ヰろハ、匂へど(企画)

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【ほ】(碧棺左馬刻/男主)


本当の強さとは何か。――それを知っている、この碧棺左馬刻と言う男に、俺は心底惚れている。男惚れだった。
血筋のせいで大して入りたくもなかったこの裏の世界に入ることになり荒んでいた頃だ。組長が拾ってきたと言う左馬刻さんに出会って、俺の全てに激震が走ったのは。それからの俺は、この人の視界に入りたくて、認められたくて、死物狂いで強くなった。そうして、努力が実ってここまで来たのだ。左馬刻さんの右腕としての立ち位置に。

『お疲れ様です、アニキ』
「ッチ」

MTCの打ち合わせから事務所へと帰ってきた主に頭を下げる。周辺に並んだ舎弟達も、それに続いて挨拶をすれば。直後、返事の代わりに舌打ちが聞こえてくる。

「ヒィィッ」

ドシャ、と砂利に何か転がった音。俺が視線だけ振り返れば、俺のすぐ後ろに居た下っ端のヤツが左馬刻さんに蹴り倒されていた。どうやら大層虫の居所が悪いらしい。

『失礼しました。まだ新入りで躾が行き届いて居なかったようです』
「なまえ、来い」
『はい』

左馬刻さんに呼ばれた俺は、犬のようについていく。首輪もリードも無いっていうのに。左馬刻さんの背中だけを真っ直ぐ見て。左馬刻さんが奥の部屋に入って行くのに次いで、俺も入室する。顎で鍵を閉めるよう指示された為カチャリ、と摘まみを回転させた。

「で?」
『アニキのご想像通りでした。南側で駒を動かしたところ色々と釣れて…足の付かない形で終えています』
「…ッチ、そうかよ」

比較的良い報告にも関わらず、左馬刻さんの虫の居所は悪いままだ。俺は静かに次の言葉を待った。

「――で?テメェはいつまでソレしてやがんだァ?」

ソレ、とは。何を指摘されているのか分からず、俺は瞬間的に思考を停止した。そして再び左馬刻さんが舌打ちをするまで、動けず気付かずの木偶をしていた。

「分かんねぇのかよ」
『いえ、…失礼しました。左馬刻さん』

今回の指摘として思い当たるのはこれしかない、そう思って唇を動かせば。左馬刻さんは肩を竦めて、片方の口端を僅かにつり上げた。――どうやら合っていたようだ。

「テメェ何度言わせんだ。いつもそれで通しとけつってんだろ」

"アニキ"ではなく、名前で呼べ。そう言った命はこれまでも受けていた。しかしながら、そう言うわけには行かないのがこの世界。上と下の分け方が顕著な世界だ。"右腕"等と持て囃されているとは言え、ここで左馬刻さんのお言葉に甘えてしまえば、俺の失態には留まらず、飼い主である左馬刻さんの汚点になってしまう可能性があるのだ。

『いえ、それでは下の者に示しがつきませんので承知できません』
「チッ、示しも何も、テメェに勝てる奴なんざ下にゃ居ねえだろうがよ。そんだけで充分だろ」
『そういう事ではありません。左馬刻さんの右腕として置いて貰う以上、俺は不要な火種を撒く積もりはありません』
「ケッ、そーかよ。」

不服そうな表情。左馬刻さんは2人掛けソファの真ん中にドカッと座り込んで煙草を取り出した。
俺が反射的に火を差し出せば、唇にはさんだ煙草を寄せて煙を燻らせる。

「明日は」
「はい。明日は昼過ぎに組長の元へご挨拶へ伺います。また、その後入間さんがいらっしゃる事になっています」
「ふーん。オヤジんとこにはテメェだけ着いてこい。他は要らねえ」
『そうは行きませんよ。このご時世でも弾除けは居ないと。勿論俺は喜んで同行しますが、もう一人確実に連れていってください』
「ハッ、弾除けな。…んなもんは誰でも良い。テメェが選んで連れてこい」
『分かりました』

こういう時の信頼感が嬉しい。左馬刻さんに俺の考えを採用してもらえるのが嬉しい。顔がにやけないように制御しながら俺は頷いた。

「つーかまたあのクソ兎来んのかよ…」
『はい。そう連絡がありました』
「面倒くせえ。……ア?おい、なまえテメェ、アイツと連絡取り合ってんのかよ」
『はい…左馬刻さんをムショにお迎えに上がった時に、"色々と面倒なので連絡先を交換しましょう"と』
「ぁ゙あ?聞いてねえぞなまえよォ」
『あ…、失礼しました』
「チッ、…あのクソ兎野郎、コソコソしやがって」

