月影くん×亜季ちゃん


 チッチッチッ、と時計の針の音が聞こえる静かな第六西。松隆くんが本を読み、桐椰くんがスマホを見、月影くんが勉強をし、私が学校の課題をしているだけの時間。いつもと違う光景があるとすれば、ソファに座っているのは桐椰くんと松隆くんで、私は月影くんの隣に座っているということだろう。


 各自が黙々と各自の作業なり趣味なりに勤しむ中、ぱたんと松隆くんが本を閉じる音が響いた。


「……あのさぁ」

「ん?」

「いや遼じゃなくて……まぁ遼でもいいんだけど……。そこ二人、付き合ってるんだよね?」


 桐椰くんだけではご不満そうだったので私も顔を上げると、松隆くんのいぶかし気な顔は私達のほうへ向いていた。口にされた内容も私達のことだ。


「付き合ってますとも」

「それで、放課後に一緒に勉強して満足?」

「満足も何も、月影くんは勉強したいわけですし」

「理解ある彼女だな」

「大丈夫、ちゃんと二人が見てないところではイチャつくか──」


 恋人としての実態を心配されないように、シャーペンを置いて月影くんに横から抱き着こうとして──その腕に阻まれた。見事に私の両肩を押さえるその動き、完全に慣れている。


「……あのー、ツッキー」

「なんだ、邪魔するな」

「はいすいません」

「本当に付き合ってるんだよな?」

「付き合ってますとも!」


 桐椰くんの更なる訝し気な声に勢いづいて答えるけれど、松隆くんも胡乱な目を向けるし、月影くんは無視。なんならパラリと問題集を捲ってしまったので、順調に勉強を進めていることも分かった。


 わざとらしく不満を顔にだすために膨れっ面をするけれど、やはり月影くんは無視。


「それ本当に付き合ってるの? 同じ空間で息してるだけじゃない?」

「いやいや何を仰る。二人が同意してれば付き合ってますよ」

「今の桜坂を見ても、俺達のどれが彼氏なのか分からないくらいには駿哉と付き合ってる感ないよ?」


 松隆くんはソファの背に腕を乗せたまま呆れ声だ。


「土日になったらデートしてるの?」

「一緒に図書館行ってる」

「それデートか?」

「たまに本屋も行く」

「何話してんだ?」

「何も話さない」

「……付き合ってるんだよね?」

「付き合ってますね!」


 松隆くんと桐椰くんに代わる代わる尋ねられ、一言答えるたびに、二人の眉間の皺は深くなる。二人は顔を合わせてから徐(おもむろ)に立ち上がる。そして、この遣り取りの中でも黙々とシャーペンを動かしていた月影くんの手から、桐椰くんがシャーペンを取り上げた。


「……何をする」

「何をするじゃねーよ。お前彼女と一緒にいるのに勉強しかしないのはだめだろ」

「付き合い方は千差万別だろう」

「千差万別っていうのはね、駿哉。ぞんざいに扱っていいって意味にはならないんだよ」


 当然に迷惑そうな顔をした月影くんと、そんな月影くんに説教するモードに入る二人。桐椰くんはともかく、松隆くんがこの手の説教を始めるなんて、よっぽど酷く見えるのかもしれない。


「大丈夫だよ二人とも! 図書館の帰りは遠回りして公園行ったし!」

「中学生のデートじゃん」

「公園のベンチで膝枕申し出たりもしたし! 断られたけど」

「断られてるなら意味ないだろ……」

「うっかり転んで抱き着いてみたいなドキドキハプニングも体験したし!」

「それ片想いのときにやるべきことだから。付き合ってる二人がやることじゃないから」

「学校帰りは送ってもらうし!」

「付き合ってない俺達とも一緒に帰ってたよな?」


 罵倒に近い、打てば響くようなツッコミの数々。チーン、とでも聞こえてきそうな空気になり、月影くんは「そろそろ返せ」とシャーペンを桐椰くんの手から取り返し、再び勉強に戻ろうとする。二人が納得した様子はないので私は更に一生懸命頭を捻る。


