二人はどちらも大切な友人だ。だからこそ、私は二人のためになる選択をしたかった。そう、結果的には二人のためになる選択を。
ミヤコの気持ちを尊重するということは、ダイゴにあの手紙を渡すということだ。彼女が心配した通りに───いや、彼女が心配していた以上にひどく過去に固執し、周りの声に耳を塞ぐダイゴに届く声は今やミヤコの声しかないのだから。彼女が安心して、本当の意味で眠れるようにしてやるためには、盲信と幻想の殻に閉じ籠ったダイゴの背中を押してやらねばならないだろう。彼女がその大任を、私を信じて託してくれたのだから、尚のこと。
では、ダイゴのためになる選択とは、何だろうか。私はいつもここで彼との友情ゆえにさまざまな考えや悩みの糸が絡まってしまって、結論を出せずにいる。きっと、長い目でみればこうした方がいい、というような答えはあるのだろう。それが百人が百人誉め称えるような素晴らしいものなのかどうかはわからないけれど、きっと何かあるはずだ。
しかしそれを探し求めようとして、こんがらがって毛玉のようになってしまった数多の考えの塊をほどこうとしてみても、無数の糸はほどけず、塊の奥は見えてこないのである。
「ダイゴ、すまないね」
「いや。構わないよ」
「それで…話なんだけれど」
「ミヤコのことだろう?」
麗らかな秋晴れの土曜日。トクサネのダイゴの家で、たまには二人で飲もうじゃないかと言って私は酒と本題の手紙を持って彼の家へ上がった。まだ僅かに夏の名残を残した夕暮れの道を彼の家を目指して歩き、出迎えてくれたダイゴは少し疲れたような顔をしていた。
話題が話題ゆえ、万が一空気が悪くなったときのために保険を残しておきたいという気持ちもあり、酒は後回しにして短い世間話の後、本題に入った。
「ダイゴは、どうしたいんだ」
「…そんなこと…ミクリ、今更聞かなくてもわかっているだろう。僕は待ってるよ。彼女の目覚めを、何年でも」
「そうやって過去に囚われることを、彼女が望んでいないとしたらどうする?」
「…ミクリ」
「わかってるさ。わかっているけれど、聞かずにはいられないんだよ。ダイゴ、君は彼女がそれを望むと考えている。でも、違うんだ」
眉間に皺を寄せ、まるでテリトリーを守る獣のような視線を向けるダイゴが痛々しかった。
体さえ保存しておけば、いつか───技術の進歩はいまこの瞬間にも進んでいるとはいえ、現代では限りなくゼロに近いようにしか思えない確率に望みを託して、ダイゴは心をすり減らしている。毎日毎日氷の棺に明るく語りかけ、二人分の食事を用意して、決して涙を見せずにいる…そんな生活を彼は何年と送り続けてきたのだ。
きっと初めのうちこそ彼は強気でいられたのだろう。人とはそういうものだと思う。重大な決意を固めた直後は気を強く保てていても、その状態をずっとずっと保つのは難しい。フルスピードを保ったまま長い距離を走ることができないのと同じように、決意の糸をぴんと張り続けるのは、心に大きな負荷をかけるものである。
だから私は、例えダイゴが言葉にしていなくとも───初めは純粋に再生を信じていられたとしても、再生を信じて生きていたのだとしても、いずれはそう信じるために生きているのだと思ってしまうのではないかと、もしかしたらその「いずれ」の仮定が既に現在に当てはまっているかもしれないと考えると、案じずにはいられないのだ。
「ずっと黙っていてすまなかった。出来れば渡さない方がいいものだと言われていたこともあって、私も悩んでいてね…」
「渡さない?何を…」
「君宛の手紙だよ。ミヤコから、前に預かっていた」
「手紙…!?」
疲労のいろが絶えず見えていたダイゴの顔が、強ばった。驚愕、安堵、不安、それから…何だろうか。そこまでは私にはわからなかったけれど、きっとたくさんの複雑な感情を一度に彼は感じたのだろう。私から手紙を受け取った手は、震えていた。
「今、読んだらどうかな」
「いや…いいよ。後で、一人で読む」
「…一人で読んだら辛いと思うんだが」
「……中身を知っているような口ぶりだな」
「知っているから、言っているんだ。渡されるときに中身は伝えられたからね」
「…わかったよ」
珍しくダイゴが折れて、彼は便箋の封をそうっと切った。中から出てきたのは、確かにミヤコが言っていたように、たった一枚の短い手紙だった。もしかしたら、これを書いていたときには既に、二枚三枚と長く綴る力がもう無かったのかもしれない。力の入らぬ細い腕で、しかし強い気持ちを込めて綴られた手紙が、ついにダイゴの手の中で開かれた。
「……何で。どうして…こんな」
「…ダイゴ」
これから先も生きていくあなたが新しい愛を望むことは自然なことなんだから、愛されることを躊躇しないでね───記憶の中のあの日の彼女の声が、鼓膜を震わせた気がした。
俯いたダイゴの表情は見えない。けれど、彼が今どんな顔をしているのかは、震えるその肩が物語っていた。どうして、どうして。迷子の子供のようにか細い声でそう繰り返しながら、ダイゴは確かに泣いていた。
「ミヤコはすごいな。誰より君を素直にさせるのが上手い。渡せて良かったよ」
「……ミクリ、僕は、どうすれば」
「それはダイゴ、君自身が決めなくては。…でも、もう、わかってるんじゃないか?わかっているから…泣いてるんだろう」
もし、もしもこの手紙を読んでも尚、僅かな希望にすがることを心の底から決めたのなら───それほど決意の糸がぴんと張られたままだったのなら、彼は泣きはしなかっただろう。それでも歩みは止められぬと、きっといつものように寂しく笑ってみせたのだろう。
この涙が、雄弁に語っていた。もう彼の心は限界だったのだ。流さずに耐えた涙が、とうとう閉めっぱなしにしていた涙の栓を壊してしまった。
「ミヤコ…ミヤコ、僕は……」
向かい合って座る友人は、いつもの隙がなく凛とした彼ではなかった。今やここにいたのは、立派な肩書きも虚勢もなにもない、愛する人との別れに涙するただ一人の男だった。
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