苛ついているようではあるが、他の人間に対するものとはまた違うそれ。左馬刻さんはMTCのチームメイトである入間さんを、勿論毒島さんも、厚く信頼しているのが感じられる。更に言うならば、左馬刻さんは今の苛つきも含めて、楽しんでいるのだろう。チームの人間関係も、バトルも。

「んだよなまえ、何笑ってんだ」
『あ…失礼しました。左馬刻さん楽しそうにされてるので』
「あー?ドコがだよ」
『いえ。ただ、今回のラップバトルは、その辺のドンパチよりずっと手応えがありそうですよね』
「ハッ、楽しんでんのはなまえじゃねえかよ」
『あはは…そうかも知れませんね』

俺がそう答えると、左馬刻さんは吐き出した煙草の煙を見詰めながら片方の口の端を吊り上げて笑った。



――



懐の大きい、男ないし父親の鑑のような組長は、信念を持って常に強く在る左馬刻さんを大層気に入っていらっしゃる。左馬刻さんが組長の元へ挨拶に来ると、とてもにこやかに快活に話をなさるのだ。

「おーおー左馬刻、良く来たな」
「ッス、」
『失礼いたします』

左馬刻さんも、組長に対しては頭を下げる。言葉でナントカする事は殆ど無いが普段の左馬刻さんを知る人間たちからすれば、組長がかなり敬われていることが感じられるのだ。
俺も頭を下げて、左馬刻さんに倣った。

「ハハハ!お前さんはそれで良い。変わりない証拠だ」
「オヤジも、元気そうッスね」
「おうよ。お前さん達が良い男になるのを見届けねぇとなあ」

左馬刻さんが小さく笑っている。俺もそれを見て唇が僅かに弧を描くのが分かった。

「なまえ、お前さんも元気そうだな」
『はい、組長。お陰さまで何とか』
「そうかそうか。左馬刻は相変わらずなまえにベッタリかあ?」

左馬刻さんがピクリと頬を引き攣らせるのが見える。俺は正直に答えた。

『いえ、俺の方がアニキを追い掛け回しているんです。それでも、嫌がらずに置いてくださるので多くを学ばせていただいています』
「ほう?ハハハ!良いなあ左馬刻よ。男っつーのはよ、男に慕われてナンボよ。女を守り、友を持つ。お前さんは本当にそれをよく知ってる。なあ、なまえ」
『はい。その通りです。アニキはその教えの通りにしていらっしゃいます』
「そうかそうか」

快活に笑う組長。左馬刻さんや俺を見るその目は、とても温かくて、父親のようだ。それこそこの優しい人が、本当に極道の親玉なのかと疑問になるほどに。





「――さて」

それでも。組長が静かに固い声で告げれば、室内の空気はピリッと一変する。威厳のある声、そして威圧を僅かにはらませた空気。それが、組長の組長足る所以だった。

「左馬刻、それになまえ。今回来てもらったのはなあ、そろそろお前さん達の先を決めにゃならんと思ったからなんだ」

沈黙。
横目で見た左馬刻さんは、何かを考えるように拳を強く握っている。左馬刻さんの先は最早明らかだろう。跡目としての準備を進めていく、そんな段階だ。であれば俺もその後について、補佐役としてやっていく筈ではないのか。それなのに何故わざわざ、"お前さん達"と言って俺の事を話に上げるのか疑問だった。

