どんよりとした空はまるでナマエの心をうつしだしている鏡のようだ。泥がはねた卸したての靴をちらりと見てまたひとつため息をつく。

これが二度目の人生なのだと誰が信じるだろうか。ナマエ自身、所謂前世の記憶というものをすべて思い出したのはつい最近だ。初めは時々夢に見るくらいだった。妙にリアルなその世界でナマエは調査兵団というところに所属し巨人と戦っていた。それが夢ではなく記憶なのだと知ったのは、転職した会社に見覚えのある顔を見つけたからだ。



「ただ今戻りました」


外周りから帰り自分のデスクに鞄を置くと隣の席で舌を打つのが聞こえた。すみません、と謝ると視線を外し彼はまたパソコンのキーボードを叩く。隣に座るのは先輩で直属の上司のリヴァイだ。夢で見た顔がそのまま目の前に現れ驚きのあまり卒倒しかけたのは記憶に新しい。


「てめぇ手洗いうがいはしたのか」

「あ、まだです…」

「外から帰ったらすぐにしろと言ってるだろうが。同じことを何度も言わせんじゃねぇ」

「…すみません」

「そういうことに手を抜いてるうちは仕事も「まぁまぁまぁ!リヴァイはね、手洗いうがいを怠ってナマエが風邪でも引いたら心配でたまらないからしっかり予防するんだよってことを言いたかったんだよ。結局は君が可愛いのさ」

「ハンジさん…」


のし、と肩に体重をかけてきたハンジを支えつつちらりとリヴァイに視線をやるとものすごい速さで逸らされた。リヴァイのこういう口下手で(時々お母さんかと思うくらい)面倒見のいいところはあの頃とあまり変わっていない。ふと懐かしい気持ちになりながらナマエは給湯室に向かい手を洗う。


「あぁ、ナマエ…戻っていたのか」

「エルヴィン…、部長」

「二人のときは団長でも構わないよ」

「すみません、…」


リヴァイやハンジもいるのだから当然居るだろうとは思っていた。ただ他の二人と違いエルヴィンはナマエと同じく前世の記憶を覚えている。正確にはエルヴィンもナマエと同じ年のころに思い出したらしいのだが、どちらにせよエルヴィンの存在はナマエにとってとても救いになったのだ。


「だいぶ慣れたか?」

「仕事の方は、わりと。リヴァイ課長はスパルタですが、聞いたことはとても分かりやすく教えてくれるので」

「そうか。君の指導役にリヴァイをつけたのは正解だったな」

「部長はわかっててつけたんでしょう?私が、前もリヴァイ…兵長の部下だったから」

「さぁ、どうだかな」


つい小声になるナマエの頭を撫でてエルヴィンはくすりと笑う。入社したての頃のナマエは記憶を取り戻したばかりで今の現実と前世の記憶との間で揺れ酷く不安定だった。どちらが自分で、何が本当なのか。エルヴィンにも経験があるからこそわかるその苦しみの中にいるナマエをリヴァイに託したのは、記憶こそないもののリヴァイがあの頃のままの男だったからだ。逆に混乱しかねなかったが、これもひとつの賭けだった。エルヴィンもあの頃と同じで博打を打つのが得意らしい。


「あいつのことは何かわかったか」

「…………いえ」

「そうか…」

「居ないのかも、しれませんね」

「いつになく弱気だな」

「だって…、だったら何で、この会社に居ないんですか。不自然なくらい皆集まってるのに、どうして…」

「それは…誰にもわからない。ただ私も、もう一度会いたいと願うよ」


エルヴィンはハンカチを取り出しナマエの涙を拭う。この会社には何故か前世で共に戦ったものたちが(全員というわけではないが)集まっている。だがそこに居るべき人物がひとりだけ足りないのだ。


「(ミケ……何処に居るんだ。ナマエの涙を拭うのはお前の役目だろう)」

「っ、すみません…私、ちょっとお手洗いで顔洗ってきます」

「あぁ、わかった。落ち着いてからゆっくり戻ってくるといい。リヴァイには私から話しておくよ」

「ありがとうございます…あ、ハンカチ、洗って返します」

「これくらい大丈夫だ。ほら、こんなところ誰かに見られては誤解されてしまう」

「そ、そうですね…すみません。じゃあ、失礼します」


ぺこりと頭を下げて小走りで給湯室を出るナマエを見送ってエルヴィンは持っていたハンカチを静かに握りしめた。
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