この感情を知らないわけではなかったし、認めたくもないわけでもなかった。
自分がこんなにも感情で突き動かされるとは思わなかったのだ。
いつものように業務連絡をして、その時はただあの子の元気そうな表情見るだけで少し安心はしていた。それでも相変わらずの無表情だが、なんとなく喜怒哀楽の雰囲気は掴めてきた。まだ彼女は二十にも満たないまだまだ子ども。いくら彼女を利用する為とは言えど、責任や保護意識がないわけではない。ゆえに、戦いで起こったことを業務連絡という形で報告し、時にはその傷ついたメンタルを癒し、時には戦闘がないつかの間の安息で喜びを感じたことに耳を傾ける。それを幾度と繰り返していく内になんとなく彼女という人間が掴めてきた。
そして今日、ふとあの子に会いたくなって帰還するよう命じた。
部隊が極東基地に寄るということで、イトリの方も問題なく別行動もとれる。
イトリが帰還したという報告を受けたものの、アクシデントが発生した。
どうやら再びBF団によるハッキングが行われ、シュウはその対応に急遽追われた。
前に一度ハッキング受けたこともあり、スムーズに解決はでき特に異常も見られなかった。同時に「懲りない人達ですね
ぇ」なんて呆れていた。
だが呆れつつ、イトリと再会できるはずがこんな敵対勢力のチャチな妨害にあってシュウは内心イラついていたのである。
そのため、一緒に対応に追われていた職員は口を揃えて「機嫌が悪そうだった」と言うのだ。
早くイトリに逢いたい。
そんな思いで急いで急に飛び込んできた仕事を終わらせ。
我ながら情動でこんな風に慌ただしく動くとは、などと自嘲しつつ早足で廊下を歩き彼女がずっと待っているであろう総裁室へ向かった。
「────イトリ?」
ドアを開け、ソファーでずっと待ちぼうけ食らってぼーっとしてるのだろうかと思っていたら彼女は気持ちよさそうに寝息を立てて眠っていた。
ずっと待たせてしまったのだろうか、と考えつつ歩み寄り頬にかかったひと房の黒髪をそっとどけてあげる。
「イトリ」
名を呼ぶ。当然彼女は起きない。
よく見たらうっすら隈が出来ている。
度重なる連戦でろくに寝れてないのだろう。
……彼らと、そしてこの星には余りにも敵が多すぎる。
起こさないようにやさしくイトリの華奢な身体を抱え上げると、彼は総裁室を後にした。
****
「あれ?」
ぱちり、と目を覚ます。
まったく見たことがない天井だ。それに、背中にはとてもやわらかな感触。あの総裁室の高級ソファーよりもっとやわらかくて寝心地良さそうな────
「!」
がばっ、と勢いよく起き上がる。「あれ、私…」なんて呟きながらきょろきょろ辺りを見回す。
ここは……寝室………?今自分が寝ていたのはベッドの上。
誰かがここまで運んだ?だとしたら誰が?そもそもいつの間に自分は寝てしまっていた?総裁室でずっとシュウを待ち続けていたが、その先の記憶が無い。いや、ソファーが高級そうだとか、あまりじっくり見ることがなかった総裁室を眺めていたが………
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「え…」
急に声がして思わず気の抜けた声で返事をしてしまう。
寝起きの少女に愛しさを感じた声をかけた主は隣に椅子を敷いて腰掛けた。
「あの…博士」
「はい」
「お、お見苦しい所見せました…すみません」
「気にしてないですよ。寧ろ得をしましたから」
「得?」
首を傾げるイトリ。
相変わらず何を考えているかわからない。その紳士のように穏やかに微笑む表情の裏には何が隠されているのだろうか。
────否。
「(…変なの)」
嘘ではない。純粋に、ただ素直にこの人は言っているだけだ。直感的にそう思ったが、逆にそれはそれでこわい。他人の寝顔見て得するとは一体どういう事だろう。
「すみませんでした。私の方から呼んだ所をお待たせして」
「いえ…その…お疲れ様です」
イトリはロブから一応事の経緯はざっと聞いていた。
「暫く貴女はここで休むように。ブライト・ノア中佐にはそう連絡しておきましたので」
「え、…え?休む?へ?艦長?どうして艦長が…」
突然言い渡された休暇にイトリは目を白黒させる。
「ずっと戦いが続いてゆっくり寝る間もないのでしょう?」
「ごもっともなんですけど…でも私だけ」
「『皆が仕事しているのに自分だけ休むわけにはいかない』。現代で働く人間──特に日本人の悪い特徴ですね。貴女まだ学生でしょう?悪い社会人の見本を真似する必要はないのですよ」
