なんか、いつもよりふわふわする。
目が覚めてまっ先に思ったこと。枕に頭を預けたまま、ぼんやりと天井を見つめる。
薄暗い。どうやらまだ起きる時間ではなかったらしい。隣の清光が静かに寝息を立てていた。……それならもう一眠りしようかな。よくわかんないけど、良い気分だし。僕は寝直すために身動いだ。
……あれ、なんだろう。変な感触。股の辺りが冷たい……?
聞いたことあるなぁ。寝てるとき人間のからだはたまに「おねしょ」する。つまり、おしっこを漏らす事もあるんだって……
まさか。
がばり、飛び起きて布団を捲る。敷物の上を擦るように指で触ってみたけど湿ってはいなかった。目を凝らしても染み一つないし。ほっとして息を吐く。聞いた話じゃ、僕みたいな見た目の男が漏らすのは、とても恥ずかしいことらしい。だから目のつく所が濡れていないなら皆に勘づかれる事もないだろう。それに、汚れていたら洗うのが面倒だ。
次に、着物の上からそっと尻を撫でてみる。ここも乾いていた。なんだ、たいしたことないみたい。それでもやっぱり下着はびしょびしょな感じだった。とりあえず新しいのに替えたいし、これは洗っとかないと。音を立てないようにこっそり下着を取り出して厠に向かった。
***
「……ってことがあったんだ」
「やーい安定おねしょしてやんのー」
「そっ……れはそうだけど違うんだってば!」
「もしかしてさ、小便の匂いじゃなかったー、みたいな?」
「なんでわかるの!?」
「あー……そっか、そっか……うん」
稽古前、僕は今朝の出来事を清光に話していた。本当は嫌だったけど、どうしても緊急で相談したかった。それなのにこいつは……
でも思った通り、彼には心当たりがあるらしい。何故か知らないけど、遠い目をしながら清光がぼやいた。
「俺は川の下の子だからちょっとは詳しいけど……そうじゃない安定は知らない、ってのもあり得るわけだ」
「も〜、だから何なの! こっちは病気なんじゃないかって、深刻な事態だから聞いてるのに!!」
「大丈夫。それ生理現象」
清光が順を追って説明する。それは病気ではなく、ましてや恥じる事などないと言う。男は皆、尿とは違うモノを出せる。興奮したときに出やすくて、たまに寝ている最中でも出たりする。男と女が愛するには重要なことであるし、子供を授かるにも必要な機能、らしい。なるほど。あんまり難しい用語は頭に入らなかったけど理解はできた、と思う。
「ふーん。あ、じゃあそれで前、他の奴がエロ本だっけ……あれを見てた時、妙な感じだったのはそーゆーことなんだ。納得した」
「……飲みこみ早くて助かるけど、お前平然としすぎでしょ。恐いんだけど」
「だって恥ずかしいことじゃないんでしょ?」
「体の機能としてはね。でも話題としては下品な部類だから。俺とかに喋るのは良いけど……女の子の前で夢精したとか言わないでよ? 」
「さすがにそんな変な自慢しない……と言うか、そもそも僕は色恋に興味ないから大丈夫だと思う。女の人と喋る機会なんて全然ないし、敵と戦う方が好きだ」
「わかるけどねー。でも本丸には主もいるじゃん。うっかり目の前で喋りでもしたら……嫌われるかもよ?」
「それは困る」
「だろー? まぁ、この辺にしてさ。いい加減手合わせ始めよーよ……って訳でほいっ」
「ちょ、……ああもう、返り討ちにしてやるよ……!」
稽古用の木刀をひょいっと投げられた。慌てて構えると、清光が容赦なく切り込んで来た。一撃を間一髪で受け流し、間合いを取る。全身の血が駆け巡って、瞬く間に気分が高まった。 うん、やっぱり僕は戦うのが好きみたい。
***
近侍当番の鶯丸に呼ばれて主の部屋に来た。いったい何の用事だろう、と首を傾げる。主はにこにこ上機嫌そうに座っていたので、お説教と言う事ではなさそうだ。案内する仕事が終わった鶯丸は「それじゃあ茶でも飲んでくる」と主に告げて廊下にでていった。いつも思うけど、なんで彼はこんなに堂々とサボるのか。そんな彼の態度に気を悪くする事もなく、主が話始める。
「安定さんいつも頑張っているでしょう。最近は誉もいっぱい取ってるし。だからなにかご褒美あげたいなーと思って 」
「別に褒美なんていいけど……ありがとう」
「遠慮はいらないから! なんでも良いよ!! 」
「じゃあ、鶯丸が戻ってくるまで臨時の近侍がしたい。主の仕事してる姿、好きだから」
