星火燎原
温度が低い星は赤く輝くが、本当に温度の高い星は青く輝くという。
自分の途方もない熱と激烈な感情に彼女が気づかないのは、この色のせいだろうか。
***
自分がその感情に気が付いたのは、とある日の放課後だった。
ほとんど人の来ることの無い図書室はいつも密やかに息を潜めている。そんな図書室のカウンターで席に腰掛けながら雑多な業務をこなしていると、窓の外に彼女の姿が見えた。普通科の生徒がアイドル科の施設に入ることは基本的に許されていないため、彼女は大抵普通科の校舎から庭を通ってここまでやって来る。
風に揺れるプリーツスカートと借りた本でいっぱいになった両腕。転んだりした時に危ないから何か袋に入れて持っておいでと何度も言うのに、彼女の悪い癖だ。何故か治らない。
困った人だなぁ。思わず眉を下げてくすりと笑いながら、図書室に向かってまっすぐ歩いてくる彼女を愛おしく眺めた。
さてここに着くまであとどれくらいかかるだろうか。あの様子では、自分が見ていることも気がついていないだろう。
悪趣味だと詰られそうだなと思いながらも彼女の姿を眺めるのは止められない。そんな時、思わぬ様子を視界に収めた俺は、あっと小さく声を漏らした。
揺れるプリーツスカートの隣に突如並んだスラックス。ブレザーの色が彼女と同じであるため、おそらく普通科の生徒だろう。
後ろから歩いてきた青年が彼女に二言三言声をかけると、彼女もどうやら彼のことは知っていたのか、朗らかに微笑んでみせた。そして彼女が両腕に抱えていた本を青年が華麗に受け取ると、そのまま歩幅を合わせて歩き始める。
麗らかな日差しの中、学生同士が友好的に話す様子は見ていて本来なら心温まるものであるだろうに、何故か酷く、心が軋む。
ミシリと小さく立った音を覆い隠すように、どこか遠くでオルゴールの甘やかな音が小さく鳴り響くのが聴こえた。
しかしその軽やかなメロディさえもう自分の耳には鬱陶しくて、ひっそりと俺は耳を塞いだ。
***
二人が図書室に現れ、返却の手続きのためにカウンターにやって来る。
くるしい、にがい、あつい。飲み込めない感情が喉奥でどろりと溶けた。
青年がカウンターに置いた大量の本の山は、いつもよりも素早く手短に返却手続きを行ったことで、すぐに消化された。本を乱雑には扱いたくはなかったが、いつもよりは丁寧さに欠けていたのはもうどうしようもない。
既に青年はカウンターを離れていたが、気配からして彼女がまだカウンターの前にいることは分かっていた。ぐるぐると渦巻く感情に、表情をうまく作ることができそうになくて少しだけ深呼吸をする。
顔を上げると、目の前の彼女はいつもと変わらぬ様子でふわふわと微笑んでいた。
それはあんまりにも優しくて柔いのに、何故か感じたのは心を無遠慮に撫で付けるようなざらりとした感触。きゅっと眉を顰めてしまったのは許して欲しい。
しばし無言のままの俺を不思議に思ったのだろう。ブレザーに包まれた腕がおずおずとこちらに伸びる。
「……えぇと。あの……、返却できていない本とかありました……?」
図書室だからこその小さな声は微かに震えているようにも聞こえた。
「……いえ。大丈夫ですよ、全て返ってきてます。」
……上手く笑えているだろうか。
意識的に口角をきゅっと引き上げ、目元を柔らかく細める。
カウンターテーブルの下で、祈りを捧げるように組んだ手は微かに震えていた。
***
ブックトラックに本を載せ、本棚の隙間を縫うように進みながら配架を行う。所定の番号の場所に隙間を作り、そこにするりと一冊の本を滑り込ませる作業はひどく単調で、それが故に心を落ち着けるのに向いていた。
もう大丈夫だ。いつもみたいに凪いだ心で、笑うことだってできる。
今なら自分の狭量な心さえ笑ってやれそうだ。
……なんて、思っていた。
彼女が再び先程の青年と仲良さげに花舞うような笑顔を浮かべて話しているのを視界に収めるまでは。
不思議とその時はにこやかに微笑むことができた。嘘のように。
