夏の話




ウォッカは設計図を見ながらジンを案内している。


女を隠した。ジンが買い付けたサーモグラフィカメラがどの程度の精度かわからないが、祈るしかない。
爆破から守れるわけがないか。しかし。無傷とはいかないだろうが、命は守れるかもしれない。今から外に出すことはできないし、この部屋の外に出すこともできない。
「いいか、俺が出ろと言うまで出るんじゃない。俺以外の誰に何を聞かれても、絶対に喋るんじゃない。」
そうして押し込んだにも関わらず、



「キャビネットの中だ」
ジンが勘ぐる。
「さすがにそこまで探しませんでした。それに、こんな小さな棚に大人が入れるとは…」
無情にもジンが開けたキャビネットの中には、女が膝を抱えて座っていた。
鼻で笑うジン。

ジンが問答無用で棚を開ける。そこにいた女に銃口を突きつけ「出ろ」と命令した。
だが女は動かない。ジッと座った目でジンを見上げ、無表情を貫いている。「フン、肝の座った女だぜ。」
「ジン、僕が代わりましょう。出ておいで」とバーボンがそっと銃口を退けて場所を代わり、女の腕を引くと女はしぶしぶながら出てくる。

「俺は上に行く。とっとと片付けねえと…。お前も木っ端微塵だぜ」

死体から銃弾が見つかればまずい。

シ、口元に指を当てて黙るように指示する。
ウォッカがいる外からならば、熱の影が重なっただけに見えるだろう。
無線に拾われないよう、そっと謝り、口付けた。

毒を飲ませ、動かなくなる。
ニコラシカがあと30秒だ、と呼ぶ声に応じて立ち上がり、走り出した。


ウォッカは外の車内で見張りを担当している。
ジジ…耳元で電波の擦れる音がしてそちらに意識を向ける。それはウォッカから、サームグラフィセンサーにあと数人の人影が隠れているという連絡だった。
上階はジンが、下階はベルモットが向かう。日本にいる幹部を揃え、残りの組織の人間も素人は含んでいない。これだけの人間が任務に当たるということは、ボスは相当念入りに始末しておきたいのだろう。この建物にある情報と、関与している人間たちを。
この後このビルごと爆破する手はずになっている。だが万が一を懸念して爆破前に全員始末しておく。運良く助かってしまった人間などいないように。最近組織で使われ始めた毒薬の使用実験も兼ね、体に銃槍が残り事件性を疑われ、足がつくことは避けたい。
この計画を立てたのはジン。ジンらしい、疑わしきは罰する隙を与えない計画だ。そして、塵も残さず吹き飛ばす念入りな。


このビルは政治組織に不信感を持つ被害者団体のビルだった。
そこに居合わせた女。ジャケットの襟には弁護士バッジがついている。
かわいそうに。リストにこの女はいなかった。こんな夜遅くまでここにいなければ、いや、どちらにしろこの団体に関わっていた時点で遅かれ早かれ消されていただろう。


「遅かったわね、ニコラシカ」
重みのありそうなボストンバッグを背中に担いでいる男。長身のロマンスグレイの男だ。
二人一組で動くこの組織では珍しく、決まった相手と組まず、その時々で別の人間と組む男だ。一番多く組むのはキュラソー。
この男はやり手のスナイパーでありながら、接近戦や、潜入・工作を得意としている器用な男である。ここ半年はほとんど日本におり、だが何をしているのかまでは探らせてくれない。バーボンはこいつについても秘密を掴んでいるが、その際にこいつにも自身の秘密を掴まれてしまったため、お互いに相手の腹を探り合っているという状況だ。

(ここから別シーンに飛ぶ)

ニコラシカが黒いボストンバックをバーボンの車の助手席に置いた。
「何です、これ」
「土産だ。家に帰ってから開けろよ」
いかぶしげな顔をするバーボンを笑い飛ばすと、ニコラシカは自分のホーネットに乗り込んで低いエンジン音を吹かして去った。いい車に乗っているな、と思う。一度ハンドルを貸してもらいたい。

発信機などの類がないか確認しなければならない。ニコラシカのホーネットが見えなくなると、バーボンはその場でジッパーを下ろした。
中には布のようなものが詰められており、カーテンだろうか。もしかして爆発物か。めくってみると、長い髪の毛が現れた。まさか、遺体だろうか、なぜ?
更にシーツをめくると、それは少女だった。
そして、その少女の顔は、自分のよく知る彼女。しかし、なぜ彼女が幼少の姿をしている?
服は先ほどのスーツで、ジャケットには弁護士バッジがついている。
バーボンは整理しきれない頭で、それでも懸命に携帯電話で番号を押した。
(電話をするのが先か、渚を抱きしめる独白が先か)

「お前は本当に待てができねぇ坊ちゃんだなぁ。家に帰れって言っただろう」
すぐに聞こえた声はどこか楽しそうで、「その呼び方やめてください」と返した自分は、少し震えて疲れているように感じた。
「いいからさっさと帰れ。」
「わかったから、帰りますから」
またこの人に秘密を握られてしまった。しかも、今までで一番大きな秘密だ。
電話は傍受される可能性があるから直接話すと言いたいのだろう。

車の中で彼女の体を抱きしめると、ちゃんと温かい。
静かで早めのこどもらしい鼓動を感じて、じんわりと瞳が熱くなって目を閉じた。
今、この状況がわからない。
なぜ彼女があそこにいたのかはこの後調べなければならない。
(彼氏が警察官だと知られ、尋問されるために連れ去られてあそこに軟禁されていた)
そして、縮んだこの子を今度こそ守らなければならない。

起きたその子は何も喋らない。
「僕は安室透。親御さんが海外勤務の間、君を預かっている。ただ、君は今回事件に巻き込まれてしまってね。これから異常がないか検査しに病院に行くけど、いいかな。」

