亜季ちゃんを全力で口説いてください


※雅の事件後、鹿島くんの事件前くらいを想定してます※


 さすがに、そのお題には顔が引きつった。


「え……っと、それはみなさんが私を口説くということですか……?」

「嫌そうな顔をするな。俺も嫌だ」

「ですよね! 誰得ってヤツですよこれ! やめましょうリーダー!」

「まぁまぁ桜坂、恥ずかしい思いするのは俺達だけだから」

「だったら猶更乗り気な理由が分からないですね!?」


 原因は、松隆くんによる安請け合いだ。いや、松隆くんは構わないと思ってるから、安請け合いなんて言い方をするのはおかしいのかもしれないけれど……。とにかく、御三家ファンの女の子からお願いがあると言われて、御三家の株を上げようとしている松隆くんが「できることなら」と快諾してしまったせいだ。蓋を開けてみれば『女の子を全力で口説いてください』なんてとんでもないお題だったわけだ。


 とはいえ、「できることなら」と言われたんだから断れば済むもの。それなのに松隆くんが断わる気配はなく、それどころか「あぁ、そのくらいならいいよ。相手は桜坂でいいよね」なんて私まで巻き込んできたわけだ。冗談じゃない。桐椰くんだって動揺してさっきから頭を抱えている。


「これ一人がやればいいよな? 俺はしなくていいよな?」

「何言ってるの、お前のファンもいるんだからやれよ」

「なんで命令口調なんだよ!」


 さて、そんなこんなで現在どんな状況かといえば、二年四組の教室には私達以外誰もいなくて、代わりに廊下は御三家ファンで鮨詰め状態。御三家が女の子を口説く様子を見れる、と広まってしまったせいだ。ついでに、お題を快諾した松隆くんが「教室の中には入ってこないでね」としか言わなかったせいだ! お陰で映画の撮影でもしてるのかなって勘違いしてしまう。


「……ねぇやっぱりマネキンとかにしない?」

「俺にマネキンを口説けと?」

「なんで松隆くんってそんなに偉そうなの!? いいじゃんマネキン口説いてよ!」

「ていうか、俺、今日は帰る用事あるから、さっさと口説いて帰るね」

「はい!?」


 お題を承知した人はやる気満々なんじゃなくてタスクをこなして帰るかのような態度だと!? 私が茫然としている隙に松隆くんが近寄って来るので、怖くなって思わず後ずさる。


「いや……、そういうのナシにしましょうよ……いつか来たるときのためにとっときましょ? ね?」

「今がその時なんじゃない?」

「笑顔が怖いよ松隆くん!!」

「と、いうわけで」


 ガタッ、と背後の机にぶつかってしまった。逃げられない!と恐怖で顔がひきつった瞬間、松隆くんの手が伸びて来て、ギョッと体を仰け反らせる。


 が、それも甲斐なし。逆に、仰け反った体を支えるように腰に手を回された。ヒェッと私の体は硬直したし、視界の隅の桐椰くんが愕然として間抜けに口を開いたのも見えてしまった。でもそれも一瞬だけ、目の前に迫る松隆くんの顔のせいで別の情報なんて頭から吹っ飛んだ。


「じゃ、そういうことで桜坂」


 しかもその手に髪を絡めとられた。ちょっと待って!?


「俺と付き合う?」

「ギャーッ!!」


 キャーッ、なんて爆音のような悲鳴が廊下から聞こえたけれど、私は半ば泣き叫んだ。眼前に迫る顔は偏差値優に八十超え、しかもなんかいい匂いするし人の髪をそんなにさり気無く触らないでください! イケメンだから許されるって分かっててやってるでしょこの人!!


「ちょ、たんま! なしなしなし!!」

「返事は?」

「ノーに決まってますよね!?」

「どうして?」

「ちょっ……」


 にこにこ笑う松隆くんの手が髪を梳いた。ここまで来たら頭おかしいとしか思えない! ていうかその顔でこんなことされたらその気がなくてもいいかなとか思っちゃうね! 理性飛びそうになっちゃうね!


