19 : Sign






ジム戦を終えたあたしは少し困り顔のレッドさんと今後の打ち合わせを話す。
彼はお淑やかとはいえ女性の視線が多いこのジムを苦手としているらしく、珍しくあたしにもわかるレベルの動揺を顔にあらわしていた。下げられている視線がいつもより忙しなく動く。本当に、ごくわずかな変化。

タマムシシティから先は人が暮らすための土地がなく、もちろんポケモンセンターもない。知ってはいる……「サイクリングロード」だ。
自転車で海上にある道路を渡る、なんてどう考えても普通じゃないとおもうんだけど、そこにツッコんではいけない。

とにかく海上に点在するキャンプスペースで休みながら次の街まで自転車で進む。
歩いて渡ってはいけないし、進む方向にしっかり車線が存在する。つまり、現代の高速道路の自転車バージョンって考えたらいいのかな。

話を聞く限り、ここは体力勝負って感じの道。
どういう意図で作ったのか正直わからないけど……とにかく体力回復と事前準備をしっかり行う、ということでタマムシデパートでの買い物は必須だったのだ。

ジム戦の次の日は、いつもは先を急ぐレッドさんも珍しく買い物を済ませることと、その後の時間は休んで構わないことをあたしに告げて、ある提案をしてきた。


「連れていくポケモン以外、預かる。サイクリングロード、出せないから、今のうちに」


サイクリングロードではポケモンをほとんどの場合はボールから出せないことが多い。
キャンプスペースで出すことは構わないけれど、他の人の邪魔にならないように空気を読む必要があるし、自転車で走行中は危険なので出さないのがルール。
自転車のカゴに入れられるサイズのポケモンとかなら大丈夫であるとか、キャンプスペースとは別に点在する多くのバトルフィールド以外は走行の邪魔になるような大型ポケモンは出してはいけないとか、そういったルールが書かれているパンフレットを本屋で軽く目を通す。

もちろんこのパンフレットは買って行く予定で手にしているわけだけれど、本屋にはまだ少し予定があるためパタンと観光ガイドを閉じた。

するすると人通りを抜けて(平日や休日の概念はこの世界にもあるだろうけれど、このデパートは関係なく混みあっているのだと感じた)、ひとけの少ない書棚を眺める。
建築・建設。趣味のコーナーの中でも特に人の少ないこの書棚で探すのは……


家を建てるつもりなの?


真紅の質問に少し驚いて、スライドさせていた視線を一旦彼に向ける。

両手にずっしりと回復アイテムや簡易の食糧、その他旅の必需品を持っている真紅は当然ながら書物に触れることはできないし、文字の読み書きも恐らくはまだおぼえてはいないと思う。
ポケモンはそんな知識必要ないとあたしは考えていても、時折翠霞に勉学の教えを乞う姿は見かけていたのでもしかしたら、少しは読めたりするのかも。

先日のオーアサさんとの会話の内容を小声で真紅に伝えて(この辺りは比較的人が少ないため、ポケモンの姿の真紅と会話しているのを他人に見られてはまずい!)、再び視線を書棚に戻しながら手を伸ばした瞬間。

ぶつかった。

思い切りというほどではないにしても、人がいるとは思わず手を伸ばしたものだから痛みよりも少しおおげさな音が響いた。
幸い店舗の中はこのコーナーを除けば人は多く、雑然としているので誰もこちらに注意を向けることはなかったけれど、驚いて飛びのいたあたしはすぐに頭を下げた。


「ご、ごめんなさい!よそ見をしてしまっていて」

「貴女はいつもどこか心此処に在らずといった立ち振る舞いをなさる。いい加減、もう少ししっかりしたらどうです」


うん?聞いたことのある声。

頭を上げて声の主を見る。知ってる。この人は……


「ロケット団の……」


ピタリ、と時が止まった。そのまましばらく無言でいると彼の笑顔が徐々に引き攣っていくのがいやでもわかってしまう。
けれどそれもなんだか面白くて。


「ラン「ランスさん、でしたよね。ちゃんと覚えています」」


彼が名を告げようとする前にきちんと応える。流石にもうちゃんと覚えている。
イケメンはたくさんいるけれど、ロケット団幹部のイケメンで唯一きちんと会話したことのある人は彼だけだ。

それに前に話してくれた……探し物、それも気になる。


「結構。しかして、何故貴女はこのような書物を物色しているのですか。流石の貴女でもまだ終の棲家を見つけるには早すぎるのでは?」

「ほら、コーナーに書いてあるじゃないですか。"趣味"って。ランスさんこそ、探し物って物件だったんですか?」


誤魔化しながら目当ての書物を手に取り開く。雑誌というには重すぎる、邸宅よりも豪奢な屋敷。歴史的建造物に近いそれらの間取りが載っている珍しい書物。
こういった類の書物はたくさん仕入れておきたいしすぐに開けるようにしたいものの、旅の途中であるあたしにはこれらは重過ぎる荷物になる。
そういった事情から電子書籍のデータをカウンターで購入するためにこうして手にしているわけだけれど。

ランスさんの手にしている書物は至って普通の……中古物件を取り扱うもの。雑誌に近いそれをパラパラと興味なさげにめくっている。


「探し物のための取っ掛かりです。
 ところで貴女、旅をしている最中に金色に輝くコイキングを見かけたことはありませんか?」


いきなり妙な質問を。少し悩んで、やっぱりけっこう悩んで、慎重に答えた。


「……昔、それ誰かが騙して売ってたって聞いたことがあるんですけれど」

「ペンキで塗ったコイキングの話をしているのでも、新たな詐欺のやり口について話したいのでもありません。見かけていないのならば良いのです」


ぱたんと彼も軽めの本を閉じた。どうやらお目当ての物件は見当たらなかったのかもしれない。
ランスさんも自身が言ったように終の棲家というものを探しているのかもしれないな、なんて思いながら閉じられた本のタイトルを盗み見る。

