決して少なくない量の買い物袋を両手にぶら下げエレベーターに乗り込む。ボタンを押せばすぐに上昇し始めいつになっても慣れない浮遊感と共に自分の部屋がある階に到着した。鍵とドアを開けると明るい室内に何となくくすぐったい気持ちになる。ただいま、と何時もより小さな声で言いながら中に入るとソファに座ってテレビを見ていたエルヴィンがゆっくり振り返った。


「おかえり」

「た、ただいま…あの、日用品買ってきました。最低限ですけど。残りは明日にでも、一緒に買いに行きましょう」

「あぁ、ありがとう」


何となく緊張して早口で言うとエルヴィンはゆるりと微笑んだ。穏やかなそれは優しいのだけどどこか力がなく憂いを孕んでいて、名前はしばらく言葉を失う。彼は今日一日、この部屋で一体どんな気持ちで過ごしていたのだろう。やはり昨日の今日で一人にすべきではなかったかもしれない。多少無理をしてでも会社を休むべきだったと後悔しながら名前は買い物袋をがさごそとあさると目当てのものを見付けそれを取り出した。


「これは…?」

「エルヴィンさんにお土産です。テレビだけじゃ飽きちゃうと思って」


名前が取り出したのは主に自然や生き物が載った図鑑だった。言葉は通じるが違う文字を使うエルヴィンのために字は殆ど無く小さい子でも見ることのできるものだ。イラストはなるべく実物に近いものか写真で、以前話を聞いたとき壁の中で過ごしていると言っていたのを思い出しきっと馴染みがないであろう海の生き物がたくさん載った図鑑も用意した。


「…………」

「本当は全部実物見せてあげたいんですけどすぐには無理なので、それでしばらく、は……あの、エルヴィンさん?」


ぱら、と図鑑を開くとエルヴィンは無言のままページを捲っていく。いくら文字がわからないとは言え絵ばかりではやはり退屈だろうか。それとも馬鹿にしていると思われただろうか(もちろんそんなつもりはないけれど)。エルヴィンの顔を覗き込むと本がぱたりと閉じられその音に名前の肩がピクリと揺れる。


「名前、ありがとう」

「いえそんな、本くらい…」

「これの事だけじゃないんだ…今日一日ずっと考えていたよ。何故君はこんなにも見ず知らずの私のために、とね」

「……」

「いくら考えてもわからなかった。……だが、嬉しいものだ。自分のために、こうして尽くしてくれる人が居るというのは」

「エルヴィンさんは団長なんでしょう?慕ってくれる人達が居るんですよね」

「居るには居るが、それはあくまで仕事上でのことだ。それに私は、今までたくさんの命を切り捨ててきた。恨まれることはあっても慕ってくれるものが居るかはわからない」

「……奥さん、とか」

「生憎私は独身でね」

「あ、す、すみません…」

「いや、……とにかく私は、名前に感謝しているよ。こちらにいる間、どんな恩返しでもするつもりだ」

「恩返しだなんて、…大袈裟ですよ」


名前は何だか気恥ずかしくなって誤魔化すように床においた買い物袋を持ち上げると邪魔にならないように部屋の隅に寄せた。


「えっと…着替えてきますね。すぐご飯作りますから」

「手伝うよ。初めてと言うわけではないが、しばらくしていないからかえって邪魔になってしまうかもしれないが」

「じゃあ…一緒に作りましょう」


パーテーションの奥で手早く着替えると早足でキッチンに入る。小さな対面式のそこに二人並ぶのは少し狭い気もしたがエルヴィンが名前の動きをよく見て邪魔にならないようにしてくれるおかげで料理自体はスムーズに進んでいった。エルヴィンはコンロやレンジ等の家電や、ピーラーだとか所謂便利用品の使い方さえ教えればそれ以外のことは大体何でもこなして見せた。今日は時間もないので簡単にカレーとサラダを作って二人で向かい合ってそれを食べる。カレー初体験だと言うエルヴィンはとても気に入ったようでおかわりまでしていた。片付けて風呂に入り、今日買ったばかりのパジャマに身を包んだエルヴィンとソファに腰かける。


「お酒でも飲みますか?」

「君が飲むと言うなら付き合うよ」

「じゃあお願いします。それと、飲みながらエルヴィンさんのこと聞かせてください」

「…私のこと?」

「あ、エルヴィンさんの…世界のこと。話せる範囲で構わないので」

「…わかった」


決して軽い気持ちではなかった。断片的に聞いた彼の世界は残酷で名前には想像の域をでないものだけど、それでも、少しでも理解したいと思ったのだ。その意思を汲んでくれたのかエルヴィンも知りうる限りの歴史と自分が体験したことを織り混ぜて話してくれた。彼には辛いことを思い出させてしまったかもしれない。名前自身も聞きながら知らず知らずのうちに涙が頬を伝っていた。


「泣かせるつもりは無かったんだが…」

「いえ、これは…っすみません、」

「名前…君は優しいな」


指で涙を拭いながらエルヴィンは少しだけ眉を下げて笑った。それが余計に名前の心を切なく締め付けて、思わずエルヴィンの手を握る。彼は自分は酷い人間だと言うが名前はそうは思わなかった。彼のしてきたことは誰かを不幸にしたかもしれないが、それと同じだけエルヴィンも傷つき苦しんでいる。言葉が出ずに、ただ彼を心配させないようにと精一杯の笑顔を作る。エルヴィンは少しだけ目を見開いて、それからまた哀しそうに笑った。