◎01 : 使命
ひんやりとした空気の中、あたしはゆっくりと目を開いた。
どうやら長いこと眠っていたみたいで枕代わりにしていた腕はしびれているし、何より、服の皺がくっきりと頬に残っている。
水溜りに映る自分がそうなのだ。
薄暗いけれど、ところどころぼんやりと光っているこの部屋は、どうやら石でできているみたいだ。
コンクリートと呼ばないのは、まるでどこかの"遺跡"のようだったから。
とはいっても管理されてないのか、水溜りを作って放置してるなんて…保全工事だとか行われるのが普通じゃないのかな。
というか、なんであたし、ここにいるんだろう?
「・・・拉致?」
水溜りの中のあたしに話しかける。もちろん、"彼女"はあたしと同じように怪訝な顔をして僅かに口を動かしただけだった。
ふと、彼女の背後にある壁がぼんやりと光りだしてあたしは勢い良く振り向いた。
その際水溜りに大きく身体が傾いて中でしりもちをついてしまったが。
壁は淡く光っていたものが段々に強い光を宿していく。
よく見れば、何か文字(古代文字?のようなものみたい)が光っているのだとわかった。
眩しいほど光が溢れて咄嗟に目を瞑ると、光は爆発したように一度光ってから収まったようだった。あたしは目を瞑っていたけれど。
ゆっくりと目を開ければ光の珠のようなものがふよふよと浮いて、辺りを明るく照らしてくれていた。
そして、文字のようなものが次々とはがれていく。そう、壁に描かれていた文字が。
…いや、文字の形と同じ"影のようなもの"がはがれているのだ。文字そのものではない。
その証拠に壁にはさっき見た文字がしっかりと残っているのだから。
影は光の珠をひとつずつ吸収して白く丸い部分に黒色の点をひとつつける。
そうすることで身体がぼんやりと発光できるみたいだ。
ところで、これは新種の生物か何か?それより、あたしってピンチなのか?
いい加減冷静さを忘れて発狂したいところだけど彼ら(そもそも生物なの?)に敵意はないみたいであたしの周りにただ、浮かんでいるだけ。
良いだけ経ってから、あたしの前に彼らが集まってきた。
宙で一列に並んでいく。ただ、圧倒的に多い(つまり、同じ文字の)子がいて不思議に思った。
彼らの形はざっとみて30ないし、20以上…だから…。
「文字なら、法則があるはず。というか、この子どことなく"A"に見えるような…」
変人さながらに独り言を呟きつつ(だって寂しいんだもの)(広い監獄のような部屋に、人間はあたしだけだし!)あたしは最初の文字列を見ていた。
次の文字列との間に空白があるから、ここで区切っても良いはず。
12匹(人?個?単位はわからないけど)のこの子たちのかたちを手ごろな石で地面に描く。
一列を書いてから気付いた。これは、アルファベットのようだ。
「歴史が生んだ奇跡!?それともミステリー…でもこれ、アルファベットなのに日本語なのは何故だろう」
地面に描かれたあたしの文字は『WATASHITACHI』だ。つまり、「ワタシタチ」である。
空白の次にいる子たちの前に立ってまた石で地面に書く。
因みにあたしが移動してるのは、彼ら一匹が小型犬ほどの大きさだからだ。
『NOZOMI』『TAKUSU』ここまでわかった。
「私たち 望み 託す」が恐らく正しい解釈。
そういえば、冷静に混乱してて今まで彼らをよくよく見てなかった気がするけど、まるで"目"のような部分、そしてこの種類。形。あたしは知ってる。
この生物は…!
「アンノーン…!?」
あたしの言葉と同時に彼らは光りだした。その光があたしに語りかける。
聞こえる、というよりは響くような、優しい感じ。ところでなんでアンノーンが?
というかあたし?え?ポケモンってホントにいたの!?
『
落ち着け』
低い声が響く。彼らか発しているものなのか、はたまた第三者がいるのかはまだ確信がもてなかったけれど、でもなんとなく感じた。
これは目の前の彼らの言葉なのだ。
「あたし、え?あなた、アンノーンさんですか?」
ポケモンに敬称をつけてるあたり混乱しているのが丸分かりだと思う。
何故か背筋がぞわぞわして…あ、それはさっきの水溜りのせいでお尻がぐっしょり濡れてるからか。
『
人間には、そう呼ばれている。未知な…生物。私たちは古きからポケモンたちを見、そして人間たちを学んできた。
しかし"未知"であるのは今はお前だ、ヒスイ。』
「な、なんであたしの名前を…」
『
お前をここに連れてきたのは他でもない、私たちだ。先程の"認知の証明"が私たちの契約』
り、理解できない!突飛過ぎる!
