつ夕方迄会えない君を思いながら過ごすとするよ」
「まぁお上手なこと、それではまたあとで」

いつも通りのメインとなる共同研究室に戻ってきたテスラは彼女の手から十五時のティータイムのセットを受け取って、彼女に優しく口付けをしては挨拶をして分かれてしまう。
その様子を眺めていた一同は今さら何も言えないと思いつつ、いつものランチタイムが普段よりも長かったことを思いながらニヤニヤとテスラを見た。テスラは受け取ったティーセットの入ったバスケットを自分のデスクに置くと早速午前中の作業の続きに入る時、ひとつの影が彼に落ちた。

「さっきランチを買いに行ってたニュートンが公園でお前が若いヤツを脅してたって聞いたぞ」
「No.私はそんな野蛮なことはしないぞ」
「ワシのところの若いやつだったが怖かったと言っておったぞ」
「Non.ガリレオ、君のところの者なら有意義な話が出来るように教育した方がいい。レディから話を聞いたがあの彼は実に面白くない話ばかりをしてたようだ」

あの程度なら私が教えてることだし、話しかけるならせいぜい彼女のためになることをしてくれ。とテスラはあくまでレディの教育者であり。助手が使われた無駄な時間についての苦言を呈したものだったが、ケプラーの法則を理解している一般人女性の方が珍しいと思うが、天才しかいないこの場では残念なことに「まぁ確かに」という話で落ち着いてしまう。

ちょうどその話をしていれば入口からアインシュタインが入ってきては「レディくんがまた廊下で捕まっておったわ」というため、全員が苦笑いをしつつテスラを見ると彼は小首を傾げてなんだと言いたげな顔をしたが、エジソンはいつものような意地悪な笑みを浮かべて、テスラのそばに来ると、彼のデスクの上のバスケットの中に入っていたランチの残りであったピオーネを一粒奪うと口に含んだ。

「まぁなんだ、お前もモテる助手がいると大変だな」

モテる──それは異性から好意を寄せられることが主な意味だと認識しているテスラはますます不思議な顔をしては「レディは人に好かれやすい性格だからな」といいながらレンチを片手に作業を進めた。

レディは好奇心がある上に行動力がある。
文盲であったことに引け目を感じていたことはあったが、いまやテスラから教えられて以後はさらに世界を自ら開いて、文学サロン、刺繍教室、料理クラブ、天界の人類婦人会などはもちろん。

女神ポモナの庭ともいえる天界の果樹園に気軽に足を運んだり。
女神デメテルの畑の手伝いをしたり野菜や種を貰ったり。女神フローラの庭園へお茶を呼ばれたり。

元から真面目で働き者のレディは神々側に仕える人間であったが故に女神に好かれることはテスラも知っていたが、正直なところ彼女の交友関係はテスラを……否、天界の中であればこの人類研究所の天才たちの中でも一番広いものを持ってるかもしれない。

しなしながら納得もいく話で。
とにかくレディは穏やかで優しく春の息吹のような女性である。
あのニコラ・テスラでさえ、彼女一人を特別視してしまうのだから納得はできることだが、そうした女性というのを手にしたがるのも男の性。
天界という。地上界での務めを果たして来たもの達が生きる第二の人生の中で、どんな時代においても働き者で数歩後ろで見守りつつも、時として隣に立ち手を引いて支えてくれる女性というのは魅力的であるのはテスラからしても理解できるものだ。

「別に私はレディがどんな相手に好かれようと気にしていない。それこそ彼女の自由だ。反対に誇らしささえある」
「誇らしい?この間は人類闘士の会合で秦の始皇帝に声をかけられて、女官へ来ないかって言われてたのにか」
「あぁそうだ、私のレディ……いや、レジーナは始まりの王に評価されるだなんて、当たり前のことだが嬉しいことだ」

これは自分の家族が賞を授与した時のような気分だろうとテスラはにこやかに笑っていうが、一部始終を知っていたエジソンを含む一同はテスラに呆れた顔をする。

確かにあの時の秦の始皇帝はレディに向けて、その働きぶりとテスラへの献身ぶりをみて、自分の部下にすればどれほど心強いかと、王としてしっかりと感じていたのかもしれない。

だがしかし、そのような目でレディを見られるのは極わずかなもので、日頃彼女に話しかける男たちは明らかに異性へ向けたものだというのは言動からみてよくわかるものだった。