ため息をつきながら言われてイトリは二の句がつげなくなった。
言っていることはわかるけれど、自分だけこんな安全な場所まで離れて休むなんて……寧ろ心が休まらない気がするのだ。
それに──この人は私を利用する魂胆のはず。
実際この人が何を考えているのかも目的がなんなのかもまったく見当つかないが……。
どんなに優しい対応されても、一番最初に出会った時に感じた『危険信号』は覆せない。
いや、利用するのだからこそ、休息を与えているのではないか?とどのつまり、今死なれては困るということだ。
「───それで、何日くらい?」
「とりあえず1ヶ月は休ませるとは伝えました。もしもっと長く休みたいようであれば延長も可能ですが…」
「え、い、1ヶ月もあれば十分ですよ」
思いのほか長かった。
いやでもその休暇が終わってしまえばあっという間と思うかもしれないが。
「──もしかして私に休暇言い渡す為だけに呼んだんです?」
「まさか。あの時点では貴女の体調は把握しきれてなかったので」
「じゃあなんで?」
「面談…という事にしておきましょうか」
「面談…!?いやいや学校の先生じゃあるまいし…」
そう言うと彼は急に黙りこくった。
一瞬の間を置いて彼はおもむろに口を開く。
「────もし」
「え?」
「もし、貴女が私の『生徒』で、私が貴女の『先生』だったら─────」
───え?
この人は急に一体何を言っているんだ。
イトリはじっと、自身の上長を見つめるが、今までのイメージがぐらつくような、まるで後悔や羨望や切なさや悲しさがぐちゃぐちゃにまぜ合わさったような────
「………いや、博士が私の担任だなんて想像つかない」
「何も担任とは言ってませんよ」
「いやでも面談となったらクラス担任ですよ」
「それもそうですね」
と、彼はクスクスと笑う。
「でも博士が学校の先生かぁ」
そういえばこの人超頭がいいんだよね…そもそも私『博士』って呼んでるし。
ロブさんから聞いた話だけど『メタ・ネクシャリスト』の称号をもってるとかなんとか……いや頭がいいくらいしかわからないけれど。
「博士の授業、かなりハイレベルな気がする」
「そうでしょうか」
「むしろ高校とかじゃなくて大学の教授の方がつとまるような」
「ふふ、貴女は本当に面白い事を言いますね」
「面白い話はしてませんて」
「それに私は、あくまで貴女の『先生』だったら、と話しただけですよ」
「私の……先生?」
私の……に拘る必要ある?
もうこの人の考えていることがわからない。
「いえ、『先生』でなくても───貴女の傍にいられるのであれば」
例えば『ご近所』『幼なじみ』『会社の上司と部下、或いは先輩後輩』。
出会う形が違っていたら────?
「…………」
「博士?」
再び黙り込んでしまった彼にイトリは心配して声をかける。
ああそうか。
『そばにいたい』と、私はそう願っている。
そして今になってやって来たこの『後悔』。
彼女が傷つく場面を私は見たくないと思っている。
『もしも 』の話をこうも真剣に考えてしまっている。
私は、イトリを─────。
「イトリ」
「は、はい」
急に何かを考え込んだと思ったら声をかけられ一瞬少しびっくりして声が裏返ってしまう。
「ところで具合はどうですか?」
「特に悪いところもないですけど……ただ 正直まだ寝ていたいですかね。ちょっとまだ眠たくて」
「わかりました。それに今日はもう遅いのでここに泊まってください」
「え、と、泊まるって………というかそもそもここって…」
「私の寝室ですが」
「博士の!?」
その割には質素なような……アーガマやリーンホースと比べたらまだいいのだが。
でもベッドは確実にいいやつだ。
けどDC日本支部の総裁たる人間がこんな質素な部屋で寝泊まりしていいものなのか。もう少しゴージャスというか高級感漂うイメージがあったのに。
「元々総裁用に宛てがわれた仮眠室を寝室に改装したんですよ。わざわざ宿泊エリアまで行って寝るのも浴槽に浸かるのも面倒なので」
博士の口から『浴槽』が出るとは思わなかったけどそりゃこの人ものんびり風呂入りたいよね、とイトリは考えてしまった。決して口に出さないが。
「博士」
「はい」
「博士は…どこで寝るんでしょうか…?」
「私は仕事があるので」
「え、徹夜じゃないですか…!?」
「慣れてますから」
「慣れてるとかそうじゃなくて…!」
さも慣れきったというか日常の一部として普通に言ってしまうシュウに絶句した。
