ヰろハ、匂へど(企画)

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【ろ】(オオカミ麻天狼/男主/ハロウィンパロディ)


蝋燭の灯りが、何処からか吹き込んでくる冷たい風に撫でられてゆらゆらと影を伸ばす。
冷たさを覚える程に白い空間だ。繊細な装飾が施された白い柱と沢山の美しい絵画が立ち並ぶこの広い廊下。全てが大理石で作られているようで、仄暗い先まで長く続いていた。

僕は一人歩いていた。まるで人気を感じられないこの空間で、自らの靴音だけを聞いて、闇深まる廊下の先へ足を進めていた。コツ、コツ。コツ、コツ。僕の足を包む、先の丸まった革靴が歩みと共に鳴らす音が、誰かの部屋を訪ねてドアを叩く時のノックの音に似ていると思った。

コツ、コツ。コツ、コツ。
僕の靴の踵が、大理石を叩いている。

まだまだ先は長いな、唐突に僕はそう思った。――でも、それと同時に、一体自分が何処に向かっているのか、全くもって思い当たらないことに気が付いたのだった。

急激に背筋が寒くなる。辺りを見回しても、そこには頼りない蝋燭の灯りと、影と、白い廊下しか無かった。どうにも恐ろしくなってよろめいた僕は、踞る。この広く白い廊下の真ん中で、頭を抱え膝を抱え、丸くなった。寒さなのか、恐怖なのか、原因の分からない震えが僕を包んでいく。振り払うように幾度か首を横に振れば頭に血が昇る。深呼吸をして少しでも遣り過ごそうとすれば、ようやっと落ち着いた思考に戻ってきたのだった。


――不意に、花の薫りが鼻腔を擽った。




「君、迷子かな?」
『…っえ、』

そんな声に驚いて顔を上げると、光色にエメラルドの輝きを差し込んだような、そんな眩しさを持った存在が視界いっぱいに広がった。余りにも綺麗な顔だ。その"ヒト"は笑顔を称え、踞る僕を覗き込む。隣り合うようにしながら膝をついていた。

『迷子…なのでしょうか』

ポツリ、唇から零れた言葉は紛れもない本心で。僕は本当に分からなかった。

「そう…。分からなくなってしまったんだね。ならば僕が道案内をしようか」
『道案内…』

僕はその言葉を繰り返してからマジマジとその"ヒト"を見詰める。今の今まで顔のドアップしか見えなかったが、少しだけ視界を広げれば、光色の頭に獣の耳――灰色の大きな耳が、あった。それは調度、そう。狼のようなそれ。

「僕は一二三、この城を守る番人の一人なんだ」
『番人』
「そ。だから、道案内はお安いご用さ!」

一二三、と名乗ったその"ヒト"――いや、人狼なのかも知れない――は嬉しそうに言って、僕に手を差し伸べる。彼の中に一切の悪意は感じられなかった為、僕はおずおずとその綺麗な手を取ったのだった。



――コツ、カツ、コツ、カツ。
隣り合って歩く。僕の靴が鳴らす音よりも幾分か高い音で一二三さんは踵を鳴らす。二つの音が交互に響いて、少しだけ面白かった。

「なまえは、どうしてここに来たの?」
『え?』

どうして――、そんな理由分かるわけも無く、僕はぼんやりと思考の渦に巻き込まれそうになる。

「そっか。本当に忘れちゃったんだね」

一二三さんの言葉が静かに僕の鼓膜を揺らす。顔を見上げれば、何処か寂しそうに歪んだ顔が見えた。

『……僕は何か…、』

言い掛けた途端、疑問が湧いてくる。先程一二三さんは、僕の名前を呼ばなかったか?僕はいつ、名乗ったのだろうか?この数十分の中の記憶には無いやり取りだった。

――カツ、コツ、カツ、コツ、カツ…


『あの一二三さ、……』
「見てご覧」
『え?』

隣の一二三さんが前方を指差す。僕がその先に視線を合わせると、そこには。

『すごい…、本が、たくさん…』

壁一面の書架。高い天井の淵まで、びっしりと本が並べられていた。今まで抱いていた疑問も吹き飛ぶくらいの壮観だった。

「ここにある本は全部読んで良いんだよ」
『本当に…?』
「勿論さ」

一二三さんは目を細めて笑い、僕の髪をさらりと撫でる。僕がふらふらとその書架へと近付こうとすると、

「おい!一二三!何やってるんだ、お前、サボりとか、ホントマジでやめろよな!」

書架の奥から、分厚い本を何冊も抱えたまま、恐ろしいほどの速度で一二三さんに近付いてきた存在がいた。

「お前もどうせ、こういう地味なことは俺だけに押し付ければ良いとかそう思ったんだろ、クソ、それもこれも俺が根暗だから…っんだよ俺のせいかよ全部―――っ兎に角!先生に言われただろ、なまえが来る前に、ここを整理しと、け…って……」

