【本編p.3の中原目線の話、ぬる裏】



中原は迷っていた。
此の状況下、脳裏にチラつく人物のせいで。

「………………ちっ、」

そして、迷う自分自身には著しく苛ついていた。


御存知の通り、中原中也と呼ばれる此の男は、横浜の街を取り仕切る大組織の一つであるポートマフィアが誇る幹部の一人である。


―――
事の発端は、三時間前に遡る。首領室に呼ばれた中原は、首領である森鴎外からとある命を受けたのであった。

「来たね、中也君」
「はい。其れで、今回の任務とは」

穏やかに中原を迎えた森は、前のめりで指示を乞うその姿に僅かに微笑む。

「やる気に満ち溢れていて宜しい。今回中也君にお願いするのは、西方の案件なんだ」
「西方、」

何でも来い、直ぐに終わらせてやる、と拳に入れる力を強めていた中原は、心なしか意外そうな声色で答えた。

「うん。西方の異能力集団の動きが少しね」
「調査ですか」
「んー。調査は半分…ないし三分の一」

森は微笑みを携えたまま、わざとらしく勿体振って言う。ゆっくりと、微笑みの種類が暗闇を映すものに変化して。

「後はまあ―――制圧だね」
「……御意」
「よろしく頼むよ中也君」

森のそんな言葉に恭しく頭を下げて、退室した中原は、たった今授かった西方の任務へ連れていく精鋭部隊を手早く選択し全員に通達を済ませた訳である。流石は幹部殿。命を受けてからものの三十分で航空機の旅券まで全て手筈を整えさせたのだから。

だが、此処からが問題だったのだ。全ての段取りを終え、今度は自分自身の荷造り。そう考えて自宅へと戻ったのが運の尽きだった。



――そして、冒頭に戻る。


「……ちっ、」

やはり苦々しく舌打ちをする中原は、何故か思考の中に浮かんでは消え、とする人物の顔を振り払おうと首を振る。しかしながら、其れは何の意味も為さなかったのである。

「しゃーねぇな……顔拝みに行くか」

中原は呟き、小さく息を吐いた後、僅かに口の端を釣り上げた。そして、トレードマークの中折れ帽をキュ、と被ると自宅を後にしたのだった。


目的地は単車を飛ばして15分程の路地にある、何処か異国情緒を漂わせる住宅。どうせあの男には、自分が今から訪ねてくる事などお見通しなのだから、と逸そ無遠慮に。中原は単車を乗り付けると慣れた様子で、アンティーク調の扉にあるドアノッカーを鳴らした。


ゴンゴンゴン、

少し待つと、焦茶色の扉が内側に開く。
黒い着流しで現れたのは、軽やかに微笑んだ―――黒岩涙香であった。

「よお」
『……僕からは君の顔が視界に入らないのだけど』
「あぁ?分かって言ってんだろ手前!」

中原は、黒岩が返す揶揄う様な言葉に怒鳴り返す。二者の身長差は約二十糎、中原は黒岩を"下から"睨み付けたのである。

『まあ、こんな汚い言葉の遣い方をするのは君くらいだろうね。中原』
「ちっ」

黒岩は中原とのいつもの問答に苦笑をしつつ、中原に入室を促した。

『どうぞ?』
「ああ。邪魔する」

中原は黒岩の部屋に足を踏み入れると眉を寄せ、右手の小指で片耳を塞ぐような仕草。何故なら黒岩の家には、一切の音がないのだ。どんな仕組みになっているやら分からないが、本当に"無音"という言葉が正しく、むしろ耳鳴りさえ引き起こすのが此の部屋だった。

「静かっつーレベルじゃねえだろ。此れじゃあ鼓動や血の巡る音すら雑音になりそうだ」
『おや。君にそんな感覚があるとはね。感心したよ』
「チッ……馬鹿にしやがって」

中原は言いながらいつものようにソファに腰掛け、黒岩に目を遣る。サイフォンで珈琲を淹れ始めた恐ろしく美しい男の横顔。チラリと見える耳の中には煌めく紫色の石。彼の持つ異能【伊呂波歌】の弊害で、超過敏になっている聴力故に耳栓を常日頃装着しているのである。

『それで今日は?』
「いや……」
『?』

テーブルに珈琲を置きながら、黒岩は当然の疑問を投げ掛ける。しかし中原は歯切れの悪い言葉をモゴモゴと返す始末。黒岩も不思議に思った様子で、コテ、と首を傾げた。

「み、明朝!西方に発つんだよ」
『へえ?西方か……長くなるのかい?』
「まあな……恐らくは」

大きな声で答えたかと思えば、妙に静かな声になる中原。対照的に黒岩は悪戯っぽく微笑み、中原の斜め前にあるアンティークチェアに腰掛けた。

『そう。じゃあ真逆……暫くの間、会えないから…なんて理由で僕に会いに来てくれたのかい?』
「……、」
『中原。君、マフィア向いてないんじゃない?……んっ』

余裕すら見せる黒岩に、中原はゆっくりと、帽子を取り、テーブルに乗せた。憎まれ口をきく黒岩の唇を己の其れで塞ぐと、中原は睨むように黒岩を見下ろす。

「るせえな。静かにしろ」
『君はこんな時ばかり僕を欲しがるけど、どう謂うつもり……、っ』

着流しの袷を強く引き上げ、軽すぎる黒岩の身体を放り投げるが如く、二人掛けのソファに移動させる。覆い被さってくる中原を見上げながら、黒岩は困ったような笑顔を作った。

『乱暴だなあ……。まあどうしてもと謂うなら……ひよ屋のプリン一ヶ月分で手を打つよ』
「けっ、仕方ねえから後で届けさせてやるよ。きっかり三ヶ月分な。」
『其れは……乗った』

黒岩は悪戯っ子のような微笑みを浮かべると、何処か夢見心地に、中原の首元にふわふわと揺れる橙色の髪に美しい指を這わせる。

『んっ、ふ』

唇を合わせるのがお気に入りらしい黒岩とじゃれるようにして触れ合う。白く滑らかな肌を黒革の手袋を外して、暴いていく。

『は……、ぁっ』

中原は黒岩が行為中に、己の髪を撫でるのが好きだった。逸そ愛おしさすら伝えてくる手付きに沸き上がる感情は、何故か何処のどんな女と寝ても得られる物ではないのだ。

『あ、っなか、はら』
「んだよ」
『もっと……っ』
「煽んじゃねぇ、馬鹿」

接吻を乞われ、戯れを求められる。陶器の如し黒岩の肌は、触れても触れても足りない様な錯覚をもたらす。凄絶な色香に引き摺られながらも、中原が丁寧に黒岩を融かしていけば、すがりついてくる其の手が余りに愛おしい。


……其れでも、何度となく繰り返している此の行為が、どうしても、何の意味も成さない事を中原は悟っていた。黒岩の想いの先を、分からない振りをし続けて。


2018.03.25*dead apple cong.
中原大活躍故に。


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