「今日は何時に終わる?」


差し出された書類を受け取りながら、それを握る白い手をするりと撫でてエルヴィンは視線だけ上に向けた。一瞬きょとんとしたナマエはふと笑みを浮かべるとそれを隠しもせずに口を開く。


「定時には終わると思いますよ。今は特に急ぎのものもありませんし」

「俺も今日は早く終わりそうなんだ。いい酒が手に入ったから一緒にどうだ?」

「いいですね。リヴァイさんやハンジさんにも声をかけましょうか」

「残念ながらあまり量はないんだ。…じゃあ、9時でいいかな」

「えぇ、では9時に」

「待ってるよ」


ナマエの手を解放して書類を受け取るとそれをデスクに置いてエルヴィンはまたペンを走らせる。ナマエはその様子を一瞥し形ばかりの敬礼をして部屋を出た。

エルヴィンはずいぶん前からナマエを手に入れたいと思っていた。
今日のように二人で酒を飲もうと誘うのも初めてではなく、また彼女が断らないのも常だった。しかし、だからと言って完全に気を許されているわけではない。一度、雰囲気に任せて手を握ったことがあるがナマエは拒みもせずただ微笑んでいるだけだった。あからさまな拒絶など無かったがエルヴィンは何故かそれ以上何かしようとは思わなかった。
ナマエの視線や所作の端にはエルヴィンに対しての好意がみてとれるのに、いざ触れようとすると逃げていく。掴み所のない、まるで自由気ままな野良猫のようなナマエにエルヴィンは惹かれている。

艶やかな彼女の笑みが、今も瞼の裏に貼りついて離れない。



夜、ナマエは時間通りに部屋にやってきた。彼女が部屋に入るとシャワーを浴びた後のしっとりと濡れた髪が揺れ蜜のような甘い香りが放たれる。


「…あれ、まだお仕事中でした?」

「あぁ、思ったより時間がかかってね。もう少しで終わるから先に飲んでいても構わないよ」


ソファーの前のローテーブルに酒の瓶とグラスを置くとエルヴィンはまたデスクに戻る。いつもなら約束の時間までに仕事を終わらせ、シャワーを浴びてナマエが来るのを待っている。今日もそうだと思っていたのだろう、ナマエはどこかつまらなそうに少しだけ眉を下げた。こういった誘いはいつもエルヴィンからだが、ナマエも少なからず楽しみに思っていたらしい。しかし、エルヴィンが許したとしてもナマエは先に飲み始めたりはしないだろう。彼女はきっと待っていると言うはずだ。


「ちゃんと待ってますよ」


ほら。エルヴィンは静かに口元を持ち上げてペンを手に取る。実を言うと今日の分の仕事は既に終わらせてあった。さも仕事をしているように適当にペンを動かしながらソファに腰掛けたナマエを時々盗み見る。ナマエは持参したバスケットからチーズなどのつまみを出してテーブルに並べると同じように一冊の本を取りだし膝の上に乗せた。ナマエはもともと読書家で、普段からよく本を読んでいる。エルヴィンもそれは知っており本を読むこと自体は何の問題もないのだが、彼女が取り出した本の表紙を見るや否やエルヴィンの表情に影が射した。

今日の昼過ぎの事だ。廊下を歩いていたエルヴィンはたまたまナマエの姿を見つけると特に用などないが自然と彼女のもとへ向かった。しかしそこには先客がいた。すぐに名前は出てこなかったがナマエと同じ分隊に所属している男だ。男はナマエに何かを手渡すと馴れ馴れしくも彼女の髪の毛に触れてからその場を去っていった。今ナマエが持っている本はまさしくその時手渡されたものだった。
いつもはそんなもの持ってこないのに、どうして今日に限って。

エルヴィンはペンを置くと無言のままナマエの隣に腰を降ろす。ナマエは持っていた本をすぐ横に置いて酒の瓶をもつとグラスについでいった。


「お疲れさまです」

「あぁ」


適当に返事をして互いに軽くグラスをぶつけてからそれをあおる。酒はうまかった。ナマエが持ってきたチーズにもよく合う。すぐ隣にはナマエもいる。エルヴィンにとってこれ以上ないというほどの状況だ。それなのに何故だか、満たされた気分にならない。彼女の横にある本をちらりと見た。

他愛ない会話を楽しみながら酒をのみ進め、瓶の中身が半分より下回った頃ナマエは持っていたグラスを置いた。次の酒をつがないところを見ると今日はもう十分だということだろう。
エルヴィンは背もたれに大きく体を預けグラスを持つのと反対の腕を伸ばした。このまま腕を縮めれば簡単に抱きすくめられてしまうが、ナマエはそんなこと考えてもいないらしい。少し赤くなった頬を冷ますように手の甲を当て息をつくと伏せられていた視線を上げた。


「…もう戻るのか」

「はい、そうします。お酒ご馳走さまでした」

「もう少し居てくれ」

「……」

「ナマエ…」

「……いいですよ」


立ち上がろうとしたナマエの手を掴んで座らせ、指先を絡めながら引き寄せると無言のまま見つめ合う。エルヴィンがぐ、と顔を寄せるがナマエは避けようともせずただエルヴィンをじっと見つめていた。互いの息がかかる距離で一度止まり、視線を交える。エルヴィンは許しを請うような気持ちでそっと口付け、次いで舌を絡めていく。ナマエは抵抗しなかった。うっとりと目を閉じエルヴィンの舌の動きに応えるように自身のそれを絡ませる。同じアルコールの味がしてこのままひとつになるような錯覚を覚えながらエルヴィンはうっすら目を開ける。同じように少しだけ開いたナマエの目は僅かに潤んでいて、その視線がエルヴィンの雄の部分を刺激した。ちらりと例の本を見て何となく勝ち誇った気持ちになる。


「……ふふ、」

「ナマエ…?何を笑っているんだ?」

「ごめんなさい…、ふふ…団長があんまり可愛くて」

「は…?」


エルヴィンは目を丸くした。予想外の答えに呆然としているとナマエは笑みを深めすぐ横の本を指先で撫でる。


「そんなにこの本が気になりますか?」

「……」

「…昼間、廊下で見てましたよね?」

「、…気づいていたのか」

「ふふ…本当に、可愛い人」


ナマエはエルヴィンの首に腕を回し今にもくっつきそうなほど顔を近づける。
おそらくナマエは、今夜わざとこの本を持ってきたのだ。昼間エルヴィンが廊下で見ていたことも、それを面白くないと思っていたことも知っていた。エルヴィンが何時もと違う様にナマエを迎えることも、あるいは予想してのことかもしれない。
エルヴィンが降参とばかりに肩をすくめるとナマエは瞼を少し伏せ声色を落としそっと唇を動かした。


「今夜、泊まって行ってもいいですか?」


まるで答えなど聞く前からわかっているというような確信的な笑みを浮かべながら囁く。エルヴィンは答える代わりに唇を押し付けまた小さく笑ったナマエの背に手を回した。

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