三大胸キュン仕草


「さて、お題の時間です」


 松隆くんの言葉で私達は顔を上げる。突然招集され、空き教室の机についている私と桐椰くんと月影くんは揃って嫌な顔をしてしまった。廊下では例によって撮影ですかと言わんばかりに女子が騒いでいる。


「えー……またですか?」

「またです。仕方ないだろ、これも御三家の株を上げるためなんだから」

「私は下僕なので協力する道しかないですけど……なにすればいいんですか?」


 また突飛な要求でもされたら堪ったものじゃない、と口を尖らせるけれど、「大丈夫、今回は簡単」と教卓前で笑みを浮かべた。松隆くんに簡単と言われても、いかんせん御三家の下僕としての仕事第一号が生徒会室に侵入&盗みを働けだったからなぁ……と疑わしい気持ちを抱いてしまった、けれど。


「三大胸キュン動作をしてほしいだけらしいから」


 その口から出てきたのは、前回の「口説け」に比べれば随分と楽なものだった。


「なんだそれ?」

「知らないの? 壁ドン床ドン顎クイ」


 至極当然のように松隆くんは口にするけれど、寧ろなぜ松隆くんが知っているのかのほうが謎だ。でも松隆くんは女の子を夢中にするテクニックなんていくらでも知ってそうだし、くだらないと内心思いながらもやったことがあるのかもしれない、なんて失礼ながらも考えてしまった。


 そんな松隆くんとは裏腹に、純粋無垢を体現しましたみたいな桐椰くんがキョトンとしている。


「壁ドンは一時期話題になったから知ってるけど、床ドン顎クイって何だ?」

「床ドンは壁ドンの壁を床に変えるだけ。要は押し倒してるみたいなもんかな」

「できるかんなこと!」


 そして例によって赤面し、立ち上がりながら机を叩いて異を唱える桐椰くん。私だってされたくはない。


「で……顎クイはなんだよ」

「顎クイはねぇ……」


 説明しようとした松隆くんは少しだけ首を捻る。口で説明するにはどうすればいいか、と悩んでいる様子だ。因みに月影くんが助け船を出す様子はない。多分月影くんにも分からないんだろう。松隆くんは考え込んだままでいたけれど、不意に教卓の前から離れ、立ち上がっている桐椰くんの前にやってくる。


「なんだよ」

「ま、こういう感じ」


 そしてにっこり妖艶な笑みを浮かべながら桐椰くんの顎に指をひっかけ、クイッと顎を軽く持ち上げて見せる。桐椰くんはカチーンと硬直したし、キャーッと廊下で歓声が爆発した。一部女子が前回のお題『全力で口説く』のときと同じように卒倒している。なんなら困惑という意味では私の左隣からもビシッと凍り付いた気配が伝わって来た。松隆くんだけが涼し気な表情のままひょいと手を離す。


「というわけでそれぞれ桜坂に実践して──」

「ちょっと待て! 気持ち悪いんだよお前謝れ!」

「お前が教えろって言うからだろ。俺だってやるなら桜坂にやるほうがいい」

「そういう話してんじゃねーんだよ! 口でいくらでも説明できただろ!」

「伝わらないかなと思って」

「つかググればよかったんだよお前に聞かないで! クソッ!」


 桐椰くんは再び椅子に座りながら、拳で机を叩いて額を机に押し付けてショックを受けている。松隆くん、絶対桐椰くんの反応を面白がってやったな……。白い目を向けていると、「というわけで、誰がどれやる?」とお題スタートの声がかけられてしまった。


「えー……顎クイは今やったから終わったということでいいんじゃないでしょうか」

「今のは例示だからノーカンです。じゃあ俺がしてあげようか」

「嫌だ! 松隆くんの顔面が近くにあるなんて耐えられない!」

「お前本当に総の顔好きだよな……」


 机に額を押し付けていた桐椰くんがそのまま首を回してこちらを見る。焦って上がった顔の熱を机の冷たさで冷やしているように見えた。私の左隣に座る月影くんは眼鏡のブリッジを押し上げながら「はぁー……」と深い溜息を吐いた。


「では俺は壁ドンにするか……」

「待て、俺に床ドンをさせる気か」

「そっくりそのまま返そう。早い者勝ちだ」

「なんでだよ!」

「じゃお題にある順番通り、駿哉からやる?」

「そうだな」


 というか、私が被験体になることは決定事項なのか……。それこそ松隆くんが桐椰くんに顎クイしたんじゃ駄目だったのかなぁ、とぶつくさ文句を言いながら、松隆くんに促されるがまま、廊下から見えやすい、教室の後ろに立つ。私の前に立っている月影くんは今日も心底面倒臭そうだ。


「ではツッキー、お好きなタイミングでどうぞ!」

「壁に追い詰めればいいんだったな?」

「あれ? 待ってツッキー、違うよ──」


 しまった、月影くんは壁ドンが分からないのに説明を求めなかったのか! 慌ててタイムを挟もうとしたけれど、時既に遅し。


 ヒュッ、と顔の真横を手が通過し、ダンッ!と壁にその手は叩きつけられた。廊下からは喜びの声が上がっているけれど、冗談じゃ、ない。


「ツッキー怖い! ツッキーの壁ドン恨み籠ってるじゃん! ただただ怖いじゃん顔の真横手が通過したとき間一髪攻撃避けた主人公みたいな気持ちになっちゃったよ!!」

「何か文句でも?」

「しかもこの距離のままその無表情で見下ろしてこないでよ! 怖いんだよ責められてる気持ちにしかならないんだよ私は!」


 月影くんは、壁ドンを理解している。だがしかし、月影くんの無表情でそれを再現すれば恐怖しか感じない。ただ壁に手をつくだけでなく、顔も体も至近距離まで近づけてくれる再現度の高さはさすが何事にも真面目な月影くんだ。だがしかし、だからこそ余計にその冷酷無慈悲に見えてしまう目が怖い。


 ガクガク震えながら首を横に振っていると、「というわけで俺は終わりだな」と月影くんは離れてくれた。ほっと安堵したのも束の間、休ませる気のない松隆くんが「はいじゃあ次、床ドン」と流れ作業のように指示してきた。あのリーダー、いつか弱味を握って困らせてやる。


「……寝転がればいいんですか?」

「そうだね」

「……間抜けじゃないですか?」

「そうだね」

「酷いよリーダー!」


 渋々床の上に転がってみせれば、教室のど真ん中で横たわっている私、超間抜け。松隆くんの笑顔が輝いている。あの腹黒め!