僕が視界に入ったらしく、その"ヒト"は目を見開いて錆びたブリキの玩具の如くぎこちない動きでこちらを見詰めてくる。端正な顔立ちだ。その中で最も目を引くのが、その瞳の下に刻まれた隈であることだけが残念であるが。

「は?え?なまえ、?」
「独歩くん、」

一二三さんは肩を竦めながら静かに、興奮していたその"ヒト"の名前らしき言葉で呼び掛けた。
独歩、と呼ばれたその"ヒト"も、一二三さんと同じように灰色の大きな獣耳が生えていた。髪色は血のように赤く、所々清らかな水のような色が見え隠れしている。

「独歩くん、黙って仕事を放棄したのは悪かった。けれど、――――そう言うことだよ」
「なん…、だって、まだ予定より、早い…のに、こんな、俺が遅刻した、みたいな…一二三は気付いたことなのに俺は気付けない、こんな……先生に嫌われる…俺はもう捨てられるんだ…折角、あのクソハゲジジイから救って頂いたのに俺は、恩返しの一つも出来ない、なんて、」

独歩さんは、項垂れてブツブツと何かを零している。唇から負の気配が流れ出ている様が良く見えて、僕は少しだけ心配になった。

「さ。独歩くん、なまえが困っているよ。戻っておいで」
「はっ―――なまえ、」
『は…い、』

勢い良く呼ばれた名前に、反射的に返事をすれば、独歩さんはホッとしたように口許を緩ませる。

「独歩くん、」
「何だ、一二三」

一二三さんが何やら耳打ちをする。僅かに緩んでいたはずの独歩さんの頬は、瞬く間に青褪めた。

「そんな…、は、早く、先生の所に!」
「…うん。そうしよう。…なまえ、行こうか。道案内を続けるよ」
『は、はい…』

二人に手を差し伸べられ、誘われるようにしてそれに触れる。ふと見れば、一二三さんと独歩さん、どちらにも灰色のふさふさとした尻尾が生えていて。僕はふわふわと揺れるそれを、何だか懐かしい心持ちで見ていた。


――カツ、コツカツ、カツ、コツカツ
三人の足音が大理石の廊下に響く。少しだけリズムがずれた音が混ざり、遠い記憶の音楽を思い出す。

僕はふと思い当たる疑問を投げ掛けた。

『…お二人は、狼、…人狼なのですか』
「ああ」
「そうだよ。ねえなまえ、僕達が怖いかい?」
『え、…いえ、』

何でもないように回答され、僕も何でもないように納得した。不思議と怖くは無かった。良く分からない、この違和感のようなものだけが疑問だったけれど。


三つの足音は、廊下の奥の闇に飲み込まれていく。大量の書物があったあの空間を抜けた後も、ずっと奥まで暗く伸びる廊下が続いていた。
それでも、先に進んでいる、と感じられたのは廊下の壁の所々に絵画ではなく扉のような物がポツポツと現れるようになったからだった。

「なあなまえ、」
『はい、』
「俺たちの事、本当に忘れたのか?」
『え?』

独歩さんが声を低くして尋ねてくる。僕が顔を上げると、右手が痛いくらいに握られた。

『―――った、』
「本当は覚えているのに、嫌になって忘れたふりをしているんじゃないのか?」

独歩、と一二三さんが咎めるように呼び掛けるものの、いつの間にか、綺麗に切り揃えられていた肌色の爪が、長く尖った黒い爪へと変容し、僕の手の甲へと僅かに食い込んでいた。

『っどういう…』

困惑し、繋がれた手を見詰める。独歩さんの手は、数秒の後に灰色の毛に包まれて鋭い爪を持った、正に狼のそれになっていた。

ここに来てから、良く分からないことだらけだ。僕には一切覚えがないのに、この場所を懐かしいと感じたり、この二人なんて面識はないのに僕の名前を知っていたり。人狼だとかそんな言葉、大好きなお伽噺のに出てくるくらいだったはずなのに。僕は何の疑問も持たず、拒否感もなく、ここまで連れてこられているのだ。一体、何が起こっているのか―――漸く、僕の思考に疑問が浮上してくる。


「おやおや、独歩君。そんなに毛を逆立ててどうしたんだい?」

低く甘やかな響きだった。
音もなく、その"ヒト"はそこにいた。

『―――っ』

息を飲むほど美しくて、息が出来ないくらい圧倒される。それでいて、その瞳に湛えられた色は余りにも慈愛に満ちていた。ああ、そうか。―――僕はこの"ヒト"を知っている。この"ヒト"こそ、僕がずっと焦がれていた……。

