ヰろハ、匂へど(企画)

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【え】(観音坂独歩/受男主[続編])



「え、え、と……なまえ、その…」
『ん?どうしたの、独歩』

情けない話だが俺は今、愛する恋人を目の前に馬鹿みたいに緊張している。別にもう、想いも通じている訳だからそこまで身を固くする必要も無いのに、臆病者の俺は、ただ一言の誘い文句すらスマートに吐き出すことが出来ないのである。

「あ゙ー…、」
『何処か痛いの…?大丈夫?』

せいぜい吐き出せるのは言葉にならない濁音符の付いた音だけで。可愛いなまえは困惑した様子で俺の顔を覗き込んでくるのだ。はあ……マジでかわい過ぎ。天使かよ…。

…………じゃ、なくて。


「ちがっ…あの…、く、く…」
『く?』
「く…、くり…クリスマス!」
『ああ…うん、?そうだね。もうすぐだね』
「そう!そうなんだよ……」

俺が出した季節相応の単語に対して、なまえはきょとん、とした顔で頷いている。それが余りにも可愛くて、俺はそうそう、なんて答えてしまったけど。

いや、………だから、そうじゃない!

「…って、……違う!」
『違う…?独歩、どうしたの?』

頭を抱えた俺に、なまえはいよいよ困り果てた声で尋ねて来る。俺がどうしたものかとウジウジ、黙り混んでいる内に『あ』と声をあげたなまえは、

『ねえ独歩?……深呼吸しよっか』

優しい顔で、そんな提案をくれたのだった。
俺が訳も解らないまま頷けば、なまえは俺の頭をかき乱していた両手を優しく取ってくれた。少しだけひんやりした細い指先が、俺のかさついた指先と絡む。なまえの『せーの』と言う掛け声と共に息を大きく吸い込んで―――吐き出した。

「スー、ハー…、…スー、ハー……、ふぅ……すまん、…なまえ」
『ううん。落ち着いた?』
「ん…」

確かに、肺に空気が満ちていくと共に視界が明るくなる様な感覚があった。俺が視線を下げながら返事とも言えない声で頷くと、なまえは軽やかな声で『良かった』と返してくれる。

『僕が苦しくなってる時、独歩いつもこうしてくれるでしょ?それがね、すごく、安心するんだ』
「そう、なのか…」

なまえのどこまでも優しい声に視線を上げると、俺の大好きな笑顔で頷く大好きな人。そしてその人は照れたように目を伏せて。

『――なんかね、魔法みたいだな、って』

と、破壊力抜群の台詞をお見舞いしてくれたのであった。

「っ……!!お、お前、なまえは…いつもそうやって…」

俺はわなわなと体を震わせて、衝撃を交わしながら言葉を零す。半ば、自分が何を言っているやら分からない。

「…本当に可愛過ぎる。俺を殺すつもりかよマジで…。兎に角…何で俺は肝心の言葉が…たった一言が言えないんだ…」

それこそ、声に出しているのか、脳内での言葉なのか判断がつかないくらいの。

「クソ…なまえとクリスマスに一緒に居るためにはどうすればいい………あ、」
『え、』

何言ってるんだ俺…今のはどう考えても完全に脳内思考が言葉に出てたやつだろ――。なまえは驚いた様子で瞬きをしていて…俺はなんの言い訳も出来ず、フリーズしているのである。

『…ほんとに?クリスマス、独歩と過ごせるの?』
「過ごせるも何も……なまえは俺なんかと居てくれるのか?」
『僕は独歩がいいんだよ。僕はね、何をしてても、独歩と一緒が良いな…って思うから』
「そ…そんなん…最高すぎて俺はもう…もう…」

随分と真っ直ぐな言葉で俺に投げ掛けてくれるなまえに、再びキャパオーバーを起こしかける俺の脳内、…そしてメンタル。もはや右も左もどうでも良くて。絡めている指先の力をきゅうと強めた。