本当に、ただの中古の家の間取りや値段が掲載されているだけの、雑誌のような。

でもランスさんの瞳は明らかに落胆がうかがえて。

「あの」本当はこんなこと詮索するような仲でもないのに、なんだか放ってしまってはいけない気がして。


「どうして、中古の家を?」


鋭い視線が自分に向けられるのをわかっていたし、実際にそうなったのだからもうどうしようもないのだけれど、それでもランスさんは立ち去らずに少しの間を開けて、質問にこたえてくれた。


「幼少期に住んでいた家を探して」

「……コイキングと、関係があるんですか?」


そうとしか考えられなかった。

だって妙な話の切り替え方だった。とくに悪だくみではないのならば、金のコイキングなんて話は何のためにしたのだろうか。
どういう関係なのだろう。そんなことをぐるぐると思案していると、彼は表情を少し和らげて、会話の矛先を変えた。


「どうやら、悩み事から少しは前進できたようですね」


いっそ落ちぶれてしまえばこちら側に引き込めたでしょうに、と小声で付け加えた言葉もばっちりと聞き取れている。


「あんな服をもう一度着るなんてことは絶対ありえません!……でもたしかに、前にすすめた…気が、します」


お礼を言うべきなのかもしれない。彼と以前出会った公園では、一応…鼓舞?激励?のようなものをいただいた気がする。
でも、気がするだけかも。

眉間に皺を寄せて悩んでいるとランスさんは「そうですか」の一言で済ませてしまった。


「貴女にはロケット団復権のために、ひと肌脱いでいただかねばなりませんからね。落ち込んでいられても困るというものです」

「そういうつもりであの一派を蹴散らすつもりなわけじゃないですけどっ!……でも、落ち込んでいても仕方ないっていうのもありますから」


やることは山のようにある。修行、ジム戦、"彼"を助ける、宇宙服を追い出す、可能なら潰したい、仕事のことだって、それに。
脳裏にちらつくのは赤髪の彼が薄闇の中、あたしの頭にただ手を置いた、あの一瞬が。

確かにあたしに進めと言うかのようで。

すっかりお礼を言いそびれてしまったことに気が付いて口を開きかけて、それを閉じた。
愁いを帯びたその伏し目がちな表情と、薄く、それでいて綺麗なかたちをした唇が小さく僅かに動いたから。なにも、いえなかった。


「私が初めて手にしたポケモンは、コイキングでした。美しい色の、珍しいコイキング」


きっとそれは金色だったのだろう。そんなニュアンスで、彼は誰にも聞こえないように、本当はあたしにも聞かせるつもりなんてないのではないかというほど小さな声でその懺悔を吐露する。


「はじめは嬉しかった。特別だと思っていた。でも、美しい以外はやはりコイキングでしかなく、私はバトルで一勝もできず、不甲斐なさを……そのコイキングに当たり散らしてしまった」

「あたしだって、コイキングだけで勝てるとは思えません、し」

「ええ、ですが私は我を失い、手放してしまった。それまで、ずっと一緒に過ごしてきたというのに。
 大きな水槽が空になった私の気持ちは、貴女とてわからないでしょうね」


ああ、今わかった。わかってしまった。彼が中古の家を探しているのは、幼少期に過ごした家。
彼にとって親友だったコイキングを手放してしまった場所。
そしてそれはきっと、少なくとも体の自由の利く川か海で逃がした……その程度の記憶と、水辺の家の間取りだけを頼りに。

……かつての親友を、たいせつなものを、さがしているんだ。

空になった水槽を見つめるちいさなちいさな少年が何を想っていたか。わかるふりなんてできやしなくて。


「元気に、暮らしているといいですね」


再会できても、また家族になれるとは限らない。それにコイキングなら……どんなポケモンだって、狙いやすいことくらいあたしにだってわかる。
この世界は夢に溢れているわけじゃない。食に困ればポケモン同士だって、敵になり得る世界なことくらい…わかってる。

だから、そんな陳腐なことしか言えない。
そんなあたしを彼は冷たく否定した。「それはあり得ないでしょうね」


「ただでさえコイキングを狙うポケモンは多い。釣り人だけでなく、どんなポケモンだって状況次第では敵になる。
 そして…あのからだでは、普通よりも狙われやすい」


美しい金色は、野生として生き続けるにはあまりに美しすぎるから。
それでもあたしはどこかほっとしていた。コイキングが生きているかなんてわからないけれど、再会できるかなんて全然わからない、けれど。

でも、ランスさんはさがしているんだ。たいせつだから、求めているんだ。

口では諦めているかのように言うけれど、本当はちゃんと自分の心に素直に向き合っている。
その姿勢があたしに間違っていないよ、と言ってくれているようで。だから、勝手にあたしは彼に頭を下げた。


「ありがとうございます」

「…なにに、感謝しているのですか」

「あたしが勝手に、ランスさんに感謝しているだけなので気にしないでください」


そしてあたしはやっぱり彼にこう言ってしまう。「また親友になれるといいですね」
そんなあたしに彼はこう返す。「いいえ、家族です」

目的の書籍を手にしたあたしはそれ以上彼と会話することなく、自然と別の書棚へと脚を運んでいた。




2020.09.07





back

ALICE+