カードゲームは終わらない
デートの帰り道はいつだって幸福で、いつだって少し、寂しい。名前をどれだけ呼びあっても、指をいくら絡めてもその寂しさや名残惜しさは霧散してはくれない。終わりの時間がどうぞもう少しだけ長くなりますように。そう小さくそう願った声が天に届いたのだろうか。ぽつり、一粒雨が降った。
「うわ、雨か」
ぽつりと肌に落ちた雨粒に気づき、曇天を見上げた彼は、鞄を探ると小さな折り畳み傘を取り出した。気づけば先程までのぽつりと一粒ずつ落ちるようなかわいらしい雨はどこへやら、今はシャワーのように雨粒が降り注いでいる。急な雨に人々は皆同じように傘を取り出すか、屋根のある場所へと駆けていく。彼の準備の良さに感嘆の息を吐いていると、彼は颯爽とその傘を広げ、有無を言わさぬスピードで早く入れよ、と私を誘い込む。私は自分の鞄の底にこっそりと隠れた折り畳み傘は知らなかったことにして、そっと彼の傍に身を寄せた。
ただでさえ太陽が雨雲に覆われて暗い中、微かな光を零していた空がだんだんと夜色に染まっていく。雨音と暗闇は街行く人々を自分たちの世界にそっと閉じ込めた。
きっと誰もここにアイドルの衣更真緒がいるだなんて気づかない。
そんな小さな希望的観測はごくんと飲み込んで、足元にできた水たまりを爪先で軽く叩いた。本当ならもうすぐ二人して別々の家に帰る予定なのに、何故だか私たちは一歩もこの場から動けずに雨の中で立ち尽くすばかり。どちらかが素直になってしまえばいいだけなのに、夜風で冷えた唇は簡単に開かなかった。
「……雨、止まないね」
「……やっぱり傘一本だと濡れるな」
「体冷えてない?……大丈夫?」
「……そっちこそ大丈夫か?」
もう少し一緒にいたい、という素直な言葉は零さずに、一枚一枚、手札をするりと差し出しては相手の表情を窺う。さて次に貴方はどのカードを出すの?
見比べた表情から相手の状況を窺って、態と決定的な一枚を選ばなかったり、早く決着をつけたくてじわじわと根幹となるカードを出してみたり。どちらが引き金を引くのか根比べ。
まるで恋の駆け引きは、七並べのよう。単純なようで意外と底知れぬ魔力をもつ。
この駆け引きが本当のカードゲームなら先にカードなくなった方が勝ちなのに、このゲームは先に言の葉を失った方が負け。
それなら先に言葉を奪ってしまえばいいのでは?
そう思った私は顔を上げ、水たまりに映る自分の顔から薄暗い夜闇の中に浮き上がる彼の白い横顔へと視線を移した。ゆっくり、彼の首に腕を回して静かに距離を詰める。輪郭すら朧気にしか見えない中、街灯の光を反射して輝くエメラルドの瞳。少し驚いたように彼は息を止め、支えていた傘がぐらりと揺れた。
20センチというその差を埋めたくて履いたハイヒール。私の方が大人なはずなのに、なぜかいつまでも追いつけなくて少し悔しくて。靴でも足りぬ分は小さな背伸びで補って、そっと触れるだけの甘いキスをした。
目を閉じれば柔らかな雨音が耳を塞ぐ。爪先立ちをやめて離れた唇が立てるリップ音は、足元に跳ね返る雨粒の音で掻き消された。
息一つ乱れない口付けはただ甘いだけで、微かな欲も宿せない。そう思っていたはずなのに、何故だろう。目の前の彼はいたく鋭い光を宿した瞳でじっとこちらを見つめていた。
ねぇどうしたの。そう囁きかけるはずだった声は音にもならず、たちまち彼の唇に呑み込まれてしまう。
頬に触れる手がどこか性急で、差し込まれた舌が熱くて。頭に響く水音が雨音に混ざり、溶けて消える。
吐息は熱を持ち、瞳は自然に涙で潤んだ。酸素を求めてはくはくと口を開け、目の前の彼を軽く睨みつける。すると彼はまた、ぎゅっと眉を寄せ、少しだけ難しそうな顔をした。
……甘そう。
何を見たのか、彼は掠れた声でそれだけ小さく呟いて、私の閉じた瞼にそっと唇を寄せた。
「……ちょっとだけ、寄り道して帰ろう」
耳元に寄せた唇からふわりと囁かれた最後のひとひら。ゲームオーバー、これで二人の駆け引きはおしまい。
