男女逆転
私立花咲高校──ここには、御三家と呼ばれる美女三人組がいる。
「青子、また喧嘩したの? 女の子なんだから顔に傷作るのはやめたら?」
「うっさいなぁ、分かってるよ。でも相手が分かって顔ひっかこうとしてくんの。本当ムカつくわぁ、こっちだって顔ぶんなぐってやりたい」
「貴女、言葉遣いもどうにかしたら。女の子でしょう、一応」
「一応って何、一応って。ていうかこの見た目で月子みたいな喋り方するほうが変だっつーの」
立てば芍薬《しゃくやく》座れば牡丹歩く姿は百合の花──そんな表現がぴったりくるその御三家は、今日もその美貌《びぼう》を惜しげもなく振りまきながら廊下を歩き、男の目を釘付けにする。相変わらずお美しいお嬢様方で、と視線を向けていると、左端の影乃《かげの》月子《つきこ》が俺を見た。
「桜坂くん、どうかしたのかしら。貴方に覇気がないのはいつものことだけれど、今日は生気さえ感じられないわ」
「開口一番の挨拶がそれとは今日も悪態絶好調だな……」
艶のある長い黒髪をおさげにして丸眼鏡をかけ、規定通りに制服をぴっちりと着こなした、絵に描いたような委員長のビジュアルのくせに、美人なその顔の作りのせいで欠片も地味さのない影乃。男嫌いで通っている彼女の口を開いて出てくる言葉は半分悪態、半分ただの会話。抑揚のない声も相俟って、喋り方はまるで教科書の読み物みたいだ。
「生気さえ感じられない、なんていうのはさすがに失礼じゃない? ほら、桜坂くんだって好きでこんなに存在感がないわけじゃないし」
「なんで畳みかけるように悪口言うんだよ。つかお前、俺に存在感がないとか思ってるのか」
うっかり口を滑らせた体《てい》を装いナチュラルにディスったのは真ん中にいる松《まつ》貴子《たかこ》。三人の中でも飛抜けた美女、かつ金持ち。少しだけ色素の薄い髪は量が多いくせに重たさがなく、ほんの少し癖っ毛が混ざっていていつでもふわふわと柔らかそうに揺れている。ザ・女の子って感じの華奢な体なのに細すぎず、身長百六十〇センチなのに足が長いせいでスタイルも抜群。絶妙な色気のせいで、大体の男子は無意識にその体のラインを目で追ってしまう。それでもって優しく聡明そうな双眸、これを細めて、ふふ、と微笑まれるだけで辺り一面が春を迎えたみたいに華やかになる。
「え、だって、こうやって廊下に立ってると柱と一体化してるでしょ?」
が、その性格がどす黒い。いつものこととはいえ、ひくひくと頬がひきつるのを感じ、視線を隣に移した。
「で、桐椰はまた喧嘩したんだってな」
「だーかーら、私は別にそのつもりはないんだよ、向こうがいちゃもんつけてくるわけ」
「挑発でもしたんじゃねーの」
「だからしてないって。向こうだって理由はどうでもいいんだよ、彼氏にフラれてむしゃくしゃしてるとか、親に怒られたとかさ」
言動はおてんばなのに、三人の中ではちょっと小柄な金髪美女の桐椰青子。そう、金髪。彫の深い顔はしているけれど外人じゃない、ただのヤンキーだ。いま話していた通り、売られた喧嘩も容赦なく買うし、しかも男相手でも勝ってくる。そのため、喧嘩のために邪魔とかいう理由でジャケット代わりにパーカーを羽織り、リボンもしない。
が、「あ、そーだ」なんて言って取り出すのは手作りマフィン。
「チョコチップ入り好きでしょ。あげるわ」
「お、サンキュ! ……って、お前見た目のわりに家庭的だよな……」
ぽん、と掌に置かれる、売り物かよって言いたくなるほど綺麗にラッピングされたそれは「昨日妹が彼氏に作りたいとか言い始めたせいでさぁ」との事情のもと作られたらしい。見た目がギャルなのに常に自分で作った弁当持ってるし、たまに貰うおかずが絶品だし、彩《いろどり》まで拘ってる。家庭的なのは料理だけじゃない、常にソーイングセットを持ち歩いてて、俺の制服の袖やボタンがほつれていると「貸しなよ、だらしないな」と直してくれるし「くそっアイツら制服引っ張りやがって……ビリッて言ったぞビリッて!」なんて文句を言いながら自分の制服も直してる。なんでヤンキーやってんだコイツ、と時々思う。
「えー、青子、私のは?」
「あげるけど、廊下で食べるのはやめなよ、はしたないから」
そして面倒見がいい。父子家庭だし、三人姉妹だから、と本人は言うけれど、そういうレベルじゃない気がする。
「で、桜坂、廊下で突っ立って何してたの?」