「うーん……他に……といえば……」

「なんかマジで心配になってきた……先週付き合い始めたばっかりなのにもう別れますとか電撃破局はやめろよ……?」

「というか、せめて呼び方くらい変えたら?」

「あぁ!」


 松隆くんの提案にぽんっと手を叩いた。月影くんがぴたりと手を止める。


「それなら──」

「そろそろ帰るか」


 そして私の言葉を遮って、素早く机の上を片付ける。じろりとその冷たい目に睨まれて察した。はいすいません、私も片付けます。


「なに、二人のときは呼び方違うの?」


 察した松隆くんがにやにやにや。カッとビームでも飛び出そうな鋭い眼光が月影くんの目から放たれたかと思えば、振り向いた月影くんは私に目だけで命令する。帰るぞ、と。


「はい」

「結局なんて呼んでんだよ。名前呼び?」

「じゃあな、二人とも。提出課題は早めにしておけ、写させはしないからな」


 執拗に訊ねようとする二人から逃げるように──というか実際逃げるために──月影くんは私を廊下へと押し出す。二人の「駿哉って呼んでんのかな」「桜坂が呼び捨てって似合わないよね」「じゃあ“駿くん”か?」「それだと面白みがないなぁ」なんて声を遮るようにピシャリと扉も閉められた。


 廊下を歩く間も月影くんは無言。第六校舎を出ても無言。学校を出て暫くして、漸く口を開いたかと思ったら「余計なことを話すんじゃない」と怒られた。


「えー、いいじゃん、呼び方くらい」

「よくないから言っている」

「でも別に禁止はしてないじゃん? 私が外で駿ちゃんって呼ばないだけで」


 例示のためにうっかり口にすれば、じろりと睨まれた。あぁ怖い。


「あの二人に格好の笑いのネタを与えるだけだからな」

「笑われるかな?」

「笑われるに決まっている」


 周りにおよそ花高生がいないだろうと思われる道。そこまで来て、月影くんはひょいと手を差し出す。それに応えるようにひょいと手を差し出せば軽く握ってもらえた。


「二人の前だと手も繋ごうとしないし」

「笑いのネタを与えるだけ、二度も言わせるな」


 手を繋ぐのは言われたくないだろうな、と思ったので二人には言わなかった。本当は移動中に手を繋いでいないことはないので、二人の言う“付き合ってる”証拠はあると思うのだけれど。


「まぁ駿ちゃんは淡泊だもんねー。彼女の前で急にキャラが変わるわけないってあの二人も思ってるよね」

「だろうな」

「変えてくれていいんだよ?」

「変わるものがない」

「そうかなぁー。まだ一週間だから変わらないだけかなぁー」


 ちらちらと疑いの目をわざとらしく向けるけれど、無視。どうやら付き合っても月影くんの塩対応に変化はないらしい。変わったこと──というか、律儀な月影くんらしいなと思ったのは、花高生がいないところでは必ず手を繋いでくれることと、お昼休みには必ずお昼ご飯に迎えに来てくれることだ。


「ていうか、駿ちゃんがお昼休みに私を迎えに来たとき、女子の反応すごかったよね……」

「そうだったか」

「そうでした。一日目は“あぁ御三家の呼び出しね”みたいな感じだったけど、三日連続で来たら“なんだ”ってなってたよ」

「付き合っていると口にしたときの反応がうるさくてな、そちらばかり印象に残っている」


 それはそうかもしれない。三日目、何かがおかしいと気づいた女子の一人が「二人って付き合ってるとかじゃないよね?」と口にしてしまった、そして月影くんが平然と「付き合っているが」と返したせいで、教室は阿鼻叫喚の大騒ぎ。桐椰くんが「お前は黙ってると思ってた」と意外そうに口にし、「黙ってると思ったからわざわざ黙っとけとは言わなかったのに」と松隆くんは額を押さえた。御三家の中の一人に彼女ができたなんて、バッドニュースにもほどがあるんだろう。