『ふふ…ありがとう、独歩。お仕事も忙しいのに、僕との事考えてくれてて本当に嬉しい』

なまえは俺に応えるようにして指先の力を強めると、頬をほんのりと染めて笑うのだった。





俺は随分と長い期間、なまえに如何にしてクリスマスのお誘いをするか考えあぐねていたが、その様子を見兼ねた同居人の一二三は何らかを察知し、ぐるぐるとしていた俺の思考を聞いて、あれこれと意見をくれた。更に言えば、予定をようやっと取り付けたその後も、「どうすれば良いクリスマスにしてあげることが出来るんだ」とか「どうせ俺なんか」等と管を巻いていた俺にも、上手く喝を入れたり、アドバイスをくれたりして大変助けられたのである。
普段は尻拭いばかりさせられて、辛さを助長して来がちではあるが…、ピンチの時には助けてくれるし、持つべきものは友と言うのはこれを言うのだなと実感させられた。そんな一二三に対しては強く感謝の意を表したい所である。圧倒的感謝…神様伊弉冉様一二三様。







そして、遂に来てしまったその日。
今日は巷ではクリスマスイヴと呼ばれる日。恋人たちの日。サンタクロースが空を翔んで幸せを届ける日。…色々な付加価値を持って、仰々しいラベリングが為されているこの佳き日。
俺は何故か今年、例外に漏れず…恋人であるなまえとの尊い時間を過ごせるのである。もう俺は朝から…いや、もう何日も前からずっと気も漫ろで。ハゲから何度も注意を受けた上に、ここぞとばかりに残業を押し付けられる日々を送っていたのである。

「クソ…あのハゲ…クズ……デブ……呪ってやろうか……」

今日も今日とて、呪いの言葉を吐き出しながら、デスクに積み上がった書類を鬼神の如く片付ける。
明らかに俺の担当ではない物が混じっている。それも相当数。…いつもそうだ。俺は毎回毎回、他の人間の仕事を押し付けられて残業ばかり。それに残業が多すぎて回りからは仕事の遅いヤツとか言うレッテルも貼られて。お前らがやりきれてない分を何故かこの俺が尻拭いさせられてんだぞ…!!?クソ…俺は一体何のために働いてるんだ。

「あー…早くなまえの顔拝みたい…」

切実な言葉がポロリ、と口から零れたとほとんど同時に。ブブッ、とスマホが震えた。明るくなった画面を見れば、そこにはなまえからのメッセージがポップアップされて映っていた。

「なまえ…」

俺は呼吸するようにその名を呼んで。画面の通知をタップしたのである。

――『独歩、お疲れさま。まだ会社かな?』

スマホ画面からデスクの書類、そして時計へと目を移した。――あと一時間少々もあれば、終わるか。と試算した俺は、その主旨で返信を打つ。『了解』のスタンプが返ってきて、俺は再度PCに向かう。そうか。もう少しでなまえに会えるのだ、と実感した途端、……何らかにブーストが掛かって。朝よりも画面がクリアに見える気がした。

結局、無駄に厄介な数値のミスを発見してしまったが為に、ファイルごと作り直す作業を要し。二時間近くかけて全ての処理を終えた俺は漸く立ち上がる。ググッと伸びをしてからコートを羽織り。エレベーターに飛び乗る。絶妙なスピード動く箱は俺を一階へと運び。入り口のガラス扉に視線を遣った瞬間、

「なまえ、…?…!!」

コートとマフラーに巻かれ、ガードレールに寄り掛かりながらスマホを弄るなまえが目に入って、俺は駆け出した。

「なまえ!」
『独歩、お疲れさま。残業、大変だったね』
「な、ああ…。いや、それよりどうして…」
『ん〜。なんとなく。一緒に帰りたかった気がしたから』
「なんっ……!!」

駆け寄って触れたなまえは随分と冷えていて。街灯に照らされた綺麗な顔を飾る鼻は、寒さで赤くなっていた。

「こんな寒い中…。風邪、引いたらどうするんだ、そんな…嬉しいけど、でも…」
『うん、心配させちゃったね。次から気を付ける』
「ん…そうしてくれ」

コテ、と首を傾げてなまえは眉尻を下げる。俺はなまえのこの顔に本当に弱い。いや、なまえに対してであれば総じて防御力が下がるのは確かなのだが、この困り顔は特に…堪らないものがあるのだ。

帰路を二人で進んでいく。街路樹にはイルミネーションの光が灯り、そこかしこの店では店頭にクリスマスツリーをででんと置いている。漏れ聞こえてくる音楽は、季節特有の心地好さで耳に触れる。普段から明るく賑やかな街並みではあるが、この時期の輝きは何処と無く温かみを感じさせるようだった。

