ナマエはいつものように団長室に入ると背を向けたままベルトを装着しているエルヴィンに勢いよく敬礼する。ジャケットを着ておらず薄いシャツからうっすらと透ける肌の色にごくりと唾を飲み込んだ。
「エルヴィン団長、お早うございます」
「あぁ、おはよう」
「今日も素敵です。愛してます結婚してください」
「それは出来ない」
「はっ、了解しました。失礼いたします」
視線もくれずに冷たく言い捨てられて、それでも律儀に答えてくれているという点だけを無理やり理解しナマエは頬を染める。
ナマエが調査兵団に入団したその日から始まったこのやりとりは最早日課となっている。始めこそ丁寧にやんわりと断っていたエルヴィンだったが今では面倒になり視線すらも合わせていない。それでも毎朝挨拶とプロポーズをするためだけにやってくるナマエは、やはり調査兵団に進んで入ってくるのだからそういう意味でも変態なのだろうとエルヴィンは思う。ばたん、という音にようやく視線を向ければどうやらナマエは部屋を出ていったようだった。明日も来るだろうか。そんなことを思いながらエルヴィンは仕事に取りかかった。
「今日もふられてしまいました」
「当たり前だろうが阿呆」
「何故そう言い切れるのですか。兵長は団長と以心伝心でもしているのですか。羨ましいです代わってください」
「してねぇよ。お前の行動見てりゃ誰でもわかる」
「私の行動…?何かおかしいですか」
「本気で言ってんのか」
リヴァイは心底エルヴィンに同情したが、ふと思い直し内心ほくそ笑む。ちょうど気に入っている紅茶の茶葉が切れかかっているのだ。あれはシーナでしか売っていない高級品で、しかしわざわざ買いに出るほどの暇がないと思っていたところだ。後で恩でも売ってエルヴィンに茶葉を買わせようとリヴァイはナマエを嗜めにかかる。
「いいか猪女」
「誰が猪ですか」
「まぁ聞け。お前は何でも真っ直ぐ突っ込みすぎなんだ。たまには引くことをしてみろ」
「……具体的に仰ってください」
「まず朝のプロポーズは止めろ。挨拶ぐらいなら構わんが、それもわざわざ自分から行くな。廊下で会ったらそのときにでもすればいい」
「廊下で会うかなんてわからないじゃないですか」
「だから会ったらと言ったろうが。とにかくそれで数日様子を見ろ。毎日来てたもんがぱったり来なくなれば嫌でも気になるもんだ」
「…なるほど」
「まぁもし反応がなくてもそれはそれで諦めがつくだろ」
「……そうですね、わかりました」
いつか振り向いてくれるかもしれない。そう思いながら毎日プロポーズしていた。きっと迷惑だっただろう。ただでさえ忙しいのに部下とは言えよく知りもしない女に朝一でプロポーズなんて。自分がされたら相手を蹴り飛ばしているところだ。そう考えると途端に申し訳ない気持ちで一杯になる。ナマエは次の日から、不用意に団長室へは近づかなくなった。もともとしがない一般兵であるナマエは意識しなければ普段の生活、業務の中でも本当にエルヴィンと顔を合わせることがない。しかし習慣というものは恐ろしいもので、長年続けてきたものを突然やめるというのは案外難しい。起床し身支度を整えるとまるで禁断症状のごとく体がむず痒くなってくるのだ。
「何とかしてください」
「…てめぇ今何時だと思ってんだ」
「朝の4時を少し回ったところですね」
「………俺が昨夜何時に寝たと思う」
「さぁ、解りかねます」
どうしようもなくなってナマエが向かったのはリヴァイのところだった。人類最強も朝は弱いのかと思ったがどうやら遅くまで仕事をしていたらしい。
「すみません、…お詫びにお茶を淹れてきましょうか。こう見えて上手いんですよ」
「……」
「兵長、兵長立ったまま寝ないでください」
「うるせぇ寝てねぇよ。さっさと茶の準備をしてこい」
「はい。では少し待っていてくださいね」
リヴァイからリクエストされた紅茶の缶を抱え食堂に向かった。まだ薄暗いそこでランプを頼りにお湯を沸かし茶葉と共に預かったティーカップをセットする。
「…ナマエ?」
「!……エルヴィン団長…」
目の端にうつり込んだ灯りに視線を上げるとそこにいたのはエルヴィンだった。顔を合わせるのは随分久しぶりだ。ナマエがさっと敬礼をするとエルヴィンは笑ってそれを直させる。
「随分早いな」
「はい、あの…お茶を淹れようと思ってお湯を、」
「そうか。では悪いが一杯分わけてもらえるか」
「も、勿論です」
歩み寄って来たエルヴィンに無意識に肩が揺れる。エルヴィンの方から香水のようないい香りが鼻を抜けて、何故か顔に熱が集まっていく。
「(どうしよう、…今までどう接していたっけ)」
「…紅茶が好きなのか?」
「え!?あ、いえ…これは、リヴァイ兵長のです」
「リヴァイの?」
「えぇと……ゆっくり寝せてあげられなかったので…そのお詫びに」
「……そうか」
ちら、とエルヴィンの方を見ると何故か視線を反らされた、気がした。本当にもう駄目なんだと、そう思ったらつんと鼻の奥が痛くなる。
「あ、お湯…沸きました」
「……あぁ」
紅茶の缶を開けるとふわ、と香りが広がった。甘くて少し香ばしくて、自然と顔が綻ぶ。リヴァイから時折香る甘い香りはこれか、と妙に納得した。
「リヴァイ兵長の香りだ…」
ついぽつりと呟いた。すると何を思ったのか、エルヴィンが突然ナマエの腕を掴んで、その拍子に持っていた紅茶の缶が床に落ちる。
「だ、団長…?」
「……すまない」
「いえ、…あの…手を、離していただけると…」
「………ないんだ」
「え…?」
「君が来ない朝は、つまらないんだ」
ぎゅ、と腕を握る力が強くなりそのまま引き寄せられてナマエはエルヴィンの胸に包まれた。ナマエは驚きのあまり声もでない。
「勝手なことを言っているのはわかっている。自分でも、よく分からない。だが、……どうか私を、諦めないでほしい」
エルヴィンが言葉を発する度に振動が伝わってくる。そんなことを感じられるだけ近くに居るのだと思うと身体中が沸騰してしまうかと思うくらい熱い。
「…だ、団長…あの、…好きです」
「……」
「諦めたり、しません…ずっとずっと、エルヴィン団長だけを想ってきたんですから」
「…しかし、君はリヴァイと…」
「…リヴァイ兵長と、何ですか?」
「……」
「……?」
エルヴィンはナマエがリヴァイと夜を共にしたのだと思っていた。しかしナマエの反応を見る限りそれは違うようで、何だか妙に安心したような気持ちになる。まるで雲が晴れたようなすっきりとした気持ちだった。そしてそれこそが答えではないかと、エルヴィンは自嘲気味に笑う。
「…さて、どうしたものか」
「え?…な、何を…でしょう」
未だ腕の中にいるナマエの顔を覗き込む。途端に真っ赤に染まる顔にエルヴィンも悪い気はしなかった。
「とりあえず、リヴァイに謝りにいこうか」
「あ"っ…」
ナマエは恐る恐る足元をみて青ざめる。それすらも途端に愛しく思えるのだから可笑しなものだ。少し離れた体を再び引き寄せる。紅茶を待ちきれずにしびれを切らしたリヴァイが食堂に踏み込むまで、あともう少し。