memo

▼2017/08/31:自撮りが嫌いだった

自撮りが嫌いだった。これは過去形であって、今ではそれなりに写真を撮るのもいいかな〜と思っている。自撮りばっかりしているのも嫌だけど、特別な場所、特別な時間を形にして残すのも悪くないなという感じ。ただ、本当に昔は自撮りが嫌いだった。無理だった。できなかった。ここ最近そのことを悶々と考えるので少し綴ってみる。



そもそもなぜ最近になって自撮りについて考えるようになったかというと、今年になって仲良くなった友人から「自撮り担当」なるポジションを当てられるようになったからである。
言っておくと、私は自撮りのプロではない。むしろ周りの女子に比べれば不慣れな方である。そんな私がなぜ「自撮り担当ポジション」なのか?理由はただ一つ、自撮りが下手だったのをいじられたのがきっかけだ。

何回も言うけれど、私は自撮りが嫌いだった(過去形)。もともと小学生くらいのときから自分の顔が嫌いで、綺麗に笑えないのもコンプレックスで、なんでわざわざ画像フォルダに自分の顔なんて残さなきゃいけねえんだよと思っていた。SNSにいとも簡単に自分の顔写真を載せられる女子は別世界の人間に見えて、なんで自分は彼女らみたいに可愛らしく振る舞えないんだろうと一人落ち込んでいた。少し気持ちが変わったのは高2のときに部活の大人数グループでディズニーランドに行ったとき、友達がたくさん写真を撮ってくれたからだった。あとから見返したときに、その1日を思い出してまた楽しめると気づき、少し自撮りを容認できた気がした。
やっと自撮りができるようになったのは高校3年の夏の終わりだった。少しだけだがメイクをするようになり、自ずと鏡で自分の顔を眺めるようになった。メイク(といっても最初はBBクリームを塗りチークを少しはたくだけだったのだが)をした自分は、なんというか、思ってたより悪くなかった。むしろメイクのおかげで可愛くなれてる???と思えて、初めて自撮り用のアプリを入れた。アプリのカメラを使うと肌が綺麗に写るようになり、それに感動した。自分の顔を見て拒否感を覚えないのは久しぶりだった。

……とまあ、それでやっとこさ人並みに自撮りができるようになったわけだったのだが、それでも高校を卒業した頃は写真がブレたり上手く自分が入らなかったり、苦労した。わざわざ「スマホ 自撮り 持ち方」で検索して、どうすればブレずに写真が撮れるのか持ち方を模索したりした。そのおかげか、集合写真(自撮りで)撮ってよと言ってくる男友達がこないだインスタに「〇〇ちゃん自撮り上達おめでと」と投稿するくらいには成長した。涙ぐましい。

前置きが長い!それにしても、それにしても!!私は(人にはちっちゃく見えるのかもしれない)コンプレックスを抱えていたのに、そんなことも露知らず、自撮りネタでいじってくる奴を見ると未だに勘弁してよと思っちゃう。いや、人のバックグラウンドなんて知るかよという意見はごもっともで、だからこそ私がイジリに少し気持ち悪さを覚えてしまうのは私ひとりが勝手に思ってればいいことなのかもしれないけど。ていうか、他人のバックグラウンドや過去はやはり人にとってはどうでもいいんだろうな。過去と現在は自分の中で切るに切れない繋がりがあるけど、他人にとって自分は「現在(と最近)」の塊でしかなくて、だから「過去にこんなこと悩んでたのにー!!」と思ってもそれはしょうがないの一言で片付いてしまうんだろうな。わかっていても気持ち悪い。他人が他人でしかない、そしてそれがどうしようもない事実であることの、この虚しさ。なんか、どうすればいいんでしょうねこの気持ち悪さ。

←前へ | 次へ→