「左馬刻、お前さんは今の立場をしっかり固めろ。揺らがねえ足場を作れ。テメェの力でな」

左馬刻さんは何も答えない。無言は肯定とよく言うものだが、そんな意図では無さそうだった。反対に、左馬刻さんの瞳には僅かに鋭利な光が宿る。

「―――オヤジ、…なまえをどうするつもりだよ」
『アニキっ…、組長、失礼しました』
「なまえテメェ黙ってろ」

組長に対して左馬刻さんが牙を剥きかけている。敬語もなく、紅いその目をギラギラと研ぎ澄まして、組長を真っ直ぐ見詰めている。

「おお、おお。良い目だなあ。良いさなまえ、左馬刻がこうなるのは分かってたからなあ」

困惑している俺に、組長は微笑む。そして左馬刻さんに向き直って、口を開いた。

「左馬刻よ。お前さんが思ってる通りだろうよ。俺はなまえに左馬刻付きから外れて、若ぇもんの頭張らせようと思ってんだ」
『え、』
「っ、…」
『あ…の、組長…俺は』

予想外の組長の言葉に俺は困惑を隠せなかった。静かに視線で火花を散らす組長と左馬刻さんを交互に見て必死に何か言葉を返そうと頭の中を探していたのだった。

「チッ…行くぞ、なまえ」
『えっ…左馬刻さん、まっ…』

舌打ちをした左馬刻さんは、頭も下げずに組長に背を向ける。そして襖に手を掛けた。

「左馬刻、なまえ。何も今日今すぐに答え出せってんじゃねえからよ。よく考えて答え出せよ」
「なまえ!!来い!!!!」
『っ…失礼します』

組長が穏やかな声で告げられ、俺は混乱は拭えないまま若干フリーズした。しかしそれに被せるように左馬刻さんの大声が聞こえて、思考が戻るとしっかりと頭を下げて組長の部屋を後にしたのだった。


それからの左馬刻さんの荒れようは恐ろしい程で。車の中では舌打ちのオンパレード、下が座っている運転席の背を蹴り窓を殴り、内装を壊しかねない様子で。俺に選ばれてついてきた下っ端の奴は、事務所に到着する頃にはもう冷や汗をダラダラと流していた。可哀想な事をしたと思いつつ、もう少し意気地のない奴だったら腰を抜かしていたかもしれないため、俺の選択は間違って居なかっただろうと思った。



そして左馬刻さんは、事務所に戻るや否や、鬼神の如きその足捌き手捌きで下っ端の奴等を1人、2人…10人、と薙ぎ倒して行った。俺の制止は勿論、周りの声は聞こえていないようだった。暴れるだけ暴れて、最終的に奥の部屋へと1人籠ったため、俺は巻き込まれて怪我を負った下っ端の奴等を医者に連れていく対応をすることになった。


――そして漸く事務所に戻ってきた時だった。入間さんが奥の部屋から出てきて目の前に現れたのは。

「ああ…なまえさん。良かった。一体何です?あの荒れ方は」

いつもピシッと細身のスーツを着こなして七三分けで決めている入間さんも、何だか少しボロッとしている。張りのある声にも疲れが見えるのが分かって俺は何とも申し訳ない気持ちになった。

『申し訳ありません…入間さん』
「いえ…貴方に謝っていただかなくても大丈夫ですがね…。今日ばかりは理鶯を連れてこなかったことを後悔しましたよ全く…」
『すみません…』

とにかく、入間さんについては完全にとばっちりなのである。そう思うと、平謝りする他、俺は考え付かなかった。
入間さんは、1つ大きな溜め息を吐いてから、僅かに下にある俺の顔を覗き込んだ。

「…貴方も元気がありませんね。まさかとは思いますが、貴方がた喧嘩を為さったとかそういう事ですか?まあ…そうでなくとも、なまえさん、貴方今の左馬刻の状態に1枚咬んでいますよね?」
『――咬んでいると言うのが正しいかは分からないのですが…、先程組長から左馬刻さん付きを外れて若手の頭を張れと言われまして』
「ほう…それはそれは。昇進と言う訳ですね。御目出度い話です」

鋭い入間さんに隠し通す事は出来ないだろうと思い、今日の出来事素直に話す。入間さんは少しだけ目を見開いて返答をくれた。俺は微妙な心持ちで、曖昧に答えることしか出来ない。

「まあ当然でしょうね。貴方、どう考えても切れ者で優秀ですし、人望も厚い。誰かの下にしておくのは勿体無い存在だと考えることは組織の長として正しいと思いますね」
『入間さん…、』

入間さんがそんな風に俺を見ていてくれた事にただただ驚く。嬉しくもあり、しかし今は、少しだけ苦しい言葉だった。

「ただまあ…、左馬刻の手綱を握る事に関しては貴方の他に居ないように思いますがね」

片眉を吊り上げ、腕を組んで、入間さんは言う。俯く俺を見て、また息を吐く。

「で、左馬刻は何と?」
『あ…いえ、その話の後は時間が取れずで…』
「成る程。ではその話の後直ぐ、この状態をおっ始めた訳ですね?」
『…、』
「流れは理解しました。…貴方はどう思っているんです?なまえさん」
『俺は…』