「まぁ……隠さないのは駿ちゃんらしいけどさ」

「冷やかしさえなければ隠す必要はないからな。理由もないのに一緒に昼食をとるな、などといった的外れの牽制を防ぐことができると考えれば、言っておくにこしたことはない」


 都合よく発表の口実を与えられただけの話だろう、なんて、やっぱり返事は月影くんらしい。


 そんな月影くんらしい話がひと段落したとき、不意に「……ところで」と珍しく重苦しい口調で月影くんは切り出す。


「……どこか出かけるか」

「ん? じゃあいつもよりちょっと遠い公園?」

「公園でなくてもいいが」


 まるで食いつくような断り方だった。


「でも駿ちゃん、人混み嫌いだし。公園みたいにスカスカしてるところ好きじゃない?」

「好きだが出かける場所に常に選ぶ必要はない」

「えー、他に人口密度が低くて自然のあるとこかぁ……」


 そんなご要望の場所、そうそう見つかるものではないのだけれど……、と首を捻る。手さえ繋いでいなければ腕でも組んで考え込みたいところだ。


「何か意見出してよ」

「……テーマパーク」

「いや絶対嫌でしょ何言ってんの」


 その単語はその口にすら似合わない。何が乗り移ったんですか、なんて気持ちで凝視するけれど、月影くんは視線を泳がせるだけだ。


「……たまにはいいかと」

「もしかして付き合ってるのを疑われるくらいデートっぽいことしないの気にしてるの?」


 視線を泳がせ続けるその顔、図星。本当に月影くんってどこまでも月影くんだな。真面目なんだから。


「いいじゃん、私別に気にしてないよ? 人混み大好きとかそういうわけでもないし」

「平気を通り越して大好きな人間がいてたまるか」

「まぁまぁ。私はそういう駿ちゃんって知って付き合ってるわけですし、気になりませんて」

「……そうだとしても、特別嫌いでないならたまには行くのもいいんじゃないか」

「んー、じゃあ期末試験終わったらにしよ。どうせそれまでは勉強するんでしょ」

「君もいい加減一桁としか名乗れない成績を改善したほうがいいと思うが」

「最初に会ったときは一桁ってだけで敵視してたくせに」

「高校によって勉強の進度が違うのは当たり前だからな。その上、どこにでもある公立高校からやって来たのに難なく上位となれば警戒はする」

「どれだけ一番に拘るの駿ちゃん……」

「花高で一番にもなれないようでは論外だというだけだ。自分の勉強指針みたいなものに過ぎん」

「最初はそんなこと言ってなかったじゃん」

「こんなことを口にしては反感を買う」

「駿ちゃんそんなこと気しないじゃん絶対!」


 二人は一体何を話すんだと首を傾げるけれど、私と月影くんの会話なんてこんなものだ。何を話しているのかと聞かれたら、中身がないせいで“何”と答えるべきか困るわけだ。


 それから、ちゃんと付き合ってるのかと訝し気に何度も訊ねられるけれど、ちゃんと恋人らしいことはしている。


 帰り道、家に帰るだけなら通る必要がないのに、月影くんはわざわざ遠回りする。その道だと人がいないから。キスしても見られる心配がないから。


 月影くんのキスは意外と──というのも変だけれど、意外と優しい。優しく唇を触れ合わせるだけ。それから意外と手が早い。こんなことを言ってはなんだけど、付き合って一週間でキスしてるとは思わなかった。


