フェアリー・ツッキー
第六西の扉を開けると、桐椰くんが膝の上で手を組み、俯いていた。どうにも深刻な様子に、扉をゆっくりと閉めながらおずおずと話しかける。
「桐椰くん……? どうかしたの……」
「え? あぁ……」
私が入ってきたことにも気づかなかったらしい。顔を上げた桐椰くんは神妙な面持ちで、桐椰くんのそんな表情は珍しいから、思わず私も緊張してしまう。
「何かあったの……?」
「いや……、その、俺も理解が追い付かないんだけど……」
「勿体ぶらずに説明しろ」
「え、ツッキー?」
が、月影くんの声がしたせいで慌てて辺りを見回す。そう、いま第六西には桐椰くんと私しかいないのだ……。それなのにどうして月影くんの声が……。
「あの……その、駿哉が見当たらないとか思ってるんだろうけど……」
そして重々しい桐椰くんの口。きょとんとして視線を戻すと、桐椰くんはそっと自分のパーカーを指さした。ソファの上でぐしゃっと丸まっている。
「……珍しいね、桐椰くんが畳みもしないで置いてるなんて」
「……畳む気力が……」
気力ってどういうことだろう。疲れてるのかな。桐椰くんが脱いだパーカーを畳みもしないなんてよっぽど……とその指の先を見ると──そこには掌サイズのツッキーがちょこんと座っていた。
「……えっ」
思わず目を擦りたくなった。あ、しまった、眼鏡が邪魔で目が擦れない……。えっと、眼鏡に小さなツッキーの写真が貼りついてるなんて安いマジックじゃないよね……。え、じゃあ桐椰くんのパーカーの上に偉そうに──いやいや鎮座しているのは誰……。というか、何……。
「……えー。えー、これは……?」
「おじさんの……友達が……試薬を持ってきて……妖精になる薬って……駿哉はいつも通り普通におじさんに協力するから……」
「……えっと、つまりこれはツッキーの妖精……」
「そういうことになるな」
額を押さえる桐椰くんの声が疲れている。そりゃそうだ、疲れる。ていうかこれは一体なんだ。いやそうか、桐椰くんは説明してくれた、月影くんはお父さんの友達が持ってきた薬を飲んで妖精になったと。
「いや何の説明にもなってなくないですか!?」
「お前よくツッコミ入れる気力あるな……俺は頭がついていかない……」
声が疲弊しきっている。桐椰くんのパーカーに鎮座する月影くんは体長約十五センチ、定規サイズ。眼鏡をかけて制服も着ている。ただし可愛らしい三等身。まるで小さい子みたいにぽてっとした顔になって、スラリとしているはずの手足も短い。月影くんが可愛らしいミニサイズに! ……なんて感動すると共に、一体どこからそのサイズの制服が、なんて疑問も湧くけれど、何も聞かないでおくことにした。どうせ聞いても理解できない。
「……えーっと……ツッキー……」
「なんだ」
月影くんだ。可愛いけど月影くんだ。可愛いけど、喋り方もそのままだ。
「……桐椰くん、とりあえず落ち着こうよ……」
「あぁ……そうだな……」
「この程度のことで何を驚くのか」
「そのサイズ感で喋るのやめろ?」
どうやら月影くんが黙っているならまだお人形として通用すると思っているようだ。分からなくもない。のろのろと立ち上がった桐椰くんは「俺のコーヒーも頼む」なんて言われて「テメェがそのサイズでどうやってコーヒー飲むんだよ!」と怒る。確かに、マグカップも持てない。
「……お人形遊びセットなんてないよね、第六西に」
「あるわけねーだろ俺達をなんだと思ってんだ。ミルクのケースでも洗ってやるかなぁ……」
「取っ手がないじゃないか」
「文句言うんじゃねーよお前!」
