ヴァイオリン
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「奴が捌いたリストに少々厄介な人物が入ってました」
この男です、とバーボンは丸テーブルの前で腰掛けている三人にスマホ画面を向ける。そこに写っている人物を見て三人は眉を顰める。
「ホォ…アイツにその手の伝があったとはな」
決して讃じてなどいないライの言葉には嫌味がたっぷりと含まれていた。
「ロシア政府のお偉いさんだな」
スコッチが苦笑いをしながらテーブルの上に頬杖をつく。
「今朝ベルモットにそのことを話したらなぜかこれを渡されました」
バーボンが床に置いていたそれをテーブルの上に置く。ゴトッと重みある音と共に置かれたその黒いケースにライとスコッチは顔を顰めた。
「ヴァイオリン?」
「おいおい俺たちにオーケストラでもやれってのか?」
「このおっさんがクラシック好きなんだよ。その界隈ではちょっとした有名人さ」
今まで黙っていたアマレットが口を開く。三人の目が彼女に集中する。
「知ってるのか?」
スコッチは訊く。彼女の瞳が少しだけ揺れている気がするのは気のせいだろうか。
「記憶よりちと老けてるが、よく知ってるよ」
まだ生きてたんだな、なんて鼻で笑った彼女をライは訝しげに見る。
「やけに親しい言い方だな」
「もと雇い主だ」
「雇い主?」
「こいつが今この地位にいるのは俺がこいつにとって不利益な人間を消してきたからだ」
ガタンッ!とバーボンが座っていた椅子が倒れ、テーブルが揺れる。彼女の胸ぐらを掴み上げ、目尻を吊り上げた。
「いい加減、うんざりだ」
「嘘だって言いたいのか?」
スコッチがやめろ、とバーボンを押さえている。しかしアマレットは彼を挑発する。
「バーボン、いい加減諦めろ。お前たちの知るWアマレットWはもうどこにもいない」
胸ぐらを掴んでいる手に力が入る。
「いないんだよ…」
彼女の瞳が寂しげに揺れる。吊り上がっていた目は徐々に下がっていき、バーボンはゆるゆると手を離した。
「…すみません。取り乱しました」
押さえていたスコッチの手を軽く払い、倒れた椅子を戻す。視界の傍らで彼女が黒いケースに触れたのがわかった。
バーボンは、薄く目を開き、あぁ…そうか。と頭の片隅でどこか酷く冷静に分析している自分がいた。ベルモットが今回のターゲットを見てわざわざWそれWを渡してきたのだ。メンバーの誰かが…彼女が弾けることは既知の事実だったのだろう。
WバラライカをW
ふと、ベルモットとバーでのやり取りが思い出される。
W賢い犬でね。私の言うことは何でもきく忠実な犬だったW
なんだ?
W因みになんて呼んでたんです?W
WルシアンW
何故今あの時の会話を?
バーボンが眉を顰めている傍らで彼女はヴァイオリンをケースから出すと椅子にまた腰掛けた。
「いい音を奏でる美しい女が好きなんだ。態々家に招待して個人コンサートさせるぐらいに」
片足を膝の上に乗せながら、ヴァイオリンを左顎と肩で挟む。指で弦を弾き、音を確かめているその仕草は手慣れていたが、その行儀の悪い姿勢にこれからヴァイオリンを弾く人間にはとても見えなかった。
「この女は…ヴァイオリン、弾かなかったのか?」
その言葉にバーボンは息を飲む。しかし誰も何も言わない。応えないというその答えにアマレットは「そうか…」と寂しげな影が宿った瞳で小さく笑った。
静かに、ゆっくりと弓を弾く。
重く、低く、けれど優しく歌うように奏でられる多彩な音色。弦から発せられるその美しい声は空気を震わす。
探るように、試すように、弾いていた彼女のそれとは全く違う。バーボンは後ろで組んでいるフリをして握った拳を手の平で覆い力一杯にその震える拳を握りしめたのだったーー…。
W貴女が使用しているそのガット弦…素材は何で出来てると思いますか?W
W…ナイロン素材?W
Wその場合はナイロン弦と言います。ガット弦は主に羊の腸を素材にしたものですW
Wどうしてわざわざ弾き難くなることを言うのよW
W君のその怒った顔が好きでW
もう一度弾いてアマレット。バーボンは優しい口調で彼女にそう求める。困った顔で躊躇っている記憶の中の君の手を、僕は嬉しそうに目尻を下げて優しく握るんだーー。
そう、
僕たちは、
恋人同士だったーー。
2020.11.8
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