「松、お前もう少し毒気抜けねーの? 第六西行こうとしたらお前らが見えたから待ってたんだよ」
「だったらそう言えばいいじゃないの。そうして立っているだけで自分の望みが他人に伝わるとでも思ってるのかしら」
「何も聞かないうちに影乃が俺をディスったんだろ!」
第六西、というのはこの美女三人組が根城《ねじろ》(というのが適切なのかは知らないが)にしている教室のことだ。なんでももとは松の家出用だとかで、生活できるように寝具まで揃ってる。放課後、この美女三人は第六西でだらだら過ごしているというわけだ。
とはいえ、揃って第六西に行ったところで一緒に何かをするわけではない。今日も今日とて影乃は委員長っぽい見た目の通り勉強しているし、桐椰と俺は仲良くソファに座って課題をこなしている。だらだらしているのは読書で時間を潰している松だけだ。なんでこの中で一番不真面目そうな桐椰が一番早く課題にとりかかるんだ、なんて疑問はいい加減に消えた。因みに影乃は授業中に課題を済ませているので、自分の時間を使って課題をすることはない。真面目なのか不真面目なのか。
「なぁ桐椰、お前英語の課題の範囲知ってる?」
「知ってるけど。なんで知らないの、同じクラスじゃん」
「メモし忘れたっぽい」
「お前、見た目真面目そうなのに抜けてるよなぁ」
そういうお前は見た目不真面目そうなのに抜け目ないよな! ほら、と差し出してくる手帳には几帳面な字で課題の範囲がメモされている。
「あー、青子、私も課題の範囲知りたい、見せて」
「おい松!」
そして第六西で油断ならないのは松のスキンシップ。ソファ越しとはいえ後ろから抱き着くように手を伸ばして桐椰の手帳を見ようとする。ラベンダーのいい香りが鼻腔をくすぐり、柔らかい髪が(文字通り)頬をくすぐる。
「無闇に近づくなって言ってるだろ!」
「え、なんで?」
「なんでじゃねーよ! お前自分の顔の破壊力を自覚しろよ!」
「顔だけ?」
「あぁ悪かったよ体もだよ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴ると今度はわざとらしく腕を回してきた。妖艶な顔まで近づけられては誘惑に負けそうになる。狼狽していれば「いい加減にしろ貴子!」と桐椰が怒って松の襟首を掴み引き離してくれた。
「お前分かっててべたべたくっついてるだろ!」
「別に胸押し付けてるわけじゃあるまいし」
「はしたないだろやめろ!」
「だってこんだけ美女に囲まれて何もしないとかさぁ」
「そういう問題じゃねーだろいい加減に離れろ!」
細腕を引きはがすと「ちぇっ」なんて言いながら影乃の隣に戻る。因みに影乃は一連の流れを無視。存外この中で一番まともなのはヤンキーの桐椰なのかもしれない。怒ったときの口調はさすがヤンキー、男みたいだけど、怒るポイントは何も間違ってないし。
「お前も! コイツは図に乗るからちゃんと嫌がること!」
「いや嫌がってるんだけど……それでも松がやめないんだけど……?」
「嫌がり方が足りない!」
「んな理不尽な……」
「でも嫌じゃないでしょ?」
「嫌だよ! それは自信をもって言ってやる、嫌だから絶対にスキンシップをやめろ!」
松の流し目に食い気味に反論する。桐椰の鋭い睥睨が非常に痛い。何を隠そう、影乃は三人の中でもかなりマイペースなほうで物静かだけれど、松と桐椰は仲が良すぎるので同じくらいよく喧嘩する。しかもその内容は「貴子、紅茶飲んだらマグカップはすすぎなさいって何回言えば分かるの!」なんてくだらないものから「結局、誰かの一番になるのは青子にしかできないことなんだよ」なんてシリアスなものにまで及ぶ。
そんな二人のうち、貴子は少し明るい髪を軽くまとめて「さーて、そろそろ帰らなきゃ」と立ち上がった。
「今日も父親の仕事の関係?」
「うん、いい加減結婚相手見つけたいみたい。私が男だったらもう少しのんびりしてくれたんだろうけど、女の子だから相手が早くいるに越したことはないとかなんとか」
迷惑な話だよね、と貴子は肩を竦める。桐椰は「貴子の家、本当そういうとこ大変だよねー」とポッキーを咥えながら顔をしかめた。三人の中でも群を抜いて実家がお金持ちな松はやれパーティーだのやれお見合いだの、女子特有の面倒なものに巻き込まれがちだ。
「校門まで送るよ、松」
「あら男前。でも校舎の出口まででいいよ、家の人にでも見られたら面倒だし」
