ヰろハ、匂へど(企画)

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【は】観音坂独歩/受男主(自傷、流血表現有)


早く心なんか死んで終えば良いのに。
心を明け渡したいと思う相手は僕の気持ちなんて求めていないのだから、遣り場の無い想いなんて自分にとってただ重荷なだけだ。夜毎、想いが強くなっては息の仕方を忘れる程に咽び泣いて、目を腫らす。元より良くない僕の見目がより一層醜悪なものに変容する。

別に、僕の外見が良くなったからと言って僕が選ばれる訳ではないけれど。だって彼の隣には既に、――そう、既に。ずっと昔から、光の良く似合う男がぴたり寄り添っているのだから。そんなこと、学生時代からもう嫌と言うほど分かっているのに。
この愚かしい僕の思考回路は、彼を求めて止まないのだ。この感情はそう、15年越しの物だから。きっともうずっと。僕の息の根が止まるその時まで僕に付き纏うのだろう。時に最大の幸福を与え、時に最大の絶望を与え。それを繰り返して僕を疲弊させるのだろう。


早くこんなこと終わりにしたい。でも、いつまでも。あの瞳を見ていたい。

ああ、本当に―――どうしようもない。



――観音坂独歩が好き。
僕がそんな感情に気が付いたのは、中学二年の夏だった。
一年の時からクラスが同じで、何度か近くの席になって。気が付けば話すようになっていて。いつの間にか、小学校から独歩と共に過ごしていると言う一二三ともつるむようになった。良く交差する光と影のような二人に、僕は付かず離れず風のような存在で居られれば良いと思っていた。

それが変わったのは何が切っ掛けだったろうか。今でも良くわからない。もしかしたら初めからそうだったのかも知れないし、もしかすると思春期特有の友情と恋の履き違え、みたいなものだったのかも知れない。とにかく、それは突然僕の胸を焦がして、呼吸を難しくさせたし、目の奥を熱くさせた。
独歩が一二三と二人で行動しているのを見るだけで、僕は僕自身の存在を否定したくなった。


…馬鹿みたいな話だ。そんな僕達は既に道を違えていて。独歩はサラリーマン、一二三はホスト、僕は美容師。それぞれの道を進んでいるはずだし、もう三十路にもなると言うのに。いったい何処の誰が作った安いギャグだろうか。





**




「なまえ?」


―――シンジュク、大通り。
随分と良く知った声に呼ばれてゆるゆると顔をあげる。
今日は国民の休日。誰もが挙って出掛けるカレンダーの赤い日。そんな日に社畜の鏡と名高いこの男、先程の声の主である観音坂独歩に街中で出会すなんて中々無いことだ。深い緑色のシャツにカーディガンを羽織った独歩は、隈の目立つ顔をこちらに向けていた。

『あれ、独歩。こんな所で珍しいね。今日は休み?』
「ああ…。今日は今度のラップバトルの打合せがあって、」

頷いてから独歩は、半身を振り返り背後を示す。確かに、少しだけ遠くから一二三と神宮寺先生が近付いてきていた。
その姿に、僕は胸がツキリ、痛むのを感じながら笑みのようなものを象る。

『そう…頑張ってね』
「ん」

独歩がコク、と小さく頷き返事とも何とも言えないような声で答えてから向き直る。

「なまえは」
『僕?これから出勤。今日はお店午後からにしちゃった。ラストまで詰まってるけど』
「そう、か…店長、だもんな。忙しそうだ」
『え〜。独歩の方が忙しいでしょ。そんな目の下黒くしてさ』
「俺は、別に…要領悪いだけで、全部俺のせいだし」
『そんなわけ無いじゃん。』

人を労りつつも、自分への痛烈なディスを忘れない独歩に、僕は苦笑するしかなかった。

『…まあ、また髪切らせてね』
「ん…けど、いつも、予約いっぱいだろお前」
『あ〜。だから言ってるでしょ。店通さないで連絡してって』
「でも…」
『でもとか無し。次はそうしてね。』

美容師をしている僕は、数年前から自分の店を持つようになっていた。その後一二三の担当をすることは良くあったが、独歩については彼の社畜魂も相俟ってか片手で足りる程だった。

