おはよう、ねむりひめ
会いたいな、と思ったら即座に行動。それが密かな、と思いつつも他人にバレバレなマイルールである。
ホームルームと共にダラダラとした先生のオハナシも終われば、爪先には放課後が待ち構えている。狭い教室なんて飛び出して、広い校庭の噴水に向かえばきっと。つめたい水を揺蕩う、彼がいるはず。
クラスメイトに明るくさよならを言えば、私は一目散に教室から駆け出した。
息を切らして噴水までたどり着くと、すぐさまぐるりと噴水のまわりを歩く。しかし、そこには鮮やかなコバルトブルーのブレザーも、ぴょこんと撥ねるあまい水色の髪も見当たらない。ただ、生徒の話し声に紛れて、噴水から降り注ぐ軽やかな水音が響くだけ。
その後も3-Bの教室を覗いてみたり、レッスン室を見に行ったりしたものの、願った姿は見当たらなかった。あちこち走り回ってほんの少しの疲れを覚え、私はとぼとぼと廊下を歩む。
奏汰さん、どこにいるんだろ。
思い立ったが吉日と言わんばかりの行動力で飛び出したのに、なぜか今日は珍しくも全く遭遇できない。ふと視線を上げると、その先にあったのは見覚えのある『海洋生物部』の五文字。
そうだ、きっとここだ!
そう思い、教室の扉に手をかけ、一歩そこに踏み入れれば、中はまるでヴェールで覆われたように薄暗い。部屋のあちこちに設置された水槽だけがぼんやりとした青い光を放っていた。
ちらりと後ろを振り向けば、廊下には薄い窓ガラスから差し込む陽光。私は青春の学び舎が持つきらめきから遠ざかるように、静かな部屋へと滑りこんだ。
「……かーなたさーん」
もしも部活動中なら邪魔をしては申し訳ない。ほんのり光る水槽の隙間を縫って、こっそり小さな声で彼の名前を呼びかけてみる。
しかし、いくら呼んでも、声の大きさを変えても、一向に返事はなく、更に言うならば人の気配もない。
……ここにもいないのか。
心の中で呟くとともに心にこぼれるさみしさ。それはちょっぴり、というには余りあるものだった。
勝手に会いたくなって探しているとは言え、ここまで来ると少しがっかりしてしまう。なんとなく帰るのも面倒だし、かといって他に何をするでもなく手持ち無沙汰になってしまった私は、大きな水槽の前に置かれた椅子に腰掛けると、クラゲがゆらゆらと踊る水槽に軽く指先で触れた。ただ静かにきらきらユラユラと漂うクラゲたち。それはまるで繊細なレース細工やシフォン生地を組み合わせたようにすら見える。
ふわり、ふわり。クラゲがドレスを翻すようにふわふわと揺れるたび、私のまぶたはとろとろと溶けおちていく。
ふわり、ふわり。とろり、とろり。
気づけば意識は夜空色のヴェールに包まれて、ふうわりと沈んでいった。
……とん、とん。
やさしい一定のリズムが、眠りの世界へとさらに深く誘うように私の背を軽くたたく。まるで揺りかごの中にいるかのような安心感と、ぬくもりが触れた。
やさしい眠りによって二重、三重にくるまれた意識の向こう側。遠くの方でかみさまの歌が聴こえた。それは漣のように何度も重なっては静かに解け、水音のように安らぎを与える。
深い、深い、眠りの奥底からゆっくりと横たえた体を起こせば、そこにあったのは――
「……おっと。ごめんなさいね、おこしてしまいましたか?」
ぱち、と目を覚ますと、そこにいたのは先程まで必死で探していたその人。穏やかな萌黄色の瞳がくるりと光を孕み、水面に反射する太陽の光のようにきらきらとした声が降り注ぐ。
かなたさんだ。
夢見心地の声でちいさく呟くと、彼は嬉しそうににこにこと微笑んだ。
「おはようございます、『ねむりひめ』さん」
機嫌の良さそうな声がこぼれるとともに、彼はその端正なかんばせをするりと寄せた。伏せられた瞳を彩るような長いまつ毛と薄いくちびるが目前に迫る。ちいさなちいさなリップ音が鳴ると同時に、かすかなぬくもりが落とされた。
ようやく会えた、と喜ぶ暇もなく、ただ驚きに目を見開かされる。目覚ましがわりのキスはしっとりと濡れていた。
ホームルームと共にダラダラとした先生のオハナシも終われば、爪先には放課後が待ち構えている。狭い教室なんて飛び出して、広い校庭の噴水に向かえばきっと。つめたい水を揺蕩う、彼がいるはず。
クラスメイトに明るくさよならを言えば、私は一目散に教室から駆け出した。
息を切らして噴水までたどり着くと、すぐさまぐるりと噴水のまわりを歩く。しかし、そこには鮮やかなコバルトブルーのブレザーも、ぴょこんと撥ねるあまい水色の髪も見当たらない。ただ、生徒の話し声に紛れて、噴水から降り注ぐ軽やかな水音が響くだけ。
その後も3-Bの教室を覗いてみたり、レッスン室を見に行ったりしたものの、願った姿は見当たらなかった。あちこち走り回ってほんの少しの疲れを覚え、私はとぼとぼと廊下を歩む。
奏汰さん、どこにいるんだろ。
思い立ったが吉日と言わんばかりの行動力で飛び出したのに、なぜか今日は珍しくも全く遭遇できない。ふと視線を上げると、その先にあったのは見覚えのある『海洋生物部』の五文字。
そうだ、きっとここだ!
