ナマエは今日、仕事を早く切り上げて団長室に来るように言われていた。パーティーのことは内密にとの事なので適当な理由をつけて抜け出し、途中大急ぎでシャワーを浴びると団長室へと向かう。中に入るとエルヴィンは既に着替え終えていて、襟元を直しながらこちらをちらりと見た。いつもの見慣れた格好とは違い艶のある黒のタキシードを見事に着こなしている。
「やぁ、待ってたよ。隣で着替えて来るといい」
「はい」
団長室からエルヴィンの私室へと繋ぐ扉を開けると初老の女性が深々と礼をしてナマエを迎え入れる。どうやらこの女性がドレスを着せてくれるらしい。生まれてこの方パーティーに出たこともなければドレスなど着たことも無いナマエは正直自分一人で着れるものかと心配していた。しかしエルヴィンはそれさえも見越していたらしい。
「どうぞこちらに。さぁ、まずは着ているものをすべて脱いでくださいませ」
「…下着もですか」
「えぇ、すべてです。下着も専用のものをご用意しておりますので」
「はぁ…」
言われた通りすべてを脱ぐと専用の下着とやらを渡される。真っ白で殆どがレースで作られているその下着はナマエが普段身に付けているものとは全く違うもので、受け取ったもののやはり自分ではどうしようもなく目の前の女性にすべて任せることにした。
下着をつけ終えると今度はドレスだと言われるままに体を動かしそれを身に付けていく。化粧や髪型のセットまでしてもらいようやくすべてが終わる頃にはナマエがこの部屋に来てから40分は経っていた。
「とてもお綺麗です」
「…ありがとうございます(サイズぴったり…)」
濃紺にラメが散りばめられたまるで満天の星空のようなドレスだった。ベアトップで胸から上は露出しているがマーメイドラインの流れるような曲線が上品さを出していて派手になりすぎず、また背が高めのナマエにとてもよく合う。このドレスに合わせたというシルバーのハイヒールをはいてナマエはエルヴィンの待つ団長室のドアを静かに開けた。
「……」
エルヴィンは何も言わなかった。ただ目を見開いてナマエを見つめる。ようやく口を開いたのは沈黙に耐えきれなかったナマエがどうでしょうかと問いかけた後だった。
「綺麗だよ…とても、よく似合っている」
「良かったです。素敵なドレス、ありがとうございます」
「……参ったな。連れていくのが惜しいよ」
「何故ですか?」
「この姿を私だけが独占したい」
こつ、と革靴を鳴らしながらエルヴィンが近づいてくる。ナマエはその場を動くことができずエルヴィンの動きをただ見つめていた。目の前まで来たエルヴィンはそっとその手をナマエの頬に添えると少し屈んで額にキスを落とす。
「団長…」
「すまない……今だけだ」
たくましい腕が背中に回って引き寄せられる。抱き締められ、首もとに埋まるエルヴィンがどんな顔をしているのかナマエにはわからない。
しばらくそのままでいるとエルヴィンは意外にもあっさりナマエを解放し、そして何事もなかったかのように彼女の手を引くと入り口に待たせてある馬車に乗り込み会場へと向かった。馬車の中では貴族に対しての振る舞い方やマナー等を一通り聞いているとあっという間に目的地に着いていた。エルヴィンにエスコートされながら会場にはいるときらびやかな照明とそこにいる人間の多さにナマエは早くも目眩がしそうだった。そんな彼女に気づいてかしっかりと腰を抱き堂々と会場を歩くエルヴィンはナマエから見ても素敵だと思ったし周りの女性もうっとりとその姿を見つめていた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「おぉ、エルヴィン君!そちらはもしや、」
「彼女は恋人のナマエです。ナマエ、ご挨拶を」
「ナマエ・ミョウジです。本日はわたくしまでご招待いただいてありがとうございます」
ふわりと笑みを浮かべながらナマエはお辞儀をする。その様子に一番驚いたのは何を隠そうエルヴィンだった。何せ彼女が笑うところなど初めて見たのだ。ペリドットの瞳が弓なりに細められ、同じく弧を描く口元の何と艶やかで美しいこと。それが自分に向けられたものでないことに、エルヴィンは酷く憤りを覚えた。
