曇天は晴れることなく更に厚く空を覆う。昨日から降り続いている雨は今や豪風雨となり至るところで交通障害やら床下浸水やらを起こしている。公共の移動手段がほとんどストップしている状態で、名前の会社はやむ無く臨時休暇となったほどだ。空を見上げれば灰色の雲が風に流され動いていく。ごろごろと時折唸るだけで一向に落ちてこない雷が名前には酷く不気味に思えた。


「………酷い空ですね」

「そんな日もあるさ。しかし君と一日家にいるのは久しぶりだな」

「そう言えばそうですね」


休みの日と言えば何処かに出掛けることが多かったためこうして家で二人で過ごすのはとても久しぶりだった。天気のせいでジョギングが出来ない分いつもよりゆっくり朝食をとってコーヒーを飲みながら今日は何をしようかと考える。向かい合っているエルヴィンの方へちらりと視線を向けると彼もまたカップを傾けながら名前を見た。ぱち、と目が合うとエルヴィンは優しく微笑んで、名前は驚いたもののぎこちなく笑みを返す。


「エルヴィンさん、何かしたいこととかありますか?」

「これといってないが…名前は?」

「私は掃除でもしようかな…と」

「名前はきれい好きだな。昨日の夜もしていただろう」

「一気にやるのが面倒なので気づいたときにやってるだけですよ。あ、でもどっちかというと掃除は好きです」

「そうか…私の部下にも一人、病的なほどの潔癖症がいるがそいつと気が合いそうだな」


その人のことを思い出しているのかエルヴィンは視線を少し落としてふと笑みを浮かべた。名前が聞く以外で彼が自分からそう言う、自分の身の回りの人物について口にしたのはおそらく初めてだ。名前は胸が支(つか)えるような妙な気持ちになる。


「もう1ヶ月…ですね」

「…そうだな」

「何か、すみません…きっとこの部屋から帰れるだなんて言って引き留めたのに、何もしてあげられなくて」

「そう言わないでくれ。名前が居なければ今ごろ私は野垂れ死にしていたかもしれない。感謝してるよ」


エルヴィンはカップの取っ手に触れていた手を名前の方に伸ばし彼女のそれにそっと重ねる。思わず引いてしまいそうになる腕をきゅっと掴まれて彼の透き通るような水色の瞳が名前を捉えた。


「すまない…迷惑をかけていることは分かっている。だが、…君の隣は心地が良い。心のどこかでこのまま帰れなくても、と思っている自分がいるよ」

「ぁ…私、も…居て欲しい、です。迷惑なんて、思ってない」

「…ありがとう」


エルヴィンは眉を下げて笑うとそれから少し間をおいてもう一度すまない、と小さく謝った。それは何に対しての謝罪なのか名前にはわからない。もしかしたら彼は名前の気持ちに気付いていて、それに応えられないことへのそれなのかもしれない。名前は何も言うことができずただエルヴィンの手を握った。


「名前、私は…」


エルヴィンが何か言いかけると窓の外から鋭い光が差し込んだ。反射的に目をつむると間を置かずに激しい音と共に雷が落ちる。まるで地震でも起きているかのような地鳴りと震える大気に窓ガラスががたがたと激しく揺れた。


「ぅわっ…、!?」


名前はびくりと肩をすくめて思わずエルヴィンの手を離す。あ、と慌てて目を開けるとエルヴィンの姿はなく、からになったカップだけがそこに残されていた。