銀八先生と恋の始まり。





坂田先生が担任になって三ヶ月が経った。
私はつい先日我慢が出来ずに坂田先生に好きです、と言ってしまった。
当の本人は眉を下げて「マジか……」と苦笑いをしていて、私はその後続けて言葉を発することが出来なかった。

てっきり、さっちゃんに言うように「お前みたいなガキには興味ねーわ」とか「押しの強い女は嫌いだ」とかいつもの感じでめちゃくちゃ言われるのかと思っていた。
しかし坂田先生は何故か困った顔をして私を見た。
これは本気で困らせたやつだろうか。
さっちゃんみたいなタイプは先生も交わしやすいんだろうけど、私みたいな本気なやつはどう扱っていいのか分からないからどう対応していいのか悩んでいるんじゃないだろうか。
もし先生を困らせたなら、一層の事私も軽く交わされた方が救われたかもしれない。


返事もないまま一週間が過ぎた。
ホームルームと坂田先生の教科でだけ顔を合わせるのは今となっては助かったと言えるかもしれない。
好きと言ったあの日までは坂田先生が全教科教えてくれたら毎日楽しいのに、なんて思っていたのに今は少し会いたくない気持ちの方が強い。

「はあ……」
「なんでェ、ここんとこずっと溜め息じゃねェか」
「そ、そんなことないよ」
前の席に座る沖田総悟にそう言われると、そんなに態度に出てしまっていたのかと動揺してしまう。
「あからさまに後ろで溜め息つかれりゃうるせェのなんのって、そんなに構って欲しいのか」
「違いますー……」
そんな構ってちゃんでは断じてない。本当に無意識だった。それがさらに恥ずかしい。

「恋煩いでもしてんのか」
私の机に肘を付いて横目で見る総悟の視線は、まるで尋問されているようでちょっと怖かった。
「してないしてない、女がみんな恋してると思ったら大間違いだから」
いや、めちゃくちゃ恋してますけどね。女子に大人気の銀八先生にちゃっかり恋しちゃってますけどね。
でもそんなこと誰にも言えるわけがない。
友達に相談する気もさらさらなくて、私は一人でこの気持ちと向き合っている。

「まあ恋なんてもんは幻想にすぎねェし」
「へえ、総悟は恋したことあるんだ」
「さあな、でも現実くらいはちゃんと見えてまさァ」
はぐらかれつつ随分大人っぽいことを口走った総悟は、噂では年上の人と長いこと付き合っているとか、はたまた金持ちのセレブに貢いで貰っているとか、校内では噂の絶えない美少年で有名だった。
初めて同じクラスになり、何故かあっという間に距離が縮まったのはこの席順が理由だ。
この数カ月で名前で呼び合う程になったのはお互い建前や腹のうちを探るような面倒臭いことが嫌いな性分が合致したからだと思う。

「もしそれが、叶わない恋だとしたら幻想で終わっていくんだよね……」
空いた窓から緩い風が入り、総悟の髪を揺らした。それを見ながら現実とは一体何なのかとやんわり考えたけど、やはり経験が皆無な私にとっては意味が分からなかった。
「幻想や妄想で終わっていく方が楽しいだろ」
「現実も知りたい」
「この先、生きてりゃ嫌でも知ることにならァ」
だったらそんなの大人になってから知ればいい、と総悟は最もらしいことを言って大きな瞳を誰かに向けていた。

「総悟は……近藤さんが好きなの?」
「は?なんでそうなる」
総悟の目線の先にはクラスの男子たちと仲良く話しをしていた近藤勲がいた。
豪快に笑い、いつもみんなに囲まれて上手にクラスをまとめている彼はこう言っちゃなんだけど坂田先生より頼りになる存在だったりする。
普段総悟とも仲の良い近藤さんは、どんな噂をされている問題児だろうが分け隔てなく接する人だったし、やはりこういった人は一目置かれる人物だ。
そして総悟にとっても彼はやはり特別な存在なのだろうか。

「よく近藤さんのこと見てない?」
「見てねェよ」
「じゃあ土方さん?」
「あいつは死ねばいいと思ってる」
「ちょっとちょっと」
即答すぎて怖いわ、と突っ込めば総悟も軽く溜め息をついてから背伸びをした。
「ガキは大人しく勉学に励んでりゃいいんでェ」


放課後、服部先生にノートを集めて持ってこいとの事で私は職員室に向かう途中だった。
廊下で会ったのは坂田先生。
真っ直ぐな廊下はとても気まずい。
どう考えても向かい合う形になるので視線をどうするべきかとか露骨に視線を外すのもおかしいし、だからといって見るのもどうか、とか色んなことを変に考えてしまう。
意識しすぎて向こうにバレてないかとか、歩き方が早まってないか、不自然じゃないか。そんな事を考えれば考える程不自然になるのは当然だった。