「んんー? これは仕事に戻らないといけない流れ!? まぁ安定さんがそこまで言うなら…… え、大丈夫? 昨日から立て続けに近侍する事になるよ? 今日はただ報告書作るだけだから頼み事ないし……かなり暇だと思うけど」
「うん、平気。見てて飽きないよ」
「そ、そう。なんか照れる」
笑ったり、困ったり、照れたり。表情がころころ変わって忙しい僕の主はようやく仕事に戻っていった。時折、ひぃとかうーとか小さな奇声をあげながら書類と格闘している。本当に見てるだけでも面白い。生気に満ち溢れているってこう言うことなんだろうな。
それでも僕の頭は暇だったらしい。いつの間にか今朝の出来事を思い出していた。
結局あれはなんだったんだろう。欲求不満な時ああなってしまうような事を清光が言っていた気がする。でも僕は欲求不満になんかなっていない、はず。エッチな夢でも見たんじゃなーい、とも言われたけど見た覚えがない。だいたいエッチな気分って何? 好みの相手に興奮する事とかよくわからない……
あれ、でもそう言えば
「安定さん」
急に名前を呼ばれてビクッと肩が跳ね上がった。仕事、終わったみたい。
……ちょっと油断しすぎたな。もし長曽祢さんに見られていたら叱られていたかもしれない。主も僕を見てくすくす笑っていた。
「やっぱりつまらなかったでしょう」
「ごめん。つまらなくはなかったよ。ちょっと物思いにふけてただけ」
「そうなんだ。何を考えていたの?」
「ええっ!? ダメだよ!」
「はい……?」
しまった。なんて事を急に聞くんだと思って咄嗟に否定してしまった。これじゃあ何か疚しい事があるみたいだ。いや、僕は別にいいんだけど。清光がいけないって言うし、嫌われるかもしれないって脅すから……!
冷や汗が出てる気がする。そして多分、主はいま怒ってる。ちらっと主の顔を確認すれば予想通り般若みたいな顔になっていた。こうなると彼女は恐い。
「どうしてダメなんですか?」
「ち、違う」
「何が違うの? 他愛のないことなら話してくれてもいいでしょう?」
「それはそうなんだけど」
「ねぇ、私達が出会った時約束したよね。人間と刀では考えがすれ違うこともあり得るだろうし、よく話し合いをしましょう。特に隠し事はお互いなしですよ、って誓ったよね?」
「うん……ごめんなさい」
「さっさと吐いて楽になっちまいなぁ、って事ですよ。さぁ、どうぞ」
どうしよう。主には関係無い話だよ、なんて言ったら余計怒りそう。もしかしたら助言できるかも知れないじゃない! とか言いそう。絶対そうなる。
……もう打ち明けてもいいんじゃないかな。 清光はああやって釘を刺して来たけど、刀が思ってるより人間には大した話題じゃないかもしれない。生理現象?……なんだから。恥ずかしくないんだから。そこまで危惧することかな? しかも主である彼女をないがしろにしてまで隠すような真似、臣下としてどうなんだろう。そうだよ。主はいつも親身になって話を聞いてくれる。彼女は僕の主なんだ。きっとわかってくれる。
でもやっぱり怖いからひとつだけ。
「主はどんな僕でも愛してくれる?」
「もちろんです! 」
間髪入れずに答えてくれた事に安堵した僕は全てを語った。
「今朝の話なんだけどね。気持ち良くなって起きたら変な物を漏らしてしまったんだ」
「!?」
「怖くなって清光に相談したら夢精、って言うらしくて。なんでそうなってしまったのかわからなくて悩んでたんだけどね。清光は一応色々説明してくれたんだけど、肝心な事は聞いてくれなくてモヤモヤするし困ってたんだ 」
思っていたよりも不安だったのかな。言葉がすらすら出てきた。そして主の顔はみるみる内に赤くなっていった。何も言わないし、驚いているけど怒ってはないみたい。ああ、良かった。清光は大袈裟だなぁ。すっかり機嫌の良くなった僕の口は止まらない。
「それでね、ずっと考えてたんだけど……昨日の夜、寝る前に台所で主と会ったよね?」
「……お互い飲みものを取りに来たんですよね」
「あの時、主が今日もお疲れ様って言ってから抱きしめてくれて、いい匂いだったからドキドキしたんだけど……たぶんそれが原因なんだと思う」
言葉にしたらスッキリした。自然と笑顔になる。
そして主は声にならない悲鳴を上げて気絶した。
いきなりどうしたんだろう。白目を向いてぶくぶく泡はいてるし。やっぱり主は面白いなぁ。
縁側の柱に背中を預けながら部屋を覗き見していた鶯丸に、「口説き方を間違えたな」って言われたけどよくわからなかった。