朝日が昇ってきた。

空が白み始めた頃、月極め駐車場に着くと、ニコラシカは既にタバコをふかしていた。
「遅かったな。」
いかしたスポーツカーではなく、一見流行りの軽自動車のようだ。一晩ここに駐めていたのか。まさかあのド派手なホーネットをつけていられても、それはそれで困ったのだが。
どうしてここまで知られているんだ。こいつは何者なんだ。
「病院に連れて行った方がいいと思うぞ。あの薬がなんだかわかったもんじゃない。」
「死ぬ薬を飲まされて死んでないんだ。この先いつ死んでも不思議じゃないだろう」
「滅多なこと言わないでくださいよ」
「乗せてやるよ。」
すでに目覚めている少女を後部座席に乗せると、助手席をすすめられた。
さすがに今運転してこの車を無傷で返す自信がない。素直に乗る。
「安曇のとこでいいか」
なぜ、俺と安曇がつながっていることまで。
なんだか驚かなくなってきた。
少女がMRIに入れられ、安曇がその様子を見守る中、ニコラシカは「お前、公安なんだろう」と小声で言った。確信を持った言い方だ。
「そういうあなたは、防衛省ですか。」

バーボンとして調べられたのは、この男が表向きは個人の車屋を経営しているということだけだった。国籍は日本だが、中古車を買い付けるという目的で頻繁に海外に行っており、長ければ3ヶ月は滞在している。
「若造、いい車に乗ってるな」と声をかけられ、俺に預けてみないか、と修理を申し出てきたことから始まった。
偽名の安室透で依頼していたし、今でもそうしている。



「感服したよ、バーボン。」
知っていることを知っていたような、軽い口ぶりでニコラシカは笑う。
「味方にはなれないが、敵でもないことを約束しよう。警察の手下だと思って舐めてくれるなよ。お前よりキレるぜ。」「組織には20年いる。何かあれば言え。西ヶ野だ。まあ偽名だが。仲良くしようや、ゼロの坊っちゃんよ。」
「お前さんは俺の子どもでも可笑しくない歳だぞ。坊やだろ。」

坊やと呼ばれる理由を、この人は知っているんだと思った。
俺があの人のこどもだと。
本当に、俺より怖い人なのかもしれない。

結果的には、安曇とは幼少から親しくしている近所のただのおじさんらしかった。
俺たち二人が並んでいることにかなり驚いていた安曇だったが、俺が抱いている子どもを見て仕事を思い出したらしい。夜勤の看護師を一人呼びつけると、ポケットから鍵束を取り出して放射線室を開けた。
今日は血液検査、X線、エコー、その他の検査をしたが、なんら異常は見つからなかった。 多少見つかった身体的特徴は健康に問題なく、俺自身も把握していることだった。
しばらく入院させ、様子を見ることになる。
名前は適当に書いた。

一週間検査をする中で、やはり異常は見当たらず、二週間目で安曇が目を光らせたことがあった。
「背が伸びている?」
「ええ。あまり食事を口にしたがらないので体重の増加は見られませんが、身長は僅かながら伸びています。もしかすると、身体は子どもと同じように成長していると仮定してみてもよいかもしれませんね。」

「安室さん」
「安曇、助かった。もうしばらく頼む。」

降谷は考え込む。FDの低いエンジンが心地よく体に響く。

異常のない、人間。
6歳にしては少々背が高い気がするが、異常ではない。
守るためには、側に置く必要があるな…。

この二週間、毎日安曇と議論した「元に戻らないか」という話。
そして研究室に忍び込んだ。
数日前にシェリーという少女は消えてしまったらしく、その騒ぎに潜り込んで研究室内のデータを入手した。
薬のデータ、死亡者リスト、その中に宮野夫婦の名前を見つけて夢中で読み込む。
この薬は、なるほど…。だがこれを安曇に開示することは憚られた。
有事の際、安曇の身が危険だ。


「風見。一週間予定を空けてくれ」
「…はい?」
「明日の夜出発する」
「わ、わかりました」
一週間、雪丸は3人分の仕事をこなさなければならなかった。
だがこの時に必要なのは雪丸よりも風見のような大人の男。

次に降谷は九曜と安曇を呼びつけた。
おおよその状態を伝えて鑑識結果と死亡診断書を捏造させると、次に奥崎に電話をかける。それらしい名刺と会社名を用意させ、それらを持って市役所を訪れた。その後火葬業者と雪丸に場を任せ、

二人は年配の男に変装すると、





風見が降谷に頼まれて修理屋に持って行くと、車の下から這い出て来たのは中年の男。鍛えられた体と白髪混じり。笑うと頬に入る筋が、彼のきさくさを演出しているようだった。
愛想のいい男はキーを受け取るとFDのへこみ方にケラケラと笑いながらボディに触れた。
広い敷地内にはホンダのS2000や海外ドラマで見たことのあるようなアメリカの古い車種も並んでいた。
「顔も派手だがやることも派手だなぁ。あの坊ちゃんは」
降谷さんを坊ちゃんと呼ぶこの男に震えた。嫌がるだろうに。
書類を数枚取って戻って来た。孫のわがままを許すような顔で書類をバインダーに挟むと、「きみの名前でいいからサインがほしいんだが」とペンを渡された。もちろん風見は偽名を書く。
降谷が安室透と名乗るように、風見にも表向きの偽名と身分が用意されていた。
引き受け証だ。本人に渡してくれ。



(防衛省の秘密組織から潜入している男)
防衛省の登録はなく、あるのは個人の車屋を経営している初老の男ということだけだ。前科もなければ結婚歴もない。
この辺りは組織が絡んでいる以上、汚点を見つけることなどできないだろう。




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