ぶつ、と音がしたと思ったら結い上げていた筈の髪がはらりと落ちる。愛用していた髪止めが切れてしまったのだろう。そろそろ限界かなとは思っていたためあまり驚きはしなかったがせめてスペアを持っておくんだったと空のポケットに手を入れながらため息をついた。ナマエは10分後に始まる会議に出席するために会議室に向かっている途中だった。今から自室に戻って替えをとって来る時間もない。仕方なくこのまま会議に出るかと顔にかかる長い髪を鬱陶しそうに耳にかけながらナマエは再び会議室へと足を進めた。
「あれ…珍しい。ハンジが時間通りに居るなんて」
「ナマエこそ、髪をおろしてるなんて珍しいじゃない」
「さっきゴムが切れちゃって。ハンジもう一つもってたりしない?」
「私がそういうの持ち歩いてるように見える?」
「見えないかな。さて、…まだ来てないのはエルヴィンだけ?」
ぐるりと会議室を見回すとエルヴィン以外のメンバーは皆揃っているようだった。もっともエルヴィンは時間にルーズな方ではないし、彼の多忙さはここに居る人間なら誰でも知っているため少しくらい遅れても文句を言う者はいない。結局会議の開始予定時間を5分過ぎたころにようやくエルヴィンはやってきた。ふと目が合うと何故か彼の目が少し見開かれる。
「ナマエ…?」
「え、なに?」
「いや…髪をおろしているから一瞬誰かと思ったよ」
「あなた私のこと髪を結い上げている人って認識してるわけ?」
「そうじゃないが…まぁこの話は後だ。会議を始める」
ナマエに向いていた視線を外し会議室全体を見回すように向き直ると本日の議題について話し始める。何となくむす、としながらエルヴィンの口の動きを目で追っていると隣に座るハンジに肘で小突かれる。
「見とれちゃってんの?」
「…そんなんじゃないよ」
「またまたぁ……あれ、ナマエ香水とかつけてる?」
「つけてないよ?」
「そうなのか。何時もとにおいが違うから俺も何かつけてると思っていたが」
話しに入ってきたのはハンジとは反対側の隣に座るミケだった。いつもの様子ですん、と鼻をならして近づいてくる。
「え…何だろう。もしかしてくさい?」
「いや…むしろいい香りだ。…シャンプーか何かじゃないか」
「ぇえ?いつもと同じの使ってるんだけど…」
「ナマエ、ミケ…私語は慎むように」
ミケがナマエの首もとに近づいたところでエルヴィンからお叱りを受ける。もちろん小声で話していたのだが、目の前に座る私たちの行動は丸見えだったのだろう。ごめん、とジェスチャーで謝りミケももとの姿勢に戻る。その後は特に問題なく会議が進み、エルヴィンの解散という声に合わせて皆席を立った。
「ナマエ…君は少し残りなさい」
「え…はい」
皆が会議室を出ていくなかナマエとエルヴィンだけがぽつんとそこに残る。先程のことを怒られるにしても何故自分だけが、と少しむくれているとエルヴィンは全員出ていったのを確認し鍵を閉めた。
「何故残されたかはわかっているな」
「さっきのことでしょ。お喋りしてたのは謝るよ」
「それだけじゃない」
「?…他に何かある?」
エルヴィンはナマエの問いには答えずにゆっくり近づくと肩にかかる彼女の髪を一束手に取った。
「今日は髪をおろしているんだな」
「ここに来る途中でゴムが切れちゃったのよ。替わりも持ってなかったし、…」
「君は前に座っていたから気づかなかっただろう。後ろに座った男たちは皆君のことを見ていた」
「あなたを見ていたのよ。私が前の方に座ってたからそう見えただけで…」
「ならミケは?何故あんなに近づいていたんだ」
「それは…」
ミケが他人のにおいを嗅ぐのは彼の癖であって、それはエルヴィンも知っているはずだ。何を今更、と言い淀んでいるとエルヴィンの眉間にしわが寄りそれを見たナマエの肩がびくりと揺れた。
「何か言えない理由が?」
「そ、そんなんじゃないけど…エルヴィンどうしてそんなに怒ってるの」
「君が無防備すぎるからだ」
エルヴィンはナマエの頬に手を滑らせると少し上を向かせ口づけた。触れるだけだったそれは徐々に深くなり小鳥のように啄ばんだり、かと思えば厚い舌でぐるりと口内をかき回したり。すっかり力が抜けたナマエはエルヴィンにもたれるようにその広い胸に体を預けた。
「ん、…、…」
「ナマエ…不用意に男を近付けないでくれ」
「……もしかして、やきもち妬いてるの?」
「…悪いか」
「え、だって……エルヴィンが?」
エルヴィンは何時だって余裕で、嫉妬なんてしないと思っていた。少しばつの悪そうな顔をしてエルヴィンはするりとナマエの頬を撫でる。
「好きな女が他の男と一緒にいれば、嫉妬くらいする」
「そう、なんだ…何か意外。嬉しいけど、」
「…嬉しいのか?」
「うん。だって、私のこと好きだから嫉妬してくれるんでしょ?嬉しいよ」
「……そうか」
ふと肩の力を抜いてエルヴィンはナマエを抱き締める。少し丸くなったエルヴィンの背中を撫でると耳元で小さく愛してるよ、と囁かれた。ついでに耳たぶを軽く食まれてナマエは顔を真っ赤なしながら硬直する。反応がないのを不思議に思いエルヴィンが少し体を離すとナマエの顔を見て合点がいったとばかりに苦笑した。そしてナマエが固まっているのを良いことに、もう一度彼女の唇にキスを落とした。