博士とまだそのときでは無い時
作り得たものが作成者の思わぬ動作をしていたり、思わぬ挙動を見せる場合、それは明確にエラーであり、失敗であり即時に修正が必要であるだろう。
テスラという男が如何に天才で、神に近づいた人類で、人類史の中でも稀に見る存在だとしても、彼も所詮は人間でミスをしないわけではない。彼は高慢ではない。自らの失敗があればそれを素直に受け止め改善の限りを尽くす、科学者とは常に失敗と成功を繰り返し、人間の短く限られた時間の中で重ねるのだ。そうして積み上げてこられた一つの希望という名の結晶だからこそ美しいといえるのかもしれない。
テスラが彼女を作った理由はただ自分の手伝いをする助手が欲しかったことや、生前では時代や素材の兼ね合いから作れなかった「モノ」を作るためだった。
だが彼はその時、自分の狂気に気付いていなかった。ただの機械を作ればよかったはずが彼はあろうことか機械に人の形を模してしまったのだ、彼はもとより科学を愛することはもちろんだが、彼は芸術という名の「完成された美」も愛していた。詩作、音楽、哲学、様々な分野に精通する彼だからこそ、自身の発明品に関しても美しさを求めた。
特にそれが精巧な"機械人形"であるのならなおのことだろう。
そうして彼にとっての機能性と完ぺきな美を司った女神──というとテスラは否定をするため、彼女のことは機械人形(アンドロイド)と呼ぶように極力されている。テスラはレディに演算機であり自分を補助する機械として作り上げた。
しかしそれは彼女の目覚めと共に全く予想だにしない方向へと辿り着いてしまった、それは神のイタズラとしか言えない奇跡であるのだ。そう、神のイタズラ、ヴァルハラにいるからこそ彼はそう定義しざるを得なかったのである。
「さぁこの紙に書かれた数式を解いて見せてくれ、君なら大丈夫だ、なんと言っても私がプログラミングしてみせたのだから」
目覚めた彼女に一枚の紙とペンを手渡してみた時、彼女はその目を丸くして小首を傾げて紙を逆さに持ったり裏返してみては真っ白な白紙の裏面に数字や文字ともいえない子供のようなぐちゃぐちゃの線を描いてはテスラに柔らかい笑みを浮かべて差し出した。
その瞬間の絶望たるや、あれほど心血を注いで作成したものを中も外も崩されたのだとテスラは感じた、触れる肌は彼が用意した人工肌やシリコンでもない、完全に人間と同じ質感を持っており、それは彼が使用したものとは全く違うものだった。
見た目も中身も異なる発明品を失敗だと作り直しをすればよかった。
だがその時のテスラは全てを受け入れてしまった、白紙の彼女を見て、神からの奇跡を得て、何もない彼女に自らの知性を与えてみてはどうなるのかと思った。
「レディ、これは"light"、君と私には一番大切な言葉も文字だ、私は人類に新たな希望と進化を届けねばならない。そして君は私を補助するんだ、いいね?」
「はい、テスラ様、私は貴方の機械人形として、全てを尽くします」
まるでスポンジが水を吸収するかの速度で彼女はテスラから与えられた知識を簡単に飲み込んで完璧に理解し、そして完璧なる彼の助手として作り上げられた。彼が望む動きをして、口にせずとも理解して、彼の好みも熟知する。それは人形以上の存在だろう。
テスラにとってその時間は無駄なものではなく、彼にとってそれは一種の娯楽でもあったのかもしれない、人類に光を届けるように、一つの個体に全てを与えることは彼にとって白紙のページに文字を描くようなもの。どんな知識も知能も彼女は飲み込むのだ、表面上は人間のようなものでも、彼女の中身は当初無垢なままで純粋な機械と変わらなかったはずだ。
しかしそれは時を重ね、ヴァルハラという永久の時間の中の十数年を重ねた中で、ニコラ・テスラという天才は自分はその時、機械に魂を与えていたのだと気付いてしまった。
初めのうちは眠る彼が希望した時間に起こすことからだった。