……なんてことは到底ありえないのだ。
「……本当に“ちょっとだけ”?」
揶揄いの色を含んだ声で小さく囁けば、悪戯っぽい笑みが夜闇に浮かんだ。
「うわ、雨か」
ぽつりと肌に落ちた雨粒に気づき、曇天を見上げた彼は、鞄を探ると小さな折り畳み傘を取り出した。気づけば先程までのぽつりと一粒ずつ落ちるようなかわいらしい雨はどこへやら、今はシャワーのように雨粒が降り注いでいる。急な雨に人々は皆同じように傘を取り出すか、屋根のある場所へと駆けていく。彼の準備の良さに感嘆の息を吐いていると、彼は颯爽とその傘を広げ、有無を言わさぬスピードで早く入れよ、と私を誘い込む。私は自分の鞄の底にこっそりと隠れた折り畳み傘は知らなかったことにして、そっと彼の傍に身を寄せた。
ただでさえ太陽が雨雲に覆われて暗い中、微かな光を零していた空がだんだんと夜色に染まっていく。雨音と暗闇は街行く人々を自分たちの世界にそっと閉じ込めた。
きっと誰もここにアイドルの衣更真緒がいるだなんて気づかない。
そんな小さな希望的観測はごくんと飲み込んで、足元にできた水たまりを爪先で軽く叩いた。本当ならもうすぐ二人して別々の家に帰る予定なのに、何故だか私たちは一歩もこの場から動けずに雨の中で立ち尽くすばかり。どちらかが素直になってしまえばいいだけなのに、夜風で冷えた唇は簡単に開かなかった。
「……雨、止まないね」
「……やっぱり傘一本だと濡れるな」
「体冷えてない?……大丈夫?」
「……そっちこそ大丈夫か?」
もう少し一緒にいたい、という素直な言葉は零さずに、一枚一枚、手札をするりと差し出しては相手の表情を窺う。さて次に貴方はどのカードを出すの?
見比べた表情から相手の状況を窺って、態と決定的な一枚を選ばなかったり、早く決着をつけたくてじわじわと根幹となるカードを出してみたり。どちらが引き金を引くのか根比べ。
まるで恋の駆け引きは、七並べのよう。単純なようで意外と底知れぬ魔力をもつ。
この駆け引きが本当のカードゲームなら先にカードなくなった方が勝ちなのに、このゲームは先に言の葉を失った方が負け。
それなら先に言葉を奪ってしまえばいいのでは?
そう思った私は顔を上げ、水たまりに映る自分の顔から薄暗い夜闇の中に浮き上がる彼の白い横顔へと視線を移した。ゆっくり、彼の首に腕を回して静かに距離を詰める。輪郭すら朧気にしか見えない中、街灯の光を反射して輝くエメラルドの瞳。少し驚いたように彼は息を止め、支えていた傘がぐらりと揺れた。
20センチというその差を埋めたくて履いたハイヒール。私の方が大人なはずなのに、なぜかいつまでも追いつけなくて少し悔しくて。靴でも足りぬ分は小さな背伸びで補って、そっと触れるだけの甘いキスをした。
目を閉じれば柔らかな雨音が耳を塞ぐ。爪先立ちをやめて離れた唇が立てるリップ音は、足元に跳ね返る雨粒の音で掻き消された。
息一つ乱れない口付けはただ甘いだけで、微かな欲も宿せない。そう思っていたはずなのに、何故だろう。目の前の彼はいたく鋭い光を宿した瞳でじっとこちらを見つめていた。
ねぇどうしたの。そう囁きかけるはずだった声は音にもならず、たちまち彼の唇に呑み込まれてしまう。
頬に触れる手がどこか性急で、差し込まれた舌が熱くて。頭に響く水音が雨音に混ざり、溶けて消える。
吐息は熱を持ち、瞳は自然に涙で潤んだ。酸素を求めてはくはくと口を開け、目の前の彼を軽く睨みつける。すると彼はまた、ぎゅっと眉を寄せ、少しだけ難しそうな顔をした。
……甘そう。
何を見たのか、彼は掠れた声でそれだけ小さく呟いて、私の閉じた瞼にそっと唇を寄せた。
「……ちょっとだけ、寄り道して帰ろう」
耳元に寄せた唇からふわりと囁かれた最後のひとひら。ゲームオーバー、これで二人の駆け引きはおしまい。
……なんてことは到底ありえないのだ。
「……本当に“ちょっとだけ”?」
揶揄いの色を含んだ声で小さく囁けば、悪戯っぽい笑みが夜闇に浮かんだ。