「「せ、先生!」」
「うん。一二三君も、道案内をありがとう」

一二三さんと独歩さんは、僕から手を離して新たな存在へと駆け寄っていく。先生、と呼ばれたその"ヒト"も、二人と同様に灰色の大きな耳と、ふさふさの尻尾を持っていた。

『ぁ、』
「ふふ、思い出したようだね。なまえ君」
『………、寂雷、せんせい、』

考える暇すら与えられなかった。ただただ僕は、先生の名前を呼びたくて堪らない衝動に身を任せて音を乗せる。甘くて優しい微笑みが返ってくれば、身も心も蕩けてしまうような気すらした。

「待ち兼ねたよ。300年も飴村君の魔法に掛けられてしまっていたんだから…私の可愛いなまえ君…さあ、おいで。皆でお祝いしよう」
「さ、手を繋ごう」
「行くぞ、なまえ」

再度一二三さんと独歩さんに手を引かれて足を進める。
廊下の闇を抜けると、懐かしい晩餐の場が広がっていた。

「さあ、いつもの場所にお座り」

寂雷先生が腰を掛けながらそう声を掛けると、僕達三人…ないし、三匹はテーブルに着く。

「なまえ君、どうかな?記憶は全て戻ったかい?」
『…まだ、あまり…でも、何となくは繋がります』
「そう。なら良かった。君は飴村君の魔法で異界に500年囚われる筈だったんだよ。…でも、君は300年で戻ってきた。流石だね」

寂雷先生は誇らしげに笑う。僕は誉めていただけたことがとても嬉しくて、はにかんだ。

「あ、あの、先生」
「どうしたのかな、独歩君」
「なまえの手を、その…俺、」
「ああ……、なまえ君、こちらにおいで」
『はい、』

先生の近くまで、移動すれば右手を見せるように、と声を掛けられる。言われたままに差し出せば、僕の貧弱な手は、寂雷先生の大きくて美しい掌に包まれた。

「少しだけ傷になっているね。…独歩君、次からは気を付けるように」
「す、すみませ、すみません!」
「うん。なまえ君、ちょっと失礼するよ」

独歩さんを嗜めた後、先生は僕の手の甲を顔に近付けていき―――、僅かに赤くなっていたそこを、舐めた。じんわり熱く、そして全身を力が漲るような感覚だった。

『っ、』
「ん…、なまえ君の血は余りにも魅力的だからね。無闇に流すのは良くない。また横取りされたくはないだろう?」

一二三さんと独歩さんは何度も首を縦に振って先生の言葉に答えている。僕は、恥ずかしさからくる頬の紅潮をおさえつつ、先生の舌が触れた傷跡をみる…のだが。しかしそこには、何の跡も残っていなかった。代わりにポカポカと暖かい何かに包まれるような心持ちだ。

『先生、傷が…』
「ふふ、私には回復の力があるからね――おや?」
「なまえ!耳が!!」

独歩さんが指摘し、一二三さんが飛び付いてきて僕の頭をくしゃくしゃと撫でる。僕も恐る恐る手を頭に遣ると、ふわふわの感触。位置としては…そう、皆の獣耳と同じような場所。

『僕…、』
「やったね、なまえくん!」

一二三さんが背後から僕を抱き締めて頬に口付ける。

「あ!おい一二三!狡いぞお前!!」

そしてバタバタと立ち上がった独歩さんもまた反対側の頬へと口付けをした。

「おやおや、ふふ…可愛らしいね全く。なまえ君、もしかして少し、戻ったかな?」

僕が具の、ひふどサンドイッチになったこの状態を見て、寂雷先生はクスクスと心底楽しそうに笑う。
そしてそう、僕はと言えば。この状況下で、僕がここに帰ってきたという実感を強く強く取り戻していたのだった。

『あ……一二三、独歩、…ただいま…』
「!!お帰りなさい、なまえくん!」
「…っおかえり…なまえ、遅すぎだ…」

大好きな同胞達に、後ろから前からぎゅうぎゅう抱き締められて、苦しいんだか幸せなんだか、もう分からないくらい良い気分だった。自然と口角が上がる。

「なまえ君、」

気付けば目の前に寂雷先生が来ていて。

「私には何かあるかな?」
『寂雷先生、…ただいま戻りました、』
「ふふ、おかえりなさいなまえ君」

ゆっくりと時間を掛けて、先生の唇が僕の額に触れて、離れる。先生が僕達三人を包み込むように抱き締めてくれた。



―――こうして、僕は漸く、この狼達の群れに戻ってくることが出来たのであった。




happy halloween*




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