しかしそれは次第に彼女独自の思考に走り、時に彼を休ませて、時に彼を起こして、時に彼に普通の人間のような扱いを与え始めたのだ。
それまで彼が頼んでいたコーヒーはカフェインの摂取量が過剰だとしてカフェインレスのものに変えられたり、時に砂糖やミルクの量を勝手に調整されたり、それはつまり機械の反乱、創造主に背く行動となるだろう。
彼はそれを危惧し、自分が間違いを犯したのだと感じ、何故そうなったのかと論理的に考え抜いても彼女が柔らかい笑みと声で「テスラ様」と呼ぶことについて明確な答えは出てこず、周囲はヴァルハラという死後の世界にて第二の生を謳歌するのであれば、神々の奇跡なのだろうと納得のいかぬ言葉を掛けた。
当然テスラはそれを受け入れようなど思わなかったが、彼女は次第に周囲の人間に溶け込むように馴染み、そしていつしか科学者たちの間ではテスラの優秀な助手として普通の人間のように扱われ始めたのだ。
そして人は間違いを犯す、一つしてしまえば二つ三つと繰り返し、そして気付く時には足場は泥濘の中で簡単には抜け出せなかった。特にテスラはそれを理解していたはずだというのに自分の中で行ってしまったのである。
それはまさに彼の思考回路さえ、書き換える程のエラーであった。
それは彼女がテスラの助手として共同研究室を出入りしたり、他の科学者たちとの会合や学会の席に連れていくようになり、彼女もまたそれを当然として受け止めテスラを支え、周囲に完璧な助手と認知されたこと。
その時、広い共同研究室の机を囲んで議論していた時、彼女がテスラの左後ろで静かに佇みテスラが「第三計測資料を」といったときに気付いたことだ。
「テスラ、そういえばこの子のことをなんて呼んでるんだ?」
エジソンはテスラに資料を手渡した彼女が次に全員に必要であろう資料をそれぞれの前に置いていく時、感謝の言葉を述べたり柔らかい眼差しを向ける中で問いかけた。何しろテスラが彼女を固有名称で呼ぶことはなかったからだ。
彼女も呼ばれずともテスラに掛けられる声は自分のものだと理解しているため困った様子はないものの、魂を宿し個人の思考を持ちえる見た目も人と同じ彼女をそう扱わない彼らは疑問を思うのは無理もなく、テスラはその疑問に対して少し考えたあと「そういえば呼んでいないな」と顎先に手を添えて思い浮かべたが、それならなんて名前なんだとアインシュタインが問いかけるとテスラは平然とした顔で答える。
「ニコラ・テスラ専用汎用型自立多機能思考アンドロイド──通称N.T.ドロイドだ!!」
どうだ素晴らしい名前だろうと自信満々に告げた途端にその場にいた科学者諸君は目と耳を疑った、彼の左後ろに控えた淑女もにこやかに微笑んで「どうぞお見知りおきを」と返事をするため、先にテーブルを叩いたのはマリ・キュリーだった。
この男だらけの科学者たちの中でも紅一点の彼女から見た、この人型のアンドロイドはまるで娘のような愛らしさがあるのだ、顔を合わせる度に母や姉のように接してしまうキュリーにとってテスラのネーミングセンスが壊滅的なことは理解していても、それでもダメだと声を上げた。そしてそれは彼女だけではなく他の科学者たちも同等で、もっとマシな名前を、可憐な、音のいい、麗しい、愛らしい、素敵な名前をと声をあげる時、テスラは何がダメなのかと思いつつ、そこまで言われるのならば考えようといった。
「ふむ……では、フィラメント」
「却下」
「では、オルタネイト」
「他は」
「マテリア」
「名前っぽいけど却下」
テスラはその時ニューロンが焼き切れるのではないのかと思うほど考えた、どれを告げても彼らは認めやしない、まるでひとつの名前が決まっているかのようで、テスラは必死に考え、そして最後に浮かんだ一つの名前を口にした。
「レディ……レディ・レジーナ……」