「それ、職員室か?」
私の持っていたノートの束を見て坂田先生はすれ違う前に手伝おうかと聞いてきた。
今ここで優しくされるのはちょっと期待してしまうからやめて欲しい。
先生にとっては他の生徒でもきっとこうするであろう対応であっても、私にとっては一喜一憂してしまう出来事なのだ。
「先生、向こうに行くんじゃ……」
「別に大した用じゃねーよ、ほら貸せよ」
半分以上奪われたノートたち。坂田先生はペタペタとスリッパの音をいつものようにたてて職員室へと歩き出した。

「先生……」
後ろ姿を見てまた急に先生のことが愛おしくなった。
どれだけ先生を好きでもこの気持ちはどのくらい本人にちゃんと届くのだろうか。
「困らせて、ごめんなさい……」
ただ気持ちを伝えたかった、なんて恋愛漫画のお決まりのセリフは告白した方の勝手な都合で自己満に近いものがあるのは薄々気付いていた。

私は純粋に先生と付き合いたい。私だけの先生なって欲しい。
先生の唯一の特別になりたい。
でももしこれが先生を困らせているのなら、笑って済ませて欲しい。
明日からまたいつものように軽口を叩く坂田先生で、それに密かに片想いする私に戻りたいから。

「困ってはねーけど……」
否定した言葉とは逆に、声色は確実に困惑しているように聞こえてしまった。
ここで冗談でした、と言って私が笑えば先生も一緒になって笑ってくれるだろうか。
「お前さー」
先生はノートの束を片手に抱えたまま窓の外を見て、声を出して部活に励むサッカー部に視線をうつした。

「俺のこと、犯罪者にするつもりかよ」
窓の外を眺めていたはずのその瞳は、いつの間にかこちらに向けられていた。
すっかり傾いていた夕日が坂田先生の髪を茜色に染めていて、普段見慣れない先生のその姿に心臓は高鳴るばかりだ。
「……え?」
「いや、だってさ、普通に淫行だろ」
あまり教育上宜しくない言葉を平気で発した先生は、バツが悪そうな顔をしてうーん、と何やら考え始めた。
私はこの時、先生が何を言っているのかさえ理解出来ていなくて、ただただ先生の言葉を聞いていることしか出来なかった。

「さすがに仕事クビになるとマズイしなー」
「先生、それって……」
「だって公務員だぞ?これクビになったらヤバいだろー立ち直るのキツいわー絶対キツいわー」
私の聞きたいことなんかお構い無しに先生はベラベラと喋り出した。
あれ、これって遠回しに断られてる?
「あ、でも、辞めたらのんびりと自営業やるって手もあるなー」
ふむふむと一人で納得したり否定したりと先生の百面相はしばらく続いた。それにつられて私も期待を持ったり愕然としたりを繰り返した。
しかし最後に先生は何やら答えが出たようで、閃いたような表情をしてはまたこちらを見る。

「卒業まで約八ヶ月だろ」
「……は、はい」
「それまで俺の恋人枠、空けといてやるよ」
まるで少女漫画の一コマでも見てるような、学園の王子様が言うようなセリフをこの坂田先生が言う。
それが本気なのか冗談なのかは敢えて聞かない。
ここまで言っておいて冗談にはさせない。冗談なんて言ったら大声で泣いてやる。

そんな変な焦りと、このチャンスを逃してなるものかと、先生の気が変わらないうちに確実なものにしておきたくて私の脳内はフル稼働した。
そして八ヶ月後に私はこの制服を脱いで大人への一歩を踏み出したと同時に、先生の恋人として隣に立てるのか、と想像しただけでどうしようもない気持ちが込み上げて来た。

「せっ……先生!“空けといてやる”って、先生ここ何年か彼女いないって言ってたよね?!」
坂田先生はノートを抱え、さっさと職員室に向かって歩き出してしまう。
よくよく考えるとずいぶん長いこと彼女がいないと言っていたのに、今更このタイミングですぐ出来るなんてことあるのだろうか。
多分強がりで言ってるのは察しがついたけど、当の坂田先生は何故か少し得意げだ。

「分かんねーぞー、明日にはいい女と出会って付き合っちまってるかもよ?」
「それは困りますっ!」
「だろ?だから卒業するまでその席空けといてやるっつってんだよ、感謝しろ」

先生はいつもの軽口を言うと、スリッパの音をいつもより軽快に鳴らし先を歩いた。
早くその隣を堂々と歩きたい、と強く願うと坂田先生はこちらに振り返り、少しだけ笑った。





end




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できたらこの続きも書きたいです。

2018/06/24
西島

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