『キラキラだね』
「ホント、スゴいな」
『いつもはネオンでギラギラしてるのにね。不思議』

何がそう思わせるのか、俺はなまえが殆ど同じ印象を抱きながら歩いていたことに少し驚く。

遅い時間になってしまったため、大通りまでの道程にはポツポツと人がいる程度になっている。
俺はここぞとばかりになまえの手を掴んで、コートのポケットの中で繋ぐことに成功したのである。

『ど、』
「誰も、見てない、だろ…」

戸惑ったようななまえではあるが、俺が繋ぐ手の力を少し強めると、

『ありがとう、独歩』

そう言って握り返してくれるのだった。





街を飾るイルミネーションを眺めながらゆっくりと歩く。なまえが仕事で担当したお客さんがかなりの麻天狼ファンだったとか、俺が最近一二三や寂雷先生と話した事とか。そんなどうでも良いようなことを話しながら、足を進める。

『お店の従業員の子達も、麻天狼グッズ持ってたよ』
「従業員って言うか、なんか店に麻天狼スペース作ったろ、なまえ」
『あ、お店の投稿、見てくれたんだ?そうなんだよ〜。ぬいぐるみとか、クッションとか出てたから…ね?』
「行きずらくなる…」
『そっかあ…』
「行くけどな…」
『ふふ、優しいね、独歩』

クスクスと笑うなまえに、俺もつられて目を細める。ふ、と吐息が漏れた。

彩られたスペースの疎らな人を見て思う。きっと世の恋人たちは、今頃良いお店でディナーをしたりして楽しんでいるのだろう。元より、仕事の事を考えて、予約をするのを躊躇した臆病者の俺が招いた現状なのだが。なまえに我慢させてしまったのではと怖く思った。

「なあ、」
『ん?どうしたの独歩』
「ちょっと寄りたい所が、あるんだ」
『うん、』

一度、二度。瞬きをしてから、なまえは頷く。俺はホッとしたような、緊張したような心持ちで、目的地方面へと足を進めた。

大通りを少し進んで、一本入った所。俺は、ここ数日で何度か位置を確認した場所。……寂雷先生に、教えて貰った穴場のカフェ&バーだった。

「ここ…だ、」
『カフェ?と、バーになってるんだね』
「ああ…その、前に寂雷先生に聞いてて、気になってて」

そうなんだ、と興味深く聞いてくれるなまえを連れて、静かな店内へと降りていく。奥まった席に通して貰って腰掛ければ、暖かい室内にホッと体の力を抜いた。

「結構、歩かせたよな…。大丈夫か?」
『うん。僕は大丈夫。職業柄、ね』

簡単な食事と適度な酒を頼んで、間を繋ぐ。食事が進むにつれ、会話が段々と頭に入って来なくなって……俺はどんどんと緊張感が高まって行くのが分かる。カサ、と小さく存在を主張するスーツの胸ポケットの中身に思いを巡らせると、俺の心臓がひとつ大きく跳ねた。

『独歩、平気?疲れた?』
「…ああ、すまん。そうじゃないんだ」
『それなら良いんだけど…。僕は、独歩が仕事もバトルも忙しい中で、僕との事とか、無理させてないかな?って時々心配になるよ』
「なまえの事で、無理する…ことなんてない。むしろ、俺が、やりたくてやってる事だから」

緊張した様子で言葉を投げ掛けてくるなまえに、心配しなくて良い、そう伝えれば、なまえは僅かに肩の力を抜く。俺は「ああ、やはり不安にさせていたか」と胸中で呟いたのである。

「なまえ、」
『どうしたの?独歩』

グッと、自身の拳を握る。小さく息を吐き出してから、ジャケットの内ポケットから小さな箱を取り出した。

「なまえ、いつも、不安にさせてすまない。…本当は、もっと、ちゃんと。言葉とか、…行動、とか。全部で安心させたいのに、俺…本当に、臆病者で。全然出来なくて、いつ…愛想、尽かされても可笑しくない、と思ってる。けど、でも。俺は本当になまえが好きだし、毎日その気持ちは増えるし、手を、離したくない。だから、…だから、あの、これ……」