何人か挨拶を済ませるとエルヴィンはその内一人の資産家と話し込んでしまい長くなりそうだからと何か軽く食事をとるように耳打ちされる。ナマエは了承しその場をあとにするが、正直緊張と勧められるままに飲んだアルコールのせいで空腹など感じていなかった。人の間をすり抜けながら廊下に出るとソファが置かれた休憩所のようなところに腰を下ろす。慣れないハイヒールで出来た靴擦れが痛い。
「ナマエ…?」
「………アダム」
呼ばれて顔をあげた先には久しぶりに会う同期の姿があった。彼は憲兵団に所属したのだが、訓練兵時代はそれなりに会話もしたし仲の良い友人だった。
「久しぶりだな!何してんだよこんなとこで…つーかその格好…」
「アダムこそ…こんなとこで何してるの」
「俺は仕事だよ。今日のパーティーは貴族も大勢招待されてるからその警護」
「ふーん。…私は団長の付き添いで来ただけよ」
「団長…って、エルヴィン・スミス団長か!?」
「そうだけど」
「じゃああの噂ってほんとなのかよ…お前が、エルヴィン団長と付き合ってるって、」
憲兵団の、それもけして上の立場ではないはずの彼の耳にまで噂が届いていることに驚いたがその噂のせいで自分が今ここにいることを思い出す。肯定すればアダムは目を見開いてきょろきょろと辺りを見回したあとナマエの向かいのソファに腰を下ろした。
「何があったんだよ」
「何も」
「じゃあお前あんなおっさんが本気で好きなのか?」
「好きだよ」
「…」
ここで変な憶測を持たせてはいけないとナマエは真っ直ぐ彼を見つめて話す。彼も負けじと見つめ返してくるが不意に目をそらすとナマエの手を取り立ち上がった。引っ張られるように立ち上がったナマエはよろりと彼にもたれ、まるでここに来る前エルヴィンにされたようにきつく抱き締められる。
「憲兵団にこいよ。お前10番以内だったし、なんなら俺が口きいてやるから」
「…私は、調査兵団を離れるつもりはない」
「あんな自殺集団のどこが良いんだよ!それに、あんなおっさんより、俺の方が…」
「………アダム、離して」
ぐっと彼の胸を押すと腕から抜け出し距離をとった。ドレスを軽く直しアダムを見据える。
「心配してくれてありがとう。でも、私は憲兵団には行かないよ」
「ナマエ、俺は…」
「私はもう戻るからあなたも仕事に戻って。…さよなら」
アダムに背を向けると会場へ続く廊下を歩く。何故かわからないが、とてもエルヴィンに会いたかった。焦るように早足になりながら角を曲がると何かにぶつかりよろめいたが、腕を捕まれ引き寄せられる。顔を上げるとそこにはエルヴィンの姿があった。
「団長…、」
「探したよ。会場にいないと思ったらこんなところに居たのか」
「すみません…少し、人に酔ってしまって」
「そうか……ナマエ、彼は?」
目線だけでまだそこに立ち尽くしているアダムを見るとエルヴィンはナマエの肩に手を置いて顔を近づける。
「訓練兵時代の同期です。たまたま警護の仕事をしてたみたいで…」
「ナマエ」
ゆっくりと近づくエルヴィンの顔に僅かに怒りの感情が見える。何故かはわからなかったが咄嗟に謝ろうと口を開くとそれを塞ぐように口付けられた。まだそこにアダムが居るのに。ナマエはそう思いながら、けれど抵抗はせずにそのままキスを受け入れる。
「、……団長」
「戻ろう…君と話したいという人が居るんだ」
エルヴィンは目を伏せながらもう一度ちらりと呆然と立ち尽くすアダムを見るとナマエの腰を抱いて歩み始めた。会場に戻るとエルヴィンの知り合いだという数人と話をしたあと今夜泊まる宿へと向かう。
「今日は助かったよ。ありがとう」
「お役に立てたなら良かったです」
「…ナマエ、君は…」
「はい」
「……いや、止そう。それじゃあまた明日」
「…はい。お休みなさい」
ひらひらと手を降りながらエルヴィンは自分の部屋へ向かう。その背が見えなくなるまで見送るとナマエはようやく部屋の扉を閉めた。