「……聞きたかったんだけど」

「なんだ」

「……駿ちゃんの部屋じゃだめなの?」


 まるで悪いことでもするようにこんなところでしなくても、と今度は私が視線を泳がせる。


「来たいなら呼ぶが」

「うんまぁ……、うん、見たい気持ちもあるんだけど……」

「誘惑はない場所のほうがいいからな」

「誘惑って」


 鉄壁の理性みたいな月影くんにもそんなものがあるんですか、と吹き出すと、その眉間に皺が寄る。


「君、ちゃんと意味が分かってるのか?」

「松隆くんから教わりました!」

「……余計なことしかしないなアイツは」


 はぁ……、と月影くんの疲れたような溜息。付き合って三日後には教わりましたよ、と付け加えると「俺がそんなにすぐに手を出すとでも思ってるのか」と心外そうな顔になる。


「でもちゅーは早かったじゃん。次の日にはしたじゃん」

「それとこれとは話は別だ。高校卒業までキス以上はしない」

「……しないの?」

「不満そうな顔をやめろ」

「……でもほらよく言うじゃん、高校生女子の──」

「責任も取れない年で君にそんなことはしない、莫迦か」


 私の反論を封じ込めて莫迦呼ばわりするその目が本気だ。


「……でもそれなら大学生でも同じなんじゃ」

「金銭面の問題はさておき、大学生のうちに産んでおくのが悪いことだとは思わん。子育てが一番大変な時期に必要な時間を休学という形で確保するのもそれほど有り得ない手ではない」

「……なるほど?」

「ともかく、百パーセントでもない確率を当てにして欲に任せるなど莫迦げている。何をソースに語っているのか知らないが、世間のくだらん統計なんぞに踊らされることほどくらだないことはない」

「……でも男子はそういうものだと思ってた。なんかほら、プライド的な?」

「責任を取れない年齢で行為に及ぶことが何のプライドの証明になるんだ? そういうものは矜持ではなく見栄というんだ」


 月影くんの言葉はご尤もで、いつも通り正しくて正しすぎる言葉だ。ふーむ、と頬をかく。


「……とりあえず駿ちゃん、今週は図書館の帰りにおうちに寄ってもいいですか」

「……この話の流れでなぜそうなる」

「どうなっちゃうのかなドキドキみたいな不安がないから、存分に駿ちゃんの部屋を堪能できるかなと思って」

「人の部屋を見て何が楽しいのかしらんが、来たいなら好きにすればいい」


 そうして手を繋ぎ直すと、月影くんは私を家まで送ってくれる。半歩後ろを歩きながら、その後ろ姿を見つめる。


「……ところで」

「ん、なんでしょう」

「……さきほどは何も言わなかったが」


 その後ろ姿は不意に立ち止まり、ほんの僅かにこちらへ向き直る。


「君は、高校を卒業しても、俺の前から消えないのか?」








「…………」


 ピチチチチ、と名前も分からない鳥の鳴き声で目を覚ます。時刻は四時半。本当に鳥って朝が早いな、と僅かに白んでいる空を見ながら思う。


「……夢か」


 起き上がって、ほう、と小さく息を漏らした。






「ねぇつっきーはさぁー、高校生の間に彼女できても、彼女に手出さないタイプ?」

「は?」


 頓狂な声を上げたのは桐椰くんだ。訊かれた張本人は視線を寄こすだけで驚いた気配はない。


「……なんだ急に」

「今朝、つっきーと付き合ってる夢みて。責任取れないから高校生の間は手を出さないって言ってて、実際そんな感じするけど、女遊びしてたなぁって思って。どう?」

「ノーコメント」

「つか駿哉と付き合ってるって面白いな」

「そうだね、全く想像できない」


 教えてくれないし、他二人も掘り下げない。聞いてはいけないことなのだろうか。


「夢だからあんまり覚えてないけど、ちゃんと手繋いで帰ってたよ。あとは駿ちゃんって呼んでた」

「駿ちゃんって」


 はははっ、と桐椰くんは声をあげて笑う。月影くんはやはり無視。松隆くんは「まぁ、駿哉と付き合う女子って塩対応にめげない勘違い女子くらいがちょうど良さそうだしね」なんてコメントする。


「他にねーの? 付き合うとデレデレとか」

「なかった……やっぱり想像できないものって夢にならないんだろうね」

「ところでなんで相手が駿哉だったのかな?」

「変に勘ぐらないでくださいよリーダー。他意もなければ意味もないですよ」


 意味があるとしたら、最後の台詞くらいだけれど──その点については、秘密のままにしておこう。