ご尤もだ。調理台の前に立った桐椰くんは、自分のオレンジジュースだけ入れてそれを飲み干し、タンッと勢いよくテーブルに置く。
さて、と腰に手を当てて考え込んだ。
「……で、駿哉、それいつ戻るんだ」
「一時間後だな」
「意外と短いな……なんかこう、短時間で変化すると体に良くないとかないのか?」
「お前は現実と空想の区別がつかないのか? 何を莫迦な心配をしている」
「俺おかしくないよな!? 普通心配になるよな!?」
別に心配にはならないけど、今回は月影くんが理不尽だとは言っておこう。
「……それで、ツッキー」
「おい抱えるな」
ソファに座り、両手でツッキーを抱き上げると露骨に嫌そうな顔をされた。おぉ、両手で抱え上げられちゃうツッキー……。
「こうしてみると可愛いね!」
「可愛いものか、離せ。俺は報告書を書く必要がある」
「このサイズで書かれても顕微鏡なしじゃ読めないと思うんだけど……」
「スマホで打つに決まっているだろう」
莫迦なのか君?とでも聞こえてきそうな目を向けられた。お陰で両手に抱えるツッキーをボトッと落としてしまいたい衝動にかられた。我慢だ、五十センチもの高さから落とされたら怪我するに決まってる。
「じゃあ好きに書きなよ……」
「スマホがとれん」
「人使いが荒いよ!」
テーブルに下ろすと文句を言われた。渋々、ツッキーのカバンからスマホを取り出して、画面のロックを解除するところまでやってあげる。スマホの前に座り込んだツッキーは、短い手を伸ばして、その手でペチッペチッと叩くようにしてアプリを開き、文字を入力し始める。なにこの生き物……。もう見た目だけは妖精じゃん……フェアリー・ツッキーじゃん……。
と、そこで扉が開いて、リーダーのご登場。
「遼、コーヒー」
「俺はお前の家政婦かよ!」
「疲れたんだよ、進路指導とか面倒なことしてくれちゃってさ」
「松隆くん、それは教師の本業です」
「駿哉は? もう帰ったの?」
松隆くんはカバンを下ろして肘掛けに座った。そして、ペチッ、ペチッ、という奇妙な音に視線を向ける。
「…………」
「…………」
「……なにこれ」
そしてフェアリー・ツッキーを発見。たっぷり一拍置いたのちの当然の反応だった。目が点になったり桐椰くんみたいに狼狽(うろた)えたりはしてないけれど、間違いなくその内心では困惑しているに違いない……。
「十五センチサイズになる薬を飲んだため一時間ほど小さくなる。因みに既に十五分ほど経過しているので残りは四十五分だ」
「なるほどね」
いやなるほどねじゃないですけど!? 何を冷静に頷いてるんだこのリーダー。
桜坂寄って、と言われて、ソファのもう一方の端に寄ると、松隆くんはソファに座る。そして、スマホを叩いてメモを書いているツッキーを徐に掴んだ。
「おっと」
「あ、駿哉なんだね、ちゃんと」
「何をする」
いや掴み上げただけで一体何を確認したんですか? 人形じゃないって分かったの? 掴んだだけで? しかもツッキーは迷惑そうだよ?
「これって襟足掴んじゃダメな感じ?」
「俺はハムスターか」
「まぁ首が苦しそうだよね、人間のまま小さくなっただけなら」
「そうだな、とりあえず足元が不安定なのは落ち着かん、下ろせ」
「あぁ、ごめんごめん」
よいしょ、と松隆くんはテーブルにツッキーを置き直す。ちょこんと足を投げ出して座ったフェアリーツッキー。くっ、足が短くて可愛い……。
──なんて和んでいると、松隆くんがフェアリー・ツッキーの頭を、ぴんっと軽く弾いた。フェアリー・ツッキーはガクンと揺れる。なんてことを!!