すみません、少し用があるので彼女をお借りしても?などと白々しく声をかけて誘い出し、図書室の奥の奥、地下書庫まで連れ出してしまう。
掴んだ手首はいたく細かった。
それから先は早かった。
自分でも耳の奥で鳴り響くアラートに気がついていたというのに、止めることなどできそうにもなかったのだ。
制御できない熱に浮かされて、彼女の手首を掴み、体ごと本棚に押し付けて逃げ場をなくす。男である自分の方が当たり前のように背も体も大きいので、こちらを見上げる彼女は簡単に自分の影に包まれてしまった。
それでもまだ状況が飲み込めないのか、きょとんとした顔のままの彼女に、怒りともなんともつかない感情に、目の前が真っ赤になる。ぶわりと思考を埋めつくした熱に任せて、柔い唇をこれまでにないほど荒々しく貪った。
押しつけた唇から伝わった熱。息すら飲み込むように深く深く、唇を合わせて舌を絡めれば、眼下には陸上であるというにも関わらず溺れそうになっている彼女の姿。拒もうとするその舌を引き出して、絡めて、思いのままに食らいつく。静かな図書室の中、水音だけがぴちゃりと響き、まるで水底に沈んでいるようだった。
あぁこれが『嫉妬』か。
煮えたぎるほどの熱を宿しているのに、拍子抜けするほどすんなりとその言葉が馴染む。
文字の輪郭を指先でなぞって確かめるように、すとんとその言葉が腑臓に落ちた。
きんと冷えたその二文字は、熱暴走を起こしていた自分の心を緩やかに冷ましていく。
しかしそれでも息もままならないほどの口付けをやめることはできず、目の前の彼女は何か掴むものを求めるように何度も手を開いたり閉じたりを繰り返す。自由を奪っているのは自分なのに、そっと自分の手を差し出して彼女の手を包めば、彼女はそれを力強く握り返した。
眦から零れた雫も、紅潮した頬も気づいてしまえば目に毒でしかなくて、ぞわりと背筋が総毛立つ。まずいな、と脳裏に浮かんだ言葉すら単純なスパイスにしかならず、二人は水底に沈んだ。
自分の途方もない熱と激烈な感情に彼女が気づかないのは、この色のせいだろうか。
***
自分がその感情に気が付いたのは、とある日の放課後だった。
ほとんど人の来ることの無い図書室はいつも密やかに息を潜めている。そんな図書室のカウンターで席に腰掛けながら雑多な業務をこなしていると、窓の外に彼女の姿が見えた。普通科の生徒がアイドル科の施設に入ることは基本的に許されていないため、彼女は大抵普通科の校舎から庭を通ってここまでやって来る。
風に揺れるプリーツスカートと借りた本でいっぱいになった両腕。転んだりした時に危ないから何か袋に入れて持っておいでと何度も言うのに、彼女の悪い癖だ。何故か治らない。
困った人だなぁ。思わず眉を下げてくすりと笑いながら、図書室に向かってまっすぐ歩いてくる彼女を愛おしく眺めた。
さてここに着くまであとどれくらいかかるだろうか。あの様子では、自分が見ていることも気がついていないだろう。
悪趣味だと詰られそうだなと思いながらも彼女の姿を眺めるのは止められない。そんな時、思わぬ様子を視界に収めた俺は、あっと小さく声を漏らした。
揺れるプリーツスカートの隣に突如並んだスラックス。ブレザーの色が彼女と同じであるため、おそらく普通科の生徒だろう。
後ろから歩いてきた青年が彼女に二言三言声をかけると、彼女もどうやら彼のことは知っていたのか、朗らかに微笑んでみせた。そして彼女が両腕に抱えていた本を青年が華麗に受け取ると、そのまま歩幅を合わせて歩き始める。
麗らかな日差しの中、学生同士が友好的に話す様子は見ていて本来なら心温まるものであるだろうに、何故か酷く、心が軋む。
ミシリと小さく立った音を覆い隠すように、どこか遠くでオルゴールの甘やかな音が小さく鳴り響くのが聴こえた。
しかしその軽やかなメロディさえもう自分の耳には鬱陶しくて、ひっそりと俺は耳を塞いだ。