『ほんと独歩は律儀だなあ。……あ、』

呟くと同時に、ポケットの中の端末が振動する。取り出して画面を見ると、店からのメッセージだった。急ぎではなさそうだが、と思いつつ小さく息を吐いてから僕は肩を竦めた。

『それじゃ、僕は行くね』

眉尻を下げて笑い身を翻すと、独歩は弾かれたように腕を掴んで細長い紙を差し出してくる。

「あ!待ってくれ、なまえ。渡したいものがあって、これ…」
『チケット?』
「ん…。今度のラップバトルの。2枚ずつ、貰えて。その、誘いたい人に渡せるんだ…」
『…ありがと。確かに僕、独歩の貴重な友達だしね』
「なっ、それは!」

意地の悪い冗談に耳まで赤くしながら切り返した独歩は、一つ息を吐くと真剣な眼差しに切り替える。そして手を伸ばし、僕の頬をするりと指先でなぞる。それは真綿に触れるような、優しい緩やかさだった。

「――て言うか、なまえ、痩せた」
『そう?あ、そうかも。僕夏苦手だからさ、その名残じゃない?』
「……、でも少し顔色も悪いし、それに腕も。腱鞘炎って言ってたけど…」

憮然とした表情で独歩はこちらを心配する様子を見せる。僕の腕のサポーターに視線を遣るその目元には濃い隈。再度苦笑した。

『もうさあ、独歩は人の心配し過ぎ。僕からしたら、そっちこそ。な台詞だよ』
「でも…」
「あー!あーっ!!なまえじゃん!チスチースっ!」
『わっ』

背に突如大きな衝撃。明るく勢いのあるそれは、当然の事ながら一二三だ。

『一二三、びっくりするじゃんか』
「へっへへ〜めんご!」
『それ思ってないでしょ…』

一二三を窘めると、逆に嬉しそうな声が帰ってきた。しかしながら首に巻き付いた腕と背中の重さと温かさは離れていかず。半ば一二三を背負ったような体制のまま、新宿の名医と対面することとなった。

『あ、神宮寺先生こんにちは』
「こんにちはなまえ君。今日はお仕事?」
『はい。皆さんはラップバトルの打合せなんですね』
「ああ、そうだよ」

穏やかな神宮寺先生が微笑む。先生の笑顔は、大きな海その物のようだ。

『応援してますので、頑張ってくださいね。……とは言え、三人なら大丈夫でしょうけど』
「はは、そうだね。一二三君も独歩君も、とても頼りになるから、きっと大丈夫だと私も信じているよ」
『はい。ふふ、当日が楽しみです』

その微笑みにつられて、僕も表情柔らかく"フツウ"に会話が出来るようだった。
首に巻き付いている一二三が身を乗り出す。

「なになに?なまえ来てくれんのー?あ!チケット!!独歩ちんやったじゃん!!」
「おおおお、い、っ一二三!!」
『仲良いなあ』
「え〜っ俺っちなまえともめっちゃ仲良いじゃん」
『はいはい、そうですねー』
「あ〜!ひっでえ!」
『うぐ、一二三…』
「ひ、一二三!なまえを殺す気か!」
「えへへ、めんごめんご!」
『けほっ、まあ、良いけどね。』

ぎゅうぎゅう、と抱きつく力を強めてきた一二三。彼は優しい。決して良いとは言えない言葉遣いではあるが、僕の気持ちの隙間に蜂蜜色の光を注ぐ。だからこそ、より一層辛いのだ。
独歩が一二三に拳骨を一つ与えたところで、そろそろタイムリミットだった。

『あ、では僕はこれで失礼します。先生、二人をよろしくお願いします』
「なまえ君は何だか保護者みたいだね。まあ勿論、任されたよ」
『独歩、一二三、じゃあね』
「ああ…」
「ちぇ〜またな!」

目尻を下げて、口の端を持ち上げる。微笑みはそうやって作るのだ。3人それぞれに声をかけて僕は進む。

――先に背を向けて歩き出し始めたのは僕の方なのに。少し歩いて振り返った方向に見えた三つの背中は、余りに眩しくて僕の喉を焼く。
いくら首を振っても、目を閉じても。とうとう、そこにどうして僕が居てはいけないのか、と進み続ける思考を止めることは出来なかった。