「ちょっと松隆くん! いまこのツッキーはおちびちゃんなんだよ! 指で弾いちゃだめだよ怪我しちゃう!!」
「いやどのくらいの強度なんだろうと思って」
「強度ってなに!? 駄目だよいじめちゃ!」
むっとして弾かれたところを手で擦るツッキーと、更にそれを弾こうとする松隆くんの指。慌てて手を差し入れてガードしようとするも、松隆くんの指はツッキーの頬を指先でむにむに押す。
「へぇー……」
三等身でぽてっとしたツッキーの頬に松隆くんの指先が沈む。むにむにとでも聞こえてきそうなくらい柔らかそうだ。
「何を楽しんでるんですかリーダー!」
「いや、何をというか……」
片手は頬杖をつき、もう一方はツッキーの頬をむにむにと押す。ツッキーの顔が迷惑そうになっていくにつれ、松隆くんの笑みが段々と意地悪になっていく。
「へぇー……」
「よからぬことを企んでるよね!?」
「いや、無抵抗の相手をいじめるのもいいかなって」
「ダメだってば! ほらおいでフェアリー・ツッキー!」
「妙な名前をつけるな」
無理矢理ツッキーを抱え上げると、松隆くんはオモチャを失って残念そうな顔になった。抱えたままでは落ち着かないだろう、と膝の上で両手に乗せてあげると、ふてぶてしい顔のフェアリー・ツッキーが見上げてくる。
「これではメモが書けない」
「また松隆くんにいじめられちゃうよ?」
「俺は別にいじめてないよ」
「だがこのサイズのまま見聞きすることを書き留めておかねば、臨場感が失われる」
「いいよそういうの。ほら大人しくするんだよフェアリー・ツッキー」
とはいえ、ずっと両手の上に乗せておくのも疲れる……。
「私の肩に乗っちゃう?」
「乗らないが」
「駿哉、その薬もうないの?」
「よこしまなことを企まないで、リーダー」
「いやいや待て待て」
そこですっかり忘れ去られていた桐椰くん、帰還。
「おかしいだろ! お前ら順応早過ぎだろ!」
「だって仕方ないし……」
「仕方なかったら順応すんの!?」
「折角いいオモチャがあるわけだし」
「オモチャじゃねーだろ駿哉だろ!」
どうしたらいいんだどうしたらいいんだ、と桐椰くんだけが頭を抱えている。松隆くんは私の手の上に乗っているフェアリー・ツッキーの頬をつつこうと指を伸ばすので、サッと動かして逃れる。フェアリー・ツッキーは突如揺れた地面に「揺らすな」と文句を言った。
ふむ、と松隆くんは顎に手を当てる。その横顔からして新しい遊びを考えようとしているに違いない。
「折角そのサイズなんだから、マグカップで風呂にでも入れば?」
そうきたか……。
「誰のマグカップを使うんだよ」
「俺ので構わない、と言いたいところだが、このサイズとはいえ、自身の垢(あか)を落としたマグカップで今後コーヒーを飲むのは憚(はばか)られるな」
「話がリアルで嫌だよフェアリー・ツッキー……」
私の苦情にも関わらず、三人は「紙コップは?」「倒れそうで怖くね?」「そもそもシャンプーもない」「ガチで入るのかよ」なんてどうでもいい話をしている。なんだかんだ桐椰くんだって順応しちゃってるじゃん。
「だったらこの姿を女子に晒(さら)すのは?」
「晒すって口が滑ってるぞ」
「逃げられる自信がないので却下だな」
「そのサイズのツッキーの睨まれても可愛いだけだもんね」
「じゃあ入口に置いてみる?」
ひょいっとフェアリー・ツッキーが奪われた。あっ、なんて声を上げている間に、フェアリー・ツッキーを抱えた松隆くんが第六西の扉の前にフェアリー・ツッキーを下ろす。ツッキーはなんとも不安そうな顔で松隆くんを見上げた。
「そのサイズでテーブルをよじ登れば、いい報告が書けるんじゃないかな」
「松隆くん! 研究に協力するフリしてツッキーが苦悩する様子を楽しもうとしてるよね! バレバレだからね!」
だめだ、松隆くんの嫌な性癖を垣間見てしまった。確かに普段から桐椰くんをいじめて楽しんでるけど、こんな小さなツッキーを苦しめて楽しむなんて。
「いや桜坂、名案だ。これは元のサイズに戻ってはできることじゃないからな」
「……もういいよ。ツッキーはトンチンカンだもん、一周回って馬鹿みたいなところあるもん」
折角人が助けてあげようとしたのに、とソファに座り直すと、秒速二センチくらいのフェアリー・ツッキーはとてとてとテーブルに近づき、テーブルの足に手を触れ、「これでは足をかけるところがない」と不満そうにかぶりを振る。次いでソファに近づき、やはり足をかけるところなしと眉間に皺を寄せる。続いて目をつけるのが松隆くんの足。
「お前の足を上るか……」
「やめろ気持ち悪い」
「急に足を上げるな、危ないだろう」