正直言って分からなかった。自分はこうしたいと言う考えと、左馬刻さんの未来の為にはこうした方がいいと言う考えが相反する物だったからだ。俺が口籠っていれば、ガチャ、と奥の部屋の扉が乱暴に開く。同時に聞き慣れた怒鳴り声と共に、左馬刻さんが出てきた。

「おい銃兎ォ!!人のモンに勝手に絡んでんじゃねぇよ!!」
「あ゙ぁ?癇癪起こすしか脳がねぇガキが一丁前に吼えてんじゃねぇぞ!!」
「んだと!!?」
『っ、左馬刻さん、入間さん。お二人とも、止まってください。もうこれ以上は、下の奴等が縮こまってしまうので』
「チッ…」
「これは失礼致しました。なまえさん」

入間さんは「では今日はこれで帰りますね」とスーツを正して事務所を出ていった。
今日の午後数時間顔を会わせなかっただけで、随分と久し振りに対峙したように思える左馬刻さん。一切こちらを見ようとしない。俺はどうしたものかと考えながら、唇を開いた。

『左馬刻さん、お話があります』
「チッ…」

舌打ちと共に、左馬刻さんは顎で俺に奥の部屋を示す。その背を追って入室すれば、懐かしいような新鮮なような、不思議な感覚に陥った。

『左馬刻さん、俺は正直迷っています』
「っ、」

ソファにドサッと腰掛けた左馬刻さんに向かって、第一声を投げ掛ける。その手中で煙草の箱がグシャ、と潰れたのが見えた。

『…俺は、左馬刻さんにずっと着いていきたいと思っています。…ですが、組長のお考えの中で、俺はこれ以上、左馬刻さんの下に居るべきでは無いと評価されています。そこに背く事が、左馬刻さんにとって良いこととは思えません…』
「テメェは、何でも俺を優先し過ぎだ」

当たり前すぎる指摘だった。俺は茫然とする。余りにも静かに、左馬刻さんは言葉を重ねた。

「オヤジが何考えてそんな話したか、考えた。あのオヤジが、ただで意地悪りぃ事するわけねぇよな。――なまえ、テメェなんか気づいてんじゃねぇか?」

鋭い投げ掛けに俺は言葉に詰まる。殆ど半日振りに視線が合った左馬刻さんは、凪いだ瞳で俺を映す。

「あ?言ってみろ。なあなまえ」
『―――、現在の組の中に少しずつ出てきた派閥、それが切欠かと思います。このままでは、細々とした亀裂が亀裂を生んで、組織としての力が喪われる迄になる可能性も否めない。…そう、仮定した場合に、組長の今日のお考えが生きてくる…かと』
「ほう?」

左馬刻さんがジッと俺を見ていた。普段ヨコハマの街を意地汚く蠢く虫ケラどもを散らす際にする、瞳の煌めきで。

『派閥の幾つかは左馬刻さん側に寄っていますが、そうでは無い幾つかは、俺の父の血筋側で起きている様で。このまま行けば、潰し合いのドンパチまっしぐらです。そこで左馬刻さんと俺に白羽の矢が立ったと、そう言う事でしょう』
「ハッ、蹴散らしてぇなァ」

ウズウズしている様子の左馬刻さんは、再び俺に投げ掛ける。…俺も、腹を括らなくてはならない時が来たようだ。

「なまえよォ、テメェはどうしたい」
『―――左馬刻さんが未来を継ぐ、この組を守りたいです』
「ハハッ、最高だぜェなまえよォ」

左馬刻さんが立ち上がって俺の頭をガシガシとかき混ぜる。そして言った。

「これからは俺の下じゃねえ、なまえ。テメェは俺と同等の立場になりやがる。堂々と並んで来い。受けて立ってやるよ」
『っ…はい、左馬刻さん』






数日後、組長にその意向と意図を伝えたところ、組長の思惑はこちらの推測通りだった事が分かった。
そして数週間後には、組内に新たな中間管理職として俺の名前が挙がることとなる。それからの俺は、飽くまでも水面下で左馬刻さんと協力体制を敷いて、組の膿を絞り出す作業に移っていくことになるのだが―――それはまた、別の話である。




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