今日も今日とて。

「毎日よくもまあ、脱走するもんだな…」

はぁ…、無精髭に良く似合う深いため息を吐き出した男は赤髪を微風に遊ばせながら河原の草叢に腰掛けて大空を見上げた。その瞳は遥か遠くを見詰め細まっている。ウンザリしてくるが、捜し物はそう、…猫。多くの家庭に普及している、愛玩動物である。

「三毛猫。左足は半分以上黒、右目の下にハァト型の茶斑模様で尻尾は僅かに長毛…、はぁ…、」

織田作之助はポートマフィアの最下級構成員である。本日の佳き日は、回ってきた富豪老女が可愛がっている愛猫探しの任務を承っていた。

目撃情報を元にそれらを転々としていたがどうにも鼬ごっこ。馬鹿馬鹿しくなった織田はこうして一処に留まって獲物を待つことにしたのだった。
川の流れを観察したり、道行く人を観察したり…、かれこれ十分ほどそうしていただろうか。目の端に、曲線を描く斑模様の小さきものの姿が飛び込んできた。

「右目の下に……、在った。見付けた。」

ここから先は流石何でも屋と謂った処か。一分と掛からずにその三毛を抱きすくめてしまった織田。猫の扱いもお手の物で、抱っこ嫌いの動物も何故だか大人しく彼の腕のなかに収まっていた。


____



織田は富豪老女の三毛猫を探し出したその日、例の洋食店に来た。そしていつもの、お気に入りのカレーライスを食べる。此れが織田の、密やかなる幸福だった。

「あ、そう言えば織田作ちゃん」

カウンター前から店主が声を掛けてきた。気心知れた店主との会話を繋げるため聞き返そうとすると、

「「キャアアアァ」」
「なっ…!?」

突然、くぐもった悲鳴が聞こえる。上の階からだった。未来ある、大切な子供たちがいる上の階から聞こえた声。真逆この場所が何者かにバレてしまったのだろうか。彼らの命が脅かされるような事があってはならないのに!
織田は焦ってカウンターから乱暴に立ち上がると、階段をかけ上がる。こんなことなら、銃を携えておくべきだった。子供部屋に繋がる扉を蹴りで開けると、

「大丈夫か!!…、?」
『あ、ほらやっぱり…』
「「作之助だー!」」

目下に広がるのは、楽しそうな表情をした悪友の一人とも謂える黒岩涙香にじゃれつく子供達の図だった。

「これは…、」
『悪いね作之助、楽しく遊んでただけさ。親爺さん謂って無かったかい?』
「いや…」

床に腰を落ち着けている黒岩は、"驚かせたね御免よ"等と織田に声をかけながら、最年少の少女に抱き付かれ、其れを優しく上手にあやしている。この男の美しさは、いつ見ても浮世離れしている、織田はそう思わざるを得なかった。

『どうにも作之助の顔が浮かんで仕舞ったから遊びに来たのだけど…、おや。どうしたんだい?』

一人の少年が、二人の大人の前に俯いたまま近付いてくる。黒岩は少女の髪を撫でる手とは反対側を少年に伸ばし問う。

「涙香兄ちゃん、最近全然来ねえから遂に敵にやられちまったのかと思ってたぜ」
『そう?其れじゃ僕が来てガッカリした?』
「……してる…、訳、」

悪戯っぽく、黒岩は口の端を上げて言う。すれば少年も又、ニヤリ、笑う。そして勢い良く、床を蹴りあげた。

「…ねえだろっ!!」
『おっ…と、全く…作之助の子供達は跳ねっ返りが多いね』

少年が飛び付くと、角度が悪かったのか、黒岩の体がよろめく。彼は両手が塞がっているため、織田は其れを素早く支えたのだった。

「涙香、大丈夫か」
『…どうってことは無いさ。可愛い仔猫達と戯れている至福の刻だからね』

ふわ、と馨る花のような香り。この男、黒岩涙香からはいつもこの甘さを孕んだ香りを感じる。

『今日も猫と仲良くしていたのかい?』
「そうだ。…臭うか?」

丁度自分も相手の香りについて考えていた処だ、等と思いつつ、不快な匂いでは悪いと問いかける。

『いいや?君から感じ取れるのは、太陽と、風と、繁る草花、そして猫の匂い。微弱に混じる富豪老女の香水の残り香だけが多少不愉快だね』
「そうか。悪いな」
『君は真面目だね。作之助。』

黒岩はゆったりと微笑み、織田に応えた。この甘やかな表情を武器に、何れだけの情報を手にいれて来たのか。この細い体躯に、何れ程の人の過去を刻んで居るのだろうか。
織田は暫し、向き合ったままの黒岩の顔を真っ直ぐ見詰めていた。

「…ねえ、いつまで俺達を茅の外にしてるつもり?涙香兄ちゃん、今日いつまで居られるの?夕飯は?」

そんな様子を打ち破るように、上から二番目の少年は不満げに問う。確かに、黒岩がこの場所に来たのは二か月程振りだった。

『とても魅惑的なお誘いだけど、僕はこれからちょっと仕事があってね…』
「ちぇ…そうなんだ」
『済まないね、また来るよ。』

黒岩は少年に負けない程、残念そうな表情を出して応える。其の細くて靭やかな指が子供達其々の柔らかい髪を撫でて離れていった。
二階から階段を降りて行く黒岩に織田は付いていく。

『其れじゃあね、作之助』
「ああ、涙香…」

黒岩は織田の言葉に応えるように僅かに首を傾げて笑う。穏やかな春の風がふわ、と二人を包んだ。黒岩は顎辺りで真っ直ぐ切り揃えられた癖のない黒髪を抑えながら茜空を仰いだ。

「涙香、」
『どうしたんだい?』

流れる雲を追っていた視線を流し、横目で織田を捉える黒岩。対峙する織田は、真面目な表情を崩さず続けた。

「…余り自分を安売りするなよ」
『可笑しな作之助。君は僕への依頼料の相場、知っているだろう』

するり、黒岩は織田から視線を移し其のまま彼に背を向けた。

『作之助も、自分を大切にね』
「おい、…」

去っていく華奢な背中。織田は引き留めることも出来ず。揺蕩う感情を、己の瞳に映しつつ其の姿を見詰めていた。


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