***
二人が図書室に現れ、返却の手続きのためにカウンターにやって来る。
くるしい、にがい、あつい。飲み込めない感情が喉奥でどろりと溶けた。
青年がカウンターに置いた大量の本の山は、いつもよりも素早く手短に返却手続きを行ったことで、すぐに消化された。本を乱雑には扱いたくはなかったが、いつもよりは丁寧さに欠けていたのはもうどうしようもない。
既に青年はカウンターを離れていたが、気配からして彼女がまだカウンターの前にいることは分かっていた。ぐるぐると渦巻く感情に、表情をうまく作ることができそうになくて少しだけ深呼吸をする。
顔を上げると、目の前の彼女はいつもと変わらぬ様子でふわふわと微笑んでいた。
それはあんまりにも優しくて柔いのに、何故か感じたのは心を無遠慮に撫で付けるようなざらりとした感触。きゅっと眉を顰めてしまったのは許して欲しい。
しばし無言のままの俺を不思議に思ったのだろう。ブレザーに包まれた腕がおずおずとこちらに伸びる。
「……えぇと。あの……、返却できていない本とかありました……?」
図書室だからこその小さな声は微かに震えているようにも聞こえた。
「……いえ。大丈夫ですよ、全て返ってきてます。」
……上手く笑えているだろうか。
意識的に口角をきゅっと引き上げ、目元を柔らかく細める。
カウンターテーブルの下で、祈りを捧げるように組んだ手は微かに震えていた。
***
ブックトラックに本を載せ、本棚の隙間を縫うように進みながら配架を行う。所定の番号の場所に隙間を作り、そこにするりと一冊の本を滑り込ませる作業はひどく単調で、それが故に心を落ち着けるのに向いていた。
もう大丈夫だ。いつもみたいに凪いだ心で、笑うことだってできる。
今なら自分の狭量な心さえ笑ってやれそうだ。
……なんて、思っていた。
彼女が再び先程の青年と仲良さげに花舞うような笑顔を浮かべて話しているのを視界に収めるまでは。
不思議とその時はにこやかに微笑むことができた。嘘のように。
すみません、少し用があるので彼女をお借りしても?などと白々しく声をかけて誘い出し、図書室の奥の奥、地下書庫まで連れ出してしまう。
掴んだ手首はいたく細かった。
それから先は早かった。
自分でも耳の奥で鳴り響くアラートに気がついていたというのに、止めることなどできそうにもなかったのだ。
制御できない熱に浮かされて、彼女の手首を掴み、体ごと本棚に押し付けて逃げ場をなくす。男である自分の方が当たり前のように背も体も大きいので、こちらを見上げる彼女は簡単に自分の影に包まれてしまった。
それでもまだ状況が飲み込めないのか、きょとんとした顔のままの彼女に、怒りともなんともつかない感情に、目の前が真っ赤になる。ぶわりと思考を埋めつくした熱に任せて、柔い唇をこれまでにないほど荒々しく貪った。
押しつけた唇から伝わった熱。息すら飲み込むように深く深く、唇を合わせて舌を絡めれば、眼下には陸上であるというにも関わらず溺れそうになっている彼女の姿。拒もうとするその舌を引き出して、絡めて、思いのままに食らいつく。静かな図書室の中、水音だけがぴちゃりと響き、まるで水底に沈んでいるようだった。
あぁこれが『嫉妬』か。
煮えたぎるほどの熱を宿しているのに、拍子抜けするほどすんなりとその言葉が馴染む。
文字の輪郭を指先でなぞって確かめるように、すとんとその言葉が腑臓に落ちた。
きんと冷えたその二文字は、熱暴走を起こしていた自分の心を緩やかに冷ましていく。
しかしそれでも息もままならないほどの口付けをやめることはできず、目の前の彼女は何か掴むものを求めるように何度も手を開いたり閉じたりを繰り返す。自由を奪っているのは自分なのに、そっと自分の手を差し出して彼女の手を包めば、彼女はそれを力強く握り返した。
眦から零れた雫も、紅潮した頬も気づいてしまえば目に毒でしかなくて、ぞわりと背筋が総毛立つ。まずいな、と脳裏に浮かんだ言葉すら単純なスパイスにしかならず、二人は水底に沈んだ。