「テスラ、マジで言ってんの?この間は植物学者の子から花を貰ってたし、その前はスパルタの屈強な男から飲みに行こうって言われて、前のオリュンポスに呼ばれた時なんか軍神のところの天使兵から羽根を渡されてたのよ?」
「知っているさ、あの天使兵の羽根はいい素材になった!今度私から声をかけてもらおうと思うよ」
「ニワトリじゃないんだから無理じゃろ」

キュリーの言葉を聞いては興奮気味に話すテスラに、思わずみんなは天使兵を捕まえてはニワトリの羽のごとくブチブチ抜いている光景を思い描いたが話を一度元に戻そうとした。

「全員レディを口説こうとしてるんだ、鈍いことで有名なお前は何も思わないってのか?」

鈍い。というのはテスラが生前自分へ好意を示してくれた女性のアプローチに気付かなかった故に時折エジソンにからかわれる時に言われる単語だったが、テスラはその言葉を聞いても確固たる表情で彼らに対して呆れたような顔をして返事をする。

「思うも何も、レディがその気なら別にいいじゃないか、私とレディは単一個体だと言ってるが、彼女を縛る権利など私には無いからね、もちろんそれは彼女が私を縛ることがないのと同じようなことさ」

さぁもうくだらない話は終わりにして作業をさせてくれ。とテスラがシッシッと追い払う素振りを見せつつエジソンがバスケットに向けて伸ばしてきた手を軽く避けてフタを閉めると完全に作業に戻ってしまうが、彼らは思ったことだろう。

彼女の位置を常に管理できるブレスレットを贈っておいて。
文盲の彼女に読めるようにと文字の読み書きを何ヶ国語にも渡って教えておいて。
彼女が夢に描いた家を彼女が望む場所に与えておいて。
毎朝昼晩と夫婦以上の仲睦まじさで過ごしておいて。

そしてなによりも、彼女が男と話していると聞くやいなや肩を僅かに揺らして、その美しい蒼い瞳に緑の熱を宿す男がよく言えたものだと。
一同は心の底から思ったものの、この議論については終わりの無いものだと結論づける様にして、午後の作業へとそれぞれ戻っていった。

「おかえりレディ」
「お先に帰っていたんですね、申し訳ありません、すぐに夕飯のご用意を」
「いやもう既に私が用意しているから構わないよ。たまには君にも私の料理を食べてもらわなくてはね」
「まぁ嬉しい。テスラ様は料理上手でいらっしゃるから聞くだけでお腹がぺこぺこになりますわね」

帰宅してきたレディがドアを開けると空腹を刺激するシチューの香りにうっとりしつつ、テスラがキッチンから出迎えては夕飯を用意してくれることに嬉しくなりながら荷物を片付けて手を洗うとすぐに皿の準備を始めた。

テスラが他人と生活できること自体も奇跡だが、彼女はテスラの小さなこだわり全てを受け入れた。そしてテスラも自分の癖を他人に押し付けることはないものの、それを尊重されることは有難いことこの上ないものだ。
テーブルの上に並んだシチューにサラダ、テスラが帰りに買ってきた街のパンを並べては少し質素かな?と笑うがレディは幸せそうな微笑んでは「こんな豪華な食事はございません」と断言して、いつもの様に食事を進めた。

テスラは午後からは自宅に戻ってきて地下の研究室で仕事をしていたことや、ティータイムの焼き菓子とアイスティーが美味しかったことなどを話しをしつつ食事を終えて、二人で片付けをすればバスルームでじっくりと湯船に二人で浸かって過ごした。

猫足バスタブはテスラとレディの二人が足を伸ばしてゆっくり入れるようにと頼んだ特注品であり。バスルームの窓を開けば心地よい海と空がみえるようになっていた。

ドライヤーで互いのくせっ毛を乾かしあっては膨らむ髪質にクスクスと笑いあって、ホットミルクを飲みながら夜の時間をいつも通りリビングで過ごした。

「今日はパールヴァティー様がおられて、インド刺繍についてご教示下さったんですよ」
「これはまた見事なものだ、本当に君の才能には感服せざるを得ないな」
「シヴァ様にもお褒め頂きましたわ。器量もいいし嫁に向いてると」
「シヴァ神が?あの神はもう既に三人の美しい妻がいるだろうに」
「アポロン様も参加しておりましたがアポロン様からもお褒めいただきまして、光栄にも同じ言葉を頂きましたの」