「は、博士のそれだって現代日本人の良くない所ですよ…!徹夜は慣れちゃだめですって…!それにもしかしてなんですけど、まさか私が寝てる間ずっとここにいたんです…!?」
「ええ、ずっとそばにいましたよ」
二度目の絶句。
たかが子ども一人の睡眠の面倒見る為にずっといたなんて。
「もちろん仕事しながらですが…」
確かによく部屋を見渡せばデスクにはノートパソコンと書類の山。
もうどうしてそこまでする意味がわからない。
「私の事ならお気になさらず」
「そうは言ったって心配するじゃないですか!」
「心配…」
「当たり前ですよ…!」
当たり前───か。
思わずシュウの顔が綻びる。
イトリが自分の心配をしてくれている。
今彼女が考えているのは自分だけ。
そう考えたらついつい顔綻ばせてしまう。
これが、『喜び』なのだ。
「では私も少しだけ寝ましょうか。そこまで仰るのであれば」
「……あ!でも博士寝る場所が」
「椅子に腰かけるだけで十分ですよ」
「……」
納得いかない、という顔にシュウはくすりと笑ってしまう。だからついからかいたくなってしまい、
「それとも同じベッドで寝ましょうか?」
「へ…」
ぎし、というベッドのスプリング音。
彼は少し身を乗り出しベッドに手をついていた。
顔と顔との距離が若干近い。
「私寝相悪いですよ!?」
パーソナルスペースに彼が入ってきたことにびっくりして思わず出た言葉がそれ。
まったくの予想外のリアクションにシュウは喉を鳴らすように笑ってしまった。
同時に、ただ向こうはびっくりしているだけで、決して男女が一つのベッドで寝ることに対する考えなど持ち合わせていないのは……少し寂しさと空しさは覚えたが。
顔を赤くして拒絶してくれればどんなにまだ可愛らしかったか。
これ以上からかっても多分逆に今みたいに自滅する可能性が高い。シュウは改めて体勢を戻した。
──だが、先程の『納得いかない』という表情は顕著に出ていた。
彼女は中々表情に出にくいのだ、自身の気持ちが。
しかし最近通信で顔合わせる時も、表情が少しやわらかくなったし変化も見せるようになった。
それも、ロンド・ベルにいるおかげか。或いは戦闘や様々な組織や人間の駆け引き見てる中で人間的に成長してきたゆえか。
まだ、脈はある。
彼女は────渡さない。誰にも譲らない。
彼女が見ているのは自分だけでいい。
「博士…」
「何でしょうか」
「───ありがとう…ございます」
「礼には及びませんよ」
優しいのは裏があるんじゃないかって色々考えちゃったけど、この時だけは信じてもいいのだろうか。
なんとなくだけど、初めて会った時のような得体の知れない恐怖も感じない。あの時は何かこうどす黒いものが博士の周りにまとわりついているように見えたけど、今はその気配はない。それどころか、優しさと温かさを感じさせる。むしろ…こっちが本当の博士なのだろうか?
「博士」
さりげなくいつものように呼んでみる。
するといつものように落ち着いた雰囲気崩さず「何でしょう?」と返してくる。
当たり前であり日常であり普通である、そのやりとりが、今は何故か愛おしく感じた。
「そろそろ寝てもいいですか?」
「ええ…どうぞ」
優しい声。思わず安堵の笑みが零れてしまう。が、イトリはそれを自覚していなかった。
イトリはもう一度ベッドに横になりシーツを被り直した。
なんて無防備な、少女。
シュウは口には出さないがそう思わずにはいられなかった。
隣には下心がある男がいるというのに、簡単に許してしまうとは。
今まで警戒していたのがまるで嘘のようだ。
無意識的にシュウの手がイトリの額に触れる。
イトリは最初びっくりしたように目を丸くしてシュウを見つめたが、眠気のせいかやがて静かに目を閉じて、
「昔、祖母が言っていました。手が冷たい人は心が温かいって」
「…迷信の類ですよ」
「私もそう思います。けど………少し…今は……はかせを……しんじ…たい……です…」
そうゆっくり言葉を紡いで、彼女は眠りに落ちた。
頬を撫でても彼女は目を覚まさない。
私を信じたい、か。
つくづくこの少女は予想外の事を言う。
だがそれが心地よかった。
変に耳にいい言葉を囁かれるより、彼女の素直の、ありのまま感じた純粋な気持ちの方が惹かれるのだ。
「おやすみ──────私の、イトリ」
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