一年、二年、そして、小夜なら


「明日、死のうと思う」
 まるで、明日の夕飯のメニューを告げるかのような気軽さだった。そんなに呆気なく自分の生き死にを決めるのかとも思ったし、あまりにも普段と変わらないものだから冗談なのかとも思った。だけど、箸で弁当をつつくみっくんの顔から表情がすとんと抜け落ちていて、ああ、これは冗談じゃないんだな、とわかった。
「明日じゃなくて、今日にしたら?」
 屋上のフェンスに寄り掛かりながら提案すると、ゆっくりと顔をあげたみっくんと視線が重なった。
「ええ、明日のつもりで今日を生きてたのに」
「明日も今日も変わらないよ」
「そうかなあ」
「そうだよ」
 実際には変わるのかもしれないけど、どうせ死ぬんだったら変わらないんじゃないかと思う。みっくんは少し怪訝そうにしていたけど、「そうかもしれない」なんて納得したようだった。
 自分で提案しておいてなんだけど、自分の命の行く末をそんな簡単に決めてしまっていいものなんだろうか。もっと考えた方がいいんじゃないのかな。死ぬ、ということを決めたのは、ずっと前の話かもしれないけど。だとしても、全く気が付かなかったなあ。
「私に、相談くらいしてくれてもよかったのに」
 思わず溢した文句に、みっくんが笑う。
「だって、俺が死ぬって言ったら今みたいに『じゃあ、今すぐ死ぬ?』って言っただろ」
「そうかな」
「そうだよ」
 さっきとは、逆の立場になってしまった。
 私はみっくんが死にたいと言ったら、「じゃあ、今にしよう!」なんていつかのCMみたいなことを言ったのだろうか。想像してみるけれど、よくわからなかった。みっくんの言う通り、言ったかもしれないし、言わなかったかもしれない。
「決めるのが遅いって思ってるんじゃない?」
「ええ、そんなこと思ってないよ」
 それは本当に思っていない、と思う。自信はない。
 でも、私はみっくんに死んでほしいと思ったことはないし、当然願ったこともない。誰かに言う「死ね」って言葉も、今や学校中で横行しているけど本当にそう思っている人はいないんじゃないだろうか。自分が言った一言で、本当に誰かが死んでしまったら、みんな後味が悪いはずだ。そして、二の句には「本気で言ったわけじゃない」なんて続けるのだ。
 もし、みっくんが今日、ここで死んだら、私が今日にしようと提案したせいになるんだろうか。なるんだろうなあ。だって、みっくんは明日にするつもりだったんだもん。
 私はみっくんが死んだら、後味悪く思うのかな。考えてみるけれど、どうにも想像がつかない。
 みっくんはいつの間にかお弁当を食べ終えていて、弁当箱を包み直していた。
「明日死ぬの?」
「ううん、今日にしたよ」
「私が言ったから? 別に、本当に今日にしなくてもいいんだよ」
「ううん。本当は、もっと早くにそうするつもりだったんだ」
 言いながら、みっくんは弁当箱を鞄にしまって、私の方に近寄ってきた。フェンスに寄りかかる私の正面に立って、みっくんが泣き出しそうに、笑う。
「もう、大丈夫だよ。姉ちゃん」
 嘘だ。みっくんは小さい頃から泣き虫の弱虫で、私がいないと何一つ決められなかったじゃない。
「だから、決めただろ」
 怖がりの癖に。
「うん。でも、姉ちゃんが一緒だから、大丈夫」
 みっくんは私の両頬を包むように触れて、情けない顔をして、やっぱり笑った。
「おれ、姉ちゃんのこと、ずっとずっと、大好きだったんだ」
 だから、あの日、みっくんは私を突き落としたんだね。ここから。強く。
 フェンスがもう古くなってるから、みっちゃんの力と後は勢いと私の体重で、フェンスは簡単に壊れてしまった。勢いがついて倒れる身体は私ひとりじゃどうしようもできなくて、みっくんの泣き出しそうな顔を最後に、真っ逆さまに落ちていったのだ。コンクリートに落ちて潰れた痛みは感じなかったように思う。ただ、最後に見た、みっくんの顔だけをずっと忘れられなかった。
「姉ちゃんが俺じゃない誰かと付き合うなんて、許せなかった。本当はすぐにでも、後追うつもりだったんだ。でも、こわくて」
 そっか。そうだよね。みっくんは弱虫の泣き虫だから、仕方ないよね。でも、大丈夫だよ。私はひとりで落ちないし、みっくんもひとりで落ちることなんてない。今度は、二人、一緒だから。
 みっくんの大きくなった体を抱きしめて、私はもう一度、落下した。

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