レディはリビングのソファで今日の刺繍教室という名の話をしながら刺繍をするだけの会にて参加していたメンバーやそこでの話を嬉しそうにしていた。今回の刺繍教室は女性限定ではないため、妻の様子を見に来たシヴァや気まぐれに来たアポロンや、他にも刺繍をしている紳士方も参加していたのだというが、テスラは手の中の美しい花の刺繍がふんだんにあしらわれたハンカチを眺めながら、なんとも言えぬ気持ちとなる。

テスラ自身、自分の母の刺繍の腕をよく知っているため、レディがどれ程素晴らしい才能とセンスを持っているのかは知っていた。
自宅においても刺繍に勤しむレディの姿といえば、それはもうテスラからしてみるとどれほど美しく、どれほど素晴らしいものなのか、口にすることさえできないほどだった。

「それで帰りにその方が今度お茶のお誘いをしてくださったんです」

今日の帰りが遅くなったのは刺繍教室で一緒になった紳士との会話が弾んだからだという。近頃はじめた相手はまだまだ不慣れな点も多く、レディが手助けをしているうちに仲良くなったというが、次は二人きりでどこかお茶でも飲みながら。と誘ってきたようであり。
テスラは少しだけ内心面白さを感じられなかったが「いいんじゃないか?たまの息抜きだ」と呟いた声はホットミルクを飲んでいたのに冷たかった。

「怒っておいでで?」
「Non.そんなことはないさ、怒ること自体ありえない。君が誰かと仲良くしてることに子供のような嫉妬はしない」
「嫉妬だなんてまぁ……」
「ちっ、違う!本当に私はそんなことは思っていないんだレディ。君がどこで誰とどんな交友関係を作って、仮に私を忘れて帰ってこなくても気にしないさ」

テスラはレディの言葉に慌てて返すものの、それを聞いたレディは取り出したばかりのハンカチを優しくもぎゅっと握りしめては、悲しそうな顔をするため、テスラは自分が彼女の前では上手く本音と建前を使えないこと痛感した。

「テスラ様を忘れるだなんて……帰ってこないだなんて……そんな悲しいことを仰らないでください」
「そんなつもりはないんだが、君を悲しませたのならすまない、だが私は君の交友関係に口を挟む気なんてないだけさ」
「利己的な方ですもの。あなた様が私のように緑の瞳を持たないことも、獣を飼ってないことも分かっておりますわ」

でも私は違います。
はっきりと告げるレディに目を丸くした。
いつぞやにテスラが女性に囲まれることについて話した時に彼女は少なくとも自分の中にはその気持ちがあるといった。

テスラが嫉妬をしようがしまいが、それはレディにとってはよかった。
どちらにせよ彼だと思うからだ。

「私はあなたの助手なんです。あなたの電流。あなただけの為に通す電気なのです。だからどうか突き放すようには言わないでくださいませ」
「レジーナ……すまない。私は嫉妬してるよ。君に話しかける紳士諸君に。君の魅力を少しでも知ってしまう者達へ」

膝の上に手を置いたレディに手を重ねてテスラは彼女の俯いた顔へ覗き込んで身を寄せた。テスラの瞳とレディの瞳がひとつの光として交わり会うように見つめ合うとテスラは告げる。

「君は私に流れる唯一の電流だ。私以外の電圧になんて合致して欲しくは無い」
「……それは、その……ちょっと恥ずかしいですわ」
「どうしてだレジーナ、君と私はパートナーなんだから当然だろう。私の言葉で君を困らせてすまない。ほらこっちを向いてくれ」

優しくその細い顎に手を添えて上向いた彼女の唇に己の唇を重ねるとき、それはおやすみやいってきますの挨拶ではなかった。
互いに静かに指を絡めて、唇を触れ合わせるとホットミルクに注いだ蜂蜜の甘い香りを感じられて、静かに離れると互いに額を付き合わせた。

「あまり私以外の誘いを受けないでおくれ、君が人に求められる光だとわかっていても、私だけを照らしていて欲しいから」
「ええもちろん、でも忘れないでくださいませ」

私を照らすのも、私が照らすのも、私が認めた唯一の人、私に光を与えてくれた天才にだけなのですから。

その言葉にテスラは優しく微笑むと二人は両手をしっかりと握りあった。
テスラは今度自分のシャツやコートに刺繍をしてくれというとレディはもちろんだと答え、二人は朝まで語り明かした。その瞳には互いのみを映して。

2026.6.26


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