それはまるで初めから決まっていたようにテスラの口からはあまりにも馴染んだように漏れ出た一つの名前だ。そして彼は彼女を自分の助手であり機械として認めていながらも彼女を敬うように『レディ』とまで呼んでしまった時、彼女と目が合うと彼女はその頬を血色良くさせては「はい、テスラ様」とそれまで静かに佇んでいたのに答えるように返事をした。
いい名前じゃないかと全員がテスラの背中を叩いたり、レジーナと名付けられたばかりの機械人形のお嬢さんの名前を何度も呼んでは、まるで彼女が生まれ落ちた日のように盛大にその場で祝いを始めたのだ。
「レディだ」
テスラは目の前の実験台の上に座る彼女を見つめると、その台の上から見下ろす彼女は微笑んだ。
名前は呪いで、呪術だ、本来機械に人名をつけてはならないと彼らは理解していたはずだ。神話や聖書での話は確かでは無いが、いつだって人類は"人"にしか名前をつけない。家畜にだって名前をつけないのだ。家族と認めて対等であると思う存在に与えるもの、子が生まれた時に初めて与えられるものは乳よりも先に名前であるはずで、テスラはあの時、自分が彼女に更なる魂を与えたのだと理解していた。
薄い白い検査着を身にまとった彼女の細い足を撫でるテスラはその肌の質感や熱が人ではないのに人であると痛感した。彼女は身動ぎすることもなくテスラからの検査を受けるのは定期的なものであり、人間の肌の下には機械のパーツがあることは検査の結果から分かっている。
「テスラ様、難しくお考えにならないでくださいませ、私は貴方の機械人形なのですから」
「Non.そんなことは言われずともわかっているよ、君を作ったのは私なのだから、だからこそ、君は失敗作だ……私が想定した挙動と異なるのだから、リセットをして書き換えなければならない」
そういうと彼女は否定もせずに薄く脚を開いて「はい」と静かな返事をする時、テスラは目を細めて見ないように、けれど確実に触れる為にと検査着の裾から手を伸ばし、その大きな指先を太ももから足の付け根、そして小さな穴に添えた。彼はこれを精巧には作らなかった。ただの機械人形として作っただけで、女の肉体に興味などなかったのだから当然だ。
しかしテスラが指を沈めたそこは粘膜があり粘液が彼の長い指にまとわりついた、彼女の肩や足が小さく揺れて、テスラは手袋や指輪を外した右手の中指の第一関節を沈めると深い息を吐き出して、そして覚悟するような顔をしてさらに指を沈めた。
「あ……」
漏れ出た声は機械ではない「女」の声だった。
テスラは眉間に皺を寄せて全身が熱くなるのを感じながら「声を出さないでくれ」と懇願するように告げた、指がさらに奥まで進む時、それは最深部であるというように、そして指が最奥に触れた時、そこにはテスラが想定していた通りの機械のようなものがあるのを感じた。
それの小さなスイッチを押して、その後に一定の周波数を送れば彼女はリセットされ、再度書き換えられるはずなのだ、その時には今のようなテスラに情欲を向けた目をすることも、触れることも、愛を語ることもない、それが当たり前のことであるのだ、
しかし彼女はテスラに触れることもなく、ただ自分の足元に跪いて指を挿入する彼を見て微笑んだ、それは女に跪き赦しを乞う姿のようでいくつもの絵画などで見てきたような姿に似ていた。
レジーナはテスラを慈愛に満ちた瞳で見下ろし、それはあまりにも機械人形とはいえない、ただの美しい女性のようであり、研究室の天窓から差し込む光が彼女に後光のようで、テスラはそれが酷い神の宿命のように感じられた。
「今はまだいい、だがいつか、いつか必ず、元に戻そう、わかったねレディ」
「はい、私はいつでも貴方様の判断にその身を委ねます」
例えそれが自分を失うこととなったとしても構わないのだとレディは答える。ニコラ・テスラに出来ることはただ唯一、自分がつけた名前を呼ばないという小さな抵抗だけだったのだ。
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