一体彼は何が言いたいのか、深呼吸して考えてみる。
まず、あたしという存在が未知だと言っている。
つまり、あたしの世界にポケモンが存在したわけじゃなく、ポケモンが存在する世界にあたしが連れてこられた…という解釈でいいと思う。
実際そうじゃないと、目ざとい人間が見つけていない筈がない。矛盾が生まれる。
次に…そう、"認知の証明"が"契約"へと繋がる、ということ。
彼らはわざわざ面倒にも身体を張って(?)文字列を作ってくれた。
今のように話すことができればそうしていたはず。それはつまり、なんらかの影響があってできなかったこと。
それができるようになったのは、えっと・・・
「あたしが"アンノーン"って呼んだから…?」
『
ほぼ間違いではない。だが正解ではない。
私たちを記憶と照らし合わせ、認知した。私たちの存在を認めた。それが、"契約"へと繋がった』
「ごめんなさい、えっと、契約…って?」
アンノーンたちはあたしの周りの空中をぐるぐると旋回するように動いた。
また彼らは光を強く発し、その光を一点に集める。
あたしの目の前には光の珠ができ、それがゆっくりとあたしに近づいてきた。
『
手を』
短くそう言われ、手の平を上にして両手を差し出せば、光はゆっくりとあたしの手の上に落ちた。
やがて眩しさが消えるとそこにはアンノーンの象徴である"目"のような部分のペンダントがあった。
形はどの彼らでもなく、ただ瞳のような部分だけのものだ。
それが勝手に柔らかく浮かぶとあたしの首へと紐がかけられた。
『
私たちの"知識"だ。そして、"私たち"でもある。
契約者ヒスイ、私たちは望む。そして、お前に託す。
どうかこの世界を−・・・』
彼らの言葉が終わる前に地面が大きく揺れだした。
どんどん揺れが激しくなったと同時に足場が崩れ、あたしの身体は宙へと投げ出された。
彼らは大丈夫なんだろうか、底の見えない真っ暗な世界の中であたしは気を失うまでそんなことを考えてた。
いい匂いがして目を開けると、青い瞳があたしをじっと見つめていた。
腹部に感じる重さを考えると…どうやらこの彼(彼女かもしれない)はあたしの上に乗っているようだった。
ぎしり、とベッドが軋んで彼がさっとベッドから飛び降りた。
知っている、彼はヒトカゲだ。あたしが知っているヒトカゲは確かもっと肌がオレンジに近かったはず。
だが鈍った赤に近い彼は大きな傷のある片目で、身体もひどく傷だらけに思えた。
あたしが動いたことにひどく動揺しているようにも見える。
ベッドから出ると、ヒトカゲは空いているドアの隙間から逃げていった。
なんだろうと思って部屋から出ると、老人(というのは失礼かもしれない、まだ初老だ)がお盆を持って立っていた。
この部屋に、というよりはあたしに用があってきたみたいだった。
「おお、起きたかね!」
「あ、はい。あの、どちら様で…というか、ここは一体…」
「君はワカバタウンから少し離れたところにある、海辺に倒れておったんじゃよ。
それを見つけたハナノさんが…」
彼がそう言ったすぐ後ろで、女性が顔を出した。中年女性というにはまだ若い女性は瞳をキラキラと輝かせてあたしの両手を握った。
「まあ!まあ!
もう具合は大丈夫なの?どこも痛くない?