そう思い、教室の扉に手をかけ、一歩そこに踏み入れれば、中はまるでヴェールで覆われたように薄暗い。部屋のあちこちに設置された水槽だけがぼんやりとした青い光を放っていた。
ちらりと後ろを振り向けば、廊下には薄い窓ガラスから差し込む陽光。私は青春の学び舎が持つきらめきから遠ざかるように、静かな部屋へと滑りこんだ。
「……かーなたさーん」
もしも部活動中なら邪魔をしては申し訳ない。ほんのり光る水槽の隙間を縫って、こっそり小さな声で彼の名前を呼びかけてみる。
しかし、いくら呼んでも、声の大きさを変えても、一向に返事はなく、更に言うならば人の気配もない。
……ここにもいないのか。
心の中で呟くとともに心にこぼれるさみしさ。それはちょっぴり、というには余りあるものだった。
勝手に会いたくなって探しているとは言え、ここまで来ると少しがっかりしてしまう。なんとなく帰るのも面倒だし、かといって他に何をするでもなく手持ち無沙汰になってしまった私は、大きな水槽の前に置かれた椅子に腰掛けると、クラゲがゆらゆらと踊る水槽に軽く指先で触れた。ただ静かにきらきらユラユラと漂うクラゲたち。それはまるで繊細なレース細工やシフォン生地を組み合わせたようにすら見える。
ふわり、ふわり。クラゲがドレスを翻すようにふわふわと揺れるたび、私のまぶたはとろとろと溶けおちていく。
ふわり、ふわり。とろり、とろり。
気づけば意識は夜空色のヴェールに包まれて、ふうわりと沈んでいった。
……とん、とん。
やさしい一定のリズムが、眠りの世界へとさらに深く誘うように私の背を軽くたたく。まるで揺りかごの中にいるかのような安心感と、ぬくもりが触れた。
やさしい眠りによって二重、三重にくるまれた意識の向こう側。遠くの方でかみさまの歌が聴こえた。それは漣のように何度も重なっては静かに解け、水音のように安らぎを与える。
深い、深い、眠りの奥底からゆっくりと横たえた体を起こせば、そこにあったのは――
「……おっと。ごめんなさいね、おこしてしまいましたか?」
ぱち、と目を覚ますと、そこにいたのは先程まで必死で探していたその人。穏やかな萌黄色の瞳がくるりと光を孕み、水面に反射する太陽の光のようにきらきらとした声が降り注ぐ。
かなたさんだ。
夢見心地の声でちいさく呟くと、彼は嬉しそうににこにこと微笑んだ。
「おはようございます、『ねむりひめ』さん」
機嫌の良さそうな声がこぼれるとともに、彼はその端正なかんばせをするりと寄せた。伏せられた瞳を彩るような長いまつ毛と薄いくちびるが目前に迫る。ちいさなちいさなリップ音が鳴ると同時に、かすかなぬくもりが落とされた。
ようやく会えた、と喜ぶ暇もなく、ただ驚きに目を見開かされる。目覚ましがわりのキスはしっとりと濡れていた。