はじめまして

ばいばい、って手を振った。
迎えに来るからね、と云ってくれた。
ママは。
ママはそう云ってくれた。
パパは、ずっとこの病院の先生とお話をして、帰る時に、ちらっと私を見ただけだった。
「先生はお隣のお部屋に居るからね。何かあったらおいで」
「うん……」
一緒に連れてきた、わんちゃんをぎゅってして、お布団に包まる。診察室からは、たまに男の人の声が聞こえて、叫んだり、怒鳴ったりしてる。怖い。なんでこんな所なんだろう。
そう思えば思うほど、手からお花が溢れてくる。
それを見ていると、ママとパパが喧嘩していたのを思い出す。聞きたくもないし、覚えてもいたくない。なんて云ってたのかは判らないけど、多分私の事でだと思う。
嫌だなぁ……
パパが見た魔法のお話。それが使えたら楽しいんじゃないか、なんて思ったのが、いけなかったのかしら。
もし、全部が真っ白になって、私がその魔法を忘れてしまえば?もしかしたらやり直せるかもしれない。
「お花さん……」
もっと、沢山のお花。こんなにあれば素敵な冠が出来る。色んなのを出そう。黄色いお花、赤いお花、白いお花。
一つずつ編んでいく。出来た、出来た。綺麗な花冠。戴いたら、親指姫みたいになるのかしら。そうしたら、きっと素敵な燕さんが迎えに来てくれる。


「ねえ、エリスちゃん。彼女の様子を見てきてくれないかなあ」
「なんでよ。自分で行きなさいよ」
「女の子のお部屋を覗くなんて失礼じゃないかな」
仕方無いわね!と云いながらも見に行ってくれた。「ちょっとリンタロウ!どうにかしなさいよ!」
直ぐに駆けて出て来て、白衣を引く。それに無抵抗で付いていく。
「これは──」
舞う色とりどりの花。寝台に横たわる、花冠を戴いた少女。名前を呼んでも返事はない。脈は平気だ、おかしいぐらいに正常。
「解るかい?」肩を揺すりながら、声をかける。驚いたように身体が跳ね、どうしたの?と首を傾げる。冠から、毒々しい程に紅い椿がぽとり。
「意識がはっきりしてるかの確認だよ。此処は?」
「森先生の診療所」
「お名前は?」
「………」
何度聞いても首を傾げるだけだった。何か答えを出せるものが無いか。彼女が記憶を消したという、事実を否定する何か。
「そのぬいぐるみは誰からもらったのかな?」
抱き締めたままの、犬のぬいぐるみ。彼女の母親が、寂しくないようにと渡したものだった。
「わかんない……でも大事なの」
ぎゅっと、抱き締め、不安そうに眼を潤ませる。
そうかと返事してもう寝台へ入るように促した。
私は或る人物に連絡を入れた。
「一つ、相談を善いかな?」
『なんじゃ、こんな時間に』
「花を纏う夜叉を育ててみないかい?」
向こうで短い笑い声がした。
暫くして、相談先の女性が現れた。
「幼子を拐かして、悪巧みかえ?町医者殿?」
「人聞きの悪いなぁ。取り敢えず、覗いてみてくれ」
部屋に案内する。寝台で寝息をたてている、小さな夜叉。
「名は?」
「無い。さっき自ら捨てたよ」
今の彼女には、此処へ来て私と出会った、それ以前の記憶は無い。作為的だとしても、随分と巧くやったものだ。事故直前後の記憶がない、というのはよくあることだが、自分に関する、今まで凡てのものを彼女は棄てた。
「卯羅……例え闇だとしても、私らにとっては住み好い場所。そこで華やかに花を生けるこの子に、善いとは思わぬか?」
「愛らしいねぇ。実に善いと思うよ」
「卯羅や、可愛いのう……起きたら茶菓子でも用意してやろう」
寝台に腰掛け、側臥位で眠る、新しい娘の背を擦る。若干曇った表情。
「珍しいじゃないか君がそんな顔するなんて」
「この子を思うと不憫でのう……ほんに子兎のように愛らしいというのに」
光に棄てられた女性が二人。
「ん……せんせ……」
寝返りをうったかと思ったら、うっすらと眼を醒ました。
「卯羅や、起こしてしもうたか?済まぬのう」
「卯羅ちゃん、お母さんが迎えに来てくれたよ」
「ママ……?」
「そうじゃ、母じゃ。暗がりで見辛いかえ?」
身体を起こして、新たな母に抱き付く。「怖かったぁ……」
「泣くでない。ほれ、このぬいぐるみは大切であろ?」
うん、と頷き抱え、また抱き付く。あの犬のぬいぐるみがもし喋ったなら、違うよ、と反抗するだろうか。いいや、彼はきっと、彼女の行く末を眺めているだけだ。いくつもの涙を受け止めながら。
「ママ、卯羅ね、御手洗いなの」
「なら付いていってやろう。一人では怖かろうに」
手を引かれ、三人で。引き取った時よりも幼さが勝る。
「鴎外殿」預けられた犬のぬいぐるみを抱きながら、紅葉くんが呟いた。「この子は本当にこれを望むのか?」
「世界がそう望んだ」
異能力が何故発現するかは解明されていない。されていたとしても、公にはされない。人工的に発生させる実験があったのは、出身柄知っている。
手洗いから出て来、ぬいぐるみを受け取り、手を引かれながら寝台へ戻る。おやすみ、と呟いてまた眠りに入った。
「暫くは私が預かる。時期をみて、君の元へ帰すという名目で組織に引き入れる」
静かに頷き、深紅の傘を広げて、彼女は出て行った。
それを見送ってから、新しい診療録を作成した。
診療録名は『尾崎 卯羅』

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