可愛いという名の暴力
もう、本当に可愛すぎる。
今もほら、通り過ぎたときにふわっと香る甘い匂いだとか、彼の隣にいる人なんて目に入らないくらい可愛い笑顔だったりとかが、私の頭の中を支配して、それ以外は何も考えられなくなってしまう。
目に焼き付けておこうと思ってじっと見つめていると、不意に姫宮くんがこっちを見て、偶然とはいえ目が合ってしまった。
ああ、私、今どこに行こうとしていたんだっけ。
廊下を歩いていた当初の目的はどこかに飛んでいってしまい、彼の行く先を見守る。
でも、急に廊下のど真ん中で立ち止まってはあまりにも不自然であることは私も重々わかっているので、なんとか足を引きずり、彼の行く先とは反対の曲がり角で曲がっておいた。
私としては普通に、恋する乙女として毎日を過ごしているつもりなんだけど、姫宮くんに仕えている伏見先輩は、どうやら私のことを警戒しているらしく、私と目が合う度に姫宮くんを別の場所に移動させようとする。
今だって、わかりにくいように私のほうを窺うように盗み見て、どこから行こうか迷っているようだった。
私はただ、姫宮くんにほんの少しの恋心を抱いているだけなのに、伏見先輩の慌てようといったら、私が悪いことをしているみたいじゃないか。
彼を少し恨みながらも、あんなお金持ちの家に生まれた姫宮くんが、今まで大きな事件に巻き込まれることもなく過ごすことができているのは、伏見先輩の徹底的な護衛にあるともいえるので、その点に関しては彼に感謝しなければならない。
鞄から、彼の髪色と同じ、桃色の手帳を取り出し、今日の日付を開く。
ピンクのペンで書かれていることによれば、今日の放課後は、Ra*bitsの皆とレッスンを行うことになっていた。
そうだ、さっき向かっていたのはレッスン室だったのだ。
それならば、さっき来た道を戻らなければならない。
もしかしたら、また彼を見ることが出来るかも、だなんて仄かな希望を抱きつつ、にーちゃん達が待つ部屋へ急ぐ。
約束の時間まで、あともう少ししかなかった。
***
私の淡い期待は意外な形で叶ったというか、間に合わなくなってきたので最終的には駆け足で辿り着いたレッスン室の重い扉を開ける。
「あ、#name1#ちゃん」
しののんが、ふんわりと私に微笑みかける。それにつられて、さっきまで後ろを向いていた姫宮くんと伏見先輩も一緒に振り返った。
なんでここにいるのだ。
思わずたじろぎかけたが、今日は、Ra*bitsのレッスンにここを訪れただけであって、決して桃李くんをストーキングしていただとか、そんなやましい理由でここに来ていない。
堂々としていいのだと思い直して少し深く息を吸う。
そうじゃないと、喜びのあまり息が詰まって呼吸困難になってしまいそうだった。
「今、桃李くんがつくったクッキーを食べてたんですけど......」
もうなくなっちゃいました、と少し申し訳なさそうに眉を下げるので、私は慌てて両手を横に振る。
欲を言えば食べたかったに決まっているしなにそれ羨ましいと思わざるを得ないのだが、今はこうして同じ空間にいるだけで幸せなので別に構わない。
と満足しかけたのだが、姫宮くんの口から耳を疑うような言葉が飛び出した。
「大丈夫!本当は、今日は名前に渡しに来たつもりだったから」
はい、と可愛くラッピングされた袋の中に詰められた、丸く綺麗なクッキー。
一瞬思考がとまりかけて、私に向けられた姫宮くんの、眩しい笑顔に目眩がした。
「#name1#とも仲良くなりたいなあって思って、奴隷二号と作ったんだ」
少し聞き捨てならない言葉が聞こえたが、それよりも、大きすぎる幸せに転げ回りたくなる衝動を抑えることの方が大変だった。
「...わたしに?」
「うん!」
ありがたく受け取ろうとすると、一瞬、僅かに指先が触れ合ってしまい、思わず大切なクッキーを取り落とすところだった。
「ありがとう」
少し震える唇の先を持ち上げ、なんとか笑顔をつくる。
こんな不格好な笑みにも、彼は満足げに微笑み返してくれて、「それじゃ」と伏見先輩を引き連れて行ってしまった。
「#name1#ちゃん、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない...」
重いドアが締まり、ぐったりとした様子の私に、しののんが心配するように顔をのぞき込んでくれたが、私はもうそれだけじゃなかった。
このクッキーのお返しは、今日の夜中に忍び込んだとににしっかり返しておこうと思う。
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