**




独歩と会った日の僕の仕事のパフォーマンスは余り良くない。恐らく、お客様やアルバイトを始めとした従業員の子には勘付かれずに済んでいるだろうが。曲がりなりにも好きな人に会っていると言うのに、メンタルを根刮ぎ削られなければならないのは頂けない。まして店長と言う立場だ。そんな情けない理由は許されるべきではない。


閉店準備を終えて、アルバイトや従業員達が帰り、ガランとした店内には僕だけが残る。シャッターを閉めて、半分程度明かりを消した。それでも尚、白を貴重とした床壁と、数多くの鏡のお陰で店内は明るい。明日の予約確認や、今日の収益の計算などを済ませると、僕はフラフラと一つの鏡の前へと進む。

―――"僕"が映っている。

僕は鏡が苦手だった。それは、醜悪な自分をいつでも残酷に、正しく写し出すからだ。それでも見ずに居られなくなるのは、辛うじてでも人の姿を保てる様に、自分を常に監視するためだった。それが美容師になった1番の理由とも言える。

息が苦しくなって、一度目を逸らす。そして再度目線を上げれば、先程と変わらない"僕"が映っている。それは、想い人に気持ちを渡せずに苦しむ人間の姿だった。

無性に何かを破壊したくなる。ほぼ毎晩襲ってくる衝動。僕のそれは、僕に向かう刃になる。腱鞘炎と偽って身に付けている腕のサポーターの下には、幾つもの横線。蚯蚓脹れのような醜い傷の数々があった。

清潔な刃物には困らないこの職業だ。サポーターを外して、僕はそこに新しく傷を付ける。
ヒヤリ、刃は薄い皮膚を突き破る。そこから流れる赤い一筋が、白い床にポツリ、垂れた。血が、生きる証が外に流れ出す。その時の、凍るような冷たさと焼けるような熱さの相反する感覚は僕の思考を少しだけ緩ませる。

もう一つ、ポタリ。赤が床に落ちる。僕は店内がこれ以上汚れないように、タオルで受け止める。いつもより深く切ったのかも知れない、等と冷静な自分に嘲笑した。


――カタリ、


入口付近から音が聞こえた。
全員が退勤するまで、店の入口の部分だけはシャッターが3割程度上げられている。うっすらと人の足が見える。
受け皿にしていたタオルを腕に巻いて、防犯カメラの映像を見に行く。するとそこには、今の今まで僕の思考を乱していた人物が視線をさ迷わせながら立っていた。

『独歩、』

思わず呟き、瞬間的に僕は迷った。この腕を見られたらきっと今までの関係は全て消え去るのだろう。軽蔑されるに違いないのだ。何だか、笑えてくる。蓄積する事15年の想いだ。それが今、一瞬で無に還ろうとしている。
でも。もう、良い。潮時と言うやつなのだろう。僕は一つ息を吐いてから入り口へと向かう。ゆっくりとシャッターを視線の高さまで上げれば、独歩はあからさまにホッとした表情を浮かべた。

「なまえ、」
『どうしたの?』

独歩を店内に迎え入れる。シャッターを定位置まで下げて振り返れば、

「お前、それ、」

と、全ての負の感情を混ぜて、困惑を極めたような、そんな表情と対峙した。視線の先は勿論、腕に巻かれたタオルで。じんわりと赤く染まったそれは、ずっしりと確かな重さを示している。

「なまえ、それ、……血がっ!!」

独歩は弾かれたように、僕の二の腕に触れる。この上ない焦りを見せながら、近くにあった椅子に僕を座らせて出血部分を心臓より高く上げて保持しようとしていた。

「早く、病院、救急車、」

泣きそうな、祈るような声でスマホを取り出す独歩。手汗をかいているせいか、その端末は独歩の手をすり抜けて、白い床に落ちた。

『独歩、』

思いの外、静かな声が出た。

「す、すまん、待ってくれ、今、スマホ…拾う、から今、俺、おれ…っ」
『独歩、大丈夫だから』
「何がっ………、なまえ、さっきから何で何も、」
『だって、自分でやった事だから』
「は、?」
『自分で切りたくて切ったってこと』

何が何だか分からない、そんな顔だ。可哀想なくらい、愛おしい顔。

「なん、で」
『何でだろうね。僕も分からないんだけど、生きてるのしんどくて。でも死ぬって言うのもなんか違くて。気が付いたらいつもやってる』
「…、いつも、って、なん、で」