「リーダー! 悪ふざけはよくないですよ!?」

「なんで? 本気だけど?」


 お題じゃん!? いや本気で口説くお題だからその意味では本気……? 最早抱き締められてる状態のせいで頭が上手く回らない。この人顔面凶器だよ本当に! ぶるぶると怯えて首を横に振り続けていると、仕方なさそうに松隆くんは眉を八の字にする。よし、これで終わり──。


「本当に、俺じゃだめなの?」


 ──終わりだと思ったのに、まさかの、後頭部を引き寄せて耳元で囁くときた。絶妙な距離からのそのダメ押しは、吐息も相俟って全身の筋肉を弛緩させた。


 ガタガタッと、力を失った私がぶつかったせいで机が揺れた。真っ赤になって唖然として松隆くんを見上げていると、「大丈夫?」とくすくす笑っている。私がその場にへたりこまずに済んだのは松隆くんが腰を支えてくれていたお陰だと思うと余計に顔が熱くなる。


「……松隆くんって本当に……悪魔だよね……」

「まぁあるものの使い方は分かってるし? ってわけで、俺はここまで」


 まだ腰に力入らない?と笑いながら、松隆くんは椅子を引いて私を座らせてくれた。そのまま鞄を持って「じゃ、俺帰るから。ちゃんと二人もやって帰るんだよ」と教室を出て行こうとする。さっきまで鮨詰めだった廊下はぽこぽこと穴が開いていて、あぁ、松隆くんの口説く様子を見て卒倒した女子が何人かいるんだな、なんて察してしまった。松隆くんが出て行くと女子が何人か追いかけるのでギャラリーの交代が起こった。


 そして、おそるおそる残された二人を見ると、桐椰くんは顔を真っ赤にして唇を引き結んでるし、月影くんは顔が死んでいた。


「……あの、リーダー帰ったし、やめません……?」

「ギャラリーが総にチクッたらどうすんだよ……」


 最後にやるのだけは嫌だ、とぼやきながら、桐椰くんが立ち上がる。桐椰くんはなぁ……どうせ口説いてる途中で自分が恥ずかしくなっちゃう人だからなぁ……。あんまり緊張もしないんだけどな、と思いながら、椅子に座ったままじっと待っていると、机二個分離れたところから、しかも顔を背けたまま口を開くときた。


「……好きだから付き合ってくだ──」

「いやそれはなしでしょう」

「口出すんじゃねぇよ!」


 ほらねやっぱり。机に頬杖をつきながら横柄な態度で返事をすれば怒られた。理不尽だ。


「だって全力で口説くんだよー? それで全力なのー? 君はその程度なのかーい?」

「なんなんだお前のそのキャラは!」

「いいからいいから、早く早く」

「口説かれる側は黙って座ってろ!」

「だってそれ口説いてるんじゃなくてただの告白じゃん」

「ッ……!」


 確かに、とでも言いたげな表情で桐椰くんが固まる。そうでしょうとも。


「……じゃあどうしろと」

「松隆くんみたいに抱きしめるくらいすればいいんじゃないですかぁ?」

「できるか! アイツは慣れてんだよ! あとお前はその態度をやめろ!」

「あうっ」


 頬杖をつき続けていたせいで、腕を払われてガクンッと頭が揺れた。まったく乱暴なんだから。


 そんな感想しか抱かなかったけれど、掴まれた腕がいつまでも離されないので「おや?」と顔を上げる。でもやっぱり桐椰くんは顔を赤くしたままで、なんなら視線だって泳いでいる。


「……好きです付き合ってください」


 さっきと違うのは、距離と、腕を掴んでいることだけだ。廊下からは「もう一声!」と聞こえた。余計なことを!と桐椰くんが唇を震わせている。やっぱり可愛いな桐椰くん。


「……ちょっと、立って」

「えーやだ面倒くさい」

「だから口説かれる側が文句言うな!」

「ちぇっ」


 腕も離されたところで、渋々、言われた通りに立ち上がる。立ったところで視線が同じになるわけでもなし、一体何をしてくれるんですか、と見上げていると、今度は両手がそれぞれ桐椰くんの手にとられた。二人で輪を作ってる状態になってしまって、首を傾げていると、その両手は包むように合わせて握られた。あ、桐椰くんの手大きい……。


「亜季」


 ──そうだ。この人には、その武器があるんだ。


 思わず手を見てしまっていたのに、そう呼ばれて弾けるように顔を上げた。桐椰くんは依然として真っ赤だけれど、さっきと違うのは、私も真っ赤だということだ。


「好きだから、俺と付き合って」


 う、わぁ……。ぎゅう、と心臓が締め付けられたことを誤魔化すように、唇を強く引き結んだ。結局告白でしかない気がするけれど、それでも桐椰くんはそれで十分だ、ピュアさこそが武器だから。