言葉に詰まる俺を目の前に、なまえは黙っている。だが俺には、その表情を盗み見る余裕はなかった。ただただ、手中にあるその小さな箱の包装を、馬鹿みたいに丁寧に外して――開けた。

「…ペアの、指輪。…気持ちを、見えるものにしたら。少しは違うかも、って」
『っ、…』

箱の中には、シルバーのリングが2つ。対になるデザインだ。リング台の脇に、チェーンが入っていて、ネックレスとしても着用できる。相談に乗って貰っていた一二三に散々駄目出しされ尽くしたプレゼント案の中で、最終的にゴーサインが貰えた物がこれだった。
俺が意を決して、なまえの方に顔を向けると。

「なまえ、」
『…っ独歩、ありがと、……それしか、っ出てこな、』

なまえは口元に手を添えて、見開かせた大きな瞳から、ポロポロと涙を溢れさせていたのである。

『っ、本当に、嬉し……、』
「なまえ…」

嗚咽を漏らしながらハンカチで涙を拭うなまえを小さく呼ぶ。結ばれてからこれまで、なまえの泣き顔は数多く見てきたものの、今のようないわゆる"嬉し涙"の部類は殆ど無くて。
俺はその姿を食い入るように見詰めながら、自分自身の瞳の奥もじわりと熱を持っていくのを感じた。

『いつ…愛想尽かされるか、なんて、僕の台詞だよ。っ、僕は弱くて。いつも、あれの度に独歩に縋って…。重くて、っ本当に自分が嫌になるんだ。忙しい独歩の、貴重な時間を…僕が奪って良いのかって…』
「俺は、その。…多分、なまえが思ってるより、なまえのこと好き、だから。四六時中お前のこと考えてるし、出来る限りの時間一緒に居たいし、…苦しい時に頼って欲しい」

頭に血が昇ってぼうっとしてくる。話そうと思っていた言葉がスルスルと口をついて出る。

『…っ、ふふ、そんなこと言ったら独歩、僕、調子に乗っちゃうよ』
「お前はむしろ少し調子に乗る方が良いだろ」
『そう、なの?』
「そうだろ。…て、言うかその。これこそ俺で良いのか、って話だけど。…なまえが俺で良いって思ってくれるなら。…俺がなまえを好きだってこと、ちゃんと自覚して欲しい」

なまえの瞳を真っ直ぐ見詰めて、俺が言葉を伝える。なまえは涙を零し続けながら、目を細め、僅かに口角を上げた。

『独歩、ありがとう。本当に、僕…嬉しい…』
「ん…。それから、この世の中じゃ、まだけ、結婚とか、は出来ないけど…その、先ずは近い内に、一緒に住んでくれないか?」
『っ、……もう、独歩…っ、僕もしかしたら今日、死んじゃう、かも知れないくらい嬉しくて…どうすれば良いの…』
「…とりあえず、頼むから死なないで頷いてくれ…」

再び大粒の涙を流し始めたなまえにそう願えば。なまえは何度も頷いてくれて。
俺は、自身の目尻に浮かんだ涙を拭ってから、今一度手中の箱に意識を遣った。

「なまえ、これ…受け取ってくれるよな」
『っふふ、独歩、あんなに格好いいこと言ってたのに……、勿論だよ』

なまえの返答にホッとした俺は、なまえの左手を取って。その薬指に銀色の輪をスルリとはめたのだった。

『ピッタリだ…』
「……お前が寝てる間に測った」
『ふふ…、ねえ、僕も独歩の指に着けて良い?』
「ん…」

俺が頷けば、なまえは指輪を手にとって俺の左手の薬指にはめてくれた。



店からの帰路、夜も深まった時間。手を繋いで、並んで歩くシンと静まり返った街中に、キラキラと灯るイルミネーション。それを見上げて、なまえは小さく声を上げた。

『あ、』
「どうした?」

俺がそう言ってなまえの顔を見れば。手を引かれ、正面に向き合わされる。なまえの長い睫毛に、色取り取りの光がキラキラと反射していた。溶けそうな程甘やかに、なまえは笑う。そして、

『メリークリスマス、独歩』
「メリークリスマス、なまえ」

どんな音よりも愛おしい声に乗せた言葉に、俺はそう返してから、誘われるようにしてなまえに唇を寄せたのである。




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