今にも涙が零れそうな独歩の瞳は、どうしようもなく綺麗だった。その涙が、どうやら僕の為に流されるらしいことを思って、感じ入る。
つられたのか僕の目の奥も熱を帯びて来た。

『ふふ、独歩。なんで、しか言ってない』
「当たり前、だろ、だって、なんで…なまえ、」
『優しいね、独歩は。理由なんか聞かないで突き放したって良いのに』
「っ出来るわけ無いだろ!!そんな、ざけんな。なんで、お前、突き放せ、とかホント…意味わからん…、なんで、言わなかったんだ…」
『…独歩にだけは絶対言えないよ』
「っ…、俺が、頼りないからか?まあ、そうだよな。くそ…、なまえに言われるのキツい、けど解ってる、でも、一二三だって、居るし。先生にだって…」
『独歩は何も悪くない。僕がいけないんだ。好きになるべきじゃなかったのに』

遂に瞳は涙を溢す。僕がそう言うと、独歩はふと我に返ったように静かな言葉で返してきた。

「なまえ、好きな、ヤツが…いるのか」
『うん。もうすぐお別れだけどね』
「お別れって、…それで、そんな、悩んで?なん、っお前、だってそんな話、全然…」
『うん…したこと無い。だって言葉にしても困らせるだけだし、二人と一緒に居られなくなるのは嫌だったから』
「…、それ、」

独歩はハッとしたように、僕をみる。もうこれがきっと最後だ。独歩とちゃんと話せる最後の機会なのだ。そう思って涙を拭う。自然と微笑みが浮かんできた。

『独歩と一二三はさ、もう何て言うか二人で一人みたいな所があるじゃん。それこそ夫婦みたいに。僕は多分ずっと、それが羨ましかった。今まで一緒に過ごして貰ってたけど、結局二人の近くには僕の居場所を見付けられなかった』
「お別れ、って、何、え?お前、一二三が好きなのか?」
『ううん。僕は独歩が好きだったよ。すごくね、好きだった。』

ああ。言ってしまった。遂に、言ってしまったのだ。絶望すら感じさせる独歩の表情を見て、僅かに罪悪感を覚える。それでも、もう終止符を打つことしか考えられないのだ。

「なん、それ…だった、って、どういう」
『気にしないで。僕の気持ちなんて貰っても困るだろうから、今ここでちゃんと捨てるし、もう会わないようにする。その為の過去形だよ』
「は?捨てるとか、会わないとか、なんだよ、それ…」

困惑だけを呈していた独歩の表情に、少しずつ怒りのようなものが滲み始める。僕は不思議に思いながらも、伝えるべき事を全て伝えるべく、唇を動かし続ける。

『だから独歩も僕の事忘れて大丈夫だからね』
「っざけんな!!なんでそんな事言うんだよ!忘れろ?ハッ、無理だろ。絶対に嫌だ。俺は現在進行形でなまえが好きだって言うのに」
『…、それは、友達として、だし。一二三だって、』

独歩の珍しい大声に今度は僕が困惑する番だった。この優しい人は何を言い出すのか。今自分に何が起こっているのか。
独歩は僕の両肩を強く、少し痛いくらいに掴んでくる。

「勝手に俺の気持ち決めんな。一二三とは何でもない。俺は、なまえが、好きだ。ずっと、好きだ。ホントに、好きなんだ。それなのにこれまでウジウジしてた俺も悪い。それは反省、する。なあ、だから…。お前の気持ちは本当に過去形なのか?もう俺にはそれを拾うチャンスは無いのか?」
『…ほん、とに、?』
「答えてくれ…頼む……なまえ」

肩に食い込む独歩の手が痛い。でも、それ以上に、独歩の祈るような縋るような声と言葉が突き刺さる。僕の首筋に触れる独歩柔らかな髪が夢のようだった。
涙が止まらない。僕の唇は壊れた様に想いを言葉に載せて溢れさせていく。

『っ、独歩、大好き、今も、ずっと先も、大好き』
「なまえ、っ」

独歩が息を呑む音が聞こえた後、僕はずっと欲しがっていた温もりと香りに強く、強く、包まれたのだった。








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