曰く、リムジン送迎ですら体のいい監視のようなものらしい。教室を出て校舎の出口までのほんの数十秒、松と一緒に廊下を歩く。
「大変だよなぁ、そりゃ家出したくもなるわ」
「もう慣れたけどね。言いなりになっておけば機嫌を損ねないと言ってしまえば楽なものだよ」
「そうかなぁ」
口では疑問を呈しつつも、気持ちはよく分かった。俺自身、あの人の機嫌を損ねないようにあの手この手で媚びようとしていることは否めなかったから。毎朝、俺とだけは顔を合わせないように仕事に出ていくあの人の顔を思い浮かべると思わず溜息がこぼれた。
「じゃあな、また明日」
「そうね、また明日」
校舎の出口で振り返った松はにっこりと笑う。くそっ、相変わらず美人だなコイツ……。
「ね、桜坂くん」
「ん、なに」
「今日のお見合いは中々断りにくそうだから、先に言っておくよ」
何の話だろう、と首を傾げると、ぐいっとネクタイを掴まれた。「うぉっ!?」と間抜けな声が出てしまったかと思うと──ふっと耳に息を吹きかけられ、ゾクッと背筋が痺れる。
「な、」
「好きだよ、桜坂くん」
慌てて姿勢を戻して耳を押さえたとき、松は少しだけ寂しそうな顔をしていた。
「言っておきたかっただけだから気にしないでいいよ。また明日ね」
「気にしないでいいよって……」
「だから、お見合いの前に言っておきたかっただけなんだって。お見合いの後で言われたってお見合いで何かあったのかなって思われるだけでしょ?」
「それは……そうかもしれないけど……」
「ただの自己満足だよ。じゃーね」
顔を真っ赤にして狼狽えている俺をあしらうように、松はひらひらと手を振って校舎を出て行った。唖然としてその背中を見送るけれど、松は振り向きもしない。……夢じゃないよな。思わずベタに頬を抓ってしまった。……夢じゃない。何だったんだ、あの松は。
困惑したまま教室へ帰ると、桐椰が「なんだ、どーかしたわけ、顔赤いけど」と首を傾げた。なんでもない、と首を横に振って誤魔化してソファに座る。
「貴子、今日のお見合いはガチなんだって?」
「え?」
まるで先程の遣り取りをみていたかのような言葉に、思わず声は裏返る。でも知らないのは俺だけだったんだろう、影乃も手を止めてこちらを見た。
「子会社の取締役の息子らしいわ。殆ど結婚が決まってるようなものよ。松のおじさんらしいわ、去年貴子があんまりに遊んでるからずっとやきもきしてたもの」
「……そうなのか」
「そういうのは私達がどうにかできるものでもないしね。せいぜい貴子の愚痴を聞くくらいかな」
そう言われると、さっき引き留めることもできなかった自分の甲斐性のなさを反省したくなる……が、貴子のことをそういう目で見ていないのも事実……。確かに見た目はめちゃくちゃに可愛いし、ちょっと腹黒いけどそれもまた愛嬌というか、一度知ってしまえば大したことはないものではあるけれど……。
「……紅茶冷めたな。淹れなおすか」
重い空気に耐えきれないように、ひょいとポットを持ち上げ、湯を沸かしに立ち上がる桐椰。本当、見た目と違って家庭的なんだよな。少し離れたところにいる桐椰をじっと見つめていると、ソファの後ろで影乃が机を片付ける音がし始めた。
「帰るのか?」
「えぇ、もう今日ここですべきことは終わったから」
「ふーん」
「そんなことより、桜坂くん」
カバンを持った影乃は俺の隣にやってくると、そっと囁いた。
「貴子と何かあったのかしら?」
ギョッ、とした心臓が飛び上がる。探るようなその目は全てお見通しと言わんばかりだ。だが松に断りもなくこんなところで暴露するわけにもいかない。
「なに、もねーよ」
「そう。それならいいけど、変に貴子のこと弄ばないでね」
しどろもどろ答えても、影乃の目から怪訝さが消えることはない。
「あの子、ああ見えてシスコンで寂しがりやだから。ちゃんと彼氏いたこともないし、こんなに仲が良い男子も多分桜坂くんが初めてなのよ」
「……お前は俺に何を言いたいんだ」
「さぁ、何かしら。言われなくても分かってるんじゃないの?」
クソッ、怖いな影乃……! 肩を竦めて、影乃は「じゃーね、青子。私は先に帰るわ」とキッチンスペースの桐椰に声をかけ「あぁ、じゃーね」との返事を待って出て行った。御三家の三人は仲の良さがそれぞれ独特で、松と桐椰は一緒に“つるんでる”という表現がぴったりくる悪友同士だけれど、桐椰と影乃、松と影乃はそれぞれ落ち着いた組み合わせになる。それこそ真面目に相談事をするのはその組み合わせなんだろう。だからかもしれないが、影乃に今みたいなことを言われると、松から何か聞いていたんじゃないかと不安になる。
