10月13日、夜もすっかり更けもうすぐ日付が変わるという時間にナマエは団長室の前にいた。見慣れた重厚な扉を少し緊張しながらノックする。少しして向こうから開かれたドアの音がしんと静まり返る廊下に響いた。
「待っていたよ」
ぼんやりとしたランプの明かりを背負ったエルヴィンが顔を出して、その瞬間どきりと心臓が高鳴った。思わず後ずさりしそうな体を引き寄せるように背中に手を回され、ナマエは難なく部屋に足を踏み入れる。
ナマエは今夜、ここに来るつもりなど無かった。もともとエルヴィンの冗談だと思っていたくらいで、それどころかつい夕方までそんな話をしたことも忘れていたのだ。それが今日、そろそろ終業時間かという頃突然エルヴィンが口を開いた。
「今日の夜は少し冷え込むそうだよ。きちんと上着を羽織っておいで」
「え…?」
「おや、まさか忘れているのか?」
「あ、いえっ…お、覚えてます」
「そうか、なら良かった」
「(あれ…本気だったんだ…)」
にこ、と人の良さそうな笑みを浮かべてからエルヴィンはまた書類に視線を落とした。それからナマエは区切りのいいところで仕事を切り上げ、いつも通りに食事と入浴を済ませるとどうにも落ち着かない気持ちのまま時間が過ぎるのを待ち今に至る。
エルヴィンは扉と、ご丁寧に鍵まで閉めて立ち尽くすナマエに背を向けるとその拍子にふわ、とアルコールが香った。
「座ってくれ。君も飲むかい?」
「…いえ、ここでいいです。一言お祝いを言いに来ただけですので、お酒も結構です」
壁の時計を見ると長い針がかちりと動いた。0時まであと、少し。
「ナマエ」
「………はい」
「おいで」
「、……いえ、あの…」
「ナマエ」
酒のせいなのか、エルヴィンの纏う雰囲気が昼間のものとまるで違う。名前を呼ばれるだけで全身が粟立つようだ。ナマエはゆっくり足を踏み出すとエルヴィンの向かい側のソファに浅く腰かける。ちら、と前をみればゆったりとソファに体を沈ませグラスを傾けるエルヴィンと目があった。胸元のボタンが2つも開いていていつもは決してみることのできない鎖骨が覗いている。
「どうした…顔が赤いが」
「何でも、…ないです」
「…そうか」
きっとエルヴィンはわかっている。何故ナマエの顔が赤いのか、何を考えているのか。その青い瞳で全て見透かされている気がして、ナマエは少し俯いた。ぎゅ、と目を閉じて時が過ぎるのを待つ。
「ナマエ」
「っ、は…はい」
「隣に来てくれないか」
「え、…?」
「あぁ、いや…やはり私が行こう」
「えっ、」
ぎし、と音を立ててソファから立ち上がるとエルヴィンはナマエの隣に座り直す。思わず逃げ腰になるのを見抜いてかエルヴィンの手がナマエの腰に回った。
「団長…あの、よ、酔ってらっしゃるんですか…?」
「ん?まぁ、そうだな…多少酔っているかもしれないな。ところでナマエ、時計を見てごらん」
「え?あ、…」
言われるままに時計を見上げると既に0時を過ぎていた。慌てておめでとうございます、と言うとエルヴィンは満足そうに微笑む。ようやく終わった、長かった。人知れず安堵したナマエとは裏腹にエルヴィンは妖しい光をその目に灯す。
「ナマエ…まさか、このまま帰れるだなんて思っていないだろうね」
とん、と肩を押されてソファに体を倒すとその上にエルヴィンが身を乗り出した。息を呑む暇もなく口付けられて、割り込んできたあつい舌に全てを絡みとられる。微かに香るアルコールだけが、妙に現実感を帯びていた。