「ほら遼、さっさとしたら」

「本当にここですんのかよ!?」

「他にどこでやるんだよやらしいな」

「お前にだけは言われたくねーんだよ!!」

「いいから早くしろ、俺は帰りたい」

「自分は壁ドンで済んだからって……!」


 月影くんの無慈悲な言葉に桐椰くんが歯軋りしている。でも早くしてよ桐椰くん、床で寝転がってる私間抜けなんだよ。今のところ廊下からクスクス笑われてるだけなんだよ。打ち上げられたマグロみたいになってるんだよ。


「きーりやくん。はーやーくー」

「……分かったよ」


 渋々、桐椰くんが隣にやってくる。でもそれからどうしようかと困っているのが伝わって来た。


「……覆いかぶさればいいんだよな?」

「なんじゃないですかね、私にもよく分かりません」

「……なんで俺がこんなことに」


 床ドンをする前から顔が赤くなりつつある。ぐっと唇を引き結んだ桐椰くんは、おそるおそる、寝転がっている私を跨いで、覆いかぶさるように膝をつき、ゆっくりと私の顔の横に手をつく。


 壁ドンに比べて穏やかな動作だったせいか、廊下の女の子は歓声を上げるよりは、ほう、っと感嘆の息を漏らしながら光景を堪能しているようだった。実際は私に憎しみの目が向けられているかもしれないけれど、現状の私には桐椰くんしか見えない。天井を背景にした桐椰くんは新鮮で、なんなら下から見上げる桐椰くんの顔も新鮮で、まじまじと見つめてしまった。彫が深いくせにすぐに照れるせいで可愛くしか見えない顔は、やっぱり無表情を保とうと必死で、金髪は電気のせいできらきら光っている。


「……これいつまでやればいいんだよ」

「気が済むまでかな? あれ、そうだとしたら桐椰くん結構長くやってるね? ずっと床ドンしてたいのかな痛たたたたた」

「あぁそうだな、お前のムカつく顔を引っ張ってやりたくて仕方がなかったよ」


 片手で体を支えなおした桐椰くんは私の頬を容赦なく抓る。途端にグサグサグサッと刺すような殺意を感じたので、どうやら床ドンの間は女子の嫉妬は向けられていなかったことが分かった。よく分からない女の子達だ。なんなら私の頬を話した桐椰くんが私の手を掴んで起こしてくれたので殺意が増した。桐椰くんは余計なことばかりする。


「じゃ、最後に顎クイですね」


 今度はただ立ってればいいのかな、と教室のど真ん中で松隆くんの前に立つ。松隆くんの顎クイは嫌だと言ったけれど、こうなってしまったものは仕方がない。松隆くんがにっこりと笑う反面、私は身構える。


「まぁそう固くならないで」

「なりますよ、リーダーの顔凶器ですもん」

「褒め言葉はもう少し選んでくれると嬉しいんだけど」


 ス、と松隆くんとの距離が縮まった。それだけでこの顔が前にあるとドキドキしてしまう……。耐えろ私、と一生懸命平常心を保ちながら松隆くんを睨むように見つめて備えていれば──不意にぐっと腰が抱き寄せられ、お題通り顎がくいっと持ち上げられた。廊下では最初の顎クイに負けず劣らずの歓声が上がる。な……。


「何をしてるんですかリーダー!」

「え、顎クイ」

「左手要らないよね!?」

「顎クイってキスするためにするんだよ? 抱き締めたほうがしやすいでしょ?」

「知りませんよそんなこと!!」

「ってわけで」


 あわあわと狼狽える私とは裏腹に松隆くんは手慣れた様子で首を少し傾ける。


「キスまでしていい?」

「だ──」

「駄目に決まってんだろ変態!!」


 なんならちょっとだけ距離まで縮まったところで、松隆くんが突如ガクンと姿勢を崩した。桐椰くんが横から思いっきり蹴ったせいだ。パッと顔も腰も解放され、机に手をついて腰を押さえる松隆くんから慌てて離れた。


 桐椰くんは松隆くんのネクタイごと胸座を掴むと責めるように揺さぶった。


「お前最近マジでセクハラが過ぎるぞ。いい加減にしろ」

「最後までしてないからセーフだろ」

「最後までしてたら大事なんだよ!」

「でも嫌だって言われないとセクハラじゃないし。ね、桜坂?」


 なんですかその笑顔。嫌だとは言わせないぞと顔面が言ってるんですけど横暴に過ぎませんかそれは!


「い……嫌です……」

「は、なんで?」

「だから怖いよやめようよ!」

「じゃあ俺はこれで帰る」

「ツッキー待って私も!」

「君はうるさそうだから一人で帰りたい」

「それ一人がいいとかじゃなくて私が嫌なんだよね! 冷たいよツッキー!」


 かくして無事三大胸キュンはクリアされたわけだけれど、一体いつまでこのお題コーナー続くんだろう、と溜息を吐いた。