ひょいと足をあげる松隆くんと迷惑そうなフェアリー・ツッキー。なんの遊びなんだろう、これ。
「……ねぇ、やっぱり大人しくしてようよ、危ないし……」
「庭に出して何秒で野良猫に連れ去られるか賭ける?」
「だから危ないって言ってるじゃん! 松隆くんそれ本気で言ってるんじゃないよね! フェアリー・ツッキーは連れ去れるどころか野良猫に食べられちゃうよ!」
「いちいち俺を抱え上げるな」
フェアリー・ツッキーを野放しにしていてはいつ松隆くんのモルモットになってしまうか分からない。やはり私の両手にのせておくのが一番だ。
「ツッキー、そのサイズだと食べたいものとかお腹いっぱい食べれるじゃん? 桐椰くんに何か作ってもらったら?」
「お前らは俺をなんだと思ってんだよ」
「アップルパイだな」
「ちゃっかり要求すんじゃねぇよ! 急に言われてもパイシートとかないだろ!」
あ、問題はそこなんだ……。私達の目はオカン属性に生温かい目を向ける。
「つか、そもそもパイシートあったところで焼ける頃にはお前もとに戻ってるからな」
訂正するところそこじゃないんですけど……。やっぱり甘いな、桐椰くん。
「ていうか、ツッキーはアップルパイが好きなんだね」
「母親の手作りが美味しくてな」
「しかも俺のだと不満なのかよお前は」
「取り敢えずフェアリー・ツッキーの写真撮らない?」
「だったらもう少し黒歴史に残りそうな服調達しない?」
「隙あらば虐(しいた)げようとするのよくないよ松隆くん」
「そもそもこれは機密実験なので写真は不可だな」
「俺達の前で小さくなるのはいいのかよ」
「見られる分には確たる証拠とならないので問題ない」
ぽてん、とフェアリー・ツッキーは再び足を投げ出して私の掌で座り込む。うーん、こうして見てるとツッキーでも可愛いな。
「ずっとこのままのサイズならいいのになー、ツッキー」
「不便なので却下だ」
「あぁ、やっぱ不便なのな」
「ところでどうやって戻るの?」
「残り五分で急激な眠気に襲われ元に戻るため、間違っても眠った俺をテーブルに置くことはしないでくれ」
「いやこの場合一番の間違いは桜坂の手の上だろ」
ご尤もです。
とりあえず、フェアリー・ツッキーをカバンに入れたり、桐椰くんの頭に乗せたりポッケに入れたり、松隆くんの肩に乗せたり……。一通り楽しんだ頃にいい時間になったので、ベッドに寝かせてあげた。フェアリー・ツッキー的には超キングサイズのベッドにぽつんと寝かされる羽目になって落ち着かなさそうだ。
「もとに戻っちゃうんだね……」
「残念そうに言うな」
そして、本当に時間ぴったり、眠りについていたフェアリー・ツッキーは、ポンッなんて軽快な音と共に煙幕に包まれ、煙幕が晴れたときには普通のツッキーとなって眠っていたのでした。
「あーぁ、ツッキーが可愛くない」
そして、何事もなかったかのようにパソコンに向かうツッキーの背中を見ながら毒づいた。ツッキーは無視。隣に座る松隆くんは頬杖をついてツッキーの横顔をとっくり眺めた。
「別に、元から可愛くないだろ」
「フェアリーのときは可愛かったもん。ちっちゃいツッキーのままならよかったのになぁ……」
「そんなもんかな」
言いながら手の中にあるボールペンでツッキーの頬をつつく松隆くん。迷惑そうなツッキーの横顔。
そして何より、ハッとする私。慌ててツッキーの背後に駆け寄り、ツッキーと松隆くんの間に手を入れてガード。
「駄目だよ松隆くん、ツッキーをいじめちゃ!」
「は?」
「まだフェアリーの癖が抜けてないの、桜坂」
「しまったつい……」
ひ弱なツッキーを守らねばという使命感に駆られてしまいました、と手を引っ込める。ツッキーは「気が済んだようで何よりだ」とあまりリアクションをとらないままパソコン画面に視線を戻す。やっぱり可愛くない。
「ねー、もう一回薬飲まないの?」
「飲まない」
「俺にはないの、それ」
「お前は飲むべきではない」
「どういう意味、それ」
「ところであそこで変化についていけず疲れている桐椰くんに犬耳を生やす薬はないんでしょうか」
「あるわけねーだろそんなもの。つかあってもやめろ」
ソファに寝転がった桐椰くんは額に手の甲を乗せていた。こういうとき、真っ先に目の前の変化についていけなくなるのは松隆くんだと思ってたけど、案外桐椰くんなんだな。
「じゃあ今度はフェアリー・遼くんにしてみよ」
「語呂悪くない?」
「ところで月影くん、さっきからずっとパソコンで何してるの?」
「報告書を書いている。忘れないうちにな」
フェアリーから人間に戻ったツッキーは、満足そうにキーボードを叩くのでした。