砂浜に倒れていて、私すごく心配したのよ!だってこんな年端もいかない子が…」
「ハナノさん、落ち着くのじゃよ。ワシはオーキド、彼女はハナノさんじゃ。
話は朝食がてらにどうじゃ?」
その時あたしの腹の虫が盛大に鳴いたため、ハナノさんと呼ばれる女性もくすりと笑ってあたしの手をとった。
どうやら大きな平屋のようで階段らしいものは見かけなかった。
あまりじろじろとは見れなかったが、ポケモンに関するものが多かったのであれは夢ではないのだろう、と察した。
哀しいかな、まだあたしは元の現実に戻れそうにない。
(覚醒直後に見たあのヒトカゲもあたしが寝ぼけていたわけではないらしい)
テーブルの上に暖めなおされたご飯をそろえてもらって、手を合わせありがたく頂戴することに。
オーキドさん(恐らくあの有名なオーキド博士で間違いなさそうだけど)が言うには、3日ほどあたしは寝ていて何も食べていないらしい。
どうりで腹の虫が騒ぐわけだ。うん、納得。
「君が倒れているところをハナノさんが見つけてここで君を介抱してくれていたんじゃよ。」
「ありがとうございます、ハナノさん。」
ぺこり、と頭を下げると彼女は首を横に振った。
「いいのよ」と笑う彼女の声色は若いながらも母の発する声に似ていた。
「私、ここでポケモンを保護したりしているの。だからそういうことは慣れっ子なのよ。
あっ!ポケモンたちにもご飯あげなくっちゃ!」
彼女はばたばたと慌しく紙袋を持ってどこかへ走っていった。
オーキドさんは、あたしと同じようにハナノさんのご飯を食べている。
「この街に住んでいるウツギ博士に用事があっての、わざわざカントーからきたのじゃよ!
ポケモンセンターがここにはなくてのう…ハナノさんに世話をしてもらっているのじゃ。」
ひと段落話をしたあとで、彼の目つきが少し変わった。
ところで、と始めた言葉には少し含みがあってあたしは背中を少し伸ばした。
「まず、君の名前を聞かねばならんな」
「…ヒスイです。」
ヒスイくんか、と顎を擦って彼は箸を置いた。
心臓が高鳴る、どうして、あたしが倒れていたか。聞かれるのは困るのだ。
別の世界からきたことを言うことは恐らくタブーだろう、何も言われてはいないけれど。
どうしよう、と迷っているうちに彼は核心をついてきた。
「君は、何故あんな場所に倒れていたのかね?」
まだ、見たところ12歳くらいかね?と言われ顔を上げた。
最初に言っておくがあたしの年齢はもう20を過ぎているし(大学にだって通っている!)、そんな子供に間違えられるほど幼い顔つきだとは思ってない。
ただ、もしかしたら、"彼ら"があたしの容姿を作り変えたとなれば話は別だ。
ともあれオーキドさんの言うように子供に見えるなら、都合がいい。
大人じゃまかり通らないことを言えるのだ。
そう、たとえば。
「家が、なくなっちゃったんです。それしか、覚えてなくて…」
「つらいことを聞いたのう…大丈夫じゃ、生きているということが希望なのじゃから」
彼があたしの頭を撫でたとき、机の下にいたヒトカゲと目が合った。
あたしが目を覚ましたときにいた子だ。
じっとあたしのことを見ていた彼は、少し怪訝な顔をしていた。
『
それ、嘘だろ?』
「ちょっ…!」
こんなところでばらされたら困る!とあたしは自分でも驚くようなスピードで彼の身体を捕まえるとトイレに連れ込んだ。
たまたま無我夢中で入ったのがトイレだっただけなんだけれど。
「こんなとこで、バラされちゃ困るの!少し黙ってて!」
『
ッ…! お前、俺の声が聞こえるの、か?』
え?と首を傾げると彼は眉間にさらに皺を寄せた。
『
バラすって、そんなことできるかよ。俺はポケモンで、お前らは人間様だろーが。』
「つまり、普通の人はポケモンと会話できないって言いたいの?」
『
それがジョーシキってヤツだろ、ガキんちょ。』
イラッとする彼の言葉はともかく(先程も言ったようにあたしは大人だ。外見はともかく。)、そうとわかれば安心だ。
彼をトイレの外に出せば、ぴゅーっとどこかへと走っていってしまった。
あたしは席に戻るとオーキドさんは軽く笑って見せた。
「お腹が痛いのであれば薬をもらってくるんじゃぞ?
3日ぶりの食事なのにたくさん食べたから胃が疲れているんじゃろう」
「あ、はい。でも大丈夫です!」
ごちそうさまでしたと完食して皿を台所に持っていくと、オーキドさんは頭を撫でてくれた。
09.10.02
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