「みんな帰っちゃった。折角紅茶淹れたのに」
「……そうだな」
「……なんか元気なくない? 大丈夫? お菓子食べる? 冷蔵庫にプリンあるけど」
隣に帰ってきた桐椰は不安そうにこちらを覗き込んだ。くりくりの二重の目は犬みたいに愛嬌があって可愛らしい。松とは違って無自覚に可愛らしい仕草をとる桐椰に思わず慄いた。告白された直後なのにすまん、松。
「大丈夫大丈夫元気元気」
「そう? 変に見えるけど。松もだけど、何かあったらちゃんと言ってよね。本当、みんな一人でしょんぼりするんだからさぁ」
呆れたような口調に見せかけようと見栄を張っているくせに、どうしても心配しているのが透けて見える言葉だった。家庭的なところといい、心配性なところといい、なんやかんや面倒見が良くて……。
「……本当、お前らって厄介だよな……」
「何だよ急に! 言っとくけど亜樹《あき》だって厄介なんだからな!」
桐椰は憤慨するけれど、そういうところだ。紅茶を啜りながら、そっと心の揺れを抑えた。
親でさえ呼ばない俺の名前を、桐椰だけは呼ぶところとか、本当に厄介だ。
「……女だったらよかったなぁ」
「何、急に。でも分かるなぁ、私も男のほうがよかったし」
「いやいやそんだけ女子力発揮しながら何言ってんだ」
「だってほら、男のほうが腕っぷしあるし」
ぐっと桐椰は力こぶを作って見せた。あるのかよ力こぶ!
「どうしても男に勝てないことはあるからさ」
「いや男と競うなよ」
「競うというか羨ましくもなるよ、こんだけ毎日喧嘩ばっかりしてたら」
頬杖をつきながら桐椰は紅茶を飲み、鬱屈そうな溜息を吐いた。
「お前だって、女の子の何かが羨ましいからそう言ったんだろ?」
「おい」
ハッ、と目を開けると不機嫌そうな顔が目に入った。思わずパチパチと何度か瞬きする。
「……桐椰……」
「……いやなんで呼び捨てだよ」
「……青子ちゃん」
「はぁ?」
怪訝な顔をされたので、んん?と首を傾げながら起き上がる。ソファの脇にいるのは桐椰くんだった。目をぱちくりさせていると、近くで誰かが鼻で笑う。
「寝ぼけてるの、桜坂」
「あっ松貴子……」
「いま何て?」
その声が一瞬で冷ややかなものに変わる。慌ててシャキッと背筋を伸ばし……桐椰くんに手を伸ばした。
そして訝しむ桐椰くんの胸板にぺたっと手を当てた。桐椰くんがビシッと硬直する。
「平らだ……」
「なんだよ!!」
「どうして急に痴女なの、桜坂」
「ちっ……じょじゃないでしょう! 男子の胸なのに!」
「それは性差別だな、十分セクハラになると思うが」
口を挟んだ月影くんもいつも通りだった。委員長的なおさげの優等生ルックはどこへ……。
「で、なんなんだお前」
「御三家が女の子になった夢見てた。桐椰くんは全然違和感なかったよ!」
「どういう意味だそれは」
「じゃあ桜坂は男になってたの?」
「うん、みんなより視線高くて楽しかった」
「あぁ、男女が逆転するとそれは起こるだろうな。不愉快だが」
「そこまでいいます?」
「で、いい加減お前は俺の胸から手を放せ」
べりっと手を引き剥がされた。確かに十数秒間桐椰くんの胸板を触ってるなんてセクハラもいいとこかもしれない。桐椰くんの顔も赤いし。
「女子ねぇ。なりたいと思ったことないな、非力だし」
「松隆くん言い方!」
「俺はどちらでも構わんが。やるべきことは変わらないしな」
落ち着かなさそうに私の隣に座る桐椰くんとは裏腹に、二人は自分達が女子だった場合のビジュアルなどなどには興味がなさそうだった。
「因みに桜坂はどっちがいいの? 男と女」
「えー、もちろん男がいいけど……」
即答してから、夢のことも思い出しながら考え込む。男ならよかったのに、と何度も思ったことはあったけれど、実際に男になれた夢の中では全ての男女が逆転していた。つまり、性別が変わったところで解決することはないということだ。
「それよりもっと、根本的な何かが変わってほしいかなぁ」
小さく呟いたせいで「え、なに?」と松隆くんには聞き返されてしまったけれど「んー、やっぱなんでもない」と誤魔化した。
せいぜい言えるのは、男でも女でも御三家は厄介だということだけ。そういうことにしておこう。