 ややあって、桐椰くんの手はやや乱暴に離れ、桐椰くん自身は「なんで俺がこんなことやんなきゃいけないんだよ……」とその場に縮こまった。私はのろのろと座り込む。


「……桐椰くん」

「……なんだよ」

「……元気出して」

「……うるせぇ」


 桐椰くんは顔の赤いのが収まるのを待ってから、のろのろと私の前を離れた。隣の隣くらいにある椅子に座り込んで、はぁー、と深い溜息を吐いて、額の前で両手を組んでいる。可哀想に。


 そして残るは月影くん。絶対こんなことしたくないでしょう、と恐る恐るその顔を見ると、まだその顔は死んでいる。何もしていないのに見ているだけで疲弊したようだ。


「……ツッキー」

「あぁ、君が察している通り、こんなことしたくない」

「……じゃあ」

「だが口説けば帰れるんだろう。俺は早く帰りたい」


 チッ、なんて月影くんがガラの悪い舌打ちをした。月影くんが舌打ちするなんてよっぽど嫌なんだな! 知ってるよ仲良しになっても私への扱いは酷いもんね!


「ツッキー……無理しなくていいんだよ」

「総に怒られて済むとしても、口説かないとあのギャラリーが返してくれなさそうだからな」


 なるほど、確かにそれもあるかもしれませんね。まぁ月影くんならそうドキドキすることはないでしょう、と椅子に座ったまま待ち構える。すると、月影くんはネクタイに指を引っかけて胸元を寛がせた。分かってるじゃんツッキー、眼鏡かけてる人のその仕草、女子に人気ありそうだよ! 現にギャラリーが「あれ憧れる〜!」って叫んでるもんね!


「で、そういうわけだが、桜坂」


 が、そんなことより、月影くんはどんどん近づいてくるのに歩みを止めない。どこまで近寄って口説いてくれるんだ、と段々熱の収まり始めた顔でじっと見つめていても止まらない。遂に、膝と膝が触れ合うほど近くに立たれた。


「え……ちょっとツッキー……」


 そのまま、私の正面から、覆いかぶさるように、月影くんは私の座る椅子の背に両手をかける。どっくん、と心臓は跳ね上がった。


「俺と付き合うか?」


 ツッキー……! 胸元を寛がせたのは、私の視線の高さがそのシャツの隙間にいくことが分かってたからですか!? 結局御三家のメンバーである限り月影くんも女タラシなんですか!? そういえば月影くんは事件のストレスで女遊びに走ったって……つまり実は口説き慣れている!?


「ちょ、ツッキー、キャラ崩壊してますよ……」

「付き合うかどうか聞いてる」

「いや付き合わないですよ!」

「だったら付き合わないでおくか?」

「もちろ──ん……」


 あ、そうだよね、一回告白じみたことすればこのお題はクリアだよね、と顔をほころばせようとして──私の解釈が間違っていることに気が付いた。


 椅子の背を離れた手が、私の顎を捉える。動くことを許されなくなった私の眼前で、ふ、と月影くんが笑った。それは、告白を終わりにするためのものではない。……“付き合わずに遊ぶか?”とでも問いかけてきそうな、冷然とした嘲笑だった。


 ドクン、と緊張した心臓は大きく鼓動した。平熱を取戻しかけていた私の顔は再び熱くなった。……同時に、その知らない表情には、ゾッ、と、恐怖で全身が粟立った。


「……ツッキー、キャラ崩壊してますよ」

「あぁそうだな、このくらいにしておこう」


 辛うじて絞り出せば、月影くんはすぐに私から離れた。


 ドクン、ドクン、と、見てはいけないものを見てしまったかのように、私の心臓は震えている。でも、月影くんが構う様子はなく、「これで帰宅していいな」「待て俺も帰る! 置いていくな!」といつも通りだった。桐椰くんが鞄をひっつかむのを見て、私だってこんな場所に残されちゃ堪ったもんじゃない、と慌てて二人の隣に並ぶ。


 かくして、リーダーが持ってきたお題は無事にクリアしたわけだけれど……。そっと、私は、桐椰くんと話す月影くんの横顔を見つめる。あのときの月影くんの表情は、一体何だったのだろう──……。